事件はきっとすぐそこに

警視庁 捜査一課

警察の花形と呼ばれる部署だ。


皆が一度は憧れるであろうの一課の部屋の前で、2人の男女が言い争っている。



「な、今度食事でも行こうぜ。親睦を深める為にさ~。なんなら今夜とか?なぁ、いいだろ?色平~」


「食事に行かなくても親睦を深めることは出来ます。それより上郡さん、そこを退いて下さい。通行の邪魔です。」



開いたドアに手を置き通せんぼ状態で、ナンパの様な口調のその男。

これでも一課に所属している。

名は上郡(カミゴオリ)。


髪色は落ち着いたブラウンだが癖っ毛を直そうともせず放置しネクタイも緩めに締めた、いかにもチャラい遊び人といった風貌。


流石にピアスやネックレスなどアクセサリー類は付けてはいないが、到底警察官には見えない。



一方、資料を抱えながらも上郡を冷静かつ毒舌気味に一蹴りした女。

こちらも一課に所属している。


名は色平(シキヒラ)。



髪色は一度も染めていない黒色でミディアムの髪には寝癖一つついてはいない、ブラウスの釦は第一まで留める真面目を絵に書いた様な風貌。



見た目も性格も、全く正反対の2人だ。

「上郡くん、いい加減退いてあげて。その資料、結構重いのだから。」


「そうよ。邪魔、役立たず、迷惑極まりない。視界から消えて。」



色平と上郡の声が聞こえた様で、部屋の中から2つの声がした。



上郡を注意したのは、戌籏(イヌハタ)。

一課のお局的存在だが、嫌味な感じは一切しない優しい先輩だ。


一方、上郡に色平以上の毒舌を浴びせたのは蠍髪(サソリガミ)。


3ヶ月前に一課へ配属になったキャリアで、現在警部補。



名前が長く可愛くないと言って、皆にはさみと呼んでもらっている。



「分かりました。ほら、半分貸せ。」


「ありがとうございます。」



「つか、さみ!なんなんだ、その3段活用みたいな言い方は。しかも、全部悪口じゃねーか!」



「悪口だけど、それが何か?」


「開き直るな!」



戌籏が言う通り見た目以上に重い資料を半分ずつ持ちながら色平と上郡は部屋に入る。


上郡は蠍髪へ文句を言ったが、あっさり開き直られ効果はなかった。

「なんだ、またか。毎日毎日懲りないな。」


「午戸兎さん。上郡を飛ばして下さいよ。こんな奴、一課にいらないですよ。」



呆れる様に現れたのは、上司である午戸兎(ゴトウ)。


顔は強面だが、罪を憎んで人を憎まず、そんな精神の優しい性格だ。



「こんな奴ってなんだよ!ってかちゃんと敬った感じで敬語使え!俺の方が年上で先輩だぞ。」


「階級は私の方が上だしぃ~」



そう。確かに階級は小馬鹿な態度の蠍髪の方が上だ。


午戸兎は現場叩き上げの警部。

戌籏も同じく叩き上げで警部補。


蠍髪は今年警察学校を出たばかりのキャリアで警部補。


色平と上郡はノンキャリアで、巡査部長だ。



「子供みたいな喧嘩は止めろ。上郡、色平を誘う暇があるならその資料纏めておけ。」


「え。マジっすか……」


「大真面目だ。」



「手伝いましょうか?この量は……」


「構わん。頭を冷やすのに丁度いい。しかも、お前が一緒じゃ意味がないだろ。」



資料の量が多いので色平が手伝いを申し出るも、午戸兎に止められてしまった。


結局、上郡は学生の居残りみたく一人で資料を纏める羽目になった。

色平は警視庁の一課へと続く廊下を、コンビニの袋を持って歩いていた。


手伝いは無理でも、差し入れぐらいは……と思ったのだ。


上郡がいくらチャラくても、取り敢えず言われた仕事はやる男だからだ。


まぁ、社会人として当然と言えば当然だが。



「…………………。」



部屋に入って色平は動きを止める。


何故なら、上郡が机に伏せて寝ていたからだ。


机にはパソコンと散乱した資料がそのままなので、纏めている最中に寝入ってしまったらしい。



「(寝るなら仮眠室使えばいいのに。ってか風邪引くし。)」



スーツの上着は隣の椅子に掛けてあって、上郡は薄いワイシャツ姿。


冷暖房完備とはいえ、人の疎らな時間にかけてはいない。


上着だけだと頼りないので、一旦部屋を出て仮眠室へ行き毛布を拝借した。


上郡に毛布を掛け、散らばった書類を少し片付けて差し入れの袋とメモを机に置く。



電気を少し落とし、色平は静かに部屋を後にした。

「(この時間も人通りが無い。)」



色平は帰宅する為に、人通りの少ない裏路地を歩いていた。


現在の時刻、午前1時。


良い子はとっくに寝ていて、悪い子は補導されていて、夜に働く大人以外あまりいない。


都会の喧騒と住宅地の静寂が極端過ぎる、そんな時間だ。



「(………ん?)」



街灯も少ない暗闇に人影があった。


人がいるだけならまだいいのだが、その人影は違った。



「(フルフェイス………)」



その人影は街灯や月明かりがなければ闇に溶け込んでしまう、全身真っ黒なライダースーツの様な格好。


しかも、フルフェイスときた。

バイクもその人影の近くには見当たらない。



刑事の勘…………でなくても分かる、怪しい人物だ。



「(後付けて、職質決定。)」



周囲を窺いながら身を隠す様に歩く人影に、取り敢えず後を付けることにした。



「(こんな所に階段……)」



人影を追い入り組んだ路地を奥へと進むと、周りに草木が生い茂る階段に辿り着いた。


50ほどある上り階段で、上には横に細長い建物が見える。



人影は階段を上っていた。

「(…………どこに行った?)」



階段を上りきったところで、人影を見失ってしまった。



「(見た目、長年使われていない倉庫といった感じだけど。ヤクの取引とか?……にしては、人気が無さすぎよね。)」



気配や影に注意しながら、倉庫内を探ることにした。


寂れた外観と相違なく、中も同じで錆びた鉄の匂いがする。


割れた窓から射し込む月明かりが、資材が乱雑に置きっぱなしの倉庫内を淡く照らす。



「(……?何あれ?)」



目を凝らしながら慎重に見回していると、倉庫の中心より少し奥に両脇を資材に挟まれる形で布が被さった何かがあった。


倉庫内の他のものに比べて真新しそうなその布。


近付いてみると………………



「(足!!?)」



布からはみ出していたのは、赤いヒールを履いた女性の左足だった。



「(冷たい…………もう亡くなっている。)」



布を取って見ると、20代~30代と思われる女性が横たわっていた。


死亡してから時間が経っているのだろう、触れた女性の身体は冷たかった。

「(とにかく、午戸兎さんに連絡しないと………)」



携帯を取り出して、午戸兎の電話番号を表示しようと視線を下に落とす。




その時、背後から照らす月明かりが『何か』に遮られる。



「ぃ゛っっ………――!!!」



『何か』に振り向きざまに硬い物で左前頭部を殴られ、弾みで手から携帯が飛び暗闇に消えた。


衝撃でよろけた為、右脇の資材に突っ込む様にぶつかり資材の金属の音が派手に響き渡った。



「フル…フェイス………!!」



遮った『何か』は、追っていたはずの、フルフェイスの人影だった。



殴ったであろう鉄パイプはフルフェイスの人物の手から離れ、血が付いた状態で視界の左端にあった。



「なっ…………!!」



鉄パイプを見た一瞬の間にフルフェイスの人物の右手にはナイフが握られている。


次の瞬間には、フルフェイスが目の前にあった。

「ぐっっつっ………――――」



脇腹に刺さったナイフをフルフェイスごと右方向へ振り払う。



「(と、に、かく…逃げ、ないと………)」



渾身の力で振り払った為、フルフェイスの人物は散らばった資材に突っ込み倒れ込んだ。



殴られ刺され、応援も呼べない状態では取り敢えず安全を確保しなければならない。



フルフェイスの人物が倒れ込んだ方向とは逆、つまり左方向へと歩みを進める。


左方向にはもう一つあるのか、入って来たところと同じ様な扉があり開けっ放しのそこからは外にある生い茂る草木が見える。




ただ殴られた頭と立て続けに刺された脇腹からは血が溢れ、歩く度に血溜まりが出来ていた。



急ごうとするものの、脳震盪と大量の出血の為に視界は揺らぎ、足元は覚束ない。





やっとの思いで辿り着いた倉庫の外。


月が雲に隠れる寸前、背後に『追い掛けてくる人の気配』。



気配に気を取られ、気付かなかった。



後退りした場所に、地面が無いことに……………

「………くん、おりくん。………上郡くん!」


「ん…ぁ……???戌籏さん……?」



「よく寝ていたわね。もう朝よ。」



「!!!……朝ぁ!!?」



戌籏に揺さぶられ、バッと、効果音が付くかの如く毛布を落としながら立ち上がり目を覚ました上郡。


机の状態は色平が来た時のまま。


つまりあの後も起きず、寝入っていたということだ。



「朝っぱらから叫ばないでよ。」



「だから敬語を使えってーの!」



嫌そうに上郡を一瞥した後、蠍髪は無言で席に付く。



「無視すんじゃねーよ!」



「上郡くん、怒っている場合じゃないわ。ほら……」


「これ………」



戌籏は指差す先には、色平が置いていった差し入れの袋。


側にあるメモには……………、



‐気持ちよさそうに寝ていたので起こしませんでした。
よかったら食べて下さい。
無理そうなら明日手伝うので言って下さい。
それと、風邪をひくので、寝るなら仮眠室にして下さい。  色平‐

「色平さん来たみたいね。この毛布も多分。」


「マジかー………起こしてくれりゃいいのに~」


「へえ~。余程気持ちよさそうに、寝・て・た・ん・だぁ~」



しくじったと落ち込む上郡に、自業自得だと蠍髪は楽しそうに言う。



「うるせ―…………」



「取り敢えず食べたら?せっかくだし。」


「取り敢えず、そうします……」



蠍髪の口撃に反論する声にも元気が無くなったが、戌籏の促され上郡は差し入れを食べることにした。



「(俺の好物………)」



差し入れの袋の中身は、近くにあるコンビニで大人気商品のおにぎりと、栄養素満点の野菜ジュースだ。



「(んだよ……なんで覚えてんだよ。)」



どちらも上郡の好物で、昼ご飯に食べていたり、色平にペラペラ話したりしていた。


しかし、一緒に食べたことは一度もないし、話しかけてもあしらわれていた。


なので色平が覚えていたことに、ちょっぴり照れくさかった。

責任は俺がとる

「大変なことになった!」



「午戸兎さん、どうしたんですか?そんなに慌てて……」



上郡が差し入れを食べ終わって少し休憩していたら、午戸兎が慌てて部屋に入ってきた。



「色平が襲われた。」



「「「!!!!」」」



「色平さんの状態は?」


「今、手術中だ。」



色平が襲われたと午戸兎から言われ、皆、狼狽する。



「午戸兎さん、どこの…どこの病院ですか!?」



「落ち着け、上郡!病院は……ちょっと待て。病院からだ。」



上郡は病院に向かおうと午戸兎に詰め寄るが、病院の名を口にした直後に午戸兎の携帯へ病院から着信が入る。



「はい……、はい。分かりました、ありがとうございます。」



「し、色平さんは?」



「手術は成功したそうだ。」


「そう!良かったわ!」



成功と聞き、皆安堵の表情だ。

「ただ、出血と内臓の損傷がかなり酷かったらしく……………覚悟は、しといた方がいいそうだ。」



「え?ち、ちょっと!上郡!!?」



午戸兎の言葉を聞き、上郡は駆け出した。



「さみちゃん、行かせてあげて。」



追い掛けようとする蠍髪を、戌籏は諭す様に止める。







病院に駆け込んだ上郡が案内されたのは、ICU。


所謂、集中治療室。



透明な窓越しに上郡が見たのは、様々な医療機器に繋がれた色平。



目は固く閉じられ、口には酸素マスク。

頭には包帯が巻かれ、一命をとりとめたのが奇跡というのがよく分かる。



「(色平………………)」



上郡は自分を責めた。



色平が差し入れを持ってきてくれていた時、起きていれば。


言われたことだけやればいいと思って、手を抜かなければ。



堅苦しいのは嫌いで、ふざけて適当に。

彼女を作ったって浮気がバレて即サヨナラ。


警察官になったのも、モテそうだったから。


それでいいと思っていた。


今が楽しければ。

人生一度きりなのだからと。

そんな軽く生きてきた自分を、これほど否定したかったことはない。



「上郡。」



上郡を追ってきた午戸兎が声をかけるも、上郡は色平を見つめたままだ。



「自分を責めるか?それもいい。お前が真面目にしていれば結果は違っていたかもしれんからな。仕事に対しても、色平に対しても、な。」



午戸兎の辛辣な言葉。


今の上郡には全てが事実、返す術が無かった。



もしも………、なんて有りはしないのに、何故考えてしまうのだろうか。



「戌籏とさみは現場に向かった。俺達も行くぞ。」



午戸兎は捜査の為、現場に向かおうと上郡を促すが、上郡は微動だにしない。



「………上郡。人生の先輩として一つ言っておく。どれだけ想ったって、怪我は治らん。どれだけ後悔したって、現実は変わらん。どれだけ完璧にしようとしたって、失敗する時はする。だがな、良い方向にも悪い方向にも、人間は賢い。それをどう活かすかは、己次第だ。変わる気があるなら来い。何処までも面倒ぐらいみてやるさ。」

「……午戸兎しゃん………」



「酷い顔だな。だが、自らの手で捜査して犯人を逮捕出来るなんて、刑事の特権だろうが。お前のことは俺が責任持つ。色平のことはお前が責任を持て。」


「はい!」



午戸兎の厳しくもとってもあたたかい言葉に、意図せず上郡は目頭が熱くなった。



車を回すと先行く午戸兎の後に続き一歩踏み出して、少しだけ振り返る。



「(色平……………)」



相も変わらず、色平は白い部屋に寝たまま。



「(変われるかは分かんないけど、変わろうと努力するからさ。俺の人生には、色平が必要なんだ。色平の人生にも、俺が必要だって思ってもらえるようにするからさ。だから、)」



だから、必ず―――――………





乱れた髪と服装を整え、緩めていたネクタイを締める。



行くべき方向へあげた上郡の顔に、もう迷いなどありはしなかった。

「戌籏!さみ!」


「「午戸兎さん!」」



「上郡くんも。色平さんは……」


「捜査が、今の俺のやるべきことですから。」


「ということだ。」



上郡の顔つきと午戸兎の言い方から、2人の間に何かあったのだろう。


それも、良いことが。



突き詰めたところで、それは野暮。


戌籏と蠍髪は、お互いに頷くと何も言わなかった。



「状況は?」


「先に臨場した所轄によると、第一発見者は新聞配達員よ。遅刻しそうになって、近道であるこの道を通って色平さんを発見したと。」



「普段は絶対通らないって言ってました。この付近は地元住民さえも滅多に近付かない場所のようですから。上にある倉庫の持ち主の建設会社が倒産してからは無法地帯だったらしく、不審者も度々目撃され警らを強化していました。しかし、先日不審者が逮捕され警ら強化を解除したばかりだったそうです。」



「ある意味偶然が重なったな。」



それも、良い偶然と悪い偶然の両方が。

「階段から落ちたのか?かなり血が………」



目の前にある倉庫へと続く階段には、かなりの量の血がほぼ全ての段に飛び散っている。



色平が倒れていたであろうこの場所にも、血溜まりが出来ていた。

しかし、階段の方が、量が多い気がする。

特に上の方が。



「上、行ってみる?」


「さみちゃん、今の上郡くんには………」



「戌籏さん。俺は大丈夫ですから。」



蠍髪と戌籏は現場に到着した時に鑑識が作業中であった為外からではあるが、倉庫内の様子も見ている。



今の上郡には辛すぎると思い止める戌籏にも、上郡はそれを暗に断った。



「さみ、連れてってやれ。」


「分かりました。上郡、こっち。」



目の前の階段、つまり倉庫の東側は血を踏むといけないので、正面に当たる階段、つまり倉庫の南側より警察関係者は上がることにしている。



倉庫は西から東への長方形。


窓は南側にしかなく、出入口は南側に位置している大きな正面扉と東側に位置している作業員用の小さい扉しかない。



「こ、れは……………」



太陽が照らす倉庫内で、上郡が見たもの。


それは…………

「(へ~、結構根性はあるんだ。午戸兎さんに感謝しなきゃ。)」



倉庫内を凝視し、耐える様に握った拳が震える。


そんな姿の上郡を横目に、蠍髪はそう思った。


今までならば、こういう現場だと、ひでーだの、あり得ねーだの、少なからず騒いでいたからだ。



午戸兎とのやりとりで、少し成長したらしい。




倉庫内の状況といえば、大方作業は終わったのだろう。

鑑識の数は疎らだ。



散乱した資材、特に乱れた場所は倉庫の中央付近。


酸化して赤黒くなった血は、そこから東側へ倉庫の外まで続いている。



「かなり争ったみたいだな。」


「そのようね。ただ争った割には、犯人に繋がるような証拠はまだ見つかっていないわ。」



戌籏の案内で、午戸兎も倉庫へ足を踏み入れた。



「午戸兎さん!ちょっといいですか?」



「ああ。なんだ?」



午戸兎の姿を見つけ、近づきながら声をかけたのは、鑑識の一人だった。

「争った時に落としたのだと思いますが、色平さんの携帯が中央付近にある資材の隙間から見つかりました。ですが、変なんです。」



「何がだ?」



「発見時、午戸兎さんへの発信画面だったんです。かけた記録は残っていませんでしたから、かける前だったみたいですが………」



「何故俺に電話しようとしたか、か?」



「ええ。携帯には色平さんの微量ですが、血液も付着していました。念の為、救急隊員にも話を聞きましたが、色平さんは殴られて刺されたと。そして、殴られたのは位置的に背後から振り向きざまのようです。ですから…………」



「携帯を取り出している暇なんてないわね。」



「付着している血液が微量ってことは、殴られた時のものですよね。」



「何で、犯人に襲われる前に午戸兎さんにかけようとしたか………」



何故、色平が殴られる前にも関わらず、午戸兎へ連絡を取ろうとしたか。



その理由を、今この場にいる誰一人として、その理由を知る由しも無かった。




何故なら、散乱した資材と血溜まり以外、倉庫内には何も無かったのだから。

「それにしても、色平さんは何であの場所にいたんでしょうか?」



「家の方向みたいだけど、明らかに遠回りよね。」



一課へ戻った上郡達は、何故色平があの場所にいたか甚だ疑問だった。


戌籏の言う通り色平の家の方向ではあるが、かなり遠回りになる。


しかも、地元住民が近付かない場所でもある。



「あのー…………」


「はい?」



思考を巡らせていると、声が聞こえた。



「失礼します。私は、生活安全課の亥植と申します。」


「どうかしたのか?」



部屋に入ってきたのは、生活安全課に所属する亥植(イノウエ)と名乗る女だった。



「申し訳ありませんっ!!」



「い、いきなりどうしたの?頭を上げて?」



入るなり謝罪の言葉を口にし、頭を下げた亥植に、午戸兎達は訳が分からない。



「色平さんが倉庫近くで襲われたと聞いて………。全て、私のせいなんです!」



亥植は言う。

色平が襲われた原因は、自分にあると。

「あの倉庫付近で不審者が目撃されて警らが強化されたと、色平さんと会話している時に私が言ったんです。」



亥植にとっても、色平にとっても、その時には日常的な会話の中での一つに過ぎなかった。



「そしたら、『その辺は家の方向だし、帰る時にでも巡回してみる。時間も丁度良いと思うから。』って色平さん言ってくれて………。」


「けど、不審者は先日逮捕したと情報がありましたけど?」



蠍髪の疑問は最もだ。


不審者が逮捕された。

なので、巡回する必要は無くなった筈だ。



「はい、そうなんですが……。色平さんあの辺は暗いし、不審者目撃も度々あった場所だったので、警らは解除されると思うから巡回は続けてくれると。」


「なるほど。それで色平はあの場所にいたのか。」



不審者が逮捕されても危険な雰囲気を持ったあの場所が、色平は気になったらしい。




亥植の登場により、問題が一つ解決した。

「私があの時、不審者のことを口にしなければ……。巡回を断っていれば………。色平さんは襲われずに…………」



涙を耐えているのが、亥植は俯いたままだ。



「亥植、よく話してくれたな。もう業務に戻っていいぞ。」



「午戸兎さん、それはあまりにも………」



他人行儀だと、蠍髪は思う。



「生活安全課が捜査できる事案ではないだろう。それに、亥植。お前は何一つ、間違った事はしていない。色平もそう言うぞ。それと色平は襲われる前、俺に電話しようとしていたようだ。そこで何か俺に電話しなければならない事があったんだ。それが分かっただけでも前進している。お前が話してくれたおかげで、もっと前進したぞ。これは謝ることではない。寧ろ俺達が礼を言うべきことだ。」



「午戸兎さん……」



上郡には、午戸兎の言葉に込められた意味が身に染みて分かる。


過去を振り返ることは大切だ。

だけど、未来を見据えて今を変えていくことも大切だと。



「ホシは必ず逮捕する。」


「……はい!」



午戸兎の力強い言葉に、亥植も力強く返事をしたのだった。

雨が浚ったのは、土か、罪か

この日は、全国的に明け方からバケツをひっくり返したような雨が降って、風も強く吹いていた。



「うへー、びしょ濡れ~。さみ、タオル!」


「はぁ?それくらい自分でやりなさいよ。私、上郡の召し使いじゃないし。」



出勤……いや、家の玄関から出た瞬間から濡れていた。


それほど酷い雨と風だ。



因みに、出勤時殆ど濡れていなかったさみは、カッパを着て傘をさすというとても合理的な方法で出勤した。



「もう……。さみちゃんは相変わらず、上郡くんには厳しいんだから。はい、タオル。」


「ありがとうございます。戌籏さんはやっぱ優しいなぁ~。どっかの誰かさんとは大違い。」


「なんですって!?」



「鬱陶しい雨の日に、鬱陶しい会話をするな。」



「「す、すみません………」」



午戸兎は呆れたように、下らない会話を止める。


色平が襲われたあの日以来、捜査に対する上郡の態度は見違える様に変わった。



しかし、日常に関してはご覧の通りだ。


流石に、ナンパ的な言動はしていないが。

次の日、昨日とは打って変わって空は晴れ渡っている。

気持ちの良い陽気。


しかし、舞い込んだ事件は天気とは裏腹だった。



「山奥で見付かった遺体に、色平さんの指紋があったって本当なの?!」


「ああ。これが資料だ。」



午戸兎から渡された資料によると…………、



発見者は、今朝早く山菜取りへ出掛けた老夫婦。


昨日の雨で崩れたのだろう。

山は酷く荒れ、斜面には、流れたり落ちてきたりした枝が突き刺さっていた。


その中に、見えたのだ。

決してそこに存在してはいけない、人間の手が。



老夫婦はすぐに警察に通報し、捜査が開始された。


身元を証明するものを何一つ所持していない、20代~30代女性と思われる遺体。


捜査する過程で、鑑識が発見したのだ。


遺体に付着した、消えかけた指紋とごく僅かに付着した血液を。



指紋は、遺体の手首から。

血液は、遺体の衣服から。



土の中に遺体が埋められていたとはいえ、状態は良くは無かった。


それでも、見つけ出し判別出来たのは、鑑識の執念と言えよう。

「指紋を調べた結果、色平のものだと分かり、指紋から取れたDNAと血液のDNAを照合したら一致したそうだ。それで、こっちに回ってきた。」


「俺達が捜査出来るんですね!」



「ああ、まだ地取り途中らしからな。そこから引き継ぎだ。」



色平の事件の手掛かりが出たことと、捜査を引き継げるということに上郡は興奮し、そして身を引き締める。



「地取りで被害者が勤めていたと思われるキャバクラが判明している。上郡とさみ、行って来い。これが被害者の写真だ。」


「「了解!!」」



上郡と蠍髪は、キャバクラ諳鷲(アンジュ)へと向かった。



「こんにちは~」


「いらっしゃい、と言いたいところだけど、まだ開店前よ。しかも、女連れ?もしかして働きたいの?2人とも、顔はまあまあだけど。」



鍵のかかっていなかった扉を開け中に入ると、50代と思われる女性がいた。



「まあまあ?!まぁ、おばさんに比べたら大分マシよね。年齢差を差し引いても。」


「さ、さみっ!」



女の意地だろう、毒舌がいつもより酷い。


いつも軽いトーンの上郡も、少し焦る。

「威勢の良い子ね。そんなんじゃ、男は逃げるわよ。でも、面接に来たっていう感じじゃないわね。何の用かしら?」



蠍髪の毒舌もサラリと流す大人の態度は、伊達に夜の世界で生きていないということか。



「私は警視庁捜査一課の上郡です。こっちは蠍髪。この写真の女性がこちらで働いていたとの情報がありまして……ご存知ないですか?」



隣で顔を引きつらせている蠍髪を無視して、名乗りながら警察手帳を見せた後、写真を示す。



「あら、ミヤちゃんじゃない。」


「やっぱり、ご存知ですか?!」


「ええ。名前は確か………街狐!猫笹街狐よ。」



諳鷲のママ、鶇(ツグミ)により被害者の名前が判明した。



猫笹街狐(ネコサザ マチコ)

源氏名は、幼少より呼ばれていたあだ名のミヤ。


今年で三十路を向かえるらしい。

大学を卒業したものの、新卒で就職した会社を一年も経たずに退職。


その後は職を転々としていたが、数ヶ月前に諳鷲へ来たらしい。



鶇の言い方があやふやなのは、素性を語らない・探らない、がこの業界の特有らしく、街狐との日常会話からの推測によるものだからだ。

「けど彼女を探しているなら、ここにはいないわよ。数週間前から店には来てないから。」



「探しているんじゃないですよ。彼女、今朝早く、遺体で発見されたんです。私達はその捜査。」



端的に言う蠍髪に、目を見開く鶇。



「遺体って………。そう………。この業界は、出入りが激しい世界だから突然辞める子や来なくなる子は珍しくなくてね。気にもしていなかったんだけど。まさか、死んでいたなんて……」



余程ショックを受けたのだろう、鶇は力が抜けた様に少し顔を伏せる。



「殺人事件として捜査してるんです。他に何か思い出したことがありましたら、こちらにお電話下さい。」



「分かったわ。」


「ほんと、小さなことでもいいんで!」



名刺を鶇に渡し、上郡は重々お願いをする。



「ええ。早く犯人捕まえて頂戴ね。気にもしていなかった私が言うのもなんだけど、殺されるような子なんてこの世にいないと私は思ってるから。」



「分かっています。」



力強く頷き、上郡と蠍髪は、諳鷲を後にした。

刑事の威信と女の意地

「戻りました~」


「おお!上郡、さみ!良い知らせだ。」



上郡と蠍髪が一課へ戻ると、午戸兎と戌籏が何やら笑顔だ。



「今病院から連絡があって、色平さんの意識が戻ったって。」


「ほんとですか!?」


「マジですか!?」



2人は声をあげて喜ぶ。

特に上郡は体全身を使う勢いだ。



「色平!」


「午戸兎さん!戌籏さんに、さみちゃんも。」



病室の扉を開けると、起き上がった状態でベッドに凭れかかっている色平。



「良かったわ意識が戻って。」

「ほんとに!」



「ご心配をお掛けしました。」



そう言って頭を下げる色平。

頭と身体中に包帯が巻かれていて、顔色は少し白みがかっているものの、運び込まれた時よりは大分マシになっている。



「そんなところで何をしている?早く入れ、閉めれないだろう。」



「上郡さん………」



午戸兎に呼ばれて決まりが悪そうに病室へ入って来たのは、上郡だ。



「ごめんっ!!俺のせいでこんなことに。何でもするから!責任取るから!嫁に行けないとかなら、俺が貰うから!」

「……………………。」



目が点になる色平。



午戸兎は、頭に手を当て呆れ果て、

戌籏は苦笑い、

蠍髪に至っては、幻滅した様な表情だ。



90度以上に頭を下げている上郡本人に見えていないのは、幸いなのか。



「色々突っ込みどころはありますけど、一つだけ言うと上郡さんのせいではありません。私の単独行動が原因ですから。頭を上げて下さい。」



「し、色平~」



「それに、上郡さんは私と同じ階級です。責任が取れる立場にありません。」



「確かに~上郡に取れるような責任は無いね~」


「う、うるせーよ、さみ!」



いまいち責任の意味が分かっていない色平だが、ともかく何時もの雰囲気の部下3人にホッとする午戸兎と戌籏。



「責任は私にも言えることです。午戸兎さん、私が勝手に生活安全課のことに首を突っ込んだことが原因なんです。お騒がせして、申し訳ありません。」



「いや、その件は亥植から聞いている。亥植も心配していたぞ。それに、騒いでいたのは、上郡だけだ。もう大丈夫なんだ、気にするな。」