◆
消灯時間をとっくに過ぎた病院の廊下を、非常灯の明かりを頼りに歩く一人の人物。
全身真っ黒なライダースーツの様な格好で、顔はフルフェイスのメットに覆われている。
その人物は静かに、けれど目的があるのか迷うことなく歩いて行く。
人目を避ける様に、上がった階段は数階分。
立ち止まったのは、階段からすぐの少し明かりの付いたある病室の前。
右手に握り締めるのは鋭い刃物。
赤黒いものが、刃と柄の間に付いている。
ガラッ――…………
「!…………誰?」
ベッド脇に置いてある小さな電気スタンドが照らす範囲は、かなり狭い。
左にある開けられた入口のドア付近は、暗いまま。
警戒するように声を出したのは、部屋の主である色平だ。
そろそろ来るであろう上郡は、いつもノックをして小さく声をかけてから入る。
看護師は勿論、午戸兎など他の人もノックぐらいはしてくれる。
ノックせずに入る知り合いは、色平にはいない。
◆
「上郡さん……じゃないね。……まさか私を………っ!!」
いきなり左から黒い影が近付いたと思ったら、何かを振りかぶった。
瞬時に動けない色平は咄嗟に枕を盾にしたが、枕の下側から見えるのは貫通した刃の刃先。
キラリと鈍くも鋭く光るソレに、色平は見覚えがあった。
「っっ……くっ…………」
怪我でまともに力が入らない上に、重力と上下にある相手と自分の態勢の差で、刃先は目の前に迫っている。
「こっ、んの………、フル…フェイス…………、殺さ、れて、た、まるかぁっ!」
「!」
フルフェイスの右脇腹を両足で、蹴り飛ばす。
フルフェイスは右にあるベッドと窓の隙間に倒れ込み、その拍子に電気スタンドが落ち割れた。
一瞬で部屋は暗くなるが、開けっぱなしのドアが功を奏した。
そばにある階段の非常灯の明かりが入り込み、出入口付近だけぼんやり明るい。
色平はその明かりを頼りに、部屋から飛び出した。
◆
「あら?ドアが開いてる。……色平さん?色平さん、起きてますか?入りますよ。」
開いてる病室のドアを不審に思いながらも、看護師は部屋にいるであろう色平へ声をかける。
ナースステーションにいた夜勤の看護師が、様子を見に来た。
午戸兎から、犯人が色平を襲うかもしれないので、保護の為に部屋を移動して欲しいと、連絡があったからだ。
「!誰も居ない!」
部屋に入った看護師は、見回りの時に使うペンライトで照らすものの誰も居ないことに気付く。
病室から一番離れたところにあるナースステーションにいる看護師達には、電気スタンドが割れた音は聞こえていなかった。
「師長に知らせなきゃ!」
たまたま同じ夜勤だった師長に、看護師はこの事態を知らせる為にナースステーションへ戻っていった。
ペンライトで照らしたのはベッド周りのみ。
しかも、色平がいないことに動転していた。
そんな看護師は気付かなかった。
部屋に残された、乱闘の後とその周りにある点々とした赤い痕に。
◆
「はぁ…はぁ……はぁ………」
色平は階段を下っていた。
テレビドラマの刑事ものだと、上へ上って屋上で追い詰められる。
という展開があるが、実際はそんな危険なことはしない。
逃げ道のない屋上より、たくさん出入口のある1階に向かう方が安全だ。
なので、色平もそうしているのだが………
怪我した身体に鞭打ち無理矢理動いている色平にとって、階段を下りるだけでもかなり息が上がっている。
その上、フルフェイスを蹴り飛ばした際、右腕を切ってしまって下りてきた階段には血が点々と落ちていた。
身体を支える為に壁についた右手も血に塗れていて、色平の通った経路は追ってくるであろうフルフェイスには丸わかりだ。
しかし、歩みを止める訳にはいかない。
逃げ道が分かっていても、捕まれば殺されてしまう。
フルフェイスがたどたどしく逃げる色平にいまだ追い付いていないのは、走って物音を立てたくない為だろう。
抵抗できるだけの自信が無い色平にとって、不幸中の幸いなのか。
◆
「(こ、こ………どこ…?)」
階段を下りて外に出るはずが、下りきったところで方向を間違えたらしい。
薄暗い広い空間には、椅子が並んでいる。
「(待合室…………)」
そう、ここは外来患者用の待合室。
今は時間外の為、非常灯しかついておらず、出入口のシャッターも降りている。
病院内の地図を把握はしていたが、意識が朦朧している今の色平にとってはここが外来待合室だということしか認識出来ない。
「はぁ……………はぁ……」
椅子に凭れかかり座り込む。
呼吸が浅く短い。
このままだと危険と分かっていても力が入らず、色平は動けなかった。
コツ……コツ………
コツ……コツ……
足音が近付いてくる。
「(!…追い、付かれた………、っでも………)」
動けない――――――。
コツ………コツ………
コツ………コツ………
コツ
「………………。」
色平を見下ろす人物。
病室での乱闘で、ヘルメットは脱げていた。
しかし、逆光で顔は見えない。
「(こ、こ……までか………)」
色平が覚悟を決めたと同時に、刃物が降り下ろされた。
◆
「色平ぁああぁ―――っ!!!」
「!」
ガラガラガラガラ………
ガッシャーンッ――――………
「色平っ!大丈夫か!?」
「か、上郡さん……」
大声をあげながら突っ込んできたのは、上郡だった。
「観念しろ!まだやるっていうんなら俺が相手だ!」
何かをぶつけたのだろう、色平を殺そうとした人物は受付の台の下まで吹っ飛んでいる。
「……………。」
「のわっ!このやろう!」
倒れ込んだものの、諦めていないのか上郡に向かって刃物を振り回す。
しかも、隙が無いので上郡は防戦一方だ。
「……な、にか………、!!」
打開策は無いかと、朦朧とする頭で考えていた色平は足元に転がっている消毒用のスプレーを見付けた。
「ぅわっ…!しまった!」
床に散らばった物に足をとられ、上郡はバランスを崩す。
「(やられるっ………!)」
◆
「上郡さんっ!」
シュゥゥ――…………
「っつっっ………!!」
「!」
色平が手にしたスプレーを顔めがけて噴射し、犯人は一瞬怯む。
上郡は、チャンスを見逃さなかった。
「あき、らめろぉっ!!」
犯人の胸ぐらを掴み、投げ飛ばす。
同時にナイフをもぎ取るという、荒業もやってのけた。
「色平!」
「上郡さん……犯人は……」
「大丈夫だ。武器も奪ったし、また起き上がってきても、俺が相手してやる。」
その場にへたり込んでいる色平を安心させるように、上郡は力強く言う。
「その必要は無い。」
声と共に明かりが付いた。
「午戸兎さん!」
そこにいたのは、午戸兎・戌籏・蠍髪と数人の警官だった。
「色平さん!」
「大丈夫?!」
「なん、とか…………」
「すぐに医者を。」
大丈夫だと答えようとした色平だったが、意識は途中で途切れる。
午戸兎が医者を呼び、看護師によって運ばれていった。
◆
「ようやく会えたな。向鼠巡査部長。」
「くっ………何故俺の名前を…」
「亥植に言っていたそうだな、色平が殴られ刺された上に、階段から落ちたと。」
「それがどうした!事実だろうが!」
警官に取り押さえられながらも吠える向鼠。
そこに、普段の雰囲気は微塵も感じられない。
「色平さんが階段から落ちたこと、私達現場の捜査員しか知らないことなんだけど?野次馬もいなかったし、警察発表でも言ってないわ。」
「応援に行っていて今日戻ってきた貴方が何故その事を知っているのかしら?」
「成る程。犯人しか知り得ないことを知っていた。んで、亥植から色平のこと聞いたから口を封じようとした訳か。」
色平が危ないと言われた理由が、漸く上郡にも分かった。
「ああ、そうだよ!俺が殺ったんだ。階段から落ちて動かなかったから死んだと思ったのによ!しぶとすぎるぜ。」
「んだと?!」
「上郡、落ち着け。」
今にも飛び掛からんとする勢いの上郡を、午戸兎は諌める。
「猫笹街狐の遺体からお前の指紋が検出された。何故殺した。」
◆
猫笹街狐の遺体からは、色平ともう一つ指紋が検出されていた。
こちらは欠損部分が多く判別に時間がかかっていたが、ようやく警察に登録されているものと一致した。
指紋が検出された部位は猫笹街狐の首。
司法解剖で首の骨が折れていたが判明している。
よって猫笹街狐の死因は、首を絞められたことによる窒息死。
首を絞め殺害したのは、首に指紋があった向鼠で間違いない。
「ふん。何故だと?決まっているだろう。俺のプロポーズ断ったからだ。いくらつぎ込んだと思っているんだ!」
たまたま諳鷲の側を通った。
そこで見付けたのが、帰宅する途中だった猫笹街狐。
向鼠と街狐は、中学の同級生だったらしい。
高校で別れてそのままだったが、偶然の再会後、飲み足りなかった街狐に誘われ意気投合。
向鼠は中学時代には感じなかった街狐への恋心に押されるように、街狐に言われるまま貢いでいた。
そろそろと思いプロポーズをしたが断られてしまった。
しかし、諦められなかった向鼠はその後、何度も手を変え品を変えプロポーズをした。
街狐が亡くなった日も、家にまで押し掛けて。
◆
警察を呼ぶと騒いだ街狐に逆上し、首を絞めてしまった。
我に返った向鼠は、目の前の動かなくなった街狐の処理に困り、警らが解除されたあの倉庫に一旦運んだ。
人里離れた山奥にでも遺棄しようと、運ぼうとした時に色平に死体を見付けられ仕方なく襲った。
階段から落ち動かなかったので死んだと思いそのまま放置し、街狐の遺体を山奥に運び遺棄した、という顛末だ。
「俺のプロポーズ断るわ、色平に見付かるわ、雨が降って死体が見付かるわ、記憶喪失っていうから記憶戻る前に殺ろうとしたら失敗するわ………、全く、ついてないぜ。」
経緯をペラペラ話し、尚且つ反省も後悔も微塵も無い向鼠に、この場にいる皆が怒りで顔が歪む。
向鼠を取り押さえている、事件には関わっていない警官でさえ。
「お前の言い分は良く分かった。取り調べでも、検察でも、裁判でも、そう言え。それ相応の処遇が待っているから、覚悟しておけ。」
「(怖っ……!)」
静かに話す午戸兎。
しかし、顔の雰囲気も手伝ってかなり怖い。
普段見慣れている蠍髪も、隣にいるおかげか午戸兎から殺気染みたものを感じていた。
◆
「ったく、滅茶苦茶するな。」
向鼠の戯れ言をこれ以上聞いても仕方ないので、パトカーへと連行させた。
「ですよね!色平血塗れだし、あいつ最低だし!」
「……違う、お前ことだ。病院の備品、滅茶苦茶にしやがって!」
「あ。」
そこら中に散らばっている備品。
上郡が向鼠にぶつけたのは、外来患者用に設置してあった備品が入ったキャスター付きのワゴン。
ぶつかった衝撃と乱闘で、もう使い物にならないのは明白だ。
「すんません………つい、夢中で。」
アハハ……と乾いた笑いで誤魔化す。
「まあ、仕方ないわね。色平さんの為だもの。」
「戌籏さんっ……!」
「今月のお給料から天引きにしたら?」
「それは良い考えだな。」
「ですね。」
「ちょ………!!そりゃないですよ~」
助け船が出たと思ったら、すぐに沈んでしまった………
なんとも憐れな上郡であった。
◆
終止符は句読点
◆
「よっ!調子どうだ?」
「……来る度に聞かなくても大丈夫ですから。」
病室に顔を出した上郡に、色平は苦笑いで迎える。
向鼠と対峙した後意識を失った色平だが、処置が早かった為輸血だけで事なきを得た。
「向鼠くん、どうですか?」
ICUに逆戻りしてしまい、事件も解決したので医師に会話は最低限と、色平達は念を押されまくっていた。
なので、一般病棟へと移った今日より許可が下り、色平は早速尋ねる。
「反省の色、全く無しだ。あいつは俺から見ても最悪だぜ。プロポーズ断られたぐらいで殺すか、普通。痴情の縺れで殺人とか俺には理解不能だな。殺さなくてもストーカーになるな、あれは。」
「そうですか……。そんな風には見えなかったので。もっと人を見る目を養わなければいけないですね。」
言ったきり考え込む色平。
向鼠と接している内に気付いていたら……
そんなことを思っているのだろうか、向鼠のことを話した時の亥植より酷い顔色なんじゃないか、などと上郡は推測観察してみる。
◆
結局、色平が全て思い出したのは気を失う前、電気がつき駆け付けた蠍髪の後ろにいた向鼠を見たからだった。
ただ、色平は街狐の遺体を遺棄したのが向鼠だと分かってはいた。
倉庫で向鼠を振り払った際に、ヘルメットが脱げていたのだ。
逃げる為見たのは一瞬だったが、見知った顔の為に記憶はされていたようだ。
喪失してしまっていたが。
色平の表情が暗そうなのは、その事も関係しているのだろうか。
「そういえば、色平を襲ったナイフの刃と柄の間から酸化した色平の血液が検出されたって。向鼠のバイクの他に所持していた車のトランクからも猫笹街狐の髪の毛が出てきた。これで、証拠もバッチリだ。」
空気を変えてみようと、上郡はとりあえず声色を明るくしてみた。
凶器が同一の物であると判明し、本来なら入り込むはずがないトランクの奥の隙間から発見された髪の毛が被害者である猫笹街狐と一致。
一連の犯行が向鼠であると裏付ける物的証拠となった。
◆
「そう…ですね。これで猫笹街狐さんも少しは浮かばれますね。」
「そうだな。」
理不尽に命を奪われた人間にとって何が一番の供養になるか分からないが、出来ることを精一杯やった結果だ。
似顔絵のお礼も兼ねて犯人逮捕を鶇に報告した時、涙ながらに感謝を告げられたのには少し焦ってしまったが、一番ホッとする瞬間でもある。
「あの……向鼠くんがナイフを所持していた理由って分かりました?」
「ああ。本人は護身用って言ってたけど、絶対街狐を殺る為だぜ、あの言い種は。」
警察官である向鼠がナイフを所持していた理由は素人の様にありきたりであったが、襲われてもいないのに刺したのは逃れられない事実。
凶器を鉄パイプからナイフにしたのも、確実に殺す為の行動なのは明白である。
色平への殺人を否定しても通らないだろうと、警察は色平に対しての殺人未遂容疑でも近々再逮捕をする方針だと上郡は付け加えた。
「あ、亥植がかなりへこんでたぜ。自分が病院と部屋漏らしたせいだって。」
見舞いに来ても、遠くから見ているだけだった亥植の姿を思い出す。
◆
「そんなことないのに。」
「だな。戌籏さんが慰めてたけど、色平からも言っといた方がいいかもな。」
「そうですね。」
同期が犯人だったにも関わらず、色平が再び襲われたことがかなりショックを受けていた。
戌籏と蠍髪、午戸兎も気にするなと声をかけてはいたが、やはり色平本人が言うのが一番だろう。
「それと、あの倉庫の取り壊し、正式に決定したぞ。現場保存が解除されてすぐに区長が動き出したってさ。すげー早い対応で珍しいって午戸兎さんが驚いてた。」
「良かった。それは多分亥植さんや住民の方々の働きかけのおかげだと思います。亥植さんの言い方だとかなり強く押してたみたいなので。」
明るい報告に、色平の声も自然と明るくなる。
「あ、そうだ。色平さ、猫笹街狐の源氏名のミヤの由来気にならない?向鼠が中学時代に付けたあだ名だって。まあ街狐本人は忘れてたみたいだけどな。実は」
◆
「猫の鳴き声からですよね。猫はミャーと鳴くから。」
「……………。なんで?なんでみんなあっさり解るんだよ!俺、理由聞いて感心してたのに、さみにバカにされてさ!そしたら、戌籏さんも午戸兎さんにもそれくらい分かるとか言われて。なんで俺だけ分かんねーんだよ……」
「えっと…………」
一人で捲し立て、一人で落ち込む上郡。
所詮中学生が考えたあだ名。
大人になれば簡単に分かる。
それを分からなかった上郡に、何を言っても落ち込ませるか貶すかのどちらかになってしまいそうで、色平はかける言葉が見付からない。
「き、気になる、といえば……どうなったのですか?私を助けてくれた時のワゴン。音からしてかなり破損していたと思うのですが。医者や看護師の方々は何も言ってなかったので。」
苦肉の策で、色平は話題を変えてみる。
なんだか、本題から変えてばかりだ。
「あ―あれね…。問題ない、大丈夫だから。やむを得なかったし。」
事情が事情の為、病院側の厚意により自腹は免れた。
上郡は話ながら蠍髪にからかわれたのを思い出し、若干げんなりした。
◆
「それならいいんですけど。」
上郡の言い淀みに微塵も気付かずに、色平は納得した。
「楽しそうですね。」
「あ、どうも。」
様子を見に来たらしい、看護師が顔を出した。
「でも、無理は禁物ですよ。もうそろそろ面会時間も終わりますし、きりの良いところで切り上げて下さいね。」
「はーい。」
素直に元気良く返事をした上郡がに満足したのか、看護師はそれ以上言わずに見回りに戻っていった。
「看護師もああ言ってるし、仕方がないけど今日はこの辺で。せっかく一般病室に戻ったんだしな。また明日来るわ。」
そう言って帰る準備を始める上郡。
準備といっても、座っていた椅子を元の位置に戻して、話ながら広げた事件についての資料を鞄に片付けるだけだが。
「ぁ…………」
毎日来るわりにあっさり準備を始めた上郡を見ながら、色平は落ち着かなくなる。
何かを話したい様に口を空け閉めしたり、誤魔化す様に手を開いたり閉じたり。
「ん?なに?」
「あ…………」
漏れてしまった吐息が聞こえたらしい。
上郡がこちらを振り返る。
◆
「あの、本当にありがとうございました。助けてもらって………、色々身の回りのこととかも。」
「あ、いや、別に。俺が好きでした訳だし……。」
改めてお礼を言われて、上郡は照れてしまう。
「病院で襲われた時も。上郡さんが来てくれなかったら、私今ここにいませんし。………不謹慎にも、その………格好いいとか思ってしまって。」
「………え?」
「それに、返事しなきゃと思っていたんですけど……こんなこと初めてで、言えずにズルズルここまできてしまって。」
時々上郡をチラミするものの、どうしても直視できず色平は目が泳ぐ。
「あの時言えなかったんですけど、私も上郡さんと話していて楽しいです。今まで言われたことなくて、気の利いたこと言えなくて。でも、凄く嬉しかったんです。人を好きになったことはあっても、こんなに楽しいと思ったことはあまりなくて。結婚のことも真面目に考えてくれてとても嬉しかったです。いつも堅苦しいとか重いとか冗談とか言われてしまうので。」
◆
下を向きながら、少し早口に話す色平。
しかし、上郡は気にせず色平が話す言葉に耳を傾ける。
一字一句、聞き逃したくなかったから。
「口説かれてたことにも気付かなくて。私そういうの得意ではなくて……すみません。上郡さんが私に好意を持っているなんて全く気付いてなかったから。」
「(た、確かに…………)」
確かに、上郡のタイプとは正反対の色平。
なのに、上郡が色平にアタックしたのは完全に一目惚れだったからだ。
申し訳ないが、容姿とか性格とかは全く好みではない。
でも、何故と説明を求められても、上郡には出来なかった。
ただ、好きだからとしか。
自分でも分からないことだ。
あれだけ鈍感な色平に分かる訳がないのだ。
上郡は言われながら納得する。
「上郡さんが毎日病室に来てくれること、いつの間にか楽しみになっていたんです。話していても聞いていても、何をしてても。いつの間にか私の生活の一部になっていました。上郡さんがいない時は寂しいなんて思ってしまって。」
◆
「……あの!」
拳を握り、意を決した様に色平は顔をあげる。
「私も上郡さんのことが好きです。上郡さんと一緒に人生を過ごしたい。こんな私で良ければよろしくお願いします。」
「………………。」
「ぇ?ぁの……?か、上郡さん……??」
一世一代の告白をしたにも関わらず、無言でしかも抱き締めてきた上郡に色平は物凄く戸惑う。
しかし、上郡は抱き締めるしかなかった。
顔をあげ、照れた様に、はにかみながら話した色平。
色平本人は無自覚だろうが、上郡にとっては効果は絶大。
だから、格好を付けたい上郡は、今の締まりが無い顔を色平に見られたくはなかったのだ。
しばらくして気持ちが落ち着き、ふと我に返った上郡が把握した己の状況。
最初の一言以降、色平が上郡のされるがままで声もかけなかったので、上郡には自分の行動に全く自覚が無かった。
顔を隠す為とはいえ、色平を抱き締めたことに。
認識した途端慌てふためき、色平と無意味な謝り合戦になったのは、言うまでもない。
再び現れた、妙に勘の良い看護師に茶化されるまで続いたのだった。
◆
「な、今夜食事に行こうぜ?少年課の奴に穴場教えてもらったんだ。」
「いいですよ。この資料を纏め終わったら、今日はもう終わりにしようと思っていましたから。」
食事に誘われた色平は、机の上の資料を指す。
「よっしゃ!俺も手伝うわ。」
「あ、いえ…一人で大丈夫ですから。」
やる気を出した上郡に対して、色平は手伝ってもらう程の量ではないからとストップをかける。
「色平さん、手伝ってもらったら?病み上がりなんだから、無理しちゃ駄目よ。」
「そうですよ。せっかく上郡が、滅多に出さないやる気を出してるんですから。」
戌籏と蠍髪は色平を労る様に言うが、上郡を煽る感じなのは致し方ない。
なにせ、色平の為なのだから。
あれから何事も無く順調に回復し、色平は無事に退院した。
しかし、全快したとはいえ大怪我したのには変わりない。
とりあえず事務作業で慣らしていこうとしたが、それも結構な量。
無理をさせないように気を使ったはずの午戸兎に謝られてしまった。
◆
「滅多に、ってなんだよ!俺はいつもやる気に満ち溢れているんだ。敬語も使えない奴に言われたくねぇよ!」
「使えない、じゃなくて、使わないだけよ。敬う人間ぐらい自分で決めるわ。」
「んだと?!」
「なにか?!」
イガミ合い方が小学生だ。
「全く……。あれが俺の部下だと思うと頭が痛い。」
「午戸兎さん。お疲れ様です。」
「おう、お疲れ。色平、指示してあれだが、無理するなよ。」
「戌籏さんとさみちゃんにも言われましたし、大丈夫ですよ。」
この人達は過保護だ、と色平は思う。
確かに、病み上がりではあるが、退院してからだいぶ経つ。医者からはもう現場に出ても良いと許可も出た。
なのに、いまだに事務処理の割合が多いのだ。
「(大切にされている、と感じるから嬉しいけどね。)」
午戸兎の班に来たのは、普通の人事異動だった。
警察官でなくても、人事異動というものはほぼ強制的だ。
それでも、来て良かったと思う。
◆
「あーもいい!さみなんかと話してたら時間がもったいない!」
「じ、時間がもったいないって、それはこっちのセリフよ!」
結局、2人とも無駄だとは分かっていたらしい。
「ほら、色平、半分貸せ。2人でした方が早く済むだろ。」
「…それはそうですけど……」
「それに!資料ごときに俺と色平の時間を邪魔されたくねぇしな!」
「……そう…です…ね??」
「(資料に嫉妬って……)」
上郡の力説の理由に、意味が分かっていないけど熱に押され同意する色平と意味が分かっていて幻滅する蠍髪。
「賑かね。」
「賑か過ぎるがな。」
どれもこれもデシャブを感じるのは、誰一人欠けること無く日常が戻ったということなのか。
「…では、お願いします。」
「おう!」
色平と上郡は、手分けして資料を纏め始めるのだった。
変わったこともあって、変わらないこともあって。
違うことをしてても、同じことをしてても。
繰り返して、繰り返して。
それが、日常。
それが、事件。
それが、生きているという非日常の奇跡。
消灯時間をとっくに過ぎた病院の廊下を、非常灯の明かりを頼りに歩く一人の人物。
全身真っ黒なライダースーツの様な格好で、顔はフルフェイスのメットに覆われている。
その人物は静かに、けれど目的があるのか迷うことなく歩いて行く。
人目を避ける様に、上がった階段は数階分。
立ち止まったのは、階段からすぐの少し明かりの付いたある病室の前。
右手に握り締めるのは鋭い刃物。
赤黒いものが、刃と柄の間に付いている。
ガラッ――…………
「!…………誰?」
ベッド脇に置いてある小さな電気スタンドが照らす範囲は、かなり狭い。
左にある開けられた入口のドア付近は、暗いまま。
警戒するように声を出したのは、部屋の主である色平だ。
そろそろ来るであろう上郡は、いつもノックをして小さく声をかけてから入る。
看護師は勿論、午戸兎など他の人もノックぐらいはしてくれる。
ノックせずに入る知り合いは、色平にはいない。
◆
「上郡さん……じゃないね。……まさか私を………っ!!」
いきなり左から黒い影が近付いたと思ったら、何かを振りかぶった。
瞬時に動けない色平は咄嗟に枕を盾にしたが、枕の下側から見えるのは貫通した刃の刃先。
キラリと鈍くも鋭く光るソレに、色平は見覚えがあった。
「っっ……くっ…………」
怪我でまともに力が入らない上に、重力と上下にある相手と自分の態勢の差で、刃先は目の前に迫っている。
「こっ、んの………、フル…フェイス…………、殺さ、れて、た、まるかぁっ!」
「!」
フルフェイスの右脇腹を両足で、蹴り飛ばす。
フルフェイスは右にあるベッドと窓の隙間に倒れ込み、その拍子に電気スタンドが落ち割れた。
一瞬で部屋は暗くなるが、開けっぱなしのドアが功を奏した。
そばにある階段の非常灯の明かりが入り込み、出入口付近だけぼんやり明るい。
色平はその明かりを頼りに、部屋から飛び出した。
◆
「あら?ドアが開いてる。……色平さん?色平さん、起きてますか?入りますよ。」
開いてる病室のドアを不審に思いながらも、看護師は部屋にいるであろう色平へ声をかける。
ナースステーションにいた夜勤の看護師が、様子を見に来た。
午戸兎から、犯人が色平を襲うかもしれないので、保護の為に部屋を移動して欲しいと、連絡があったからだ。
「!誰も居ない!」
部屋に入った看護師は、見回りの時に使うペンライトで照らすものの誰も居ないことに気付く。
病室から一番離れたところにあるナースステーションにいる看護師達には、電気スタンドが割れた音は聞こえていなかった。
「師長に知らせなきゃ!」
たまたま同じ夜勤だった師長に、看護師はこの事態を知らせる為にナースステーションへ戻っていった。
ペンライトで照らしたのはベッド周りのみ。
しかも、色平がいないことに動転していた。
そんな看護師は気付かなかった。
部屋に残された、乱闘の後とその周りにある点々とした赤い痕に。
◆
「はぁ…はぁ……はぁ………」
色平は階段を下っていた。
テレビドラマの刑事ものだと、上へ上って屋上で追い詰められる。
という展開があるが、実際はそんな危険なことはしない。
逃げ道のない屋上より、たくさん出入口のある1階に向かう方が安全だ。
なので、色平もそうしているのだが………
怪我した身体に鞭打ち無理矢理動いている色平にとって、階段を下りるだけでもかなり息が上がっている。
その上、フルフェイスを蹴り飛ばした際、右腕を切ってしまって下りてきた階段には血が点々と落ちていた。
身体を支える為に壁についた右手も血に塗れていて、色平の通った経路は追ってくるであろうフルフェイスには丸わかりだ。
しかし、歩みを止める訳にはいかない。
逃げ道が分かっていても、捕まれば殺されてしまう。
フルフェイスがたどたどしく逃げる色平にいまだ追い付いていないのは、走って物音を立てたくない為だろう。
抵抗できるだけの自信が無い色平にとって、不幸中の幸いなのか。
◆
「(こ、こ………どこ…?)」
階段を下りて外に出るはずが、下りきったところで方向を間違えたらしい。
薄暗い広い空間には、椅子が並んでいる。
「(待合室…………)」
そう、ここは外来患者用の待合室。
今は時間外の為、非常灯しかついておらず、出入口のシャッターも降りている。
病院内の地図を把握はしていたが、意識が朦朧している今の色平にとってはここが外来待合室だということしか認識出来ない。
「はぁ……………はぁ……」
椅子に凭れかかり座り込む。
呼吸が浅く短い。
このままだと危険と分かっていても力が入らず、色平は動けなかった。
コツ……コツ………
コツ……コツ……
足音が近付いてくる。
「(!…追い、付かれた………、っでも………)」
動けない――――――。
コツ………コツ………
コツ………コツ………
コツ
「………………。」
色平を見下ろす人物。
病室での乱闘で、ヘルメットは脱げていた。
しかし、逆光で顔は見えない。
「(こ、こ……までか………)」
色平が覚悟を決めたと同時に、刃物が降り下ろされた。
◆
「色平ぁああぁ―――っ!!!」
「!」
ガラガラガラガラ………
ガッシャーンッ――――………
「色平っ!大丈夫か!?」
「か、上郡さん……」
大声をあげながら突っ込んできたのは、上郡だった。
「観念しろ!まだやるっていうんなら俺が相手だ!」
何かをぶつけたのだろう、色平を殺そうとした人物は受付の台の下まで吹っ飛んでいる。
「……………。」
「のわっ!このやろう!」
倒れ込んだものの、諦めていないのか上郡に向かって刃物を振り回す。
しかも、隙が無いので上郡は防戦一方だ。
「……な、にか………、!!」
打開策は無いかと、朦朧とする頭で考えていた色平は足元に転がっている消毒用のスプレーを見付けた。
「ぅわっ…!しまった!」
床に散らばった物に足をとられ、上郡はバランスを崩す。
「(やられるっ………!)」
◆
「上郡さんっ!」
シュゥゥ――…………
「っつっっ………!!」
「!」
色平が手にしたスプレーを顔めがけて噴射し、犯人は一瞬怯む。
上郡は、チャンスを見逃さなかった。
「あき、らめろぉっ!!」
犯人の胸ぐらを掴み、投げ飛ばす。
同時にナイフをもぎ取るという、荒業もやってのけた。
「色平!」
「上郡さん……犯人は……」
「大丈夫だ。武器も奪ったし、また起き上がってきても、俺が相手してやる。」
その場にへたり込んでいる色平を安心させるように、上郡は力強く言う。
「その必要は無い。」
声と共に明かりが付いた。
「午戸兎さん!」
そこにいたのは、午戸兎・戌籏・蠍髪と数人の警官だった。
「色平さん!」
「大丈夫?!」
「なん、とか…………」
「すぐに医者を。」
大丈夫だと答えようとした色平だったが、意識は途中で途切れる。
午戸兎が医者を呼び、看護師によって運ばれていった。
◆
「ようやく会えたな。向鼠巡査部長。」
「くっ………何故俺の名前を…」
「亥植に言っていたそうだな、色平が殴られ刺された上に、階段から落ちたと。」
「それがどうした!事実だろうが!」
警官に取り押さえられながらも吠える向鼠。
そこに、普段の雰囲気は微塵も感じられない。
「色平さんが階段から落ちたこと、私達現場の捜査員しか知らないことなんだけど?野次馬もいなかったし、警察発表でも言ってないわ。」
「応援に行っていて今日戻ってきた貴方が何故その事を知っているのかしら?」
「成る程。犯人しか知り得ないことを知っていた。んで、亥植から色平のこと聞いたから口を封じようとした訳か。」
色平が危ないと言われた理由が、漸く上郡にも分かった。
「ああ、そうだよ!俺が殺ったんだ。階段から落ちて動かなかったから死んだと思ったのによ!しぶとすぎるぜ。」
「んだと?!」
「上郡、落ち着け。」
今にも飛び掛からんとする勢いの上郡を、午戸兎は諌める。
「猫笹街狐の遺体からお前の指紋が検出された。何故殺した。」
◆
猫笹街狐の遺体からは、色平ともう一つ指紋が検出されていた。
こちらは欠損部分が多く判別に時間がかかっていたが、ようやく警察に登録されているものと一致した。
指紋が検出された部位は猫笹街狐の首。
司法解剖で首の骨が折れていたが判明している。
よって猫笹街狐の死因は、首を絞められたことによる窒息死。
首を絞め殺害したのは、首に指紋があった向鼠で間違いない。
「ふん。何故だと?決まっているだろう。俺のプロポーズ断ったからだ。いくらつぎ込んだと思っているんだ!」
たまたま諳鷲の側を通った。
そこで見付けたのが、帰宅する途中だった猫笹街狐。
向鼠と街狐は、中学の同級生だったらしい。
高校で別れてそのままだったが、偶然の再会後、飲み足りなかった街狐に誘われ意気投合。
向鼠は中学時代には感じなかった街狐への恋心に押されるように、街狐に言われるまま貢いでいた。
そろそろと思いプロポーズをしたが断られてしまった。
しかし、諦められなかった向鼠はその後、何度も手を変え品を変えプロポーズをした。
街狐が亡くなった日も、家にまで押し掛けて。
◆
警察を呼ぶと騒いだ街狐に逆上し、首を絞めてしまった。
我に返った向鼠は、目の前の動かなくなった街狐の処理に困り、警らが解除されたあの倉庫に一旦運んだ。
人里離れた山奥にでも遺棄しようと、運ぼうとした時に色平に死体を見付けられ仕方なく襲った。
階段から落ち動かなかったので死んだと思いそのまま放置し、街狐の遺体を山奥に運び遺棄した、という顛末だ。
「俺のプロポーズ断るわ、色平に見付かるわ、雨が降って死体が見付かるわ、記憶喪失っていうから記憶戻る前に殺ろうとしたら失敗するわ………、全く、ついてないぜ。」
経緯をペラペラ話し、尚且つ反省も後悔も微塵も無い向鼠に、この場にいる皆が怒りで顔が歪む。
向鼠を取り押さえている、事件には関わっていない警官でさえ。
「お前の言い分は良く分かった。取り調べでも、検察でも、裁判でも、そう言え。それ相応の処遇が待っているから、覚悟しておけ。」
「(怖っ……!)」
静かに話す午戸兎。
しかし、顔の雰囲気も手伝ってかなり怖い。
普段見慣れている蠍髪も、隣にいるおかげか午戸兎から殺気染みたものを感じていた。
◆
「ったく、滅茶苦茶するな。」
向鼠の戯れ言をこれ以上聞いても仕方ないので、パトカーへと連行させた。
「ですよね!色平血塗れだし、あいつ最低だし!」
「……違う、お前ことだ。病院の備品、滅茶苦茶にしやがって!」
「あ。」
そこら中に散らばっている備品。
上郡が向鼠にぶつけたのは、外来患者用に設置してあった備品が入ったキャスター付きのワゴン。
ぶつかった衝撃と乱闘で、もう使い物にならないのは明白だ。
「すんません………つい、夢中で。」
アハハ……と乾いた笑いで誤魔化す。
「まあ、仕方ないわね。色平さんの為だもの。」
「戌籏さんっ……!」
「今月のお給料から天引きにしたら?」
「それは良い考えだな。」
「ですね。」
「ちょ………!!そりゃないですよ~」
助け船が出たと思ったら、すぐに沈んでしまった………
なんとも憐れな上郡であった。
◆
終止符は句読点
◆
「よっ!調子どうだ?」
「……来る度に聞かなくても大丈夫ですから。」
病室に顔を出した上郡に、色平は苦笑いで迎える。
向鼠と対峙した後意識を失った色平だが、処置が早かった為輸血だけで事なきを得た。
「向鼠くん、どうですか?」
ICUに逆戻りしてしまい、事件も解決したので医師に会話は最低限と、色平達は念を押されまくっていた。
なので、一般病棟へと移った今日より許可が下り、色平は早速尋ねる。
「反省の色、全く無しだ。あいつは俺から見ても最悪だぜ。プロポーズ断られたぐらいで殺すか、普通。痴情の縺れで殺人とか俺には理解不能だな。殺さなくてもストーカーになるな、あれは。」
「そうですか……。そんな風には見えなかったので。もっと人を見る目を養わなければいけないですね。」
言ったきり考え込む色平。
向鼠と接している内に気付いていたら……
そんなことを思っているのだろうか、向鼠のことを話した時の亥植より酷い顔色なんじゃないか、などと上郡は推測観察してみる。
◆
結局、色平が全て思い出したのは気を失う前、電気がつき駆け付けた蠍髪の後ろにいた向鼠を見たからだった。
ただ、色平は街狐の遺体を遺棄したのが向鼠だと分かってはいた。
倉庫で向鼠を振り払った際に、ヘルメットが脱げていたのだ。
逃げる為見たのは一瞬だったが、見知った顔の為に記憶はされていたようだ。
喪失してしまっていたが。
色平の表情が暗そうなのは、その事も関係しているのだろうか。
「そういえば、色平を襲ったナイフの刃と柄の間から酸化した色平の血液が検出されたって。向鼠のバイクの他に所持していた車のトランクからも猫笹街狐の髪の毛が出てきた。これで、証拠もバッチリだ。」
空気を変えてみようと、上郡はとりあえず声色を明るくしてみた。
凶器が同一の物であると判明し、本来なら入り込むはずがないトランクの奥の隙間から発見された髪の毛が被害者である猫笹街狐と一致。
一連の犯行が向鼠であると裏付ける物的証拠となった。
◆
「そう…ですね。これで猫笹街狐さんも少しは浮かばれますね。」
「そうだな。」
理不尽に命を奪われた人間にとって何が一番の供養になるか分からないが、出来ることを精一杯やった結果だ。
似顔絵のお礼も兼ねて犯人逮捕を鶇に報告した時、涙ながらに感謝を告げられたのには少し焦ってしまったが、一番ホッとする瞬間でもある。
「あの……向鼠くんがナイフを所持していた理由って分かりました?」
「ああ。本人は護身用って言ってたけど、絶対街狐を殺る為だぜ、あの言い種は。」
警察官である向鼠がナイフを所持していた理由は素人の様にありきたりであったが、襲われてもいないのに刺したのは逃れられない事実。
凶器を鉄パイプからナイフにしたのも、確実に殺す為の行動なのは明白である。
色平への殺人を否定しても通らないだろうと、警察は色平に対しての殺人未遂容疑でも近々再逮捕をする方針だと上郡は付け加えた。
「あ、亥植がかなりへこんでたぜ。自分が病院と部屋漏らしたせいだって。」
見舞いに来ても、遠くから見ているだけだった亥植の姿を思い出す。
◆
「そんなことないのに。」
「だな。戌籏さんが慰めてたけど、色平からも言っといた方がいいかもな。」
「そうですね。」
同期が犯人だったにも関わらず、色平が再び襲われたことがかなりショックを受けていた。
戌籏と蠍髪、午戸兎も気にするなと声をかけてはいたが、やはり色平本人が言うのが一番だろう。
「それと、あの倉庫の取り壊し、正式に決定したぞ。現場保存が解除されてすぐに区長が動き出したってさ。すげー早い対応で珍しいって午戸兎さんが驚いてた。」
「良かった。それは多分亥植さんや住民の方々の働きかけのおかげだと思います。亥植さんの言い方だとかなり強く押してたみたいなので。」
明るい報告に、色平の声も自然と明るくなる。
「あ、そうだ。色平さ、猫笹街狐の源氏名のミヤの由来気にならない?向鼠が中学時代に付けたあだ名だって。まあ街狐本人は忘れてたみたいだけどな。実は」
◆
「猫の鳴き声からですよね。猫はミャーと鳴くから。」
「……………。なんで?なんでみんなあっさり解るんだよ!俺、理由聞いて感心してたのに、さみにバカにされてさ!そしたら、戌籏さんも午戸兎さんにもそれくらい分かるとか言われて。なんで俺だけ分かんねーんだよ……」
「えっと…………」
一人で捲し立て、一人で落ち込む上郡。
所詮中学生が考えたあだ名。
大人になれば簡単に分かる。
それを分からなかった上郡に、何を言っても落ち込ませるか貶すかのどちらかになってしまいそうで、色平はかける言葉が見付からない。
「き、気になる、といえば……どうなったのですか?私を助けてくれた時のワゴン。音からしてかなり破損していたと思うのですが。医者や看護師の方々は何も言ってなかったので。」
苦肉の策で、色平は話題を変えてみる。
なんだか、本題から変えてばかりだ。
「あ―あれね…。問題ない、大丈夫だから。やむを得なかったし。」
事情が事情の為、病院側の厚意により自腹は免れた。
上郡は話ながら蠍髪にからかわれたのを思い出し、若干げんなりした。
◆
「それならいいんですけど。」
上郡の言い淀みに微塵も気付かずに、色平は納得した。
「楽しそうですね。」
「あ、どうも。」
様子を見に来たらしい、看護師が顔を出した。
「でも、無理は禁物ですよ。もうそろそろ面会時間も終わりますし、きりの良いところで切り上げて下さいね。」
「はーい。」
素直に元気良く返事をした上郡がに満足したのか、看護師はそれ以上言わずに見回りに戻っていった。
「看護師もああ言ってるし、仕方がないけど今日はこの辺で。せっかく一般病室に戻ったんだしな。また明日来るわ。」
そう言って帰る準備を始める上郡。
準備といっても、座っていた椅子を元の位置に戻して、話ながら広げた事件についての資料を鞄に片付けるだけだが。
「ぁ…………」
毎日来るわりにあっさり準備を始めた上郡を見ながら、色平は落ち着かなくなる。
何かを話したい様に口を空け閉めしたり、誤魔化す様に手を開いたり閉じたり。
「ん?なに?」
「あ…………」
漏れてしまった吐息が聞こえたらしい。
上郡がこちらを振り返る。
◆
「あの、本当にありがとうございました。助けてもらって………、色々身の回りのこととかも。」
「あ、いや、別に。俺が好きでした訳だし……。」
改めてお礼を言われて、上郡は照れてしまう。
「病院で襲われた時も。上郡さんが来てくれなかったら、私今ここにいませんし。………不謹慎にも、その………格好いいとか思ってしまって。」
「………え?」
「それに、返事しなきゃと思っていたんですけど……こんなこと初めてで、言えずにズルズルここまできてしまって。」
時々上郡をチラミするものの、どうしても直視できず色平は目が泳ぐ。
「あの時言えなかったんですけど、私も上郡さんと話していて楽しいです。今まで言われたことなくて、気の利いたこと言えなくて。でも、凄く嬉しかったんです。人を好きになったことはあっても、こんなに楽しいと思ったことはあまりなくて。結婚のことも真面目に考えてくれてとても嬉しかったです。いつも堅苦しいとか重いとか冗談とか言われてしまうので。」
◆
下を向きながら、少し早口に話す色平。
しかし、上郡は気にせず色平が話す言葉に耳を傾ける。
一字一句、聞き逃したくなかったから。
「口説かれてたことにも気付かなくて。私そういうの得意ではなくて……すみません。上郡さんが私に好意を持っているなんて全く気付いてなかったから。」
「(た、確かに…………)」
確かに、上郡のタイプとは正反対の色平。
なのに、上郡が色平にアタックしたのは完全に一目惚れだったからだ。
申し訳ないが、容姿とか性格とかは全く好みではない。
でも、何故と説明を求められても、上郡には出来なかった。
ただ、好きだからとしか。
自分でも分からないことだ。
あれだけ鈍感な色平に分かる訳がないのだ。
上郡は言われながら納得する。
「上郡さんが毎日病室に来てくれること、いつの間にか楽しみになっていたんです。話していても聞いていても、何をしてても。いつの間にか私の生活の一部になっていました。上郡さんがいない時は寂しいなんて思ってしまって。」
◆
「……あの!」
拳を握り、意を決した様に色平は顔をあげる。
「私も上郡さんのことが好きです。上郡さんと一緒に人生を過ごしたい。こんな私で良ければよろしくお願いします。」
「………………。」
「ぇ?ぁの……?か、上郡さん……??」
一世一代の告白をしたにも関わらず、無言でしかも抱き締めてきた上郡に色平は物凄く戸惑う。
しかし、上郡は抱き締めるしかなかった。
顔をあげ、照れた様に、はにかみながら話した色平。
色平本人は無自覚だろうが、上郡にとっては効果は絶大。
だから、格好を付けたい上郡は、今の締まりが無い顔を色平に見られたくはなかったのだ。
しばらくして気持ちが落ち着き、ふと我に返った上郡が把握した己の状況。
最初の一言以降、色平が上郡のされるがままで声もかけなかったので、上郡には自分の行動に全く自覚が無かった。
顔を隠す為とはいえ、色平を抱き締めたことに。
認識した途端慌てふためき、色平と無意味な謝り合戦になったのは、言うまでもない。
再び現れた、妙に勘の良い看護師に茶化されるまで続いたのだった。
◆
「な、今夜食事に行こうぜ?少年課の奴に穴場教えてもらったんだ。」
「いいですよ。この資料を纏め終わったら、今日はもう終わりにしようと思っていましたから。」
食事に誘われた色平は、机の上の資料を指す。
「よっしゃ!俺も手伝うわ。」
「あ、いえ…一人で大丈夫ですから。」
やる気を出した上郡に対して、色平は手伝ってもらう程の量ではないからとストップをかける。
「色平さん、手伝ってもらったら?病み上がりなんだから、無理しちゃ駄目よ。」
「そうですよ。せっかく上郡が、滅多に出さないやる気を出してるんですから。」
戌籏と蠍髪は色平を労る様に言うが、上郡を煽る感じなのは致し方ない。
なにせ、色平の為なのだから。
あれから何事も無く順調に回復し、色平は無事に退院した。
しかし、全快したとはいえ大怪我したのには変わりない。
とりあえず事務作業で慣らしていこうとしたが、それも結構な量。
無理をさせないように気を使ったはずの午戸兎に謝られてしまった。
◆
「滅多に、ってなんだよ!俺はいつもやる気に満ち溢れているんだ。敬語も使えない奴に言われたくねぇよ!」
「使えない、じゃなくて、使わないだけよ。敬う人間ぐらい自分で決めるわ。」
「んだと?!」
「なにか?!」
イガミ合い方が小学生だ。
「全く……。あれが俺の部下だと思うと頭が痛い。」
「午戸兎さん。お疲れ様です。」
「おう、お疲れ。色平、指示してあれだが、無理するなよ。」
「戌籏さんとさみちゃんにも言われましたし、大丈夫ですよ。」
この人達は過保護だ、と色平は思う。
確かに、病み上がりではあるが、退院してからだいぶ経つ。医者からはもう現場に出ても良いと許可も出た。
なのに、いまだに事務処理の割合が多いのだ。
「(大切にされている、と感じるから嬉しいけどね。)」
午戸兎の班に来たのは、普通の人事異動だった。
警察官でなくても、人事異動というものはほぼ強制的だ。
それでも、来て良かったと思う。
◆
「あーもいい!さみなんかと話してたら時間がもったいない!」
「じ、時間がもったいないって、それはこっちのセリフよ!」
結局、2人とも無駄だとは分かっていたらしい。
「ほら、色平、半分貸せ。2人でした方が早く済むだろ。」
「…それはそうですけど……」
「それに!資料ごときに俺と色平の時間を邪魔されたくねぇしな!」
「……そう…です…ね??」
「(資料に嫉妬って……)」
上郡の力説の理由に、意味が分かっていないけど熱に押され同意する色平と意味が分かっていて幻滅する蠍髪。
「賑かね。」
「賑か過ぎるがな。」
どれもこれもデシャブを感じるのは、誰一人欠けること無く日常が戻ったということなのか。
「…では、お願いします。」
「おう!」
色平と上郡は、手分けして資料を纏め始めるのだった。
変わったこともあって、変わらないこともあって。
違うことをしてても、同じことをしてても。
繰り返して、繰り返して。
それが、日常。
それが、事件。
それが、生きているという非日常の奇跡。