「自分にとっての日常は、他人から見たら非日常なんやろか。」

「つーちゃんは、UFOおると思う?」


「これまた唐突にどないしたん?」



来店して早々、カウンターに身を乗り出して涓畤壟が聞いてきた。



「昨日の深夜番組でやってたらしいて、会うた直後にこれや。勘弁して欲しいわ。」


「それは朝からお疲れ様です。」



未確認生物特集を見たらしく、会う人会う人に聞いてもいるようで、隣にいただけだが鰍掩は疲れている。



「で、どう思う?」


「うーん……幽霊もそうやけど、そーゆうもんは存在するちゅー証拠が無いからおる証明は出来ひんし、存在せーへんちゅー証拠も無いからおらん証明も出来ひん。どっちも嘘やほんとや言われへんなぁ。」



「つーちゃん、哲学者やな!すごいわー」



はぐらかしているような答えになってないような、そんな気もするが、涓畤壟は特に気にしていないようでウンウンと頷いている。



「結局、今おる世界が現実か夢か立証出来ひんのと同じや。考えるだけ無駄やゆーこっちゃ。」


「じゃあ、夢から覚めるのどーぞ。」



「覚めるゆーて、お茶?」


「ええから飲んでみ?」



微笑みを称えた碑鉈が勧めたのは、カップに入った見た目はただのお茶。

「げほっげほっ……げほっ……げほっ…にがっ!なんやこれっ!?」


「せんぶり茶。胃にええよ。」



「良かったなー、けんしろー」



棒読みの鰍掩は、碑鉈の微笑みに何となくの違和感を覚えた己に拍手しようと思った。



「けど、こんなんどこで?」


「お客さんにもろたんよ。このカスミソウと酔芙蓉とオリーブの実と一緒に。」



「けったいな人やな。統一性があれへん。」



確かに関連性が見当たらない。



「ポエム好きな人でな、花言葉にちなんだもんくれはんねん。」



退屈な日常にはオリーブを贈ろう
それはつまり平和ってこと


退屈な人生ではない毎日にはカスミソウを贈ろう
それはつまり感謝ってこと


あなたがいる世界にはセンブリを贈ろう
それはつまり安心ってこと


繊細な美を奏でる酔芙蓉と共に



「メッセージカード付なんや。」


「色々なこと知ってはる人なんやけど、感想不要でおいていきはるから。これみたいに実用性があればええんやけど。」



苦笑いの剣を見る限り、ありがた迷惑な部分もあるようだ。



「かしゅー様~~!聞いてくださいよ~」



扉を開けた柿蒲は何やら怒っていた。

「援助交際せーへんかって言われた!うち、そないな軽い女でも安い女でもないし!あんなんに引っ掛かる男とか願い下げやし、うちにはかしゅー様がおるし。ほんま失礼やわ!」


「大丈夫やったん?なんもされへんかった?」



碑鉈は同じ女として心配になる。



「大丈夫や、しつこいゆーて鞄振り回したら当たって倒れた隙に逃げてきたわ。」


「えらいえらい。」



柿蒲の頭を撫で、剣は褒める。



「つーさん、子供扱いせんといてーな。けど、なんや多いらしいわ。援助交際に売春に買春、美人局まで。」


「フォルム変えれば、いたちごっこやさかいな。蜜穿クラスならともかく、お前にそんな価値があるとは俺は思わんけどな。」



「かしゅー様、冷たいわー。まぁ、蜜穿様に敵うとは思おとらんけど。」



柿蒲より蜜穿の方がモテるらしい。



「かっきー、変えられへんのは過去と他人。変えられるんは未来と自分。変わらんのは時間の流れと人情や。性欲もまた人情やで。」


「ええことゆってるようで、最低なんはどないしたらええやろ?」


「え、かっきー?」


「そないな人情、いるかーいっ!」


「す、すまんすまん。落ち着き。」

「男ちゅーもんは、そんな程度や。けほけほっ…」



最低な発言をした楮筬に、柿蒲は殴りかかろうとする。


楮筬の後ろから現れた蜜穿に気付くまでは。



「蜜穿様!……咳き込んでますけど、大丈夫ですか?」


「けほけほ……大丈夫、単なる風邪や。熱あれへんし、放っとけば治るわ。」



蜜穿とは真逆の気分らしく、柿蒲から距離をとり安全を確保した楮筬は笑顔だ。



「こーぞーさん、なんや嬉しそうやね。」


「おうよ!これ、みんなで飲もう思おてな。」



「どないしはったんですか、ワインやなんて。」


「ハスラーのオヤジから夫婦喧嘩の相談受けてな。解決したゆうてそのお礼にやて。」


「ハスラーってビリヤード場の嗄声みたいなハスキーボイスがかっこええちょっと無口な人?」


「ああ、そうや。」



態度だけや伝われへんし言葉やって傷付ける


けど超能力者でもない限り人間は何か行動せーへんかったら伝えられへん


傷付いて傷付けて、それでも大切で分かり合いたいからぶつかり合うんや


もどかしーても温かなれるんがええんや



「そうゆうて、エンジエライトのネックレスでも贈れてアドバイスしたんや。」

「こーぞーさん、かっこええわー!…ってなんや、アンジェラ?」


「エンジエライト。許しってゆう石言葉があるんよ。」


「お~ピッタリやな!」



カタカナに弱い涓畤壟に、お客からの知識を碑鉈は惜し気もなく披露する。



「夫婦喧嘩は犬も食わん言いますからね。」


「犬も食ったら腹壊すって分かってんだろ。」



本来の意味とは違うが、行き過ぎた喧嘩が愚かなのは確かだ。



「キザ過ぎて、したんがあんたやなくて良かったわ。…ごほごほ…」


「なんや蜜穿、風邪か?せやったらワイン飲んだら治る治る!」


「あかんよ、お酒なんて勧めたら。蜜穿ちゃん今日は帰った方がええよ。よかったらこれ持っていき。」



剣が差し出したのは、花と紅茶だった。



「スイートピーには香りにリラックス効果があるし、この紅茶はバタフライピーゆうて解毒作用があるさかい。」


「それはどーも。有難く貰っとくわ。」



覇気無く蜜穿は帰っていった。



「蜜穿様、ほんまに大丈夫やろか…」


「最近バイトが忙しいゆうてたのに、こっち来たんは落ち着いたからやろ。心配し過ぎやてかっきーは。」



涓畤壟は軽く笑いとばした。

「ごほごほ………」



蜜穿は剣から貰った花と紅茶を見ながら思い出す。



『お前なんかおらんかったらええんや、この疫病神が!』


『目障りなんよ、生まれてこなきゃよかったんに!』



涙さえ出ないのに、体は震え呼吸は荒くなる。



『ごめんなさいごめんなさい』



口に出るのはこんな言葉だけ。



『ええ子になる、ええ子にするから。だからなぁ……』



手に入らないと分かっていたけど、それでも無くなるまで求め続けたイミテーションラブ。



「正体知っても変わらんな…」



ハニービーと分かると裏の人間でさえ態度が変わるのに。



一般的でありきたりでも、ゆるやかな今を切り取って閉じ込めたい。


鮮やかと思えたこの景色が色褪せないように。



「まぁ無理な話か。実現不可能な現実やな…」



どんだけ裏の世界を知っても、


どんだけ大人の事情を理解しても、


どんだけ子供らしいない子供でも、



結局うちは何も出来ひんガキなんやと



蜜穿は自嘲する。



最も、借金の形に廓念会のフロント企業へ売られてからは、きっと無力なガキ以下だ。



命令に従って動くだけなのだから。

壊された心で戻ったところで、奈落に落ちるだけ。


奪われてしまった権利を主張しても、そこより転落した地位にされるだけ。


消された存在だから、人権など堕落する。



目を開けても閉じてもいつも同じ色しか見えなかった。



狂った脳が嘘をついて、アカイユメを魅ているだけ。


ユメだからその赤色灯が光だと思うしかなかった。



何故なら、蜜穿の周りだけを避ける様にして、狂喜に満ちた黒いモノと穢らわしい赤い液体が蔓延していたのだから。



「今日も相変わらず綺麗な空や…」



地面がどれだけ薄汚れようともいつだって綺麗なままだ。



地上の都合など全く構わずに、ちっぽけな地球が舞台となって遠く遠く離れた、太陽は朝を、月は夜を、演じているように見える。



広大な宇宙の隅っこで繰り広げられる自分の人生は、果たして喜劇か悲劇か。


「自分で幕引き出来ひんのやから、思考を巡らせるだけ無駄やな。」



演者も観客も置き去りに、舞台は続くのだから。



走馬灯の様な心の内を書き出して見えない紙で作った飛行機を飛ばす。


気持ちとは真反対に上へ、どこまでも高く遠く澄み渡る青空へ消えていった気がした。

「皆やってんやん。先にそいつらに言ったらええやんけ。」


「確かに他もそうやけどな。反対に言えばそう思われとるんは君も同じやで。」



路地裏でタバコを吸っていた未成年を注意する警察官―――剥嚔石掎蹟(ムテイシ キセキ)は殊犂の部下である。



「言い訳屁理屈、大歓迎や。君らが理解して納得してくれるまで、何度でも説明すんで。それが君らに世を託す前の俺達大人の責任やからな。」



地道な作業も大切なことだ。


警察官を他を全て制圧する強い支配者と勘違いする輩がいるが、それは違う。


自分などまだまだでそれでも警察官としての威厳を保ってられるのは、補ってくれる仲間がいるからだ。



「親は子供に苦労させたない言いますけど、苦労はした方がええですよね。子供が苦労しとる時に支えたり見守ったり出来るそんな親に自分はなりたいです。」



「突発的にバカなことを言ってないで警ら続けろ。」


「はい!」



何事にも偏見を持たずに接せられる掎蹟が羨ましい。


昔は自分もあんな感じで輝いていたのかもしれない。


懐かしさを覚えてしまっては、あの頃に見えていた景色、今では見えなくなってしまったのだろうか?

ふと、そんな感覚に襲われる時がある。



確実に目に見えるのに不確かな犯罪者に、目に見えないのに確実な罪。



逮捕することに固執した結果、評価され昇進してきた。


変わったのは実力主義の周りか、変わってしまったのはそれに感化された自分か。



その変化が幸か不幸か分からないが、いつまでも思考に浸っている訳にもいかない。



「剥嚔石、後はいつも通り回っておけ。」


「はい!お疲れ様でした!」



去る姿はかっこよく、やはりああなりたいと思う。



日々鍛練を重ねているが、強くなりたいと思うのは勝負で勝ちたいからではない。


守らなければならない時に仲間と戦う為、殊犂の足手纏いにならず戦力になれるように。



その時が来たら同じ舞台で隣に立てるように。



きぃーせ、とあだ名で呼ぶ上司が多い中、当の殊犂からはなかなか呼んでもらえないのだが。



「よしっ!」



悪ガキ共の態度に諦めそうになる時がある。


けれど、全てを現在-イマ-に繋いでいく。


選んできたこの過去-ミチ-は間違ってない。


光-ミライ-へノンストップで走り続ける。



そう誓い、掎蹟は気合いを入れ直した。

「ほんならこーぞーさん、ワイン開けましょうか?」



「おう、頼むわ。ソムリエナイフのスクリューは、コルクを突き抜けん位置までやで。」


「分かってますよ、コルクのカスが入ってまうからでしょ?コルクが古うなった年代物の高級ワインなら突き抜ける場合もあるゆうことも知ってますよ。」



コルクを抜いた後に臭いを確かめるブショネという行為も、剣は忘れない。



「つーちゃん、様になっとるわーソムリエなれんちゃうの?」


「褒めすぎだよ、けんしろー」



言っておいてなんだが、同じ男として涓畤壟はちょっと悔しい。



「かっきーちゃん、うちらはバタフライピー飲もうか?解毒作用だけやなくて、アンチエイジングにも効果があるんやて。」


「ほんまですか?!飲みたい!」



女達は美容に目がないようだ。



「ひなもかっきーも好きやね。けど、シミが出来ても白髪が増えてもシワが目立ってきても、嘆かんでええよ。老けたない若く見られたいってよう聞くけどな、笑ったらくしゃくしゃになるその顔は、誰が何と言おうと僕はめっちゃ可愛いと思うし好きやで。特にひなはね。」


「つーちゃん!」



碑鉈の目がハートになる。

「なんや久々にアツアツやな。」


「ご馳走さん!」



鰍掩も楮筬も嬉しそうだ。



「飴魏蜜穿っ!!」


「おーことり!なんや、昇進したらしいな。ワイン飲んでいけ!」



いつものように殊犂が来ると、噂を聞いたらしい楮筬が祝いだと勧める。



「結構だ!それに昇進ではなく昇給だ、間違えるな。」



「どっちでもええけど、ことり。地位の階段ちゅーんは、登れば登るほど高ければ高こうなるほど、転がり落ちるんは一瞬や。一歩ずつ登る度に、地道な経験をストッパーにせなあかんで。一気に高こうなってしもうたら、それは階段やなくて坂道や。気ぃ付けなあかん。世の中そんなに甘くないさかいにな、よー覚えときや。」



栲袴の殺人未遂を止めたり、蜜穿への聴取や荊蜻の抜けた穴を後任が決まるまで埋めるなどの功績による時期外れの昇給。


現実的には、現役警察官である荊蜻の不祥事に対する口止め料であり、殊犂の正義感溢れる性格に釘を刺す目的も兼ねている。



「余計なお世話だ!努力も諦めるのも己にしか出来ないことぐらい、貴様に言われずともな!」



だからだろうか。


上の意向を分かっている殊犂の機嫌はいつもより悪い。

「そんなことより、飴魏蜜穿はどこだ!」



店内に姿が見えない蜜穿を探す。



「なんや最近、えらい蜜穿にご執心やな~」


「偽ハニービーのことがあってからやんな。まさか、ことりっち、蜜穿様のこと……」



「そ、そんなわけあるか!仕事だ、仕事!根拠の無いことを言うな!」



殊犂は否定するが、涓畤壟や柿蒲の言う通り鰍掩から蜜穿へ目的が変化していた。



「好きになるんに理由なんかあれへんで!姿形、性格や価値観やなんて後付けや。思ったら一直線や!」


「例え結果があかんくても、駄目やったちゅー成果は得られる。せやから無駄やない。非効率は時に有益やさかいにな。」



アルコールが回って、楮筬も鰍掩もいつになく饒舌だ。



「そうや、ことりちゃん!当たって砕けろやで!」


「砕けちゃあかんと思うで。」



砕けること前提の涓畤壟に、剣は苦笑いで言った。



「だから、違うと言ってるだろう!」


「蜜穿ちゃんやったら風邪気味みたいやったし、家におるんとちゃいます?」



「風邪…、失礼する。」


「頑張れな~」



一瞬考える素振りを見せ踵を返した殊犂を、涓畤壟は楽しそうに見送った。

「ごほごほ……」



繁忙期の世間でバイト続きだった身体を休めようと、自分にしては珍しく大人しく家に帰った。


剣に貰ったスイートピーを、花瓶なんてものは無いのでコップに飾る。



帰って寝るだけの殺風景で生活感の無いワンルームの、そこだけ少し華やかになった気がした。



「家に花やなんて、めっちゃ違和感やな。」



頭の中に描く観客席には蜜穿しかおらず、勝手に上映を始めた映写機が映すは、あの時のその場所のこんな出来事。



暴力が躾という父親は、ろくに仕事もしないくせに、借金までして依存したのはギャンブルとアルコール。


暴言が会話という母親は、何故結婚したのか分からないほど夫に興味が無く、買い物に依存し借金を重ね男の為に着飾った。



栄養失調になっても放置された蜜穿は、取り立てに耐えかねた両親合意の決定事項により組と交わした約束で売られた。


終わり無くカタカタと回り続けるのに続きは無いようで、ザッピングしながら途切れるのは同じ場面。



鏡花水月の様に、組員と話す両親の顔は忘れない。


自らの子と別れなければならないのに、甘い蜜を吸ったあげくに去り行く両親の清々しく晴れやか顔は。

ピンポン♪………―――



「!」



スイートピーを見ながら、疲れか風邪か分からないがボーッとしていた。


控えめに1回鳴ったチャイムに、蜜穿の体がビクッっとなる。



「お巡り、さん……」



ドアを開けて見えたのは、見慣れた殊犂の仏頂面だ。



「なんや…家まで…ごほ……、教えた覚え…あれへんし、職権乱用し過ぎや。」


「潜伏場所を把握することは当然だ。……今日はそっちではない。」



蜜穿の様子に眉をひそめながら、殊犂が差し出したのは大きな袋。



中には、お粥の素・雑炊の素・カップうどん・茶碗蒸し・生姜湯・のど飴・スポーツドリンク・りんご入りのヨーグルト・バナナ等々…



風邪にはこれだ!……みたいな食材がたくさん入っていた。



「なん?これ…」


「風邪だと聞いたからな。これでしばらく外に出なくてもいいだろう。」



殊犂の意図は分からなかったが、とりあえず自分の為に買ってきたものだというのは理解出来た。



「まるで彼女やな…」


「かのっ…!!」



何故彼氏ではないのか。


性別が逆だと今にも怒り出しそうな殊犂だが、蜜穿は甲斐甲斐しく世話しそうだと思った。

「ちょうどええ、あんたに聞きたいことあってん。」


「なんだ?」



「うちの偽物とあやつ、どないなった?聞くの忘れとったんや。」



蜜穿の事件への関与については、荊蜻の不正を明らかにした事と証拠の提示、廓念会との兼ね合いもあり殊犂とのやり取りだけで終わった。



ただ、殊犂が怪我した件について蜜穿への殺人未遂として、栲袴は聴取を受けていた。


不正アクセスの件は、蜜穿が証拠一切を消去済なので未遂にもすらならず全く問題ないのだが、事件後バイト続きになり聞く機会がなかったのでついでだと蜜穿は尋ねる。



「射唐栲袴は素直に自供したし、上の意向で聴取だけだ。もう日常生活に戻っている。……貴様に感謝していた。」



廓念会が絡んでいたとはいえ、罪が無かったことになり今まで通りの生活が出来ることに、栲袴は反省と共にとても感謝した。



「牟齧は、内々に処理された。それにしても貴様、よく証拠をネットに流さなかったな。流れていたら、内部であってもこの程度の騒ぎで済まなかった。」


「別に、ごほごほ……大袈裟にしとうなかったんは、うちやのーて雇い主や。消すより逮捕の方が、手汚さんし正規やし楽やからな。」

荊蜻のことがマスコミに流れるようなことがあれば、栲袴や蜜穿、その先の廓念会まで辿り着かれる可能性がある。


だから、雇い主である廓念会は内々に処理されるよう、蜜穿に仕掛けさせたのだ。



「何故どこもかしこも、上は騒ぎを恐れ真実を隠そうとするんだ。」



どのような理由があろうと、犯罪者を野放しにするなど言語道断だと殊犂は思う。



「独裁者ちゅーんはみな同じや。骸を光を優しさを踏みつけていくねん。逆に、骸を闇を悲しみを背負っていくんが英雄や。」



「なんだそれは?」


「RPG好きなバイト仲間の受け売りや。」



切り捨てるか、共に行くか。


今の蜜穿とって、独裁者はたくさん思い浮かぶのに、英雄となると浮かんでくるのは1人だった。



「ごほごほ…ごほごほごほ…げほげほ……」


「…!……話はもういいだろ。俺は仕事中なんだ。」



部下に任せたので仕事中ではないのだが、咳き込んだ蜜穿につい嘘をつく。



「せやったら、なん…ごほげほげほ…」


「もういいから、安静にして外に出るなよ。」



最後まで意図が分からず尋ねようとするも咳き込む蜜穿へ、それだけ言うと殊犂は帰っていった。

「一体何がしたいねん…」



遠ざかる殊犂が、痛みを増している頭痛のせいか少し歪む。



「げほげほ………甘っ…」



袋からスポーツドリンクを取り出し飲んでみるも、ジュース類を飲まない蜜穿とっては甘過ぎた。


殊犂達には当たり前の他人を心配することも蜜穿にとっては甘過ぎた。



弱いと言える程、強くなくて。

強がりを言える程、弱さを見せれなくて。



両親の望む通りになりたくて、惚けて痛みに知らないフリをした。


嘘を付く程でも無い、ただほんの少し自分に起こった事実を歪ませる。


両親の望む自分に近付ける為にする、ただそれだけのはずだった。



だけど。


コンコルドの誤謬と呼ばれるものに両親が当てはまると知ったのは、それが裏社会の常套手段と気付いた頃。



そこから学んだのは、何も望まなければ何も生まれないこと。

悲しみも絶望さえも。



だから。


無が希なんだと、蜜穿は何も願わないことにした。



常套手段を身に刻みながら、誰にも分からないように終わらせたのだ。



「ごほげほ…」



悪寒と倦怠感に引っ張られるようにして床につく。


携帯のランプにも気付かずに。

「気付いた時に手遅れなんやったら、いつやったらええねん。」

「最近、抜けること少ないですけど、隗赫鰍掩はどんな感じなんですか?」


「……どうもこうもない。」



涓畤壟と柿蒲から言われてからというもの、思い返せば鰍掩よりも蜜穿を探すことが多くなっていた気がして、掎蹟の問いに殊犂は歯切れが悪くなる。



「いくら金杉獣象が高齢で表に出へーんからって、隗赫鰍掩を追いかけるんは止めろて言われてますやんか。上にも睨まれるし、抜けてまですることちゃうと思いますよ。」


「そう言えと言われたか?」



「え、ぁ………そーいえば、特殊レンズ使って盗撮してたストーカー野郎ですが、前に公然猥褻でも逮捕歴があったんやってゆうてました。ああゆう奴は更正せーへんのですかね。」



図星だったようで、慌てて掎蹟は話題をすりかえる。



「動物にとってはメイトガーディング―――配偶者防衛というらしいが、人間はその延長でストーカーになるようだな。……と、何かの本で読んだことがあった気がする。」


「へ~勉強になります。」



無意識に出た言葉を殊犂は咄嗟に誤魔化したが、本ではなく蜜穿から言われたことだった。


妃翠だけでなく、管轄内ならバイト先にまで現れた殊犂を例えたらしい。

「まぁ、でもここんところは事件が立て続けで、抜けられんかったから隗赫鰍掩も油断しとんのとちゃいます?」


「油断ぐらいで逮捕出来る男ならばいいのだがな。」



鰍掩の嫌味ったらしい顔が浮かぶ。



通常の警らなら掎蹟に任せて抜けられるのだが、




道路交通法違反―――酒気帯び運転で捕まえた奴の車が盗難車だったり、



遺失物横領―――財布を盗まれたと言った奴が常習犯のスリ師だったり、



占有離脱物横領―――自転車を盗んだ奴が空き巣を見付けて通報してくれたり、



迷惑防止条例違反―――強引な客引きをしていた店員がひったくり犯を捕まえたり、



不法侵入―――鍵開け師と自慢気に名乗る金庫破りが豪邸に入ったら忍び込んだあげくに居直り強盗犯と鉢合わせしたり、





微罪ではあるが事件が重なりその処理に追われて、妃翠や蜜穿の家どころか自分の家にさえ、見舞いの後ろくに帰れていなかったのだ。



現に今も、風営法違反容疑の風俗店を張り込んでいる最中だ。


店主は日本人なのだが、従業員は外国人で不法残留の疑いも浮上している。



出入国管理及び難民認定法違反ならば、強制送還しなければならない。

「あ~これが終わったらちょっとは落ち着きますかね?連絡疎かにしたら彼女怒っちゃって……なだめんの大変やったんですよ。」


「彼女いたのか。」



「いますよ。……って、ゆうたやないですか、この間の合コンで知りおうた人です。」



得意気に写メを見せられたが、失礼ながら蜜穿には劣るなと殊犂は思った。



「(……って、何故俺は飴魏蜜穿を思い浮かべてるんだ!)」


「……………。」



比較対象が蜜穿だったことに動揺する殊犂を、面白そうに掎蹟は見る。



「藹革さん、何か変わりましたよね。」


「は?」



殊犂自身にそんな気は無く、もちろん思い当たる節も無く、掎蹟の言った意味が分からない。



「あ、変な意味やありませんよ。いや……、前は知りませんけど、なんや表情豊かゆーんか、人間味が増したちゅーんか。とにかく、ええ風にですよ。」



取り繕うように否定する掎蹟に、誉められているのか貶されているのか、やはり殊犂は分からない。



「なんかええことでもあったんとちゃいますの?射唐栲袴の件らへんからやろか……。牟齧さんが逮捕されて面倒事増えたはずやのにって、皆不思議そうにゆうてましたから。」

掎蹟の言葉に軽いデジャブを覚える。



蜜穿の過去を、聞いてもいないのに楮筬からペラペラと語られた時、単純に自分が教えていけば良いと思った。



要らないことは知っているのに、肝心なことは何一つ知らないから。


的外れな答えではぐらかしてる訳でも鈍感な訳でもない。



両親に棄てられて、愛されたことが無いから、今まで誰かを愛したことが無いから、他人との距離感が分からないだけだから。


様子を見に行って、いかにバイト中無理しているか分かった。


蜜穿は気付いていないだろうが、病院で自分が見た笑顔とはまるで違う作られた笑顔だったから。





蜜穿が居るだけで喜んだり、


蜜穿が楽しそうなら笑みが零れたり、


蜜穿が苦しそうなら胸が痛くなったり、


蜜穿に嘘をつかれて泣きそうになったり、


蜜穿を横取りされそうになって怒ったり、


蜜穿が自分より他人に興味を示したら嫉妬したり、




モンタージュの様に殊犂の頭の中を巡るのは、蜜穿に対する出会ってからの自らのエモーション。


他でもない自分が、蜜穿のハジメテになりたくて。



気付かなかったとは言わせないと、心から言われているようで。

蜜穿だから感じる色んな自分に辿り着く。



掎蹟曰くの『ええこと』と自分の行動の『変化』。



「(俺は、飴魏蜜穿が……好き、なのか…)」



自問自答してもすんなり受け入れられるほど、いつの間にか好きになっていた。



「(……だが…)」



理由が不明だ。


水と油の様に言い合いになる蜜穿を好きになるとすれば、病院で見た笑顔ぐらいだが。



「(…まあ、いいか……)」



根拠は明確だから理由なんていらないと考えるのを止めた。


蜜穿だから好き、なのだから。



「(風邪、治ったのだろうか…)」



言葉足らずな自分が何か気持ちを伝えるのは、とても難しい事だ。


だけど、不器用でも上手く言えなくてもいいから伝えたい。


蜜穿に伝えたいから。



掎蹟の言うように、これが片付けば一旦は落ち着くだろうから、様子を見に行くことに決めた。



「来た、行くぞ。」


「はい!」



殊犂と掎蹟は駆け出した。





―――既に賽は投げられた。



心の鍵穴に、鍵入れて回すと、扉の中の、想いの歯車達が動き出す。


鍵は殊犂で、扉は蜜穿。




開かれるのは、いつなのだろうか?

「げほげほ、がほ…」



バイトをしていないにも関わらず、日増しに咳が激しくなる。


「がほ…っ……!」



咳き込むと胸に走る痛み。


起き上がれなくて、せっかく殊犂に貰ったものもほとんど手付かずだ。



「は……、はぁ…は…はぁ……」



吐く息が熱い。


顔色が悪いのを儚げと評して無理矢理身体を交わらせたのはランプを光らせた主。



終わりが無いからと行き先を消して、分かるはずが無いと笑顔を拒んだ。


飾りモノなんだと自覚して、見える景色を引き裂いた。


不要だと両親の世界から破棄された衝動ついでに、招かれざる己を砕き潰してやったんだ。



だからこの程度の息苦しさ、どうってことないと言い聞かせる。


他が向こう側から絡め取られてしまうのならば、何も変わらなくていい。


他に手が届かなくなるくらいなら、今のままでいい。


他であっても変化を望むぐらいなら、退屈でいい。



メールの受信を知らせる音が、そんな思考を助長する。



「ぃ…っ……、は…はぁ…」



軋む身体に鞭打ち、せめて水を飲もうと水道の蛇口を捻っ………



視界が歪み、



全てが回った………――――

「ことりちゃん、確実に蜜穿んこと好きやんな~。見舞い行ったんやろか?人間弱ると人恋しなる言いますし、なんか進展しとるとええですけどね。」


「面白がるな。表の人間が裏の人間と上手くいくわけないやろ。ことりみたいな性格は特に。」



風邪如きで変わるような関係性ではないと鰍掩は思う。



「え~でも兄貴もことりちゃんに告ってもええみたいなことゆーてましたやんか。」


「……あれはあれや。」



人の色恋沙汰に酔った勢いとはいえ口を出したのは、自分らしくないと自覚があった。


ただ殊犂の真っ直ぐな目には、犯罪を憎む警察官よりも別の意味を持たせたかったのかもしれない。



「まあええですけど。ってか、兄貴もかっきーとはどーなんですか?」


「どうもない。かっきーとは仕事だけや。」



今度はキッパリ言い切る鰍掩に、涓畤壟は面白くなさそうだ。



「あ、そういやこの辺ですよね、蜜穿ん家。」


「ああ、そうやな。」



「寄ってきましょーよ!蜜穿の驚いた顔見たいわー」


「悪趣味やな。」



と言いつつも、驚いた蜜穿がどんな顔をするのか興味がわき、鰍掩もウキウキする涓畤壟と向かうことにした。

ピンポン………―――



ピンポン、ピンポン……―――




ピンポンピンポンピンポンッ!!



「あれ?おれへんのやろか?」


「鳴らしすぎや。…バイトでも………!」



2階建ての古いアパート。


チャイムの音が外まで聞こえるほどの薄い壁のようで、近隣に迷惑だと涓畤壟を注意する。


しかし。



「みーつーばー!」



「しっ!」


「兄貴?」



小学生みたいな呼び掛けをする涓畤壟を、険しい表情で鰍掩は制止する。



「大家に鍵、貰って来い。」



「え、鍵?」


「ええから!」



「は、はい…!」



鰍掩の気迫に押され、涓畤壟は訳が分からないままも大家の元へ駆け出す。



「……………。」



水道メーターは動いて、中から水が落ちる音もしているのに。


蜜穿が動いている様子が感じられなくて。



「兄貴、鍵!」


「蜜穿!………!」



急いで玄関のドアを開けると、キッチンの横に蜜穿が倒れていた。



「み、蜜穿!?どないしたんや!……兄貴、凄い熱!」


「けんしろー、救急車!救急車や!」



涓畤壟が駆け寄るも、蜜穿の意識は無くグッタリしている。

「…くそっ!けんしろー、氷貰って来い!」


「は、はい!」



辛うじて呼吸はしているものの浅く、吐く息が熱いのでかなり高いのは計らずとも見てとれた。



救急車を呼んでも到着には最低数分はかかるから、少しでも熱を下げようと氷を探したのだが見当たらない。



主に寝室用にと使われるであろう小さい冷蔵庫はほとんど空で、ゴミ箱らしき所も同じ。


シンクの上に置いてあるレジ袋には食べ物が入っているのに、手をつけた形跡がほぼ無い。


剣が持たせたスイートピーも、とっくに枯れ果てているのにそのままだ。



6畳にも満たないこのワンルームには、家中どんなに探してもきっと通常の必要最低限も無いだろう。



「兄貴、貰って来ました!」


「遅い!とりあえず、そのレジ袋に氷と水入れ!」



仕事か遊びか。


全てを回ったがアパートの住人は留守のようで、結局大家に頼んでいた為遅くなってしまった。



「蜜穿ー…しっかりせーなぁ…、もうすぐ救急車来るさかいにな……」



氷水のお陰か、蜜穿の表情は変わらないが呼吸はましになった気がする。



近付く救急車のサイレンが、祈る2人に何より安心感をもたらした。


「隗赫鰍掩!」


「大声出すな、病院やで。」



病室の前にいる珍しく眉間に皺を寄せた鰍掩と楮筬へ、息を切らして駆け込んで来たのは殊犂だ。



「…飴魏蜜穿は?」



「今、治療終えて眠っとる。」


「風邪の放置し過ぎが原因の肺炎やと。栄養失調も軽いけどあったさかい、しばらくは入院せなあかんらしいわ。」



薬も治療もしなかった為、風邪の菌が肺にまで入り込んで二次感染し、悪化してしまった。



「…肺…、炎……、入院………。」



殊犂は楮筬の言葉に動揺が隠せない。



何故あの後、様子を見に行かなかったのか。


ただの風邪だからと大丈夫だろうと、自分の常識を当てはめで考えていた。


だが、蜜穿の過去から考えるとそれは常識ではないのだ。



咳き込んでいたではないか。


いつもの覇気がなかったではないか。



いくら忙しくても、家に帰ることは出来たのだ。



何故、行くことを考えなかった………?



殊犂は抑えきれない後悔が押し寄せ、拳を握り締めなければ耐えられなかった。



「……蜜穿の家にあった食材の袋、お前やろ?それ以外に何もあれへんかったし、少しは役に立っとるやろ。」

「………渡した、だけだ。」



そう、渡した『だけ』だ。


その他には何もしていない。



だが、それすらしなかった鰍掩から考えると、褒めるべき行動といえる。



「ちょー待ちぃーて!!」



ガラッ………―――



「……!………えらい、大勢やな。」



涓畤壟の制止も聞かず、蜜穿は3人を一瞥し、病室を出ていこうとする。



「何してんねん、しばらく入院や。ベッドに戻らんかいな。」


「病院……は、嫌い、や。」



「顔面蒼白で、何をガキみたいなことゆーとんねん。」



歩くのもやっとのようで、扉にしがみつくように立って今にも崩れ落ちそうな蜜穿を、楮筬と鰍掩は支えるついでにベッドへ戻そうとする。



「なんや、みつばち。携帯出ーへん思おたら、こんなとこで油売っとたんかいな。」


「誰や?」



「ほぉー……、朽霊会の赤根楮筬に、絆栄商事の隗赫鰍掩……豪華な顔ぶれやなぁ。」



「誰や、聞いとんねん。」



ニタリと笑う男は、自分達の素性を詳しく知っているようで鰍掩は不気味に感じた。



「確かおんどれ、廓念会の黄縁叡執……とかゆうたな。」


「ご存知とは光栄なこっちゃ。」

蜜穿をみつばちと呼ぶ男―――黄縁叡執(キブチ エイジュウ)は廓念会の傘下の組員で、表向きは魅園(ミソノ)という養護施設を運営する経営者だ。


廓念会にとって魅園は、関西に唯一の拠点を置く自身のフロント施設であり、朽霊会のシマを監視する役目も担っている。



蜜穿は魅園の出身であり、叡執は蜜穿の間接的で密接的な雇い主でもある。



「みつばち、帰るで。仕事や。」


「…はい……」



叡執の登場により気を取られて、鰍掩と楮筬は蜜穿から手を離していた。



「ちょっと待て。こんな状態の人間を入院もさせずに連れ帰るなど、正気の沙汰とは思えない。」


「そうや、ことりちゃんの言うとーりや!あんたこれ以上、蜜穿を苦しめるつもりか?」



「ことり………、名前の通りピーチクパーチク煩いようやな。」


「なんだと?」



病院の廊下で、不釣り合いな一触即発の雰囲気。



「……叡執様、仕事に遅れてしまいます。」


「せやな、行くで。」


「おい…!」



パシッ……――――



「あんたは、『こっち』やない。」



拒絶するように払われた手と苦しげな目に、殊犂はそれ以上言葉が出なかった。