先輩、真実です

「なあ、資料のこと俺達以外には誰にも話してないんだよな?」


「そうですよ、嚇止くんと私以外知りません。誰にも言わないでって言ったの、嚇止くんの方ですし。」



秀滝から突然尋ねられたのは、潮にとって至極当たり前なことだった。



「いきなりどうしたんですか?」


「俺が襲われた理由よくよく考えてみたら、無いんだよ。最近書いたのは犯人逮捕ぐらいで、恨みを買うような記事は思い当たらなくてな。過去ならあるにはあるが、今っていうのは何か腑に落ちない。」


「そーいえばそうですね。」



直近は嚇止のことだが、今のところそれで襲われるような特段目立った記事は書いていない。



「(先輩達以外で嚇止くんの話したのは墜玄さんぐらいだけど、資料のことは誤魔化したから言ってないしなぁ…)」



考える潮も、それ以外これといって思い当たる節は無い。





~ご町内の皆様、マイクで失礼致します。



碣屠實墜玄、碣屠實墜玄。


皆様あっての、碣屠實墜玄。



県民の皆様とともに歩んで行こうと毎日人力しております。



今年もどうか、碣屠實墜玄をよろしくお願い申し上げます。~

「もうすぐ選挙ですね。碣屠實さんは他のと違って紳士な態度だから、私応援してるんですよねー。」


「他のって…」



なんて言い種だ。



と秀滝は思うが、潮が碣屠實を贔屓にする理由を知らないので仕方がない。


潮も関係がバレて迷惑がかからないように、一県民として他人行儀に話すように努めている為だ。



「紳士にも裏の顔があるかも知れないよ。」


「え?」



ニヤついた締まりのない顔で、噂好きな主婦の様に幄倍は言う。



「俺も詳しくは知らないんだけど、結構黒い噂があるらしいよ。政治部が言ってるの聞いた。」



クリーンなイメージとは裏腹に、私生活ではプレーボーイだとか。


寄付金たんまり集めて、それで豪遊してるとか。


ヤの付く人達と仲良しだとか。


あの年齢で5年連続当選とか、絶対何かあるとか。



「そんなことないですよ!それ、ただの嫉妬じゃないですか。あんなに素晴らしい人を素直に褒めれないなんて!政治部もちゃんと調べないと。何やってんですかね!」



まさか碣屠實に根も葉もない、そんな噂があるなんて。


潮は怒りで声を荒げる。

「な、なに怒ってんの?碣屠實墜玄のこと、そんな贔屓にしてたっけ?」



滅多に見ない潮の怒りっぷりに、幄倍は驚いた。



「ひ、贔屓というか……、事実確認もしないで政治部がとやかく言うのは、記者としてどうかと思ったんですよ。」


「あ~成る程ね。」



我ながら苦しい言い訳かと思ったが、幄倍は気付かず納得してくれたようで潮は安心した。



「あ、墜玄さん?ごめんなさい忙しい時に。ちょっと聞きたいことがあって。」



空き時間、潮は碣屠實へ電話をかけていた。



あの場では誤魔化したものの、幄倍の言ったことが気になったのだ。


気になったら確かめずにはいられない、記者の悲しい性だななどと潮は内心ごちる。



『聞きたいこと?ちょっと待って…………いいよ、なんだい?』



少しの間を置いて、電話の向こうで聞こえていた雑音が消えた。


部屋かどこかへ移動したようで、碣屠實以外の声は聞こえない。

「墜玄さん、不正なんてしてませんよね?悪い噂、聞いちゃって。プレーボーイだとか、寄付金で豪遊してるだとか、危ない人達と繋がりがあるとか。」



口に出しても、潮には碣屠實のそんな姿は想像がつかなかった。



「墜玄さんに限ってそんなことあるわけないのに。ごめんなさい、墜玄の口から聞かないと安心出来なくて………。」



『………………。』


「墜玄さん?」



すぐに否定してくれると思っていたのに、黙ったままの碣屠實に不安になる。



『…………そんな声ださないの。安心して、潮ちゃんの言うようなことは全くないから。僕を信じて。』


「そうですよね!墜玄さんは私達の味方ですもんね。変なこと聞いてごめんなさい。」



『いや、大丈夫だよ。潮ちゃんは素直だからね。そんな噂に惑わされちゃ駄目だよ。』


「はーい、気を付けます。墜玄も噂気にしないで頑張ってくださいね、私応援してますから!」


『ありがとう。』



その後二三言話して、電話を切った。


やっぱり碣屠實に限ってそんなことあるわけなかった、と本人から聞いたことで潮はようやく安心出来たのだった。

「今の電話、碣屠實墜玄か?」


「せ、先輩……!」



振り返ると、秀滝が怖い顔をして立っていた。



「碣屠實墜玄かと聞いてるんだ。何で番号知ってる?かなり親しげだったようだが。」


「それは……」


「前に言ってた窓口か?」



確信的に言う秀滝は、幄倍との会話での態度を不審に思ったらしい。



「あんまり良い噂は聞かないと幄倍も言ってただろ。いくら過去に世話してくれた奴でも」


「そんなことないです!」



秀滝の言葉を遮って潮は叫んだ。



「そんなことないです。墜玄さんは、噂みたいなこと絶対してません。」


「信じたいのは分かるが…」



「墜玄さんがしてないと言ったんです!だから噂は噂でしかないんです!」


「本人がそう言ったからといって事実とは限らない。」



「先輩は墜玄さんの何を知っているんですか?!あの時助けてくれたのは墜玄さんだけなんです。何も知らないくせに、変なこと言わないでください!」



「南能っ…!」



何故秀滝は信じてくれないのか。

何故碣屠實を疑うのか。


潮は感情がごちゃ混ぜになって、その場から逃げ出した。

「薇晋さん、どうしたんですか?」



潮に逃げられてしまい、噂の真偽を政治部にでも聞きにいこうかと秀滝が手前にある社会部を通りかかると、薇晋と崇厩がいた。



「ん?秀滝か。いや、国北照の件でちょっとな。」


「国北照の周辺を地取りしていたら、ある不釣り合いな場所で度々目撃されていたことが分かりまして。南能さんに確認を取ったとこなんです。」



嚇止のことで進展があったらしい。

ただ、警察としては綻着嚇止ではなく国北照としてだが。



「不釣り合い?」


「ああ。髀鰒会というとこだ。簡単に言えば、暴力団だな。」



髀鰒会(モモフクカイ)。


割りと小さい規模で、イザコザはしょっちゅうだが派手なことはあまり聞かない。

暴力団でも地位は低く、平均年齢も若く最高でも50代。


言うなれば、半グレの集まりに近かった。



「組対に聞いても、今のところスクープになるようなネタは無いし、何故国北照がそんなとこで目撃されていたのか分からん。」


「南能さんも、見たことも聞いたこともないと言っていましたしね。」

「そういえば、南能は?」



確認を取ったとこだというのに、潮の姿は社会部にはなかった。



「南能なら、話終わった後出てったわよ。珍しく真剣な顔して。」



いつもあれくらい真剣だと良いんだけどね。



と啄梔は笑うが、秀滝はそれどころではない。



「あいつ、まさか………!」


「どうした?」


「南能の言ってた16年前の窓口の人物、県議会議員の碣屠實墜玄なんです。だけど、碣屠實墜玄にはいくつか黒い噂が。その中に、ヤのつく人物達と仲がいいというのがあって。」


「本当か?!」



「それ、俺が言ったやつじゃないですか。」



事態を分かっていないのか、ゆったりとした口調で幄倍が言った。



「ああ。それを政治部に確かめに行くとこだったんだ。」


「じゃ、もしかして南能は……」


「ここに来る前にも電話してたんで、今度は本人に直接…多分。」



「崇厩、事務所に電話!」


「はい!…………駄目です、急用が入ったと今日はもう事務所を出たそうです。」


「くそっ!とにかく探せ!」



思い当たった節は、もう手遅れなのか。


今は何も無い事を、祈るしか無かった。

秀滝と薇晋が慌てている頃、潮は車の中にいた。



「ごめんなさい、呼び出しちゃったりして。」


「いいよ。僕も気分転換したかったんだ。」



薇晋から話を聞いた後、潮は碣屠實を呼び出した。


もちろん、髀鰒会のことを聞く為だ。



「聞きたいことがあって。」


「また噂の話かい?あれは真っ赤な嘘だよ。」



運転をしながら碣屠實は笑った。


車は市街地を抜け、海沿いの沿線を走る。



「髀鰒会って知ってますか?嚇止くんが、なんか調べてたのか分からないんですけど、周辺で目撃されてたって刑事さんから聞いて。」



「……それをなんで僕に聞くの?」


「髀鰒会って基盤が千葉で規模も小さいんですって。地元のことだから、なんか知ってるんじゃないかなぁと思ったんですよ。」



潮は何故か碣屠實を直視出来ずに、助手席の窓の外に広がる海を見ながら話す。



「いくら僕が地元出身で県議会議員でも、それは分からないよ。」


「そ、そうですよね。」



車は住宅街や商店街を抜け、どんどん海へと近付く。



「変なこと何回も聞いてごめんなさい。紳士に裏の顔があるなんて、ウチの政治部も何言ってんだか。」

「……………。」


「私、刑事さんから聞いた時、噂のこと思い出しちゃって。この間、先輩が誰かに襲われたんですけど理由が不明で。多分、先輩が持ってたものを奪いたかったんだと思うんですけど、それ知ってるの一部の人で。墜玄さんにもこの前話したやつです。警察に渡したっていう。だから、そんな事もあって、私、結び付けちゃって。単純な頭ですよねー」



アハハ……と誤魔化すように笑った声が、不自然なのは自覚している。


秀滝の言葉が引っ掛かり、推論はどれも筋だけは通っていて、焦る気持ちが捲し立てる様に言ってしまう。



「墜玄さんには、裏の顔なんて、ないですよね…?」



探るように言ったが、ないと肯定して欲しかった。



「…………全く君達は、揃いも揃って同じことを。」


「……え?」



急ブレーキをかけて、車は止まった。

そこは、海岸から少し離れた埠頭のようなところ。



今は海に出ているのか、船は一隻も見当たらない。

フロントガラスから見える景色は、空と海と埠頭が作る青と白のコントラストがとても綺麗で。


右隣から伝わってくる対照的な空気は、より一層強く感じられた。

「ど、どうしたんですか…?」



いつも安全運転の碣屠實が急ブレーキ、しかも発した言葉はかなり低いトーン。


碣屠實の急変した態度に、潮は動揺を隠せない。



「どうして、どうして君達は、僕の邪魔をするのかなぁ?」


「墜玄、さん…?」



シートベルトを外しながら、碣屠實は深い溜め息をつく。



「やっとここまで来たんだ。20年かかってやっと……なのに、君もあいつも……」


「つ、いは」



「なんで邪魔するんだっ!!!」



「!っ……」



碣屠實は突然大声を上げ、両手で思いっきりハンドルを叩く。


それは、車全体に響くぐらいの衝撃だった。



見たことがないほど、気性の荒くなった碣屠實。


潮の体はビクリと跳ねる。



「ああ、そうだよ!俺が殺したんだよ!嚇止を殺ったのも、16年前、渠瑛と稽滸を殺ったのも俺だよ!あいつら、俺が髀鰒会と繋がってるのに気付きやがって。領収書改竄とか、買収とか、不正だなんだのってグチグチ言いやがって。そのまま黙ってりゃ死なずに済んだものを、議会に報告するとか抜かしやがってよぉ。殺すしかねーじゃん。」

「嚇止だって、報告書が改竄されてるのに気付いて嗅ぎ回ってたら偶然髀鰒会に入る俺を見たって呼び出してよ。騙してただの、証拠はあるだの、証拠はこれだけじゃないだの、自首してくれだの、煩くてさぁ。」



一人ペラペラ喋る碣屠實は、常軌を逸していた。



「上に立つにはさ、偉くなるにはさ、馬鹿正直なんて無理なんだよ。少しぐらい良い思いしたっていいじゃないか。県に、議会に、それだけのことを俺はしてきたんだよ!」



普段とはかけ離れた荒れた口調の碣屠實には、紳士の欠片すら見当たらない。



潮は声を発することも出来ずに、ただ微かに震えているのだけは分かっていた。



「なんでだ?なんで、オマエらは黙ってくれない?なぁ、何故だ……?」


「……っ………」



ゆっくりとした動きだが殺気を含んだ声で、碣屠實は近付いてくる。


潮は後退るも、ドアとシートベルトに阻まれてしまう。



「ゃめ………こ、ない、で……」



消え入るような潮の小さな声は、碣屠實には届かない。



「だから、黙らせるしか無いんだっ!!!」


「ぐっ………か、はっ……」



碣屠實の両手が潮の首を絞めた。

「ゃ………………め…」



潮は必死でもがき抵抗する。


手に持っていた鞄を振り回した拍子に中身が散乱しシートベルトも外れるが、首にある手を外すことに必死であまり意味をなしてくれない。



「黙れ、黙れ、黙れ………!」



力が増す碣屠實の手に対し、潮の意識は段々遠退いて。


首にある碣屠實の両手を外そうと重ねていた手の力も弱くなる。



「………、…………、……………」



力を無くし滑り落ちた右手が、何かに当たる。



「(せ、んぱい、の……)」



それは鞄から飛び出した、秀滝から貰った催涙スプレー。


秀滝の顔が過る。



「(た、すけ、て、…せ、んぱ、い……………!!)」



プシュー………―――



運良く手に出来た催涙スプレーをデタラメに噴射する。



「ぐ、ゎっ……!!」



「(いま、だ…!)」



バンッ――……



噴射された催涙スプレーが碣屠實を襲い、首を絞めていた両手が外れた。


考えるより先に車のドアを開け、潮は外に転がり出る。



特ダネにもすぐ出ていけるようにといつもの癖で、ドアのロックをしていなかったのが功を奏した。

外に出たはいいものの、空気を取り込もうと体が必死になり、思うように呼吸が出来ない。



「ゲホッゲホッ、ゲホッ…、ゲホッ……ゲホッゲホッ…」



車の傍から離れることも出来ずに、その場で咳き込み座り込んでしまう。



「このクソガキがぁ――!!」


「南能―――!!」



前と後ろから同時に聞こえた声は、どちらも自分を指したものだ。



「観念しろぉっ!!」



車から出てきて再び潮を襲おうとした碣屠實を、薇晋と崇厩が2人がかりで押さえ込みにかかる。



「大丈夫かっ!?」


「ケホッ…せ、んぱい……、ど、して………」



秀滝に背中をさすって貰ったおかげで、潮は少しずつ呼吸が楽になる。



どうして薇晋と崇厩、そして秀滝がここにいるのか分からない。


分からないが、聞き慣れた声と、見慣れたカメラと、背に感じる温もりで、もう大丈夫だと思えたのは確かだ。



「大人しくしろっ!」


「どいつもこいつも……、俺の邪魔をするなぁっ!」



怒り狂った碣屠實の力は結構なもので、押さえ込むのに決め手に欠けて、警察の応援が来るまでの数分間、乱闘が続いたのだった。