歩み寄る覚悟と受け入れる勇気

「…ぅ……っっ………」


「管理官っ………!」


「す、いほ…う?」



棟郷が目を開けると、ドアップの威叉奈がいた。



「起きたか。」


「賭狗膳……!」



威叉奈の助けを借りて起き上がってみると、威叉奈の後ろから賭狗膳とホッとした表情の早乙女が覗き込んでいる。


「しぶとい奴だな。」


「ほっとけ。」



白い部屋で聞く賭狗膳の嫌味は、その表情で安堵からきていると分かり、苦笑いで返す。



「ずっと、握っててくれたのか?」


「………へ?」



優しく微笑む棟郷に、威叉奈は変な違和感を覚える。


包帯を巻いた右手には、自分以外の温もりを感じて。



「っ………―――!!??」



目線を手に向けた威叉奈は違和感の正体に気付く……というより、自分のした行動に。



「かかか、花瓶の水、替えてきますっ……!」


「す、吹蜂?!」



気付いた瞬間顔が赤に染まり、バッと手を離して、備え付けの花瓶を持って物凄いスピードで出ていってしまった。



自分の行動を誤魔化す為に目に付いた花瓶を選んだようだが、その花瓶に花は挿っていなかった。

「ど、どうしたんだ?」


「どうしたの?威叉奈、凄い勢いで出てったけど?」



「苗込………。いや、気にしなくていい。」



自分の行動に無意識な棟郷と、見舞いに来た苗込とが同じリアクション。


可愛いけど自分の知らない威叉奈の反応に、複雑な笑みを浮かべる賭狗膳だった。



「細脇。」


「なんだ、結構元気そうね。トクさん、電話口だと…」


「余計なこと言うな!」



「貴女が早乙女さんよね?私は細脇苗込。威叉奈から聞いているわ。お強いそうで。」


「あ…いえ。初めてまして、早乙女碧粉です。それほどでもないですよ。」



賭狗膳を無視して女同士話す早乙女と苗込は、初対面ながら話が合うようだ。



「無視するんじゃねーよ…」



除け者にされた子供のように、賭狗膳は拗ねた声を出す。



「あれだけ動けるなら、吹蜂、大丈夫そうだな。」



「お前もお前で、勝手に話進めるな…」



女性2人の様子をまるで意に介していない棟郷は、威叉奈の様子に安堵する。


賭狗膳はそんな棟郷に、溜め息をつきたくなった。

「威叉奈は……、まあ、大量の睡眠薬を盛られてたみたいでな、目覚ましたのさっきなんだよ。検査拒否りやがったけど、無理矢理押し込めた。」



意識を取り戻した威叉奈は、棟郷が心配で傍にいると言い張った。


しかし、監禁されていたこともあって検査は必要だった為、無理矢理受けさせたのだ。


その間、早乙女が棟郷についているという条件付きだったが。



「結果は?結果はどうだったんだ?」


「心配するな。問題ねぇよ。手の傷もそこまで深くなくて、痕も残らねぇって。」



「そうか………。」



検査と聞いて棟郷は体に力が入る。

しかし、問題ないと言われ、深呼吸と共に緊張してしまった体をベッドに預ける。



「秩浦椒鰲は?かなり暴れていたようだが。」


「あー…。早乙女の関節技でノックアウトだ。」



威叉奈のことが解決し、自分が気を失った後のことが気になったようだ。


元々の気質と椒鰲の暴れようで手加減出来なかったのか、早乙女はバッチリ関節技を決めた。



「気の毒だが、自業自得だな。」



棟郷の感想は、賭狗膳と同じだった。

「それで、結局何だったか分かったか?秩浦椒鰲の目的。吹蜂の名前、かなり叫んでいたが。」


「あー。まっ、簡単に言ゃあ、あいつは威叉奈に気があったらしいな。」


「…はぁ?好きなのに、あんな暴挙に出たってことか?」



椒鰲は、威叉奈のことが好きだった。



今となってはいつからかは分からないが、一匹狼のような振る舞いと族からの嫌がらせを意に介さない威叉奈に、憧れと共に惹かれていったらしい。



喧嘩の強さは、族の中で結構上位にいた椒鰲。


威叉奈は喧嘩の時の相棒に必ず自分を選んでくれていた、と椒鰲は言う。



しかし、当の威叉奈にとっては、喧嘩をする時に絡んできたのが椒鰲だっただけで、特に意味は無く、選んだという感覚も無かった。



「そのまんまだったら何も起きなかったんだ。14年前のあん時も。」


「リンチ………。あの辺で変化って言えば……、!」


「ああ、俺だ。」



威叉奈の行動に椒鰲は勘違いしていたものの、2人の間には問題はなかったはずだ。


威叉奈の前に、賭狗膳が現れるまでは。

「俺のせいで、威叉奈が変わっちまったと思ったらしい。まぁ、実際そうなんだが。」



威叉奈が族を離れようと思ったのも、警察官になろうと思ったのも、確かに賭狗膳と出会ったからだ。



しかしそれは、賭狗膳と苗込の温もりと愛情に触れ、本来の威叉奈の感情を取り戻したに過ぎない。



「リンチしたのも、俺のせいで変わっちまった威叉奈に目を覚ましてもらおうとした結果らしい。」



丁度、総長が威叉奈にその座を譲ると聞いた族の仲間が威叉奈をシメようと計画していた。


椒鰲はその計画に乗ったのだ。



だから、威叉奈は椒鰲が総長の座が欲しかったと勘違いしてしまった。



「総長に気に入られてるのに寄り付かない威叉奈を理解出来るのは、自分だけだと思い込んでたぜ。威叉奈が総長継いで、自分が副総長としてサポートして、族を大きくすることが、秩浦椒鰲の目標で夢だっただと。」



それが全て叶わなくなった。

賭狗膳のせいで。

警察のせいで。



「リンチの理由はともかく、何で今なんだ?そこから、10年以上も経ってるんだぞ?」



棟郷の言う通り、逆恨みするには、かなり時間が経っている。

棟郷の疑問は最もだと、賭狗膳は溜め息をつく。



「威叉奈が警察学校に入って、姿が見えなくなっても、探し続けていたんだとよ。」



家を引き払い、突然姿を消した威叉奈。

しかし、探す術をその時の椒鰲は持っていなかった。



「それが、ネットが普及して、しかも総長になったことで悪い人脈が広がり、この間、闇ルートで電話番号とか家の住所とか手に入れたらしい。今そっちも探ってる。」



匿名性の高いネットの情報に、警察も助けられることがある。


しかし、圧倒的にこういう悪い方向の方が多い。


個人情報を探すことなど、使い方を知ってしまえば造作もないことだ。



そういうのは専門だと、賭狗膳は言う。



「監禁して、俺から離せば元の威叉奈に戻ると思っただと。胸くそ悪ぃ、短絡的なガキの発想だ。」



そんなことで戻るほど、威叉奈の意思は弱くはない。



「しかも、あいつ、薬盛った挙げ句に、威叉奈を傷付けやがって!ぜってぇ許さねぇ。」



しかも、ナイフとか完全殺すつもりだっただろうが。



などと、思い出したようで賭狗膳は怒りが治まらない。

「…………すまん。」


「あ?……無茶したことか?仕方がねぇだろ、あの状況じゃ。連絡取ろうにも、携帯は圏外だったしな。」



「いや、それもなんだが……」



怪我して迷惑をかけたことを謝られているものだと思ったが、それとはまた違うらしい。



「…吹蜂を泣かせてしまった……」



意識が無くなる前、滅多に呼んではくれない自分の名を、必死に叫んでくれていた威叉奈。

その目から涙が流れているように、棟郷には見えた。



「………………。」



椒鰲に対する言葉が、自分にも向けられていると感じたようだ。



「…不可抗力、だろ。こんな仕事やってりゃ。泣かせる、の意味が違う。そんな屁理屈こねるほど、性格ねじ曲がってねぇよ。」


「賭狗膳……。」



賭狗膳は思ったより、嫌な奴じゃないかもしれない。

棟郷はそう思う。



「まっ、ゆっくり休め。貴重な休みだろ?管理官様は、俺達と違ってお忙しいからな。」


「久しく聞いていなかった嫌味をどうもありがとう。」



前言撤回だ。



棟郷はそう思った。

「あ、あれ?トクさんとアオちゃんは……」


「課長に呼び戻された。細脇も来たんだぞ?花持ってきてくれたのに、花瓶が無かったからそのままだ。」


「あ……そうでした。でも、水は入れてきたんで挿しときます。」



我に返った威叉奈が花のない花瓶にとりあえず水を入れてきて戻ると、病室には棟郷しかいなかった。



賭狗膳と早乙女が呼び戻されたキッカケで、苗込も帰路についた。


病室を出ていった威叉奈の勢いで、大丈夫だと判断したようだ。



「結構上手いな。」


「柄にもなくてすみませんね。」



「褒めたんだがな。」



花の活け方が気に入ったらしい。

そう言いながら棟郷は満足そうに笑う。



「秩浦椒鰲のこと聞いた。とんだ奴もいたもんだな。逆恨みもいいとこだ。」



「………。すみません。全部私が悪いんです。昔のことも、椒鰲のことも、今回のことも。大体、私が警察官なんて……」



ベッドの右脇にあるチェストで花を活けてる威叉奈は斜めを向いていて、棟郷には表情が見えない。


しかし、その声は後悔というか自責の念か、沈んで聞こえた。

「俺が言ったのは、そういうことじゃない。秩浦椒鰲が逆恨みしたのは、吹蜂のせいじゃなくて向こうが勝手に思い込んだだけだろ?族のことだって、警察官になることだって、自分で決めてケジメ付けて、そうしてきたんだろ?」



棟郷は、威叉奈の過去に関してかなり詳しく知っている。


それは、噂で聞いたものもあるが、賭狗膳が同期であり管理職の地位にいた棟郷に本当の威叉奈を知っていてもらっておいた方が何かと都合がいいと判断したからだった。



賭狗膳は嫌がったが、離婚する前は苗込と4人で食事にも行っている。


副産物として、苗込との仲を誤解する原因の一つにもなってしまったのだが。



「決めたとかケジメとか、そんなもん、当たり前じゃないですか。それに、補導止まりでしたけど、駁兜にいた頃にしてたことは完全に犯罪です。それを族内でケジメ付けたって、意味無いですから。」



賭狗膳と苗込の思いに報いたいのだって、結局のところ自己満足に過ぎない。



「最初っから、求めちゃいけなかったんですよ。何も無い私が、欲しい、なんて……。花出来たんで、帰ります。」



威叉奈は棟郷に背を向けたまま、ドアに向かう。

「………離して下さい。」



威叉奈は棟郷に左腕を掴まれ、動きを止めた。



怪我人なので振りほどくことも出来ず、抗議の声をあげるだけにとどめる。



「離さない。離したら、帰ってしまうだろ。そんな顔の吹蜂を帰す訳にはいかない。」


「どんな顔ですか。見えてないじゃないですか。」



「見える。そのくらい声で分かる。結構素直なんだって、最近分かった。」



「どういう意味ですか…。」



掴まれている腕から、棟郷の体温が伝わってくる。


怪我人とは思えないほどの力で、でも、痛くはなくて。



「何も無いわけないだろ。こんなにも、俺を振り回しやがって。」



「酔っ払って、迷惑なことをしたことは謝ります。でも、私には…」


「迷惑などではない。嬉しかったと言ったろう。俺が言えた義理ではないが、過去を償おうとしていることも、今一生懸命仕事をしていることも知ってる。一課の連中が吹蜂を嫌っているんじゃなくて、ソタイとの問題だ。吹蜂個人が原因じゃない。」



実際問題、一課がソタイを敵視しているのは、手柄を争う立場にあるからだった。

威叉奈が問題ではないのだ。

「ご両親の考えていたことは分からんが、賭狗膳や細脇とはそれらしく見えたもんだ。」



賭狗膳や苗込といる時の威叉奈は、棟郷には年相応に見えた。



「俺を好きにならなくていい。だが、自分を嫌いにならないでくれ。俺には叶えてやれないと思うが、賭狗膳や細脇に欲しいと言ったって、喜ぶことはあっても嫌がることは絶対にない。吹蜂はそれだけ2人にとって、大切な存在なんだ。それだけは、分かってやれ。」



棟郷はそう言って、威叉奈の腕を掴んでいた手をそっと離した。



「…何で管理官には、叶えられないんですか?」



「……吹蜂が欲しいと思っているのは、愛情…だろ?仕事柄、何となく分かる。それを叶えられるのは、賭狗膳と細脇だろう?俺には無理だ。俺は、親目線で吹蜂を見ることは出来ないからな。」



両親に愛されず、突然一人残された威叉奈。


愛して欲しい、と思うのは当然だ。



威叉奈にそれを与えることの出来る人物は、賭狗膳と苗込だけだと棟郷は思う。


この3人には、血や法律上の繋がりなど、意味をなさないほどの強い絆があるのだから。

「見なくていいですよ、そんなの。…つか、見られた方が困るし。」


「吹蜂?」



手を離したにも関わらず、出ていこうとしない威叉奈。


それどころか、質問責めだ。



「全部分かってますよ。トクさんとナエちゃんが、私のこと思ってくれてるのは。だから私は、せめてそれに見合うだけの、2人の子供になろうと決めたんです。」



諦めて下ろした手を、探してまで掴んでくれたから。



「それなのに、自分の想い突き通したら、ただの自己中じゃないですか。私の中じゃ、あり得ないんですよ。好きな人に、好きって言ってもらえるなんて。好きな人に、助けてもらって庇われて。挙げ句に、心配までされてるなんて。」



一度言ってしまったら溢れ出て、もう止まらなかった。



「嫌われてても、ナエちゃんのことが好きでも、それで良かったのに。悪態付いて誤魔化してたのに、まさか酔ってあんなこと。」



その姿を見れるだけで、話すことが出来るだけで。

それだけでも、凄いことなのに。


酒に呑まれて、言うことなんてないと思ってた本音が出てしまった。



「嘘でも、嫌いなんて言えるはずがないじゃないですか…」

スラスラと言っている威叉奈の話し方は、至って普通だった。

けれど、そこにある背中は泣いているように見えた。



「すい、……ぃ…っ……。」



どうしようもなくなって、棟郷はその背に触れようと体に力を入れたのだが。


鈍痛と共に、クラリと視界が揺れる。


その声に反応して、威叉奈が振り返った。



「管理か………」


「やっぱり、泣いてた。また賭狗膳に怒られるじゃないか。」


「何ですか、それ。」



怒られる、と言う割にはその声は優しかった。


悪態を付いても、抱き締められた体は温かかった。



「この間言われた。吹蜂を泣かせる奴は許さないと。」


「過保護……。心配させたくないからいつも通りにして言わなかったのに、意味ないじゃん…。」



いつも通り、では決してなかった。

とは、本気でそうしてたであろう威叉奈に、棟郷は言えるはずもなかった。



「心配ぐらいする。そして、それを分かるのが、あいつの凄いところだ。」



自分とは繋がりの深さが違うと、突き付けられたようなものだ。



そうされた訳ではないが、棟郷はそう感じずにはいられなかった。

「吹蜂、好きならなくていいと言ったがな………本音を言えばそんなことはない。だから…、だからな、嫌なら突き飛ばしても構わないから、振りほどいてくれないか?」



ベッドにいて、いつもとは逆の高さ。

肩に感じる冷たさから、威叉奈が会話をしながらも涙を流しているのは分かっていた。



しかし、抱き締めたことについては触れられていない。



「この状況では、そうでもされないと、期待してしまう。自分では、もう…諦めきれない。」



そう言う棟郷だが、実際にされるのが怖くて、抱き締める腕に力を込めてしまう。



「吹蜂……?………!」



無反応の威叉奈に不安になり、名を呼ぶ。


すると、遠慮がちに、けれど、強く、自分の服を威叉奈はギュッと掴んできて。



「と…ごう、さん……」


名を呼ぶ声も掴む手も震えていて。



「…す、きです…………すき、なんです…」



ずっと前から―――。



しゃくり上げ求めるように言われてしまえば、棟郷はもう気持ちを抑えることは出来なくて。


この声もこの温もりも、全て手放したくないと。

身体中が叫んでいて。




己の欲の深さに苦笑した。

「落ち着いたか?」



暫くして泣き止んだ威叉奈。


帰る気はもうないのか椅子に座っているが、俯いたままで表情が見えなく棟郷はとりあえず尋ねてみる。



しかし、威叉奈は無言で、こくりと頷くだけ。



「そうか……。ならいい…。」



泣いてる時もどうすればいいか分からなかったが、泣き止んでもどうすればいいか分からない。


態度や言葉で示してくれなければ分からない、自分の疎さがもどかしい。



「……………………。」



棟郷が色々思考を巡らせている中、威叉奈は顔をあげることが出来ないでいた。



両親がいなくなってから、いや、いる頃から愛情に飢えていたことは自覚していた。



賭狗膳や苗込に対しても、一緒に住み始めた頃は遠慮というか信じることが出来なくて。


それが変わったのは、賭狗膳と苗込の気持ちがすれ違っていると何となく気付いた辺りか。



離婚を切り出されて、家族だと自分で口にした時、初めて愛情というものが存在すると信じられた気がした。

一緒に仕事をしている仲間でさえ、仕事のことは信じられても、人物に関してはいまだに信じることが曖昧だ。

一課に対してもそう。



だから、棟郷の言うことがどうしても信じられずに悪態を繰り返してしまったのだ。



けれど、期待してしまっていたのは自分も同じだと威叉奈は思う。



好きと言われて、

抱き締められて、

助けに来てくれて、

守ってくれて、

心配してくれて、



凄く嬉しかった。



だけど、言えなかった。

信じたかったけど、本当にそうなのかと疑念がつきまとった。


でも、さっき切なげに言われたことは何故か信じることが出来て。


棟郷もきっと自分と同じで不安なのだろうか。と思ったら納得出来て。



それで、信じることが出来たまでは良かったのだが……



「(一体、どんな顔して、どんな態度でいりゃあいいんだよ……!?)」



酔っ払って記憶が無くても、棟郷の言う通りなら…

散々憎まれ口を叩いてきたのに、好きだと泣きじゃくって…


今更になって、自分のしてきたことに恥ずかしくなってしまったのだ。