「そうよ。色平さんが無事だったんだもの。それが一番よ。」



「戌籏さん……。ありがとうございます。」



4人の顔を見回し、色平は微笑えんだ。



「医者はなんて言ってるの?どれぐらいで退院とか?」



「退院はまだ分からないけど、脳波に異常はみられなかったし、術後の経過も良好って言われたから、怪我は問題ないよ。けど………」


「けど?」



「襲われた時の記憶が曖昧なんです。医者は、逆行性健忘だと。」



「逆行性健忘………」



逆行性健忘とは、外的要因や病的要因により記憶の一部がスッポリ抜けてしまう記憶障害のことを指す。



色平の場合、強い力で殴られたことにより、襲われた時の記憶が抜けているらしい。



「看護師から聞いて、発見された場所にいた理由は覚えています。亥植さんからの情報で、不審者がいないか巡回していたからです。でも、何故こんな怪我をしたのか、それが分からないんです。怪我をみても相当酷いことになっているのは、分かるんですけど……」

「じゃこの女性のことも覚えていない?山で今朝、遺体で見つかった、猫笹街狐っていうキャバ嬢で、色平さんの指紋とDNAが検出されたんだけど。」


「………ううん。分からない。」


「俺に電話をかけようとしていたこともか?」



蠍髪は街狐の写真を見せ、午戸兎が尋ねるも、どちらも色平の答えはNOだった。



「すみません………」



「色平さんが謝ることじゃないわ。記憶喪失は思い出そうとすると駄目って聞くし、無理しないで。今は身体を治すことだけ考えて?」


「ありがとうございます。」



目覚めた直後ということで、尋ねたいことはまだまだあったが、午戸兎達は今日はここらへんで切り上げた。


手掛かりになる重要な部分の記憶が喪失しているとはいえ、色平の身体が異常もなく快方へ向かっていることはとても喜ばしいことであった。

「色平さん、本当にごめんなさい!」



「頭を上げて、亥植さん。貴女のせいじゃないよ。」


「ありがとう。それ、午戸兎さんにも言われました。」



「良い上司でしょ?」


「うん。とっても。」



笑い合う2人。



亥植は、色平の病室へと赴いていた。


戌籏より、色平の意識が回復したと聞いたからだ。



「でも、記憶喪失なんて………よっぽど強い力だったのね。」



包帯の巻かれている色平の頭を、亥植は労る様に優しく撫でる。



「気にしないで。あ、そうだ。あの辺どう?私が寝ている間、事件起きてない?」



「起きてないよ。まだ現場保存されているし、前々からあった住民からの取り壊しの要望なんだけど、通りそうなの。区長も残忍な事件だって思ったみたい。現場保存が解かれて許可が下りたら、正式決定が出るって。」



「そう。良かった!」



「それに、街灯も設置するそうよ。」


「あの辺、暗すぎるもんね。」



事件は起きない方が良いが、起きてしまった時、その後どうするかがとても大切だ。


区長の決断と住民の行動が、あの倉庫周辺の未来を変えたといえよう。

「ねぇ、一つ聞きたいんだけど………」


「なに?」



「上郡さんとは上手くいったの?」



「なんで?何のこと?」



亥植の口から飛び出した名前に、色平は意味が分からないと首を傾げる。



「だって、上郡さんが色平さん口説いていることは周知のことだし。多分色平さんが運び込まれた時だと思うけど、物凄い勢いで出ていったのも覚えてるし。その後、なんか前と雰囲気違って見えたし。落ち込んでる風には見えなかったから、上手くいったのかと………」



「口説かれていた………??」



亥植から言われた言葉は、色平にとって身に覚えが全くないものだった。



「……………え?自覚無し?」



ますます首を傾げる色平に、亥植は唖然とする。



「そーいえば、自分のせいで私が怪我したって謝られた時、責任取るとか、嫁に貰うとか言ってたけど………てっきり、私を庇ってくれたか、励ましの冗談かと。」



「じ、冗談じゃないよ!上郡さん本気だよ!(ってゆうか、冗談で言わないよー)」


「そう、なんだ…………」



熱くなりながら言う亥植にも、気のない返事をする色平だった。

「現場に行きたい?」


「はい。体調も大分回復してきていますし、付き添い有りで1時間程度なら外出しても良いと許可が出たので。」



色平は病院に設置されている公衆電話から、午戸兎へと電話をかけていた。



「俺達は良いが…まぁ、医者が言うなら大丈夫だろうが、無理はしないでくれよ。折角、治ってきているんだから。」


「分かってます。」



現場を見れば、霧がかかったようなこの記憶にも晴れる兆しがあるのではないか。


そう思い、医者にちょっとだけ、ほんのちょっとだけ押し切った形で外出許可を貰った。



「ここが、私が倒れていた場所……」



色平は、上郡と蠍髪と共に現場に来ていた。



「確かにここら辺は巡回していたところだけど、ここまで奥には入ったことは一度もないんだけど。」


「奥まったところだからねー。巡回にしてはやりすぎ感あるし。」



覚えている巡回の範囲まで戻ることにした。


自力で歩けるものの、頼りは松葉杖。



病院内での移動は基本的に車椅子だが、細かい道や階段がある現場周辺を見るのには逆に不便という結論になった為、行動しやすい松葉杖を借りてきた。

「ここまで来ると人通りがあるんだな。」


「ほんと、ちょっとの差ね。」



巡回範囲の開始付近。

大通りから1本入った、住宅が軒を連ねる一方通行道。


抜け道にもなっているので、通勤時間帯でなくてもちらほら人通りはある。



しかし倉庫周辺は、資材を運ぶ為だろうか。

車が1台通れる広さはある道だが、連ねている全ての住宅の裏手に当たり人通りも明かりもほとんど無い。



いかに色平を見付けた新聞配達員の存在が、どれほど貴重だったか良く分かる。



「あ、バイク。俺も高校の時憧れたなぁ。特に白バイ。キツそうで止めたけど。」


「あんたの憧れなんてどうでもいいのよ!」



上郡と蠍髪が言い合っている内に、3人の脇を通り過ぎたバイク。



「バイク……………」



「え?色平、もしかしてバイク好き?マジで?俺、免許持ってないんだけど…」


「だから、どうでもいいんだって!」



2人の会話も耳に届かないくらい、色平は後ろ姿のバイクを見つめる。



小型で黒い色をして、フルフェイスのメットを被った人が乗ったバイクを。

「バイク…………黒………人……………フルフェイス!!!」



「色平っ!!?」



ブツブツ一人言を呟いていたと思ったら、声をあげ歩き出した。



突然のことに驚いた上郡と蠍髪だが、先々行く色平にも驚く。


火事場の馬鹿力並みだ。



「色平!一体何処に……」



色平が向かっているのは倉庫の方向だが、落ちたところとは違う南の正門方向だ。



「はぁ…はぁ……はぁ………」



勢いよく歩き階段を一気に登ったせいで、色平の息はあがっている。



「色平さん!大丈夫?」


「全く、無理しないでくれよー。」



色平を見て2人は心配で声をかけるも、倉庫を見つめる当の本人には聞こえていないようだ。



「思い出した………」


「え?」



「私、フルフェイスを追ってここまで来たんだ。」


「フルフェイスって、ヘルメットの?」



「そう。夜中にフルフェイスでいる人影見付けて、職質しようと思って後付けたの。そしたらここまで来て見失ったから、薬物の取引とかだと思って倉庫内探ろうとして中に入った…………」

「それで………それで………」



探る様に、倉庫内と己の記憶を照らし合わせる。


倉庫内は現場保存は解除されたが、今のところそのままだ。



「こ、こで………、足……!!さみちゃん、誰か女性知らないかって言ってなかった?!」



「うん。この女性。」


「この女性(ヒト)だ……」



蠍髪が見せた写真の女性と、色平の見た女性が一致する。



「猫笹街狐を知ってるのか?」


「知りません。けど、遺体はここにあった。私が見付けて、午戸兎さんに連絡しようとして………」


「「「殴られた!!!」」」



3人の声が重なる。



「なるほど~猫笹街狐に付着していた指紋と血液は、ここで、だったのね。」



指紋は脈をみる為、血液は殴られた時に飛んだものだった。



「遺体を見付けたから、午戸兎さんに電話か………。謎が段々解けてきた!」



?(疑問)が、!(確信)に変わる。



「怪我からみて、殴られて刺されたってことは、犯人は複数ってこと?」



単独犯人で凶器を変えることは今まであまりないのだが、前例が無い事が起きるのが犯罪というものだ。

「違う。多分単独。落ちる間際、階段らへんで振り返った時、1人しか確認出来なかったし。…………犯人は凶器を変えた。理由は分からないけど。」


「確実に殺す為ってか?」



犯人が色平を殴った凶器は、倉庫にあった鉄パイプ。


色平が刺された刃物は、傷口からみて小型でナイフの様な形状。


だが、刺した凶器は、現場からも周囲からも見付かっていない。

現場にも同じ形状の刃物らしきものも見付かっておらず、犯人が所持していたものを使い持って帰ったと思われる。


それは、つまり、理由が護身用であっても犯人が誰かを傷付けるという目的は明確だ。


それが、銃刀法違反の刃渡りの長さなら尚更だ。



「っっ……………―――――」


「色平?大丈夫か?時間も時間だ。今日はここまでにしよう。」



浅く息を繰り返して何とか立っていた色平は、思い出したことで興奮し体を動かしすぎたのか見た目の辛さが増している気がする。


医者に許可を取った時間も迫っているということで、上郡は切り上げることにした。

病院に戻ってきた色平と上郡。

珍しく空気を読んだ蠍髪は、午戸兎に色平が思い出したことについて報告に一課へ戻った。



「ありがとうございます。」


「いや、別に。」



一人で歩くのが辛そうだと、色平は車まで支えてもらい、病院に着いてからは車椅子を、上郡に押してもらっていた。



「一つ、聞きたいことがあるんですけど。」


「なに?」



「上郡さんは、私を口説いていたんですか?」



「!!!???」



「やっぱり違いますよね?亥植さんから聞いたんですど、彼女の勘違いですね。ごめんなさい、変なことを聞いて。」



「あ…えっと……その……」



「お付き合いするなら、結婚前提でないといけませんし、結婚するなら相手は多分警察辞めて欲しいと思いますが、私まだ警察続けたいですし。」



「………………。」



昭和の時代?

それでも恋愛結婚あったよな?



一昔以上前の感覚を持っているらしい色平に、上郡は言葉が出なかった。



「そもそも上郡さんとじゃ私は釣り合いません。」



色平はあっけらかんと言う。

自分に好意が向いているとは微塵も思っていない様だ。

「上郡さん。もう戻って大丈夫ですよ。張り付いていなくても、大人しくしときますから。」



犯人への手掛かりを思い出し無理した自覚があったので、後は療養するから心配しなくてしなくていいと告げる。



「(世の中に、俺の言葉が届かない人がいるなんて……)」


「上郡さん?」



色平は呼び掛けるが、自分の世界に入ってしまった上郡には聞こえていない。



「色平。結婚前提なら付き合うってことだよな?」


「まあ……はい。」



突然尋ねられた意味は分からないが、考えはその通りなので一応答える。



「よし!(言うしかねぇな!)」



上郡は、気合いを入れながら立ち上がる。



「色平!好きだ。結婚を前提に俺と付き合って下さい!警察は辞めなくていい。俺の人生には色平が必要なんだ。だから、色平の人生にも俺が必要だって思ってもらえるように頑張るから。まず犯人逮捕してみせるから。絶対好きと言わせてみせるから!」



「…………………え?」



返事も何も聞かずに、言うだけ言って上郡は帰って行った。



部屋に一人残された色平は、言われた言葉を理解するのに時間がかかった。

「上郡さんが、私を好き?それで、付き合って欲しい?しかも、結婚を前提に?」



理解して、頭の中がパンクしそうになる。


好きだと言われたことも言ったことも、付き合ったことも、今までに何度もある。

けれど、すぐに別れを告げられた。



息がつまる。なんか堅苦しい。

そもそも結婚を前提って重たい。



付き合ったのは容姿もタイプも全然違う人達なのに、毎回同じセリフで。



だから、上郡が自分を好きだとは夢にも思わなかった。

結婚なんて堅苦しいと思う性格だと思っていたから。



いつも自分から言っていたので、相手から結婚を前提に、なんて言われたことは無い。


仕事以外に、必要なんて言われたことも無かった。



改善さえしてこなかった性格を、丸ごと受け入れてくれそうな言い方を上郡はしていた。





何もかも今までとは違う。


でも、自分の感じ方も今までと違っている。



口説かれていたことすら分からなかったのに。

好きと言われて、こんなにドキドキしたことはなかった。


でも、サラッと言ってサッと帰った上郡に、自分一人だけ翻弄されているみたいで、色平はちょっとだけ悔しかった。

ケアレスミスには要注意

「あっ、チュウくん。お疲れ様~」


「お疲れ。ってゆうか、本当に疲れたよ。」



亥植が苦労を労ったのは、向鼠(ムネズミ)という男。

亥植の同期で、爽やか好青年と評判で性格も穏やかな生活安全課きっての優男だ。



名前の向鼠からチュウ(鼠の鳴き声)と親しみを込めて呼ばれ、先輩同期後輩問わず仲が良い。



そんな感じなので、よく違う地域や部署の応援に駆り出されている。


今も、いくつかの応援に出向いて帰ってきたばかり。



「でも、課長も凄く助かってるって言ってたよ。チュウくん優しいから。はい、お茶。」


「ありがとう。そう言ってもらえると、やりがいあるなぁ。」



そう言ってニコニコ笑う向鼠は、凄く嬉しそうだ。



「あ、そうだ。他の部署の人達が話しているの耳にしたんだけど、刑事課の人が襲われたんだって?」


「そうそう。たまにここに来る色平さんっていたでしょ?その色平さんが襲われたの。不審者の通報があって、この間まで警ら対象だった暗い倉庫の周辺で。」



刑事事件とは管轄が違い、尚且つ応援で署内の騒ぎを知らない向鼠は尋ねる。

「その……色平さん?亡くなった……とか?」



「ううん。それは大丈夫。刑事課だとすぐ生き死にを想像しちゃうよね。今は病院に、ほらこの前課長が盲腸で入院したとこ。そこに入院してるんだけど、意識もあるしもう大丈夫だって。ただ、怪我が酷くて………襲われた時の記憶だけ、思い出せないんだって。」



凶悪犯罪を常に扱う刑事課は死が身近だ。

それが頭にある為、刑事課以外の人間の思考回路はすぐ死に結び付いてしまうのだ。



「…………………、そっか。それは気の毒だね。殴られて刺された上に、階段から落ちたらそうなっても仕方ないよね。」



「警らが解除された途端にこれよ。世の中どうなってるんだか。」


「全くだ。」



亥植は向鼠に、これまでの事を色々話し、向鼠も気になるのか真剣に聞き討論していた。


課長が仕事しろと、言いに来るまで。



世の中にあるほんの一部の混沌が、これ以上広まること無く消滅してくれたら……………



残忍な事件が起こる度に、街中の人達に一番近い生安課に所属する亥植と向鼠は、そう思わざるを得なかった。




不審者がいなければ、色平が襲われることも無かったのだから。

「ふーんふーん♪ふふふーん♪」



「キモ。」



「気持ちを表すのはとても重要なことだけど、そんなにストレートに言っちゃ駄目よ。」



鼻歌を歌いながら、書類を整理している上郡。


それを、嫌悪感むき出しの視線で睨む蠍髪と、注意するも苦笑いの戌籏。



色平に告白したその日から、上郡は猛アタックを開始した。



刑事だからと病院に言って、面会時間を伸ばしてもらった。


他の入院患者の迷惑にならないように少し人気の少ない部屋も用意してもらった。



午戸兎も最初は渋っていたが、事件が事件だけに確認事項もあるだろうし、頼み込んだ上郡の業務態度も大幅に改善されている。


ということで、病院に打診したら、あっさり許可が出た。



個室とはいえ、刑事が入院しているのは噂になる。

理由が病気ならいいのだが、怪我だとどんな病院でも噂が噂を呼び大事になったことが多々あり、快く承諾してくれたのだ。


なので、仕事終わりでも会えると上機嫌なのだ。

トゥルルル――………



「はい、捜査一課………、はい、代わります。上郡くん、諳鷲の鶇さんから外線よ。」



内線が鳴ったと思ったら、鶇かららしい。



「お電話代わりました、上郡です。」


『電話口でも、良い声ね。』


「そりゃどうも。何かありましたか?」


『私には何もありはしないわよ。だだ、お店の子に聞いてみたのよ。ミヤちゃんのこと。ほとんどの子は分からないって言ってたんだけど、勤務が同じ時間帯の多かった子の何人かが、男と一緒にいたのを何度か見ているらしいのよ。』



上郡の言葉に背を押されたのだろうか?

鶇も気になっていたらしい。



「男ですか?お客さんではなくて?」


『そうらしいわ。見かけない顔だったけど、イケメンだったみたいよ。ただ、揉めてたらしくて。あまり他人のイザコザに首を突っ込まない世界だから、詳しくは知らないそうよ。』


「その男の顔って覚えてたりします?似顔絵作るのに協力して頂きたいんですけど………」



『勿論よ。イケメンだから覚えてるって言ってたから。』



イケメンに対しての記憶力は絶大らしい。

「あの~失礼しまーす。」



「ん?どうした、亥植。みんな出払ってて、今は俺一人だが。」



一課を訪ねて来たのは、亥植だった。



「あ、いえ。大したことではないのですが、ちょっと気になったことがあったので。」



「俺が答えられることだったら答えるが。」



書類へ書く手を止め、亥植に向き直る。



「色平さんて、階段から落ちたんですか?」



「………どこから聞いた?」



亥植が疑問を口にした途端、午戸兎の顔が強張る。



「え……あ…、チュウくん………いえ、私と同じく生活安全課の向鼠巡査部長が他部署の人から聞いたと言っていたんです。彼、応援に行っていて色平さんが襲われた時は丁度いなかったので。階段のこと、色平さんからは何も聞いていなかったので、ちょっと気になりまして。」



少し強い口調の午戸兎に慣れていない亥植は、少ししろどもどろになりながら答える。



「戻りました!」


「2人とも、どうかしたの?」



帰ってきた蠍髪と戌籏は、顔が強ばっている午戸兎と固まってしまった亥植を交互に見ながら不思議に思う。

「ああ、それがな……」


「あれ?その似顔絵……」


「見覚えあるんですか?!事件の重要参考人なんですけど!」



蠍髪が手にしていたのは、諳鷲に勤めているキャバ嬢達に協力してもらい書いた猫笹街狐と揉めていたと思われる男の似顔絵だ。



それを見た亥植の何か知っているような口ぶりに、蠍髪は詰め寄る。



「私の同期です。生活安全課の向鼠巡査部長です。でも、重要参考人って……」



午戸兎をチラッと見ながら言う。



「え?生安課?一体どういうこと?!」


「向鼠は、色平が階段から落ちたことを知っていた。」



「それって………まさか!!」


「その、まさかだったら色平が危険だ。向鼠は署内にいるのか?」


「えっと……、今日応援から帰ってきたので、報告して……。あ、さっき先輩がもう帰ったと言っていました。」



「色平が病院にいることは?」


「し、知っています。前に課長が盲腸で入院した病院だと私が……」



「上郡に電話しろ。似顔絵見せに向かってるんだろ?」


「分かりました!」



次々と飛び交う言葉。


一気に緊迫した空気が漂う。

「あの……私、また何か……大変なことをしでかしたんじゃ……」



張り詰めた空気に呑まれそうになるも、亥植は自分が何かやらかしたことに気付く。



「亥植さんは悪く無いわ。その……向鼠くん?彼が知っていた『色平さんが階段から落ちた』というのが、マズかったの。一課でも、私達と現場の処理をした警察関係者しか知らないのよ。色平さんが階段から落ちたことは。」



そう。戌籏の言う通りだった。


一課内でも担当事件が違うと詳細は分からないし、ましてや刑事課でない生活安全課の人間に詳しくは話さない。



マスコミ向けの警察発表では、殴られた上刺されて重体。


第一発見者である新聞配達員は発見当時動揺していたらしく、階段には気がいっておらず覚えていなかった。


不審者騒ぎがあった後だったので、救急隊が来た時も警察が作業している間も、野次馬は誰一人確認されていない。


隠していた訳では無いが、偶然そういう状況になってしまっていた。



なので、応援に行っていて事件を他部署の人間から聞いたと言っていた向鼠が、知りようのない事柄の筈だ。



色平が階段から落ちた時、その場にいなければ。

「これで色平、何か思い出せたら良いんだけどな。」



似顔絵を持って、上郡は病院に向かっていた。



やっと掴んだ手掛かり。

事件現場に行った時の様に、少しでも何か思い出してくれたら。


無理は禁物だが、事態が進展してくれる様にと似顔絵に思いを託す。



ブーブー………ブーブー………



「はい、上郡。どうした、さみ?」



携帯のバイブが鳴る。

相手は、先程諳鷲から別れた蠍髪からだった。



「あんた、今どこ?!」


「ど、どこって……色平の病院向かってる途中じゃねーか。知ってるだろ。」



何を分かりきっていることを。


出るなりいきなり言われた蠍髪の言葉に、上郡はそう思う。



「急いで!色平さんが危ない!」



「はぁ?色平が危ないってどういうことだよ?」


「説明は後!犯人が色平さんの病院に向かってるかもしれないの!だから早く!」



「お、おう!分かった!」



上郡には何がなんだか分からなかったが、蠍髪の慌てようでただならぬ事態だと判断し、とにかく急いで向かう。



理由はどうであれ、色平が危険だと言われれば、上郡には選択肢は一つしかないのだから。

待ち人来たる

現在時刻は午後10時を少し回ったところ。


病院の駐車場には、闇に溶け込む様な黒色のバイクが1台止まっていた。



「もうそろそろかな?」



色平は、寝ぼけ眼にそう呟く。


告白されて付き合いを申し込まれて以来、毎日この時間帯に来る上郡を、仮眠を少し取って待つのが今の色平の日課になっている。



話すのは主に事件絡みだが、日常会話も上郡は積極的にしている。


好きと言ってもらえるように頑張る、を実行中だ。



その間、色平は色々なことを知った。


上郡の生い立ちから過去の出来事、恋愛観、趣味嗜好など。

会話の流れで自分のことも話したが、全然苦ではなかった。



他人から聞かれて答えても、真面目だねとか、律儀な性格だよねとか、そんなんで人生楽しい?とか、あまり良い印象を持たれなかった。


なので、あまり自分から自分のことを話さないのに、更に拍車がかかってしまっていた。


けれど、上郡は色平のことを聞く度に驚いたり納得したり笑顔を見せたりはしたが、一度たりともつまらなさそうな表情は見られなかった。

学生時代、余程真面目の印象が強かったのか、先生にはよく褒められたが揉め事処理では頼りにされ、クラスメイトには宿題や面倒事の当てにされていた。


警察に入ってから午戸兎の下に配属されるまでは、人間味が無く冷めているとまで言われていた。



これは後から分かったことだが、告白されたのも告白のOKを貰ったのも全て、色平が成績優秀の優等生だったから。


ある意味の憧れの存在ではあったが、肩書きだけに飛び付いた連中は色平を理解しようとしなかったようだ。



両親は適度に真面目で友達もいる至って普通であるから、何故こんな性格なのかは色平自身にも分からない。


真面目をどう直していいかも全く分からないが。




けれど、とても印象に残っている上郡に言われた言葉がある。



―――俺、色平と話してると楽しいわ。



子供の様に無邪気に笑っていた。



今まで一度も言われたことの無いセリフ。



その時は気の利いた返事を出来なかったが、色平も思っていた。



―――私も、上郡さんと話してると楽しい。…と。



数少ない友達にもあまり覚えが無い感情を、上郡からはたくさん感じ取っていた。