「……変?」
何か言わなければいけないと思って、口から出た言葉は、そんなモノだった。
「……変……では……ない……けど……」
苦しそうに、返事をする良人。
嘘なんて、つきたくない。
「あのね、良人。」
私は床に膝をついて、良人の手を握った。
「賢人は、私が目を覚ましてから、ずっと私の面倒を見てくれたの。」
「珠姫……の……面倒……を?」
「うん。さっき言ってたでしょう?迎えに必要だったら、連絡してって。リハビリの帰りとか、病院から自宅まで送って貰っていたの。」
「そう……だったん……だ……」
嘘はつきたくない。
でも、嘘をつかなければいけない時がある。
「たぶん。私が良人の大事な人だから。賢人も私を、大事にしてくれたんだと思う。未来の……姉弟になるかもしれないじゃない?」
良人は、笑顔を浮かべていた。
「そんな風に、賢人を接している中で、もしかしたら、お互い姉弟みたいな、気持ちになったのかな。」
「そう……か……だったら……いいなぁ……」
私の手を、握り返した良人。
私を信じている良人。
その腕に光る、誕生日の時に贈った、ペアの腕時計。
何年も前になるのに、未だにつけていてくれる。
「良人。私、事故で腕時計、失くしてしまったかも。」
「また……買えば……いいよ……。」
「うん。」
良人は、賢人と同じように、優しい。
だったら、私はなぜ、良人を好きになったんだろう。
良人のどこに、惹かれたんだろう。
先に賢人に出会っていたら?
私は、賢人を選んでいた?
でも、情けない事に、私はその答えが出ない。
記憶を失っていた間、私はもう一つの恋愛をしていたとしか、理由は片付かない。
「良人。また、明日来るね。」
「ああ……待ってるよ。」
私は良人の手を、そっと離した。
結局、賢人には連絡はせず、一人タクシーで帰って来た。
賢人は、先に帰っているはず。
先にご飯を作って、食べているかな。
そんな事を思いながら、玄関を開けた。
「ただいま。賢人?いるの?」
明かりがついていないリビングに、私は不審に思った。
「賢人?」
リビングに電気をつけると、まるで人気がないようだった。
おかしい。
物は無くなっていないのに、何故か胸騒ぎがした。
「賢人、賢人!」
急いで部屋に行くと、賢人の荷物が無くなっていた。
クローゼットを開けても、賢人の服がない。
「賢人……」
私はその場に、座り込んだ。
『迎えにくるから、連絡して。』
そう言ってたのに、荷物を運んでいなくなるなんて、どういう事?
私はいつの間にか、賢人に電話をしていた。
『珠姫?』
「賢人!賢人の荷物がないの!ねえ、どうして!?」
『ごめん……もう、現実に戻らなきゃ。』
それだけを言い残して、賢人の電話は切れた。
それから1か月後。
私は、良人に付き添い、リハビリを手伝った。
今では人工呼吸器も取れ、車イスで移動できるようになった。
「もどかしいよ。どこに行くにも、車椅子。」
良人は小さく、ため息をついた。
「私、その気持ち分かるわ。松葉杖を着いていた時は、本当にイライラしていたもの。」
自分の足なら、意識しないのに。
松葉杖だからこそ、余計どこに杖を着くか、滑らないかとか、変な気を使っていた。
「俺、歩けるようになるのかな。」
「なるわよ。私が歩けるようになったのよ?」
車椅子を押しながら、私は逐一、良人を励ましていた。
「珠姫。結婚はいつにする?」
「結婚?」
急に出た単語に、無意識に吹いてしまった。
「そんなに、急がなくてもいいんじゃない?」
「うん、でも……」
良人は私の手に、自分の手を重ねた。
「早くしないと、珠姫が遠くに行きそうな気がして。」
どうして、良人がそんな事言ったのか、分からない。
分からないのに、私は真意をつかれた気がして、ドキドキしていた。
「そんな事……ない……」
「本当?」
「本当。だって、車椅子のまま結婚式するの?」
何気ない質問に、良人は上を向いて、考え中。
「それはそうだ。最低でも、車椅子から降りなきゃな。」
「そうだよ、良人。」
私がリハビリ室に通って、歩けるようになったのと同じように、良人もリハビリ室に通っている。
「こんにちは。津田さん。」
「こんにちは。今日もお願いします。」
「はい、こちらこそ。」
リハビリの先生は、私と同じ先生だ。
「市田さんも、元気になられましたね。」
「先生の、お陰です。」
知ってる人が先生であるのは、ある意味安心する。
「先生、珠姫はどのくらいで、歩けるようになったんですか?」
良人は、リハビリをしながら先生に質問した。
「市田さんですか?どのくらいでしたかね……松葉杖を着いて歩けるようになるまで、1ヶ月。それから、松葉杖を使わなくなるまで、1ヶ月。計2ヶ月ってとこですかね。」
先生がそう言うと、良人は止せばいいのに、両手を上に挙げた。
「よし!珠姫の記録を抜くぞ~!」
みんなに聞こえるように、大きな声。
「ちょっと!良人、声が大きい!」
私は思わず、良人の口を塞いだ。
「あっはははは!」
そんな私を、良人は本当に面白そうに、笑った。
良人は、あまり常識外と言うか、ヤンチャな事はしない人だったのにな。
「そう言えば、今日の朝、賢人が来たよ。」
「賢人が?」
全く動じない振りをして、心臓だけが、ドキドキしている。
「今は、実家で暮らしてるよ。」
まるで、少し前まで私と同じ家で、暮らしている事を、知っているような、口のききかただった。
「そう……賢人は、元気?」
「ああ、元気だよ。」
あれから全く顔を見ない賢人の事情は、たまにお見舞いに来ると言う、良人を通じてしか、知る事はできなかった。
「何で賢人の事、気にするの?」
良人の発言に、ドキッとする。
「ああ、だって……あんなにお世話になったのに、全く会わなくなるって、何だか悪い気がして……」
「そんなモノじゃない?」
意外に冷たい言葉を言う良人に、少し戸惑った。
「なんだか……冷たいね。」
「そうかな。」
「お礼だってしてないし。」
「お礼なら、俺からしておくよ。」
「面と向かって、お礼を言いたいのよ。」
ムキになって言ってしまったせいか、良人は黙ってしまった。
「あの……良人……」
「そんなに、賢人に会いたいんだ。」
良人の言葉が、グサリと胸に刺さる。
そんなに?
私に疚しい気持ちでも、あるような言い方?
「何で、そんな言い方するの?」
「何でかな。自分の胸に、聞いてみたら?」
私はゴクンと、息を飲んだ。
「何が言いたいの?私と賢人の仲を、疑っているの?」
「疑うような事、俺がいない間に、二人でしてたの?」
質問を質問で返されて、イラッとした私は、良人に背中を向けた。
車椅子の良人は、まだそんなに早く、動く事はできない。
私は、思いきってリハビリ室の、窓の側に移動しようと思った。
「待ってよ。」
車椅子から伸ばした良人の手が、私の体をかする。
「珠姫。」
後ろから、良人が私の後を、付いてくるのが分かった。
「珠姫!」
でも、振り向きたくない。
「否定しろよ!珠姫!」
他の人が、驚いて私達を見る。
「どうしました?津山さん、市田さん。」
リハビリのトレーナーが、駆けつけてくれた。
「すみません、何でもありません。」
私はトレーナーに、頭を下げた。
「そうですか。もう少しで、他の患者さんのリハビリ終わりますんで。そうしたら、津山さんのところへ来ますね。」
「お願いします。」
トレーナーは、良人の肩を軽く叩いて、他の患者さんの元へ、戻っていってしまった。
「良人。イライラするのは分かるけれど、大きな声を出すのだけは止めて。」
「何が分かるって言うの?自分の彼女を、寝取られた男の気持ち?」
「はあ?いい加減にしてよ、良人。」
「ほら、やっぱり否定しない。」
大きな声が、出そうになったけれど、周りの患者さんの姿を見て、グッと我慢した。
「寝たんだ。賢人と。」