事件はきっとすぐそこに

警視庁 捜査一課

警察の花形と呼ばれる部署だ。


皆が一度は憧れるであろうの一課の部屋の前で、2人の男女が言い争っている。



「な、今度食事でも行こうぜ。親睦を深める為にさ~。なんなら今夜とか?なぁ、いいだろ?色平~」


「食事に行かなくても親睦を深めることは出来ます。それより上郡さん、そこを退いて下さい。通行の邪魔です。」



開いたドアに手を置き通せんぼ状態で、ナンパの様な口調のその男。

これでも一課に所属している。

名は上郡(カミゴオリ)。


髪色は落ち着いたブラウンだが癖っ毛を直そうともせず放置しネクタイも緩めに締めた、いかにもチャラい遊び人といった風貌。


流石にピアスやネックレスなどアクセサリー類は付けてはいないが、到底警察官には見えない。



一方、資料を抱えながらも上郡を冷静かつ毒舌気味に一蹴りした女。

こちらも一課に所属している。


名は色平(シキヒラ)。



髪色は一度も染めていない黒色でミディアムの髪には寝癖一つついてはいない、ブラウスの釦は第一まで留める真面目を絵に書いた様な風貌。



見た目も性格も、全く正反対の2人だ。

「上郡くん、いい加減退いてあげて。その資料、結構重いのだから。」


「そうよ。邪魔、役立たず、迷惑極まりない。視界から消えて。」



色平と上郡の声が聞こえた様で、部屋の中から2つの声がした。



上郡を注意したのは、戌籏(イヌハタ)。

一課のお局的存在だが、嫌味な感じは一切しない優しい先輩だ。


一方、上郡に色平以上の毒舌を浴びせたのは蠍髪(サソリガミ)。


3ヶ月前に一課へ配属になったキャリアで、現在警部補。



名前が長く可愛くないと言って、皆にはさみと呼んでもらっている。



「分かりました。ほら、半分貸せ。」


「ありがとうございます。」



「つか、さみ!なんなんだ、その3段活用みたいな言い方は。しかも、全部悪口じゃねーか!」



「悪口だけど、それが何か?」


「開き直るな!」



戌籏が言う通り見た目以上に重い資料を半分ずつ持ちながら色平と上郡は部屋に入る。


上郡は蠍髪へ文句を言ったが、あっさり開き直られ効果はなかった。

「なんだ、またか。毎日毎日懲りないな。」


「午戸兎さん。上郡を飛ばして下さいよ。こんな奴、一課にいらないですよ。」



呆れる様に現れたのは、上司である午戸兎(ゴトウ)。


顔は強面だが、罪を憎んで人を憎まず、そんな精神の優しい性格だ。



「こんな奴ってなんだよ!ってかちゃんと敬った感じで敬語使え!俺の方が年上で先輩だぞ。」


「階級は私の方が上だしぃ~」



そう。確かに階級は小馬鹿な態度の蠍髪の方が上だ。


午戸兎は現場叩き上げの警部。

戌籏も同じく叩き上げで警部補。


蠍髪は今年警察学校を出たばかりのキャリアで警部補。


色平と上郡はノンキャリアで、巡査部長だ。



「子供みたいな喧嘩は止めろ。上郡、色平を誘う暇があるならその資料纏めておけ。」


「え。マジっすか……」


「大真面目だ。」



「手伝いましょうか?この量は……」


「構わん。頭を冷やすのに丁度いい。しかも、お前が一緒じゃ意味がないだろ。」



資料の量が多いので色平が手伝いを申し出るも、午戸兎に止められてしまった。


結局、上郡は学生の居残りみたく一人で資料を纏める羽目になった。

色平は警視庁の一課へと続く廊下を、コンビニの袋を持って歩いていた。


手伝いは無理でも、差し入れぐらいは……と思ったのだ。


上郡がいくらチャラくても、取り敢えず言われた仕事はやる男だからだ。


まぁ、社会人として当然と言えば当然だが。



「…………………。」



部屋に入って色平は動きを止める。


何故なら、上郡が机に伏せて寝ていたからだ。


机にはパソコンと散乱した資料がそのままなので、纏めている最中に寝入ってしまったらしい。



「(寝るなら仮眠室使えばいいのに。ってか風邪引くし。)」



スーツの上着は隣の椅子に掛けてあって、上郡は薄いワイシャツ姿。


冷暖房完備とはいえ、人の疎らな時間にかけてはいない。


上着だけだと頼りないので、一旦部屋を出て仮眠室へ行き毛布を拝借した。


上郡に毛布を掛け、散らばった書類を少し片付けて差し入れの袋とメモを机に置く。



電気を少し落とし、色平は静かに部屋を後にした。

「(この時間も人通りが無い。)」



色平は帰宅する為に、人通りの少ない裏路地を歩いていた。


現在の時刻、午前1時。


良い子はとっくに寝ていて、悪い子は補導されていて、夜に働く大人以外あまりいない。


都会の喧騒と住宅地の静寂が極端過ぎる、そんな時間だ。



「(………ん?)」



街灯も少ない暗闇に人影があった。


人がいるだけならまだいいのだが、その人影は違った。



「(フルフェイス………)」



その人影は街灯や月明かりがなければ闇に溶け込んでしまう、全身真っ黒なライダースーツの様な格好。


しかも、フルフェイスときた。

バイクもその人影の近くには見当たらない。



刑事の勘…………でなくても分かる、怪しい人物だ。



「(後付けて、職質決定。)」



周囲を窺いながら身を隠す様に歩く人影に、取り敢えず後を付けることにした。



「(こんな所に階段……)」



人影を追い入り組んだ路地を奥へと進むと、周りに草木が生い茂る階段に辿り着いた。


50ほどある上り階段で、上には横に細長い建物が見える。



人影は階段を上っていた。

「(…………どこに行った?)」



階段を上りきったところで、人影を見失ってしまった。



「(見た目、長年使われていない倉庫といった感じだけど。ヤクの取引とか?……にしては、人気が無さすぎよね。)」



気配や影に注意しながら、倉庫内を探ることにした。


寂れた外観と相違なく、中も同じで錆びた鉄の匂いがする。


割れた窓から射し込む月明かりが、資材が乱雑に置きっぱなしの倉庫内を淡く照らす。



「(……?何あれ?)」



目を凝らしながら慎重に見回していると、倉庫の中心より少し奥に両脇を資材に挟まれる形で布が被さった何かがあった。


倉庫内の他のものに比べて真新しそうなその布。


近付いてみると………………



「(足!!?)」



布からはみ出していたのは、赤いヒールを履いた女性の左足だった。



「(冷たい…………もう亡くなっている。)」



布を取って見ると、20代~30代と思われる女性が横たわっていた。


死亡してから時間が経っているのだろう、触れた女性の身体は冷たかった。

「(とにかく、午戸兎さんに連絡しないと………)」



携帯を取り出して、午戸兎の電話番号を表示しようと視線を下に落とす。




その時、背後から照らす月明かりが『何か』に遮られる。



「ぃ゛っっ………――!!!」



『何か』に振り向きざまに硬い物で左前頭部を殴られ、弾みで手から携帯が飛び暗闇に消えた。


衝撃でよろけた為、右脇の資材に突っ込む様にぶつかり資材の金属の音が派手に響き渡った。



「フル…フェイス………!!」



遮った『何か』は、追っていたはずの、フルフェイスの人影だった。



殴ったであろう鉄パイプはフルフェイスの人物の手から離れ、血が付いた状態で視界の左端にあった。



「なっ…………!!」



鉄パイプを見た一瞬の間にフルフェイスの人物の右手にはナイフが握られている。


次の瞬間には、フルフェイスが目の前にあった。

「ぐっっつっ………――――」



脇腹に刺さったナイフをフルフェイスごと右方向へ振り払う。



「(と、に、かく…逃げ、ないと………)」



渾身の力で振り払った為、フルフェイスの人物は散らばった資材に突っ込み倒れ込んだ。



殴られ刺され、応援も呼べない状態では取り敢えず安全を確保しなければならない。



フルフェイスの人物が倒れ込んだ方向とは逆、つまり左方向へと歩みを進める。


左方向にはもう一つあるのか、入って来たところと同じ様な扉があり開けっ放しのそこからは外にある生い茂る草木が見える。




ただ殴られた頭と立て続けに刺された脇腹からは血が溢れ、歩く度に血溜まりが出来ていた。



急ごうとするものの、脳震盪と大量の出血の為に視界は揺らぎ、足元は覚束ない。





やっとの思いで辿り着いた倉庫の外。


月が雲に隠れる寸前、背後に『追い掛けてくる人の気配』。



気配に気を取られ、気付かなかった。



後退りした場所に、地面が無いことに……………

「………くん、おりくん。………上郡くん!」


「ん…ぁ……???戌籏さん……?」



「よく寝ていたわね。もう朝よ。」



「!!!……朝ぁ!!?」



戌籏に揺さぶられ、バッと、効果音が付くかの如く毛布を落としながら立ち上がり目を覚ました上郡。


机の状態は色平が来た時のまま。


つまりあの後も起きず、寝入っていたということだ。



「朝っぱらから叫ばないでよ。」



「だから敬語を使えってーの!」



嫌そうに上郡を一瞥した後、蠍髪は無言で席に付く。



「無視すんじゃねーよ!」



「上郡くん、怒っている場合じゃないわ。ほら……」


「これ………」



戌籏は指差す先には、色平が置いていった差し入れの袋。


側にあるメモには……………、



‐気持ちよさそうに寝ていたので起こしませんでした。
よかったら食べて下さい。
無理そうなら明日手伝うので言って下さい。
それと、風邪をひくので、寝るなら仮眠室にして下さい。  色平‐

「色平さん来たみたいね。この毛布も多分。」


「マジかー………起こしてくれりゃいいのに~」


「へえ~。余程気持ちよさそうに、寝・て・た・ん・だぁ~」



しくじったと落ち込む上郡に、自業自得だと蠍髪は楽しそうに言う。



「うるせ―…………」



「取り敢えず食べたら?せっかくだし。」


「取り敢えず、そうします……」



蠍髪の口撃に反論する声にも元気が無くなったが、戌籏の促され上郡は差し入れを食べることにした。



「(俺の好物………)」



差し入れの袋の中身は、近くにあるコンビニで大人気商品のおにぎりと、栄養素満点の野菜ジュースだ。



「(んだよ……なんで覚えてんだよ。)」



どちらも上郡の好物で、昼ご飯に食べていたり、色平にペラペラ話したりしていた。


しかし、一緒に食べたことは一度もないし、話しかけてもあしらわれていた。


なので色平が覚えていたことに、ちょっぴり照れくさかった。

責任は俺がとる

「大変なことになった!」



「午戸兎さん、どうしたんですか?そんなに慌てて……」



上郡が差し入れを食べ終わって少し休憩していたら、午戸兎が慌てて部屋に入ってきた。



「色平が襲われた。」



「「「!!!!」」」



「色平さんの状態は?」


「今、手術中だ。」



色平が襲われたと午戸兎から言われ、皆、狼狽する。



「午戸兎さん、どこの…どこの病院ですか!?」



「落ち着け、上郡!病院は……ちょっと待て。病院からだ。」



上郡は病院に向かおうと午戸兎に詰め寄るが、病院の名を口にした直後に午戸兎の携帯へ病院から着信が入る。



「はい……、はい。分かりました、ありがとうございます。」



「し、色平さんは?」



「手術は成功したそうだ。」


「そう!良かったわ!」



成功と聞き、皆安堵の表情だ。

「ただ、出血と内臓の損傷がかなり酷かったらしく……………覚悟は、しといた方がいいそうだ。」



「え?ち、ちょっと!上郡!!?」



午戸兎の言葉を聞き、上郡は駆け出した。



「さみちゃん、行かせてあげて。」



追い掛けようとする蠍髪を、戌籏は諭す様に止める。







病院に駆け込んだ上郡が案内されたのは、ICU。


所謂、集中治療室。



透明な窓越しに上郡が見たのは、様々な医療機器に繋がれた色平。



目は固く閉じられ、口には酸素マスク。

頭には包帯が巻かれ、一命をとりとめたのが奇跡というのがよく分かる。



「(色平………………)」



上郡は自分を責めた。



色平が差し入れを持ってきてくれていた時、起きていれば。


言われたことだけやればいいと思って、手を抜かなければ。



堅苦しいのは嫌いで、ふざけて適当に。

彼女を作ったって浮気がバレて即サヨナラ。


警察官になったのも、モテそうだったから。


それでいいと思っていた。


今が楽しければ。

人生一度きりなのだからと。

そんな軽く生きてきた自分を、これほど否定したかったことはない。



「上郡。」



上郡を追ってきた午戸兎が声をかけるも、上郡は色平を見つめたままだ。



「自分を責めるか?それもいい。お前が真面目にしていれば結果は違っていたかもしれんからな。仕事に対しても、色平に対しても、な。」



午戸兎の辛辣な言葉。


今の上郡には全てが事実、返す術が無かった。



もしも………、なんて有りはしないのに、何故考えてしまうのだろうか。



「戌籏とさみは現場に向かった。俺達も行くぞ。」



午戸兎は捜査の為、現場に向かおうと上郡を促すが、上郡は微動だにしない。



「………上郡。人生の先輩として一つ言っておく。どれだけ想ったって、怪我は治らん。どれだけ後悔したって、現実は変わらん。どれだけ完璧にしようとしたって、失敗する時はする。だがな、良い方向にも悪い方向にも、人間は賢い。それをどう活かすかは、己次第だ。変わる気があるなら来い。何処までも面倒ぐらいみてやるさ。」

「……午戸兎しゃん………」



「酷い顔だな。だが、自らの手で捜査して犯人を逮捕出来るなんて、刑事の特権だろうが。お前のことは俺が責任持つ。色平のことはお前が責任を持て。」


「はい!」



午戸兎の厳しくもとってもあたたかい言葉に、意図せず上郡は目頭が熱くなった。



車を回すと先行く午戸兎の後に続き一歩踏み出して、少しだけ振り返る。



「(色平……………)」



相も変わらず、色平は白い部屋に寝たまま。



「(変われるかは分かんないけど、変わろうと努力するからさ。俺の人生には、色平が必要なんだ。色平の人生にも、俺が必要だって思ってもらえるようにするからさ。だから、)」



だから、必ず―――――………





乱れた髪と服装を整え、緩めていたネクタイを締める。



行くべき方向へあげた上郡の顔に、もう迷いなどありはしなかった。

「戌籏!さみ!」


「「午戸兎さん!」」



「上郡くんも。色平さんは……」


「捜査が、今の俺のやるべきことですから。」


「ということだ。」



上郡の顔つきと午戸兎の言い方から、2人の間に何かあったのだろう。


それも、良いことが。



突き詰めたところで、それは野暮。


戌籏と蠍髪は、お互いに頷くと何も言わなかった。



「状況は?」


「先に臨場した所轄によると、第一発見者は新聞配達員よ。遅刻しそうになって、近道であるこの道を通って色平さんを発見したと。」



「普段は絶対通らないって言ってました。この付近は地元住民さえも滅多に近付かない場所のようですから。上にある倉庫の持ち主の建設会社が倒産してからは無法地帯だったらしく、不審者も度々目撃され警らを強化していました。しかし、先日不審者が逮捕され警ら強化を解除したばかりだったそうです。」



「ある意味偶然が重なったな。」



それも、良い偶然と悪い偶然の両方が。

「階段から落ちたのか?かなり血が………」



目の前にある倉庫へと続く階段には、かなりの量の血がほぼ全ての段に飛び散っている。



色平が倒れていたであろうこの場所にも、血溜まりが出来ていた。

しかし、階段の方が、量が多い気がする。

特に上の方が。



「上、行ってみる?」


「さみちゃん、今の上郡くんには………」



「戌籏さん。俺は大丈夫ですから。」



蠍髪と戌籏は現場に到着した時に鑑識が作業中であった為外からではあるが、倉庫内の様子も見ている。



今の上郡には辛すぎると思い止める戌籏にも、上郡はそれを暗に断った。



「さみ、連れてってやれ。」


「分かりました。上郡、こっち。」



目の前の階段、つまり倉庫の東側は血を踏むといけないので、正面に当たる階段、つまり倉庫の南側より警察関係者は上がることにしている。



倉庫は西から東への長方形。


窓は南側にしかなく、出入口は南側に位置している大きな正面扉と東側に位置している作業員用の小さい扉しかない。



「こ、れは……………」



太陽が照らす倉庫内で、上郡が見たもの。


それは…………

「(へ~、結構根性はあるんだ。午戸兎さんに感謝しなきゃ。)」



倉庫内を凝視し、耐える様に握った拳が震える。


そんな姿の上郡を横目に、蠍髪はそう思った。


今までならば、こういう現場だと、ひでーだの、あり得ねーだの、少なからず騒いでいたからだ。



午戸兎とのやりとりで、少し成長したらしい。




倉庫内の状況といえば、大方作業は終わったのだろう。

鑑識の数は疎らだ。



散乱した資材、特に乱れた場所は倉庫の中央付近。


酸化して赤黒くなった血は、そこから東側へ倉庫の外まで続いている。



「かなり争ったみたいだな。」


「そのようね。ただ争った割には、犯人に繋がるような証拠はまだ見つかっていないわ。」



戌籏の案内で、午戸兎も倉庫へ足を踏み入れた。



「午戸兎さん!ちょっといいですか?」



「ああ。なんだ?」



午戸兎の姿を見つけ、近づきながら声をかけたのは、鑑識の一人だった。

「争った時に落としたのだと思いますが、色平さんの携帯が中央付近にある資材の隙間から見つかりました。ですが、変なんです。」



「何がだ?」



「発見時、午戸兎さんへの発信画面だったんです。かけた記録は残っていませんでしたから、かける前だったみたいですが………」



「何故俺に電話しようとしたか、か?」



「ええ。携帯には色平さんの微量ですが、血液も付着していました。念の為、救急隊員にも話を聞きましたが、色平さんは殴られて刺されたと。そして、殴られたのは位置的に背後から振り向きざまのようです。ですから…………」



「携帯を取り出している暇なんてないわね。」



「付着している血液が微量ってことは、殴られた時のものですよね。」



「何で、犯人に襲われる前に午戸兎さんにかけようとしたか………」



何故、色平が殴られる前にも関わらず、午戸兎へ連絡を取ろうとしたか。



その理由を、今この場にいる誰一人として、その理由を知る由しも無かった。




何故なら、散乱した資材と血溜まり以外、倉庫内には何も無かったのだから。

「それにしても、色平さんは何であの場所にいたんでしょうか?」



「家の方向みたいだけど、明らかに遠回りよね。」



一課へ戻った上郡達は、何故色平があの場所にいたか甚だ疑問だった。


戌籏の言う通り色平の家の方向ではあるが、かなり遠回りになる。


しかも、地元住民が近付かない場所でもある。



「あのー…………」


「はい?」



思考を巡らせていると、声が聞こえた。



「失礼します。私は、生活安全課の亥植と申します。」


「どうかしたのか?」



部屋に入ってきたのは、生活安全課に所属する亥植(イノウエ)と名乗る女だった。



「申し訳ありませんっ!!」



「い、いきなりどうしたの?頭を上げて?」



入るなり謝罪の言葉を口にし、頭を下げた亥植に、午戸兎達は訳が分からない。



「色平さんが倉庫近くで襲われたと聞いて………。全て、私のせいなんです!」



亥植は言う。

色平が襲われた原因は、自分にあると。

「あの倉庫付近で不審者が目撃されて警らが強化されたと、色平さんと会話している時に私が言ったんです。」



亥植にとっても、色平にとっても、その時には日常的な会話の中での一つに過ぎなかった。



「そしたら、『その辺は家の方向だし、帰る時にでも巡回してみる。時間も丁度良いと思うから。』って色平さん言ってくれて………。」


「けど、不審者は先日逮捕したと情報がありましたけど?」



蠍髪の疑問は最もだ。


不審者が逮捕された。

なので、巡回する必要は無くなった筈だ。



「はい、そうなんですが……。色平さんあの辺は暗いし、不審者目撃も度々あった場所だったので、警らは解除されると思うから巡回は続けてくれると。」


「なるほど。それで色平はあの場所にいたのか。」



不審者が逮捕されても危険な雰囲気を持ったあの場所が、色平は気になったらしい。




亥植の登場により、問題が一つ解決した。

「私があの時、不審者のことを口にしなければ……。巡回を断っていれば………。色平さんは襲われずに…………」



涙を耐えているのが、亥植は俯いたままだ。



「亥植、よく話してくれたな。もう業務に戻っていいぞ。」



「午戸兎さん、それはあまりにも………」



他人行儀だと、蠍髪は思う。



「生活安全課が捜査できる事案ではないだろう。それに、亥植。お前は何一つ、間違った事はしていない。色平もそう言うぞ。それと色平は襲われる前、俺に電話しようとしていたようだ。そこで何か俺に電話しなければならない事があったんだ。それが分かっただけでも前進している。お前が話してくれたおかげで、もっと前進したぞ。これは謝ることではない。寧ろ俺達が礼を言うべきことだ。」



「午戸兎さん……」



上郡には、午戸兎の言葉に込められた意味が身に染みて分かる。


過去を振り返ることは大切だ。

だけど、未来を見据えて今を変えていくことも大切だと。



「ホシは必ず逮捕する。」


「……はい!」



午戸兎の力強い言葉に、亥植も力強く返事をしたのだった。

雨が浚ったのは、土か、罪か

この日は、全国的に明け方からバケツをひっくり返したような雨が降って、風も強く吹いていた。



「うへー、びしょ濡れ~。さみ、タオル!」


「はぁ?それくらい自分でやりなさいよ。私、上郡の召し使いじゃないし。」



出勤……いや、家の玄関から出た瞬間から濡れていた。


それほど酷い雨と風だ。



因みに、出勤時殆ど濡れていなかったさみは、カッパを着て傘をさすというとても合理的な方法で出勤した。



「もう……。さみちゃんは相変わらず、上郡くんには厳しいんだから。はい、タオル。」


「ありがとうございます。戌籏さんはやっぱ優しいなぁ~。どっかの誰かさんとは大違い。」


「なんですって!?」



「鬱陶しい雨の日に、鬱陶しい会話をするな。」



「「す、すみません………」」



午戸兎は呆れたように、下らない会話を止める。


色平が襲われたあの日以来、捜査に対する上郡の態度は見違える様に変わった。



しかし、日常に関してはご覧の通りだ。


流石に、ナンパ的な言動はしていないが。

次の日、昨日とは打って変わって空は晴れ渡っている。

気持ちの良い陽気。


しかし、舞い込んだ事件は天気とは裏腹だった。



「山奥で見付かった遺体に、色平さんの指紋があったって本当なの?!」


「ああ。これが資料だ。」



午戸兎から渡された資料によると…………、



発見者は、今朝早く山菜取りへ出掛けた老夫婦。


昨日の雨で崩れたのだろう。

山は酷く荒れ、斜面には、流れたり落ちてきたりした枝が突き刺さっていた。


その中に、見えたのだ。

決してそこに存在してはいけない、人間の手が。



老夫婦はすぐに警察に通報し、捜査が開始された。


身元を証明するものを何一つ所持していない、20代~30代女性と思われる遺体。


捜査する過程で、鑑識が発見したのだ。


遺体に付着した、消えかけた指紋とごく僅かに付着した血液を。



指紋は、遺体の手首から。

血液は、遺体の衣服から。



土の中に遺体が埋められていたとはいえ、状態は良くは無かった。


それでも、見つけ出し判別出来たのは、鑑識の執念と言えよう。

「指紋を調べた結果、色平のものだと分かり、指紋から取れたDNAと血液のDNAを照合したら一致したそうだ。それで、こっちに回ってきた。」


「俺達が捜査出来るんですね!」



「ああ、まだ地取り途中らしからな。そこから引き継ぎだ。」



色平の事件の手掛かりが出たことと、捜査を引き継げるということに上郡は興奮し、そして身を引き締める。



「地取りで被害者が勤めていたと思われるキャバクラが判明している。上郡とさみ、行って来い。これが被害者の写真だ。」


「「了解!!」」



上郡と蠍髪は、キャバクラ諳鷲(アンジュ)へと向かった。



「こんにちは~」


「いらっしゃい、と言いたいところだけど、まだ開店前よ。しかも、女連れ?もしかして働きたいの?2人とも、顔はまあまあだけど。」



鍵のかかっていなかった扉を開け中に入ると、50代と思われる女性がいた。



「まあまあ?!まぁ、おばさんに比べたら大分マシよね。年齢差を差し引いても。」


「さ、さみっ!」



女の意地だろう、毒舌がいつもより酷い。


いつも軽いトーンの上郡も、少し焦る。

「威勢の良い子ね。そんなんじゃ、男は逃げるわよ。でも、面接に来たっていう感じじゃないわね。何の用かしら?」



蠍髪の毒舌もサラリと流す大人の態度は、伊達に夜の世界で生きていないということか。



「私は警視庁捜査一課の上郡です。こっちは蠍髪。この写真の女性がこちらで働いていたとの情報がありまして……ご存知ないですか?」



隣で顔を引きつらせている蠍髪を無視して、名乗りながら警察手帳を見せた後、写真を示す。



「あら、ミヤちゃんじゃない。」


「やっぱり、ご存知ですか?!」


「ええ。名前は確か………街狐!猫笹街狐よ。」



諳鷲のママ、鶇(ツグミ)により被害者の名前が判明した。



猫笹街狐(ネコサザ マチコ)

源氏名は、幼少より呼ばれていたあだ名のミヤ。


今年で三十路を向かえるらしい。

大学を卒業したものの、新卒で就職した会社を一年も経たずに退職。


その後は職を転々としていたが、数ヶ月前に諳鷲へ来たらしい。



鶇の言い方があやふやなのは、素性を語らない・探らない、がこの業界の特有らしく、街狐との日常会話からの推測によるものだからだ。

「けど彼女を探しているなら、ここにはいないわよ。数週間前から店には来てないから。」



「探しているんじゃないですよ。彼女、今朝早く、遺体で発見されたんです。私達はその捜査。」



端的に言う蠍髪に、目を見開く鶇。



「遺体って………。そう………。この業界は、出入りが激しい世界だから突然辞める子や来なくなる子は珍しくなくてね。気にもしていなかったんだけど。まさか、死んでいたなんて……」



余程ショックを受けたのだろう、鶇は力が抜けた様に少し顔を伏せる。



「殺人事件として捜査してるんです。他に何か思い出したことがありましたら、こちらにお電話下さい。」



「分かったわ。」


「ほんと、小さなことでもいいんで!」



名刺を鶇に渡し、上郡は重々お願いをする。



「ええ。早く犯人捕まえて頂戴ね。気にもしていなかった私が言うのもなんだけど、殺されるような子なんてこの世にいないと私は思ってるから。」



「分かっています。」



力強く頷き、上郡と蠍髪は、諳鷲を後にした。

刑事の威信と女の意地

「戻りました~」


「おお!上郡、さみ!良い知らせだ。」



上郡と蠍髪が一課へ戻ると、午戸兎と戌籏が何やら笑顔だ。



「今病院から連絡があって、色平さんの意識が戻ったって。」


「ほんとですか!?」


「マジですか!?」



2人は声をあげて喜ぶ。

特に上郡は体全身を使う勢いだ。



「色平!」


「午戸兎さん!戌籏さんに、さみちゃんも。」



病室の扉を開けると、起き上がった状態でベッドに凭れかかっている色平。



「良かったわ意識が戻って。」

「ほんとに!」



「ご心配をお掛けしました。」



そう言って頭を下げる色平。

頭と身体中に包帯が巻かれていて、顔色は少し白みがかっているものの、運び込まれた時よりは大分マシになっている。



「そんなところで何をしている?早く入れ、閉めれないだろう。」



「上郡さん………」



午戸兎に呼ばれて決まりが悪そうに病室へ入って来たのは、上郡だ。



「ごめんっ!!俺のせいでこんなことに。何でもするから!責任取るから!嫁に行けないとかなら、俺が貰うから!」

「……………………。」



目が点になる色平。



午戸兎は、頭に手を当て呆れ果て、

戌籏は苦笑い、

蠍髪に至っては、幻滅した様な表情だ。



90度以上に頭を下げている上郡本人に見えていないのは、幸いなのか。



「色々突っ込みどころはありますけど、一つだけ言うと上郡さんのせいではありません。私の単独行動が原因ですから。頭を上げて下さい。」



「し、色平~」



「それに、上郡さんは私と同じ階級です。責任が取れる立場にありません。」



「確かに~上郡に取れるような責任は無いね~」


「う、うるせーよ、さみ!」



いまいち責任の意味が分かっていない色平だが、ともかく何時もの雰囲気の部下3人にホッとする午戸兎と戌籏。



「責任は私にも言えることです。午戸兎さん、私が勝手に生活安全課のことに首を突っ込んだことが原因なんです。お騒がせして、申し訳ありません。」



「いや、その件は亥植から聞いている。亥植も心配していたぞ。それに、騒いでいたのは、上郡だけだ。もう大丈夫なんだ、気にするな。」

「そうよ。色平さんが無事だったんだもの。それが一番よ。」



「戌籏さん……。ありがとうございます。」



4人の顔を見回し、色平は微笑えんだ。



「医者はなんて言ってるの?どれぐらいで退院とか?」



「退院はまだ分からないけど、脳波に異常はみられなかったし、術後の経過も良好って言われたから、怪我は問題ないよ。けど………」


「けど?」



「襲われた時の記憶が曖昧なんです。医者は、逆行性健忘だと。」



「逆行性健忘………」



逆行性健忘とは、外的要因や病的要因により記憶の一部がスッポリ抜けてしまう記憶障害のことを指す。



色平の場合、強い力で殴られたことにより、襲われた時の記憶が抜けているらしい。



「看護師から聞いて、発見された場所にいた理由は覚えています。亥植さんからの情報で、不審者がいないか巡回していたからです。でも、何故こんな怪我をしたのか、それが分からないんです。怪我をみても相当酷いことになっているのは、分かるんですけど……」

「じゃこの女性のことも覚えていない?山で今朝、遺体で見つかった、猫笹街狐っていうキャバ嬢で、色平さんの指紋とDNAが検出されたんだけど。」


「………ううん。分からない。」


「俺に電話をかけようとしていたこともか?」



蠍髪は街狐の写真を見せ、午戸兎が尋ねるも、どちらも色平の答えはNOだった。



「すみません………」



「色平さんが謝ることじゃないわ。記憶喪失は思い出そうとすると駄目って聞くし、無理しないで。今は身体を治すことだけ考えて?」


「ありがとうございます。」



目覚めた直後ということで、尋ねたいことはまだまだあったが、午戸兎達は今日はここらへんで切り上げた。


手掛かりになる重要な部分の記憶が喪失しているとはいえ、色平の身体が異常もなく快方へ向かっていることはとても喜ばしいことであった。

「色平さん、本当にごめんなさい!」



「頭を上げて、亥植さん。貴女のせいじゃないよ。」


「ありがとう。それ、午戸兎さんにも言われました。」



「良い上司でしょ?」


「うん。とっても。」



笑い合う2人。



亥植は、色平の病室へと赴いていた。


戌籏より、色平の意識が回復したと聞いたからだ。



「でも、記憶喪失なんて………よっぽど強い力だったのね。」



包帯の巻かれている色平の頭を、亥植は労る様に優しく撫でる。



「気にしないで。あ、そうだ。あの辺どう?私が寝ている間、事件起きてない?」



「起きてないよ。まだ現場保存されているし、前々からあった住民からの取り壊しの要望なんだけど、通りそうなの。区長も残忍な事件だって思ったみたい。現場保存が解かれて許可が下りたら、正式決定が出るって。」



「そう。良かった!」



「それに、街灯も設置するそうよ。」


「あの辺、暗すぎるもんね。」



事件は起きない方が良いが、起きてしまった時、その後どうするかがとても大切だ。


区長の決断と住民の行動が、あの倉庫周辺の未来を変えたといえよう。

「ねぇ、一つ聞きたいんだけど………」


「なに?」



「上郡さんとは上手くいったの?」



「なんで?何のこと?」



亥植の口から飛び出した名前に、色平は意味が分からないと首を傾げる。



「だって、上郡さんが色平さん口説いていることは周知のことだし。多分色平さんが運び込まれた時だと思うけど、物凄い勢いで出ていったのも覚えてるし。その後、なんか前と雰囲気違って見えたし。落ち込んでる風には見えなかったから、上手くいったのかと………」



「口説かれていた………??」



亥植から言われた言葉は、色平にとって身に覚えが全くないものだった。



「……………え?自覚無し?」



ますます首を傾げる色平に、亥植は唖然とする。



「そーいえば、自分のせいで私が怪我したって謝られた時、責任取るとか、嫁に貰うとか言ってたけど………てっきり、私を庇ってくれたか、励ましの冗談かと。」



「じ、冗談じゃないよ!上郡さん本気だよ!(ってゆうか、冗談で言わないよー)」


「そう、なんだ…………」



熱くなりながら言う亥植にも、気のない返事をする色平だった。

「現場に行きたい?」


「はい。体調も大分回復してきていますし、付き添い有りで1時間程度なら外出しても良いと許可が出たので。」



色平は病院に設置されている公衆電話から、午戸兎へと電話をかけていた。



「俺達は良いが…まぁ、医者が言うなら大丈夫だろうが、無理はしないでくれよ。折角、治ってきているんだから。」


「分かってます。」



現場を見れば、霧がかかったようなこの記憶にも晴れる兆しがあるのではないか。


そう思い、医者にちょっとだけ、ほんのちょっとだけ押し切った形で外出許可を貰った。



「ここが、私が倒れていた場所……」



色平は、上郡と蠍髪と共に現場に来ていた。



「確かにここら辺は巡回していたところだけど、ここまで奥には入ったことは一度もないんだけど。」


「奥まったところだからねー。巡回にしてはやりすぎ感あるし。」



覚えている巡回の範囲まで戻ることにした。


自力で歩けるものの、頼りは松葉杖。



病院内での移動は基本的に車椅子だが、細かい道や階段がある現場周辺を見るのには逆に不便という結論になった為、行動しやすい松葉杖を借りてきた。

「ここまで来ると人通りがあるんだな。」


「ほんと、ちょっとの差ね。」



巡回範囲の開始付近。

大通りから1本入った、住宅が軒を連ねる一方通行道。


抜け道にもなっているので、通勤時間帯でなくてもちらほら人通りはある。



しかし倉庫周辺は、資材を運ぶ為だろうか。

車が1台通れる広さはある道だが、連ねている全ての住宅の裏手に当たり人通りも明かりもほとんど無い。



いかに色平を見付けた新聞配達員の存在が、どれほど貴重だったか良く分かる。



「あ、バイク。俺も高校の時憧れたなぁ。特に白バイ。キツそうで止めたけど。」


「あんたの憧れなんてどうでもいいのよ!」



上郡と蠍髪が言い合っている内に、3人の脇を通り過ぎたバイク。



「バイク……………」



「え?色平、もしかしてバイク好き?マジで?俺、免許持ってないんだけど…」


「だから、どうでもいいんだって!」



2人の会話も耳に届かないくらい、色平は後ろ姿のバイクを見つめる。



小型で黒い色をして、フルフェイスのメットを被った人が乗ったバイクを。

「バイク…………黒………人……………フルフェイス!!!」



「色平っ!!?」



ブツブツ一人言を呟いていたと思ったら、声をあげ歩き出した。



突然のことに驚いた上郡と蠍髪だが、先々行く色平にも驚く。


火事場の馬鹿力並みだ。



「色平!一体何処に……」



色平が向かっているのは倉庫の方向だが、落ちたところとは違う南の正門方向だ。



「はぁ…はぁ……はぁ………」



勢いよく歩き階段を一気に登ったせいで、色平の息はあがっている。



「色平さん!大丈夫?」


「全く、無理しないでくれよー。」



色平を見て2人は心配で声をかけるも、倉庫を見つめる当の本人には聞こえていないようだ。



「思い出した………」


「え?」



「私、フルフェイスを追ってここまで来たんだ。」


「フルフェイスって、ヘルメットの?」



「そう。夜中にフルフェイスでいる人影見付けて、職質しようと思って後付けたの。そしたらここまで来て見失ったから、薬物の取引とかだと思って倉庫内探ろうとして中に入った…………」

「それで………それで………」



探る様に、倉庫内と己の記憶を照らし合わせる。


倉庫内は現場保存は解除されたが、今のところそのままだ。



「こ、こで………、足……!!さみちゃん、誰か女性知らないかって言ってなかった?!」



「うん。この女性。」


「この女性(ヒト)だ……」



蠍髪が見せた写真の女性と、色平の見た女性が一致する。



「猫笹街狐を知ってるのか?」


「知りません。けど、遺体はここにあった。私が見付けて、午戸兎さんに連絡しようとして………」


「「「殴られた!!!」」」



3人の声が重なる。



「なるほど~猫笹街狐に付着していた指紋と血液は、ここで、だったのね。」



指紋は脈をみる為、血液は殴られた時に飛んだものだった。



「遺体を見付けたから、午戸兎さんに電話か………。謎が段々解けてきた!」



?(疑問)が、!(確信)に変わる。



「怪我からみて、殴られて刺されたってことは、犯人は複数ってこと?」



単独犯人で凶器を変えることは今まであまりないのだが、前例が無い事が起きるのが犯罪というものだ。

「違う。多分単独。落ちる間際、階段らへんで振り返った時、1人しか確認出来なかったし。…………犯人は凶器を変えた。理由は分からないけど。」


「確実に殺す為ってか?」



犯人が色平を殴った凶器は、倉庫にあった鉄パイプ。


色平が刺された刃物は、傷口からみて小型でナイフの様な形状。


だが、刺した凶器は、現場からも周囲からも見付かっていない。

現場にも同じ形状の刃物らしきものも見付かっておらず、犯人が所持していたものを使い持って帰ったと思われる。


それは、つまり、理由が護身用であっても犯人が誰かを傷付けるという目的は明確だ。


それが、銃刀法違反の刃渡りの長さなら尚更だ。



「っっ……………―――――」


「色平?大丈夫か?時間も時間だ。今日はここまでにしよう。」



浅く息を繰り返して何とか立っていた色平は、思い出したことで興奮し体を動かしすぎたのか見た目の辛さが増している気がする。


医者に許可を取った時間も迫っているということで、上郡は切り上げることにした。

病院に戻ってきた色平と上郡。

珍しく空気を読んだ蠍髪は、午戸兎に色平が思い出したことについて報告に一課へ戻った。



「ありがとうございます。」


「いや、別に。」



一人で歩くのが辛そうだと、色平は車まで支えてもらい、病院に着いてからは車椅子を、上郡に押してもらっていた。



「一つ、聞きたいことがあるんですけど。」


「なに?」



「上郡さんは、私を口説いていたんですか?」



「!!!???」



「やっぱり違いますよね?亥植さんから聞いたんですど、彼女の勘違いですね。ごめんなさい、変なことを聞いて。」



「あ…えっと……その……」



「お付き合いするなら、結婚前提でないといけませんし、結婚するなら相手は多分警察辞めて欲しいと思いますが、私まだ警察続けたいですし。」



「………………。」



昭和の時代?

それでも恋愛結婚あったよな?



一昔以上前の感覚を持っているらしい色平に、上郡は言葉が出なかった。



「そもそも上郡さんとじゃ私は釣り合いません。」



色平はあっけらかんと言う。

自分に好意が向いているとは微塵も思っていない様だ。

「上郡さん。もう戻って大丈夫ですよ。張り付いていなくても、大人しくしときますから。」



犯人への手掛かりを思い出し無理した自覚があったので、後は療養するから心配しなくてしなくていいと告げる。



「(世の中に、俺の言葉が届かない人がいるなんて……)」


「上郡さん?」



色平は呼び掛けるが、自分の世界に入ってしまった上郡には聞こえていない。



「色平。結婚前提なら付き合うってことだよな?」


「まあ……はい。」



突然尋ねられた意味は分からないが、考えはその通りなので一応答える。



「よし!(言うしかねぇな!)」



上郡は、気合いを入れながら立ち上がる。



「色平!好きだ。結婚を前提に俺と付き合って下さい!警察は辞めなくていい。俺の人生には色平が必要なんだ。だから、色平の人生にも俺が必要だって思ってもらえるように頑張るから。まず犯人逮捕してみせるから。絶対好きと言わせてみせるから!」



「…………………え?」



返事も何も聞かずに、言うだけ言って上郡は帰って行った。



部屋に一人残された色平は、言われた言葉を理解するのに時間がかかった。

「上郡さんが、私を好き?それで、付き合って欲しい?しかも、結婚を前提に?」



理解して、頭の中がパンクしそうになる。


好きだと言われたことも言ったことも、付き合ったことも、今までに何度もある。

けれど、すぐに別れを告げられた。



息がつまる。なんか堅苦しい。

そもそも結婚を前提って重たい。



付き合ったのは容姿もタイプも全然違う人達なのに、毎回同じセリフで。



だから、上郡が自分を好きだとは夢にも思わなかった。

結婚なんて堅苦しいと思う性格だと思っていたから。



いつも自分から言っていたので、相手から結婚を前提に、なんて言われたことは無い。


仕事以外に、必要なんて言われたことも無かった。



改善さえしてこなかった性格を、丸ごと受け入れてくれそうな言い方を上郡はしていた。





何もかも今までとは違う。


でも、自分の感じ方も今までと違っている。



口説かれていたことすら分からなかったのに。

好きと言われて、こんなにドキドキしたことはなかった。


でも、サラッと言ってサッと帰った上郡に、自分一人だけ翻弄されているみたいで、色平はちょっとだけ悔しかった。

ケアレスミスには要注意

「あっ、チュウくん。お疲れ様~」


「お疲れ。ってゆうか、本当に疲れたよ。」



亥植が苦労を労ったのは、向鼠(ムネズミ)という男。

亥植の同期で、爽やか好青年と評判で性格も穏やかな生活安全課きっての優男だ。



名前の向鼠からチュウ(鼠の鳴き声)と親しみを込めて呼ばれ、先輩同期後輩問わず仲が良い。



そんな感じなので、よく違う地域や部署の応援に駆り出されている。


今も、いくつかの応援に出向いて帰ってきたばかり。



「でも、課長も凄く助かってるって言ってたよ。チュウくん優しいから。はい、お茶。」


「ありがとう。そう言ってもらえると、やりがいあるなぁ。」



そう言ってニコニコ笑う向鼠は、凄く嬉しそうだ。



「あ、そうだ。他の部署の人達が話しているの耳にしたんだけど、刑事課の人が襲われたんだって?」


「そうそう。たまにここに来る色平さんっていたでしょ?その色平さんが襲われたの。不審者の通報があって、この間まで警ら対象だった暗い倉庫の周辺で。」



刑事事件とは管轄が違い、尚且つ応援で署内の騒ぎを知らない向鼠は尋ねる。

「その……色平さん?亡くなった……とか?」



「ううん。それは大丈夫。刑事課だとすぐ生き死にを想像しちゃうよね。今は病院に、ほらこの前課長が盲腸で入院したとこ。そこに入院してるんだけど、意識もあるしもう大丈夫だって。ただ、怪我が酷くて………襲われた時の記憶だけ、思い出せないんだって。」



凶悪犯罪を常に扱う刑事課は死が身近だ。

それが頭にある為、刑事課以外の人間の思考回路はすぐ死に結び付いてしまうのだ。



「…………………、そっか。それは気の毒だね。殴られて刺された上に、階段から落ちたらそうなっても仕方ないよね。」



「警らが解除された途端にこれよ。世の中どうなってるんだか。」


「全くだ。」



亥植は向鼠に、これまでの事を色々話し、向鼠も気になるのか真剣に聞き討論していた。


課長が仕事しろと、言いに来るまで。



世の中にあるほんの一部の混沌が、これ以上広まること無く消滅してくれたら……………



残忍な事件が起こる度に、街中の人達に一番近い生安課に所属する亥植と向鼠は、そう思わざるを得なかった。




不審者がいなければ、色平が襲われることも無かったのだから。

「ふーんふーん♪ふふふーん♪」



「キモ。」



「気持ちを表すのはとても重要なことだけど、そんなにストレートに言っちゃ駄目よ。」



鼻歌を歌いながら、書類を整理している上郡。


それを、嫌悪感むき出しの視線で睨む蠍髪と、注意するも苦笑いの戌籏。



色平に告白したその日から、上郡は猛アタックを開始した。



刑事だからと病院に言って、面会時間を伸ばしてもらった。


他の入院患者の迷惑にならないように少し人気の少ない部屋も用意してもらった。



午戸兎も最初は渋っていたが、事件が事件だけに確認事項もあるだろうし、頼み込んだ上郡の業務態度も大幅に改善されている。


ということで、病院に打診したら、あっさり許可が出た。



個室とはいえ、刑事が入院しているのは噂になる。

理由が病気ならいいのだが、怪我だとどんな病院でも噂が噂を呼び大事になったことが多々あり、快く承諾してくれたのだ。


なので、仕事終わりでも会えると上機嫌なのだ。

トゥルルル――………



「はい、捜査一課………、はい、代わります。上郡くん、諳鷲の鶇さんから外線よ。」



内線が鳴ったと思ったら、鶇かららしい。



「お電話代わりました、上郡です。」


『電話口でも、良い声ね。』


「そりゃどうも。何かありましたか?」


『私には何もありはしないわよ。だだ、お店の子に聞いてみたのよ。ミヤちゃんのこと。ほとんどの子は分からないって言ってたんだけど、勤務が同じ時間帯の多かった子の何人かが、男と一緒にいたのを何度か見ているらしいのよ。』



上郡の言葉に背を押されたのだろうか?

鶇も気になっていたらしい。



「男ですか?お客さんではなくて?」


『そうらしいわ。見かけない顔だったけど、イケメンだったみたいよ。ただ、揉めてたらしくて。あまり他人のイザコザに首を突っ込まない世界だから、詳しくは知らないそうよ。』


「その男の顔って覚えてたりします?似顔絵作るのに協力して頂きたいんですけど………」



『勿論よ。イケメンだから覚えてるって言ってたから。』



イケメンに対しての記憶力は絶大らしい。

「あの~失礼しまーす。」



「ん?どうした、亥植。みんな出払ってて、今は俺一人だが。」



一課を訪ねて来たのは、亥植だった。



「あ、いえ。大したことではないのですが、ちょっと気になったことがあったので。」



「俺が答えられることだったら答えるが。」



書類へ書く手を止め、亥植に向き直る。



「色平さんて、階段から落ちたんですか?」



「………どこから聞いた?」



亥植が疑問を口にした途端、午戸兎の顔が強張る。



「え……あ…、チュウくん………いえ、私と同じく生活安全課の向鼠巡査部長が他部署の人から聞いたと言っていたんです。彼、応援に行っていて色平さんが襲われた時は丁度いなかったので。階段のこと、色平さんからは何も聞いていなかったので、ちょっと気になりまして。」



少し強い口調の午戸兎に慣れていない亥植は、少ししろどもどろになりながら答える。



「戻りました!」


「2人とも、どうかしたの?」



帰ってきた蠍髪と戌籏は、顔が強ばっている午戸兎と固まってしまった亥植を交互に見ながら不思議に思う。

「ああ、それがな……」


「あれ?その似顔絵……」


「見覚えあるんですか?!事件の重要参考人なんですけど!」



蠍髪が手にしていたのは、諳鷲に勤めているキャバ嬢達に協力してもらい書いた猫笹街狐と揉めていたと思われる男の似顔絵だ。



それを見た亥植の何か知っているような口ぶりに、蠍髪は詰め寄る。



「私の同期です。生活安全課の向鼠巡査部長です。でも、重要参考人って……」



午戸兎をチラッと見ながら言う。



「え?生安課?一体どういうこと?!」


「向鼠は、色平が階段から落ちたことを知っていた。」



「それって………まさか!!」


「その、まさかだったら色平が危険だ。向鼠は署内にいるのか?」


「えっと……、今日応援から帰ってきたので、報告して……。あ、さっき先輩がもう帰ったと言っていました。」



「色平が病院にいることは?」


「し、知っています。前に課長が盲腸で入院した病院だと私が……」



「上郡に電話しろ。似顔絵見せに向かってるんだろ?」


「分かりました!」



次々と飛び交う言葉。


一気に緊迫した空気が漂う。

「あの……私、また何か……大変なことをしでかしたんじゃ……」



張り詰めた空気に呑まれそうになるも、亥植は自分が何かやらかしたことに気付く。



「亥植さんは悪く無いわ。その……向鼠くん?彼が知っていた『色平さんが階段から落ちた』というのが、マズかったの。一課でも、私達と現場の処理をした警察関係者しか知らないのよ。色平さんが階段から落ちたことは。」



そう。戌籏の言う通りだった。


一課内でも担当事件が違うと詳細は分からないし、ましてや刑事課でない生活安全課の人間に詳しくは話さない。



マスコミ向けの警察発表では、殴られた上刺されて重体。


第一発見者である新聞配達員は発見当時動揺していたらしく、階段には気がいっておらず覚えていなかった。


不審者騒ぎがあった後だったので、救急隊が来た時も警察が作業している間も、野次馬は誰一人確認されていない。


隠していた訳では無いが、偶然そういう状況になってしまっていた。



なので、応援に行っていて事件を他部署の人間から聞いたと言っていた向鼠が、知りようのない事柄の筈だ。



色平が階段から落ちた時、その場にいなければ。

「これで色平、何か思い出せたら良いんだけどな。」



似顔絵を持って、上郡は病院に向かっていた。



やっと掴んだ手掛かり。

事件現場に行った時の様に、少しでも何か思い出してくれたら。


無理は禁物だが、事態が進展してくれる様にと似顔絵に思いを託す。



ブーブー………ブーブー………



「はい、上郡。どうした、さみ?」



携帯のバイブが鳴る。

相手は、先程諳鷲から別れた蠍髪からだった。



「あんた、今どこ?!」


「ど、どこって……色平の病院向かってる途中じゃねーか。知ってるだろ。」



何を分かりきっていることを。


出るなりいきなり言われた蠍髪の言葉に、上郡はそう思う。



「急いで!色平さんが危ない!」



「はぁ?色平が危ないってどういうことだよ?」


「説明は後!犯人が色平さんの病院に向かってるかもしれないの!だから早く!」



「お、おう!分かった!」



上郡には何がなんだか分からなかったが、蠍髪の慌てようでただならぬ事態だと判断し、とにかく急いで向かう。



理由はどうであれ、色平が危険だと言われれば、上郡には選択肢は一つしかないのだから。

待ち人来たる

現在時刻は午後10時を少し回ったところ。


病院の駐車場には、闇に溶け込む様な黒色のバイクが1台止まっていた。



「もうそろそろかな?」



色平は、寝ぼけ眼にそう呟く。


告白されて付き合いを申し込まれて以来、毎日この時間帯に来る上郡を、仮眠を少し取って待つのが今の色平の日課になっている。



話すのは主に事件絡みだが、日常会話も上郡は積極的にしている。


好きと言ってもらえるように頑張る、を実行中だ。



その間、色平は色々なことを知った。


上郡の生い立ちから過去の出来事、恋愛観、趣味嗜好など。

会話の流れで自分のことも話したが、全然苦ではなかった。



他人から聞かれて答えても、真面目だねとか、律儀な性格だよねとか、そんなんで人生楽しい?とか、あまり良い印象を持たれなかった。


なので、あまり自分から自分のことを話さないのに、更に拍車がかかってしまっていた。


けれど、上郡は色平のことを聞く度に驚いたり納得したり笑顔を見せたりはしたが、一度たりともつまらなさそうな表情は見られなかった。

学生時代、余程真面目の印象が強かったのか、先生にはよく褒められたが揉め事処理では頼りにされ、クラスメイトには宿題や面倒事の当てにされていた。


警察に入ってから午戸兎の下に配属されるまでは、人間味が無く冷めているとまで言われていた。



これは後から分かったことだが、告白されたのも告白のOKを貰ったのも全て、色平が成績優秀の優等生だったから。


ある意味の憧れの存在ではあったが、肩書きだけに飛び付いた連中は色平を理解しようとしなかったようだ。



両親は適度に真面目で友達もいる至って普通であるから、何故こんな性格なのかは色平自身にも分からない。


真面目をどう直していいかも全く分からないが。




けれど、とても印象に残っている上郡に言われた言葉がある。



―――俺、色平と話してると楽しいわ。



子供の様に無邪気に笑っていた。



今まで一度も言われたことの無いセリフ。



その時は気の利いた返事を出来なかったが、色平も思っていた。



―――私も、上郡さんと話してると楽しい。…と。



数少ない友達にもあまり覚えが無い感情を、上郡からはたくさん感じ取っていた。

消灯時間をとっくに過ぎた病院の廊下を、非常灯の明かりを頼りに歩く一人の人物。


全身真っ黒なライダースーツの様な格好で、顔はフルフェイスのメットに覆われている。



その人物は静かに、けれど目的があるのか迷うことなく歩いて行く。



人目を避ける様に、上がった階段は数階分。



立ち止まったのは、階段からすぐの少し明かりの付いたある病室の前。



右手に握り締めるのは鋭い刃物。

赤黒いものが、刃と柄の間に付いている。





ガラッ――…………



「!…………誰?」



ベッド脇に置いてある小さな電気スタンドが照らす範囲は、かなり狭い。


左にある開けられた入口のドア付近は、暗いまま。



警戒するように声を出したのは、部屋の主である色平だ。


そろそろ来るであろう上郡は、いつもノックをして小さく声をかけてから入る。


看護師は勿論、午戸兎など他の人もノックぐらいはしてくれる。



ノックせずに入る知り合いは、色平にはいない。

「上郡さん……じゃないね。……まさか私を………っ!!」



いきなり左から黒い影が近付いたと思ったら、何かを振りかぶった。


瞬時に動けない色平は咄嗟に枕を盾にしたが、枕の下側から見えるのは貫通した刃の刃先。



キラリと鈍くも鋭く光るソレに、色平は見覚えがあった。



「っっ……くっ…………」



怪我でまともに力が入らない上に、重力と上下にある相手と自分の態勢の差で、刃先は目の前に迫っている。



「こっ、んの………、フル…フェイス…………、殺さ、れて、た、まるかぁっ!」



「!」



フルフェイスの右脇腹を両足で、蹴り飛ばす。


フルフェイスは右にあるベッドと窓の隙間に倒れ込み、その拍子に電気スタンドが落ち割れた。


一瞬で部屋は暗くなるが、開けっぱなしのドアが功を奏した。

そばにある階段の非常灯の明かりが入り込み、出入口付近だけぼんやり明るい。



色平はその明かりを頼りに、部屋から飛び出した。

「あら?ドアが開いてる。……色平さん?色平さん、起きてますか?入りますよ。」



開いてる病室のドアを不審に思いながらも、看護師は部屋にいるであろう色平へ声をかける。



ナースステーションにいた夜勤の看護師が、様子を見に来た。


午戸兎から、犯人が色平を襲うかもしれないので、保護の為に部屋を移動して欲しいと、連絡があったからだ。



「!誰も居ない!」



部屋に入った看護師は、見回りの時に使うペンライトで照らすものの誰も居ないことに気付く。



病室から一番離れたところにあるナースステーションにいる看護師達には、電気スタンドが割れた音は聞こえていなかった。




「師長に知らせなきゃ!」



たまたま同じ夜勤だった師長に、看護師はこの事態を知らせる為にナースステーションへ戻っていった。



ペンライトで照らしたのはベッド周りのみ。

しかも、色平がいないことに動転していた。



そんな看護師は気付かなかった。



部屋に残された、乱闘の後とその周りにある点々とした赤い痕に。

「はぁ…はぁ……はぁ………」



色平は階段を下っていた。


テレビドラマの刑事ものだと、上へ上って屋上で追い詰められる。


という展開があるが、実際はそんな危険なことはしない。


逃げ道のない屋上より、たくさん出入口のある1階に向かう方が安全だ。




なので、色平もそうしているのだが………


怪我した身体に鞭打ち無理矢理動いている色平にとって、階段を下りるだけでもかなり息が上がっている。



その上、フルフェイスを蹴り飛ばした際、右腕を切ってしまって下りてきた階段には血が点々と落ちていた。


身体を支える為に壁についた右手も血に塗れていて、色平の通った経路は追ってくるであろうフルフェイスには丸わかりだ。


しかし、歩みを止める訳にはいかない。


逃げ道が分かっていても、捕まれば殺されてしまう。




フルフェイスがたどたどしく逃げる色平にいまだ追い付いていないのは、走って物音を立てたくない為だろう。



抵抗できるだけの自信が無い色平にとって、不幸中の幸いなのか。

「(こ、こ………どこ…?)」



階段を下りて外に出るはずが、下りきったところで方向を間違えたらしい。



薄暗い広い空間には、椅子が並んでいる。



「(待合室…………)」



そう、ここは外来患者用の待合室。


今は時間外の為、非常灯しかついておらず、出入口のシャッターも降りている。


病院内の地図を把握はしていたが、意識が朦朧している今の色平にとってはここが外来待合室だということしか認識出来ない。



「はぁ……………はぁ……」



椅子に凭れかかり座り込む。


呼吸が浅く短い。

このままだと危険と分かっていても力が入らず、色平は動けなかった。



コツ……コツ………


コツ……コツ……



足音が近付いてくる。



「(!…追い、付かれた………、っでも………)」



動けない――――――。



コツ………コツ………


コツ………コツ………


コツ



「………………。」



色平を見下ろす人物。


病室での乱闘で、ヘルメットは脱げていた。

しかし、逆光で顔は見えない。


「(こ、こ……までか………)」



色平が覚悟を決めたと同時に、刃物が降り下ろされた。

「色平ぁああぁ―――っ!!!」



「!」



ガラガラガラガラ………



ガッシャーンッ――――………



「色平っ!大丈夫か!?」


「か、上郡さん……」



大声をあげながら突っ込んできたのは、上郡だった。



「観念しろ!まだやるっていうんなら俺が相手だ!」



何かをぶつけたのだろう、色平を殺そうとした人物は受付の台の下まで吹っ飛んでいる。



「……………。」


「のわっ!このやろう!」



倒れ込んだものの、諦めていないのか上郡に向かって刃物を振り回す。



しかも、隙が無いので上郡は防戦一方だ。



「……な、にか………、!!」



打開策は無いかと、朦朧とする頭で考えていた色平は足元に転がっている消毒用のスプレーを見付けた。



「ぅわっ…!しまった!」



床に散らばった物に足をとられ、上郡はバランスを崩す。



「(やられるっ………!)」

「上郡さんっ!」



シュゥゥ――…………



「っつっっ………!!」



「!」



色平が手にしたスプレーを顔めがけて噴射し、犯人は一瞬怯む。


上郡は、チャンスを見逃さなかった。



「あき、らめろぉっ!!」



犯人の胸ぐらを掴み、投げ飛ばす。


同時にナイフをもぎ取るという、荒業もやってのけた。



「色平!」



「上郡さん……犯人は……」



「大丈夫だ。武器も奪ったし、また起き上がってきても、俺が相手してやる。」



その場にへたり込んでいる色平を安心させるように、上郡は力強く言う。



「その必要は無い。」



声と共に明かりが付いた。



「午戸兎さん!」



そこにいたのは、午戸兎・戌籏・蠍髪と数人の警官だった。



「色平さん!」


「大丈夫?!」



「なん、とか…………」



「すぐに医者を。」



大丈夫だと答えようとした色平だったが、意識は途中で途切れる。


午戸兎が医者を呼び、看護師によって運ばれていった。

「ようやく会えたな。向鼠巡査部長。」


「くっ………何故俺の名前を…」



「亥植に言っていたそうだな、色平が殴られ刺された上に、階段から落ちたと。」



「それがどうした!事実だろうが!」



警官に取り押さえられながらも吠える向鼠。

そこに、普段の雰囲気は微塵も感じられない。



「色平さんが階段から落ちたこと、私達現場の捜査員しか知らないことなんだけど?野次馬もいなかったし、警察発表でも言ってないわ。」



「応援に行っていて今日戻ってきた貴方が何故その事を知っているのかしら?」




「成る程。犯人しか知り得ないことを知っていた。んで、亥植から色平のこと聞いたから口を封じようとした訳か。」



色平が危ないと言われた理由が、漸く上郡にも分かった。



「ああ、そうだよ!俺が殺ったんだ。階段から落ちて動かなかったから死んだと思ったのによ!しぶとすぎるぜ。」



「んだと?!」


「上郡、落ち着け。」



今にも飛び掛からんとする勢いの上郡を、午戸兎は諌める。



「猫笹街狐の遺体からお前の指紋が検出された。何故殺した。」

猫笹街狐の遺体からは、色平ともう一つ指紋が検出されていた。


こちらは欠損部分が多く判別に時間がかかっていたが、ようやく警察に登録されているものと一致した。


指紋が検出された部位は猫笹街狐の首。

司法解剖で首の骨が折れていたが判明している。


よって猫笹街狐の死因は、首を絞められたことによる窒息死。


首を絞め殺害したのは、首に指紋があった向鼠で間違いない。



「ふん。何故だと?決まっているだろう。俺のプロポーズ断ったからだ。いくらつぎ込んだと思っているんだ!」



たまたま諳鷲の側を通った。


そこで見付けたのが、帰宅する途中だった猫笹街狐。



向鼠と街狐は、中学の同級生だったらしい。


高校で別れてそのままだったが、偶然の再会後、飲み足りなかった街狐に誘われ意気投合。


向鼠は中学時代には感じなかった街狐への恋心に押されるように、街狐に言われるまま貢いでいた。


そろそろと思いプロポーズをしたが断られてしまった。

しかし、諦められなかった向鼠はその後、何度も手を変え品を変えプロポーズをした。


街狐が亡くなった日も、家にまで押し掛けて。

警察を呼ぶと騒いだ街狐に逆上し、首を絞めてしまった。


我に返った向鼠は、目の前の動かなくなった街狐の処理に困り、警らが解除されたあの倉庫に一旦運んだ。



人里離れた山奥にでも遺棄しようと、運ぼうとした時に色平に死体を見付けられ仕方なく襲った。


階段から落ち動かなかったので死んだと思いそのまま放置し、街狐の遺体を山奥に運び遺棄した、という顛末だ。



「俺のプロポーズ断るわ、色平に見付かるわ、雨が降って死体が見付かるわ、記憶喪失っていうから記憶戻る前に殺ろうとしたら失敗するわ………、全く、ついてないぜ。」



経緯をペラペラ話し、尚且つ反省も後悔も微塵も無い向鼠に、この場にいる皆が怒りで顔が歪む。


向鼠を取り押さえている、事件には関わっていない警官でさえ。



「お前の言い分は良く分かった。取り調べでも、検察でも、裁判でも、そう言え。それ相応の処遇が待っているから、覚悟しておけ。」



「(怖っ……!)」



静かに話す午戸兎。

しかし、顔の雰囲気も手伝ってかなり怖い。


普段見慣れている蠍髪も、隣にいるおかげか午戸兎から殺気染みたものを感じていた。

「ったく、滅茶苦茶するな。」



向鼠の戯れ言をこれ以上聞いても仕方ないので、パトカーへと連行させた。



「ですよね!色平血塗れだし、あいつ最低だし!」



「……違う、お前ことだ。病院の備品、滅茶苦茶にしやがって!」



「あ。」



そこら中に散らばっている備品。


上郡が向鼠にぶつけたのは、外来患者用に設置してあった備品が入ったキャスター付きのワゴン。


ぶつかった衝撃と乱闘で、もう使い物にならないのは明白だ。



「すんません………つい、夢中で。」



アハハ……と乾いた笑いで誤魔化す。



「まあ、仕方ないわね。色平さんの為だもの。」



「戌籏さんっ……!」


「今月のお給料から天引きにしたら?」


「それは良い考えだな。」


「ですね。」



「ちょ………!!そりゃないですよ~」



助け船が出たと思ったら、すぐに沈んでしまった………



なんとも憐れな上郡であった。

終止符は句読点

「よっ!調子どうだ?」



「……来る度に聞かなくても大丈夫ですから。」



病室に顔を出した上郡に、色平は苦笑いで迎える。



向鼠と対峙した後意識を失った色平だが、処置が早かった為輸血だけで事なきを得た。



「向鼠くん、どうですか?」



ICUに逆戻りしてしまい、事件も解決したので医師に会話は最低限と、色平達は念を押されまくっていた。


なので、一般病棟へと移った今日より許可が下り、色平は早速尋ねる。



「反省の色、全く無しだ。あいつは俺から見ても最悪だぜ。プロポーズ断られたぐらいで殺すか、普通。痴情の縺れで殺人とか俺には理解不能だな。殺さなくてもストーカーになるな、あれは。」



「そうですか……。そんな風には見えなかったので。もっと人を見る目を養わなければいけないですね。」



言ったきり考え込む色平。



向鼠と接している内に気付いていたら……



そんなことを思っているのだろうか、向鼠のことを話した時の亥植より酷い顔色なんじゃないか、などと上郡は推測観察してみる。

結局、色平が全て思い出したのは気を失う前、電気がつき駆け付けた蠍髪の後ろにいた向鼠を見たからだった。



ただ、色平は街狐の遺体を遺棄したのが向鼠だと分かってはいた。


倉庫で向鼠を振り払った際に、ヘルメットが脱げていたのだ。



逃げる為見たのは一瞬だったが、見知った顔の為に記憶はされていたようだ。


喪失してしまっていたが。



色平の表情が暗そうなのは、その事も関係しているのだろうか。



「そういえば、色平を襲ったナイフの刃と柄の間から酸化した色平の血液が検出されたって。向鼠のバイクの他に所持していた車のトランクからも猫笹街狐の髪の毛が出てきた。これで、証拠もバッチリだ。」



空気を変えてみようと、上郡はとりあえず声色を明るくしてみた。


凶器が同一の物であると判明し、本来なら入り込むはずがないトランクの奥の隙間から発見された髪の毛が被害者である猫笹街狐と一致。



一連の犯行が向鼠であると裏付ける物的証拠となった。

「そう…ですね。これで猫笹街狐さんも少しは浮かばれますね。」



「そうだな。」



理不尽に命を奪われた人間にとって何が一番の供養になるか分からないが、出来ることを精一杯やった結果だ。


似顔絵のお礼も兼ねて犯人逮捕を鶇に報告した時、涙ながらに感謝を告げられたのには少し焦ってしまったが、一番ホッとする瞬間でもある。



「あの……向鼠くんがナイフを所持していた理由って分かりました?」


「ああ。本人は護身用って言ってたけど、絶対街狐を殺る為だぜ、あの言い種は。」



警察官である向鼠がナイフを所持していた理由は素人の様にありきたりであったが、襲われてもいないのに刺したのは逃れられない事実。


凶器を鉄パイプからナイフにしたのも、確実に殺す為の行動なのは明白である。



色平への殺人を否定しても通らないだろうと、警察は色平に対しての殺人未遂容疑でも近々再逮捕をする方針だと上郡は付け加えた。



「あ、亥植がかなりへこんでたぜ。自分が病院と部屋漏らしたせいだって。」



見舞いに来ても、遠くから見ているだけだった亥植の姿を思い出す。

「そんなことないのに。」


「だな。戌籏さんが慰めてたけど、色平からも言っといた方がいいかもな。」


「そうですね。」



同期が犯人だったにも関わらず、色平が再び襲われたことがかなりショックを受けていた。


戌籏と蠍髪、午戸兎も気にするなと声をかけてはいたが、やはり色平本人が言うのが一番だろう。



「それと、あの倉庫の取り壊し、正式に決定したぞ。現場保存が解除されてすぐに区長が動き出したってさ。すげー早い対応で珍しいって午戸兎さんが驚いてた。」



「良かった。それは多分亥植さんや住民の方々の働きかけのおかげだと思います。亥植さんの言い方だとかなり強く押してたみたいなので。」



明るい報告に、色平の声も自然と明るくなる。



「あ、そうだ。色平さ、猫笹街狐の源氏名のミヤの由来気にならない?向鼠が中学時代に付けたあだ名だって。まあ街狐本人は忘れてたみたいだけどな。実は」

「猫の鳴き声からですよね。猫はミャーと鳴くから。」



「……………。なんで?なんでみんなあっさり解るんだよ!俺、理由聞いて感心してたのに、さみにバカにされてさ!そしたら、戌籏さんも午戸兎さんにもそれくらい分かるとか言われて。なんで俺だけ分かんねーんだよ……」



「えっと…………」



一人で捲し立て、一人で落ち込む上郡。


所詮中学生が考えたあだ名。

大人になれば簡単に分かる。



それを分からなかった上郡に、何を言っても落ち込ませるか貶すかのどちらかになってしまいそうで、色平はかける言葉が見付からない。



「き、気になる、といえば……どうなったのですか?私を助けてくれた時のワゴン。音からしてかなり破損していたと思うのですが。医者や看護師の方々は何も言ってなかったので。」



苦肉の策で、色平は話題を変えてみる。


なんだか、本題から変えてばかりだ。



「あ―あれね…。問題ない、大丈夫だから。やむを得なかったし。」



事情が事情の為、病院側の厚意により自腹は免れた。


上郡は話ながら蠍髪にからかわれたのを思い出し、若干げんなりした。

「それならいいんですけど。」



上郡の言い淀みに微塵も気付かずに、色平は納得した。



「楽しそうですね。」


「あ、どうも。」



様子を見に来たらしい、看護師が顔を出した。



「でも、無理は禁物ですよ。もうそろそろ面会時間も終わりますし、きりの良いところで切り上げて下さいね。」


「はーい。」



素直に元気良く返事をした上郡がに満足したのか、看護師はそれ以上言わずに見回りに戻っていった。



「看護師もああ言ってるし、仕方がないけど今日はこの辺で。せっかく一般病室に戻ったんだしな。また明日来るわ。」



そう言って帰る準備を始める上郡。

準備といっても、座っていた椅子を元の位置に戻して、話ながら広げた事件についての資料を鞄に片付けるだけだが。



「ぁ…………」



毎日来るわりにあっさり準備を始めた上郡を見ながら、色平は落ち着かなくなる。


何かを話したい様に口を空け閉めしたり、誤魔化す様に手を開いたり閉じたり。



「ん?なに?」


「あ…………」



漏れてしまった吐息が聞こえたらしい。


上郡がこちらを振り返る。

「あの、本当にありがとうございました。助けてもらって………、色々身の回りのこととかも。」


「あ、いや、別に。俺が好きでした訳だし……。」



改めてお礼を言われて、上郡は照れてしまう。



「病院で襲われた時も。上郡さんが来てくれなかったら、私今ここにいませんし。………不謹慎にも、その………格好いいとか思ってしまって。」


「………え?」


「それに、返事しなきゃと思っていたんですけど……こんなこと初めてで、言えずにズルズルここまできてしまって。」



時々上郡をチラミするものの、どうしても直視できず色平は目が泳ぐ。



「あの時言えなかったんですけど、私も上郡さんと話していて楽しいです。今まで言われたことなくて、気の利いたこと言えなくて。でも、凄く嬉しかったんです。人を好きになったことはあっても、こんなに楽しいと思ったことはあまりなくて。結婚のことも真面目に考えてくれてとても嬉しかったです。いつも堅苦しいとか重いとか冗談とか言われてしまうので。」

下を向きながら、少し早口に話す色平。


しかし、上郡は気にせず色平が話す言葉に耳を傾ける。

一字一句、聞き逃したくなかったから。



「口説かれてたことにも気付かなくて。私そういうの得意ではなくて……すみません。上郡さんが私に好意を持っているなんて全く気付いてなかったから。」



「(た、確かに…………)」



確かに、上郡のタイプとは正反対の色平。


なのに、上郡が色平にアタックしたのは完全に一目惚れだったからだ。


申し訳ないが、容姿とか性格とかは全く好みではない。


でも、何故と説明を求められても、上郡には出来なかった。




ただ、好きだからとしか。





自分でも分からないことだ。

あれだけ鈍感な色平に分かる訳がないのだ。



上郡は言われながら納得する。



「上郡さんが毎日病室に来てくれること、いつの間にか楽しみになっていたんです。話していても聞いていても、何をしてても。いつの間にか私の生活の一部になっていました。上郡さんがいない時は寂しいなんて思ってしまって。」

「……あの!」



拳を握り、意を決した様に色平は顔をあげる。



「私も上郡さんのことが好きです。上郡さんと一緒に人生を過ごしたい。こんな私で良ければよろしくお願いします。」



「………………。」



「ぇ?ぁの……?か、上郡さん……??」



一世一代の告白をしたにも関わらず、無言でしかも抱き締めてきた上郡に色平は物凄く戸惑う。



しかし、上郡は抱き締めるしかなかった。



顔をあげ、照れた様に、はにかみながら話した色平。


色平本人は無自覚だろうが、上郡にとっては効果は絶大。



だから、格好を付けたい上郡は、今の締まりが無い顔を色平に見られたくはなかったのだ。





しばらくして気持ちが落ち着き、ふと我に返った上郡が把握した己の状況。


最初の一言以降、色平が上郡のされるがままで声もかけなかったので、上郡には自分の行動に全く自覚が無かった。


顔を隠す為とはいえ、色平を抱き締めたことに。



認識した途端慌てふためき、色平と無意味な謝り合戦になったのは、言うまでもない。




再び現れた、妙に勘の良い看護師に茶化されるまで続いたのだった。

「な、今夜食事に行こうぜ?少年課の奴に穴場教えてもらったんだ。」



「いいですよ。この資料を纏め終わったら、今日はもう終わりにしようと思っていましたから。」



食事に誘われた色平は、机の上の資料を指す。



「よっしゃ!俺も手伝うわ。」


「あ、いえ…一人で大丈夫ですから。」



やる気を出した上郡に対して、色平は手伝ってもらう程の量ではないからとストップをかける。



「色平さん、手伝ってもらったら?病み上がりなんだから、無理しちゃ駄目よ。」


「そうですよ。せっかく上郡が、滅多に出さないやる気を出してるんですから。」



戌籏と蠍髪は色平を労る様に言うが、上郡を煽る感じなのは致し方ない。


なにせ、色平の為なのだから。




あれから何事も無く順調に回復し、色平は無事に退院した。



しかし、全快したとはいえ大怪我したのには変わりない。



とりあえず事務作業で慣らしていこうとしたが、それも結構な量。


無理をさせないように気を使ったはずの午戸兎に謝られてしまった。

「滅多に、ってなんだよ!俺はいつもやる気に満ち溢れているんだ。敬語も使えない奴に言われたくねぇよ!」



「使えない、じゃなくて、使わないだけよ。敬う人間ぐらい自分で決めるわ。」


「んだと?!」


「なにか?!」



イガミ合い方が小学生だ。



「全く……。あれが俺の部下だと思うと頭が痛い。」


「午戸兎さん。お疲れ様です。」


「おう、お疲れ。色平、指示してあれだが、無理するなよ。」


「戌籏さんとさみちゃんにも言われましたし、大丈夫ですよ。」



この人達は過保護だ、と色平は思う。



確かに、病み上がりではあるが、退院してからだいぶ経つ。医者からはもう現場に出ても良いと許可も出た。


なのに、いまだに事務処理の割合が多いのだ。



「(大切にされている、と感じるから嬉しいけどね。)」



午戸兎の班に来たのは、普通の人事異動だった。


警察官でなくても、人事異動というものはほぼ強制的だ。


それでも、来て良かったと思う。

「あーもいい!さみなんかと話してたら時間がもったいない!」


「じ、時間がもったいないって、それはこっちのセリフよ!」



結局、2人とも無駄だとは分かっていたらしい。



「ほら、色平、半分貸せ。2人でした方が早く済むだろ。」


「…それはそうですけど……」


「それに!資料ごときに俺と色平の時間を邪魔されたくねぇしな!」


「……そう…です…ね??」



「(資料に嫉妬って……)」



上郡の力説の理由に、意味が分かっていないけど熱に押され同意する色平と意味が分かっていて幻滅する蠍髪。



「賑かね。」


「賑か過ぎるがな。」



どれもこれもデシャブを感じるのは、誰一人欠けること無く日常が戻ったということなのか。



「…では、お願いします。」


「おう!」



色平と上郡は、手分けして資料を纏め始めるのだった。









変わったこともあって、変わらないこともあって。


違うことをしてても、同じことをしてても。


繰り返して、繰り返して。



それが、日常。

それが、事件。


それが、生きているという非日常の奇跡。

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