塔の上から降りる視線が、アリシアとソリスを射るように貫く。
 月の光を背に、逆光になる老女の表情は影に隠れ異常に紅(あか)く灯(とも)る眼球のみが存在を主張する。

「神隠し。」
 ふいにアリシアがつぶやいた。

「ここに入る前。最後に立った宿屋のオヤジがなんかほざいてたわね。」
 辺りの空気がひしひしと威圧(プレッシャー)を増していく。
「ああ。
 懸賞金かかってたわねー。」
「懸賞金。
 んふ。」

「何でモチベが上がるかなんて、人それぞれよね。」
 凍(い)てつく空気もなんのその。
 呆(あき)れたようにつぶやくソリスの隣で、溢(あふ)れる魔力と気力が辺りの空気を暖めていく。

「爆炎輪舞(フレイム・ロンド)!」
 何の予告もなしに放ったアリシアの炎の渦が、塔の先端目掛けて突き進む。

 大きく広げた影が炎を飲み込むその瞬間。
「破裂(ブレイク)っ。」
 アリシアの合図に反応して四方に飛び散る火の種が老女に向かいほとばしる。

「ギャアアア。」
 炎の量としてはそれほどでもなかったが、避けきれたと思った魔法の予想外の動きに驚いたのか、悲鳴とともに屋根を伝い落下してくる。
 その身に纏(まと)う影は外れ、さながらふわりと宙を舞う大きな布地のように見える。

 アリシアの攻撃呪文が滑り落ちる老女を狙い放たれる中で、ソリスの中に大きく湧き上がる〈イヤな感じ〉。
「なんだ?」
 張り巡らせる意識に触れる、敵意。

「っ!
 影かっ。」

 口をついたソリスの言葉に反応したように地表近くまで降りてきていた影が、大きく膨らみ人のカタチをなす。

 アリシアの背後に向かい、振り上げる右手に握られた黒い刃。
 ソリスの声に反応して振り返ったアリシアの顔が驚愕(きょうがく)する。

 ザンッ。
 刃が深く貫く音を残して、黒い刃を握った腕がソリスの放ったダガーナイフに射抜かれた。

「爆風陣(ブラスト・サークル)。」
 咄嗟(とっさ)に放つ風の魔法が、アリシアに刃を向けていたペールブルーのドレスの姫の身体を弾き飛ばす。

 その後を追い、ソリスが走り抜けていく。
「貸し、清算よ。」
 しっかり一言も忘れない。

 ゆらりと立ち上がる姫の意思のない瞳。
「ナイフが刺さってんのに声一つ出さないなんて、随分な心がけね。」
 ソリスの振るう剣の一撃を、黒い刃が受け止める。

 その口元が、何かをつぶやいていた。

 イヤダ。
 ココハツメタイ。
 カエリタイ。
 ワタシノ……。

 独り言のようなその言葉に音はなかった。
 唇を読むことなどは出来ないソリスの脳裏に、それでも確実に届いてくる。
 眉をひそめたソリスを、姫の振るう黒い刃が襲う。
「素人(しろうと)の太刀筋じゃないわね。」
 斬り結ぶ太刀音が響き、ソリスとほぼ互角に剣を振るう姫の、その身体|捌(さば)きに違和感を覚えた。

 剣の運びに比べて、足や身体の返しが甘い。

「つまり。」
 フェイントをかけ、下から捻(ひね)り上げるように斬り上げたソリスの一撃を、黒い刃はやすやすと弾き、一閃する返しの刃がソリスのがら空きになった脇腹を狙う。

 弾かれた剣に逆らわず、右の足に軸を置いたソリスは左足で姫に足払いをかけた。
 ソリスの目的はここ。
 なんの抵抗もなく、コテンとひっくり返る。

 この最中でも、黒い刃だけは鋭利(えいり)な一撃をソリスの服に残していった。
 裂けた服から覗く脇腹に紅い筋が流れていく。

「バトルを仕切っていたのは刃の方で、小娘はお飾りってわけね。」
 多少の痛みは感じるが、この程度の傷、動く事に支障はない。
 不釣り合いないかつい刃を握る、白く華奢(きゃしゃ)な手を踏みつける。
 意思のない、淀(よど)んだ瞳がソリスの顔を見つめた。