先輩、事件です

「は~や~な~し~!!!あんた、また強引な取材して!今回は事なきを得たけど、出禁になったらどーしてくれんの!」



陽明日(ヒアス)新聞社、社会部。



部屋いっぱいに怒号を響かせているのは、デスクである啄梔(ツイバシ)。


45歳にしてついに更年期か?と噂が回るほど、最近イライラしている。

「だぁって~!真実を追い求め無くちゃ、真の記者とは言えないじゃないですか!」



当事者である囃噺(ハヤナシ)は、耳に手を当てて聞こえないふりをしながら、悪態をつくという35歳らしからぬ言動。


粘り強い取材を得意とし、信念にもしている。

というと聞こえは良いが、結局のところ関係各所への強引な取材でクレームが絶えない。



啄梔のイライラが増えてきているのも、これが関係しているといえば嘘ではない。



陽明日新聞社は、経営が悪化し経営権を実業家として名高い埜尻(ノジリ)に売り渡した。


その埜尻の方針として、真実より読者受けを何よりの最重要事項になったのが、囃噺にとっては不満だったらしい。


経営権が代わる前より、強引さが増している。

「デスク、そんなに怒ったらお肌に悪いですよ。ほら、スマイルスマイルっ!」



「幄倍さん、それスマイルじゃなくて、変顔~」


「えぇ~、完璧な笑顔なんだけどなぁ。」



スマイル…もとい、変顔で仲裁にならない仲裁をするのは、囃噺の部下で38歳記者歴1年の幄倍(トバリベ)。



そんな幄倍に、南能潮(ミナミノウ シホ)は的確な突っ込みを入れる。


潮は幄倍の半年後の入社であるが、25歳という年齢にも関わらず記者歴は7年になる。


それもそのはず。
痲蛭(マヒル)というオカルト雑誌社で、記者をしていたからだ。


経営方針が変わって記者が大量に辞めてしまい、滅多に出さない募集を出す羽目になった陽明日新聞社。

しかし、経営難で雑誌社が倒産して職を失った潮にとっては願ったり叶ったりである。



2人でケラケラと笑っていると、後ろから黒い影。



「下らないことやってないで、仕事しなさーいっ!!」



「げ、原稿纏めるわよ。」


「り、了解です。」



「取材、行ってきまーす。」



再び響いた啄梔の怒号に、蜘蛛の子を散らしたように3人は仕事に取りかかるのだった。

「ねぇねぇ、これからどうしよっか?」


「んーそうだなぁ~」



深夜3時、裏路地にある小さな神社の前を1組のカップルが歩いていた。



「あれ、女の子だよな。1人で何やってんだ?」



神社の鳥居の先に、時間に不釣り合いな女性が立っている。


裏路地の為、1人では変質者に狙われる危険を感じ女性に声をかけた。



「ちょっとそこの女の子!こんなとこ1人でいたら危ないよ。」


「あたしらが、人通りあるとこまで連れてってあげるからさー。…って、ぅわっ!」



カップルが女性に話しかけた途端、女性はカップルの脇をすり抜けてどこかへ行ってしまった。



「あっぶねー…!大丈夫か?」


「うん平気。ってか何なの、あの子。…ねぇ、あそこに何かあるよ?」


「ん?あ、ほんとだ。」



女性が立っていた場所には、何かがあった。

しかし、暗くて良く見えない。



幽霊かもしれないと、好奇心に負けたカップルはその何かを確かめる為に近付いた。



「「…………っ!!!!」」



カップルが声も無く、腰を抜かす。


何か、の正体は幽霊なんかより恐ろしい、血まみれの死体だった。

「南能、昨日のあれはなんだ?」


「何って、特ダネじゃないですか。先輩に譲ってあげたんですよー。」



警察担当である秀滝(ヒデタキ)は、潮に詰め寄っていた。


夜も明けきらぬ昨日午前3時、『殺人事件です。すぐ来て下さい。』場所だけ告げられ切れた潮からの電話。



仕方なく言われた場所へ行くと、男性が血まみれで倒れていたのだ。



潮の言う通り、現場に一番のりで特ダネにはなったのだが、何故潮から連絡が来たのか秀滝は納得がいかなかった。



「タッキーさんどうしたんですか?朝からそんな顔で。」


「俺はそんな名前じゃないし、この顔は元からだ。」



秀滝は、どこぞのアイドルに似た苗字が嫌いだった。


潮も散々からかい、結局部署が違うのにも関わらず、先輩に落ち着いた。



「幄倍さん!聞いてくださいよー先輩ったら特ダネ提供したのに、褒めてくれないんですー」

「それは酷いねー。」


「お前は口を挟むな。」



会話を聞いていたのか参加してきた囃噺を、秀滝は嫌そうに見た。


8歳も年が上なのに、同期というだけで軽口をたたいてくる囃噺を、秀滝はどうも好きになれない。

「なんであんな時間に南能がいたんだ?しかも、行ったら現場にいないし。それに」



「それに、現場から立ち去った人物の目撃証言が、南能に酷似している。」


「薇晋さん。」



秀滝の言葉を遮ったのは、千葉県警捜査一課、薇晋(ビクニ)警部だった。


その後ろには、崇厩(タガウマヤ)巡査部長もいる。



「ちょっとそれ、どういうことよ。南能が犯人とでも言いたいわけ?」


「そういうわけではありませんが、重要参考人として話を…」



啄梔の憤りに圧倒されながらも、崇厩は警察官としての職務を果たそうとする。



「通報を受けて駆け付けた所轄より、秀滝の方が現場に先にいたのは南能から電話があったかららしいな。目撃証言からいっても、事情を聞くのは問題ないはずだが?」



「それはそうだけど…って、他じゃ現場から逃走した人間が犯人みたいな書き方だったわよ。秀滝がにおわせるに止めたのは、正しい判断だけど。あれじゃいつか辿り着くわ。」


「一応容姿は伏せてもらってるがな。報道協定じゃないからな、いつ洩れるかは分からん。だからわざわざ、話を聞きに来たんだ。」



報道される前に、事実確認をしたかった。

「似た人なんじゃないですか?よくあるでしょ、他人の空似。」


「他人の空似が、秀滝の電話番号知ってるわけないでしょ…」



思い付きが的外れ過ぎる幄倍に、囃噺は呆れるしかない。



「南能、被害者とも面識があるよな?何てったって、前の職場の先輩だもんな。」


「被害者が?フリーライターって書いてたわよね?」



「現在はそうですが、半年前まで南能さんと同じ痲蛭というオカルト雑誌社で編集長をしていました。まぁ、10人にも満たない雑誌社でしたから、編集長といっても色々雑務もしていたようですが。」



啄梔は秀滝に話し掛けたつもりが、崇厩がフライングする。




被害者は、国北照(クニキタ アキラ)41歳。

死因は、頭と体を鈍器のようなもので殴られたことによる、外傷性ショック。


犯人に繋がるような凶器・指紋等の証拠は、今のところ発見されていない。


職業はフリーライター、独身。

そして、潮の元先輩。



「しかも、よく会っていたみたいだな。雑誌社を離れてからも度々。」



オカルト好きで息投合していた潮と国北が、先輩後輩の仲だけではないと疑っている社員も痲蛭にはいたようだ。

「よくもまあ、ペラペラと喋りますねー。ここ新聞社ですよ。情報管理なってないんじゃないですかぁ?」



薇晋と崇厩が来てから、今まで一切口を挟まなかった潮が口を開く。


馬鹿にした、それもかなり上から目線の態度で。



「馬鹿にするのも大概にしてください!これは殺人事件なんですよ!?人一人亡くなっているんですよ!?しかも、貴女の元先輩が!協力しようと思わないんですか!?」


「崇厩、落ち着け…。」



潮の態度が癪に障ったのだろう。

興奮して責めるような口調の崇厩を、薇晋は体も使って諌める。



「任意、ですよね。殺人事件だからといって、誰もがペラペラ喋ると思わないでくださいね?権力になんて屈しません、黙秘しまーす!」


「はぁ?貴女何言って……」



「じゃ、取材あるんで、行ってきます!」


「え?ちょっと、南能?!」



ふてぶてしく言って高らかに宣言したと思ったら、潮は取材に出掛けてしまった。



容疑者といってもいいぐらいの立場なのは先程の会話から、重々分かっているはずなのだが。


周りに反して、事件に関して気にする様子が潮からはまるで感じられ無かった。

先輩、事実です

「啄梔!南能はどこだ?!」


「取材でいないわよ。というか、張り付いてたんじゃないの?」



あれから数日、特に進展も無いまま、かといって何もしない訳にいかないので、仕方なく薇晋と崇厩は潮を尾行していたのだが。



「ああ。だが、俺達を撒きやがった。」


「取材先の裏口から出ていったんです。」



事情を話せという圧力の意味も込めて、あからさまに尾行をしていたのだが、なんとも古典的な方法で撒かれてしまった。


すぐさま探したのだが見付からず、戻っているかも知れないと思って陽明日新聞社へ出向いたのだ。



「当たり前じゃないですか。威圧感丸出しで怖い顔した男を2人も連れて、取材先を回るなんて出来ませんから。」


「南能……!」



怒る薇晋の後ろより、取材先から戻った潮がしれっと言ってのける。



「完全に営業妨害です。デスク、何とかしてくださいよー。取材する前に相手が怯えますー。」


「何とかって…あんたねぇ…」



警察を完全に邪魔者扱いだ。


まぁ確かに、尾行を撒く前の取材相手に不審がられたのは事実だ。


啄梔は呆れるが、潮の言うことにも一理ある。

「ついて来られるのが嫌なら、知ってること全部吐け。そしたら、止めてやる。」


「何ですか、その上から目線は。吐けとか私、犯人じゃないんですけどー」



譲らない両者に、巻き込まれたくない社会部の面々は、成り行きを見守るしかない。



「南能、戻ってたか。」


「あ、先輩。」



薇晋と睨み合っているところに、秀滝が現れた。



「あれから記事書かなかったんですね。取材の申し込みされるかと思って、待ってたんですけど。」



ふざけるように言って笑う潮にも、秀滝は反応しない。



「先輩?」


「俺達が…、俺達が信じられないか?俺はそんなに信用ないか?」


「…な、何言ってるんですか?先輩を信用してるに決まってるじゃないですかー。電話だって」



「電話はいまだに分からないが、俺が話を聞きたいと言って、今の南能が素直に話すとは思えないんだが。」



「……………。」



図星のようで、潮は目線を反らし黙ってしまう。



「言ってることが本当か嘘かぐらい分かる。南能が何か隠してることもな。書く気はないし、無理矢理聞く気もないが、隠されるのは良い気分じゃない。信頼されてないようでな。」

秀滝は真顔だが、その声には寂しさが含まれているように潮には聞こえた。



「…………………はぁ。」



短く溜め息をつくと、観念したかのように脱力して椅子に座った。



「莪椡渠瑛って知ってます?」


「知ってるもなにも、元県議会議員だろ?横領疑惑で心中したあの。俺の先輩刑事が担当で、良く聞かされた。」


「結構な話題になりましたもんね。俺、当時中学生でしたけど、印象は強かったです。」



「そういえば、秀滝。取材に行ってなかったっけ?」


「ああ。警察担当になりたてで、右も左も分からないまま、がむしゃらにしてた記憶がある。マスコミもかなりの数だったな。」



「そうね。うちでも、長い期間取り上げたわ。横領疑惑に心中で、国民の感心も高かったし。」


「そうなんですか。僕、その頃はテレビばっかりでしたけど、テレビでも凄かったですよね。ニュース以外にも、連日放送されてましたもんね。」



上から薇晋と崇厩、囃噺と秀滝、啄梔と幄倍である。



意見は様々だが、皆一様に覚えているようだ。


県だけでなく、国をも騒がせたあの惨劇を。

今から16年前、県議会議員である莪椡渠瑛(ガクヌギ ミゾテル)39歳とその妻、莪椡稽滸(ガクヌギ ケイコ)35歳が自宅で死亡しているのが見付かった。



死因は、鋭利な刃物で刺されたことによる失血死。


渠瑛の腹に両手で握り締めた状態の包丁が刺さっており、それが稽滸の傷口の形状と一致。

政務活動費の横領の噂もあったことから、渠瑛が妻と共に心中を図ったと警察は結論付けた。


結局、横領の件は渠瑛が死亡したことで、うやむやになり自然消滅した。



「そういえば、発見したのって子供と運転手よね?うちはあんまり報道してなかったけど、その辺は?」


「取材しようと思ったけど、他がわんさかいてな。当時の俺には。」


「確かに、横領疑惑の方ばっかりだったわね。」



囃噺と啄梔は知らないから言えるが、当時の現場を知る秀滝にとって横領疑惑以外は書けなかった。


いや、書きたくなかった。

だから、必死に横領疑惑を追っていた。



両親を失い、慕っていた夫婦を失い。

あんな状態の2人に、取材やマイクを向けること、張り付くこと。


記者としては失格かも知れないが、秀滝には出来なかったのだ。

「発見者の子供は、娘の莪椡折姫、運転手は綻着嚇止です。」



いつも通りに学校から帰ってきた渠瑛と稽滸の娘、莪椡折姫(ガクヌギ オリヒメ)、当時9歳。


渠瑛の運転手であり、折姫の送り迎えもしている綻着嚇止(ホコロギ カクジ)、当時25歳。



この2人が第一発見者だ。



「ああ、そんな名前だったわね。でもその後どうなったのかは分からないわね。事件を受けて、莪椡渠瑛は除名処分、議会は火消しに必死だったし。」


「マスコミが押し寄せたせいで、逃げ隠れするしかなかったんだ。最終的には警察も把握出来ずに、所在不明だけどな。」



啄梔の疑問に、薇晋は嫌味を込めて答えた。



「確かに、自分が事件を起こした訳でもないのに追われるのは大変ですもんね。こっちも必死だけど、向こうには関係ないですもんね。折姫ちゃん、どうしてるのかな。」



記者という仕事上、仕方ないといえば仕方ないのだが、幄倍の言う通り家族には関係がない。


特に、子供にとっては。



忘れたくても忘れられない、両親の変わり果てた姿。


記者などそんな記憶を呼び起こす、嫌な集団にしかならないのだから。

「国北先輩は、その事件を追っていました。莪椡渠瑛は嵌められた。罪を着せられて殺されたんだと。」



「嵌められた?警察が心中で処理した案件だぞ?」



もちろん事件、自殺の両方で警察は調べた。


しかし、不審な点は見当たらず、心中で片がついたはずだ。



「しかも、なんで国北が?今はフリーライターだったとしても、半年前までオカルト雑誌社の編集長でしょ。そんな人がどうして16年も前のことを…?」



囃噺の疑問は当然だ。


国北の交遊関係に、莪椡渠瑛のことは出てきていない。

もしあれば、名前が出た時点で薇晋が話している。



「まぁ確かに、最初は自殺、それも心中に疑問を呈する人もいました。でも、警察が心中と発表した後は、そこから先を調べようとする人間は誰一人いませんでした。」



誰もが、莪椡渠瑛ではなく警察を信じた。


県議会の人間、学校の友達、親戚などかなり親しかった人までも。



「けれど、莪椡渠瑛は絶対に自殺なんかしない。ましてや、妻を巻き込んで心中なんか。そう思って莪椡渠瑛を信じる人間が、関係者の中に2人だけいたということです。」

「心中に疑問だったとして、なんで国北が……まさか…!」



囃噺は、行き着いてしまった自分の考えに凍り付く。



「囃噺さんの考えは当たっていると思いますよ。国北先輩は、16年前、莪椡渠瑛の運転手をしていた綻着嚇止、本人です。」


「な、なんだと?!」



薇晋が驚くのも無理はない。


当時綻着嚇止の行方を掴む為、ひいては身柄を保護する為に、警察はありとあらゆる手段を使って探したのだ。


しかし、それでも見付からなかった。



議会が火消しに回ったことで騒ぎも落ち着き、警察は結局所在を掴めぬままとなったのだ。



「警察も知らない情報、なんで南能が知ってるのよ?」



「…今、関係者が2人って言わなかった?」


「その時の関係者で、自殺に疑問を持っても不思議じゃないもう一人……」



啄梔の言葉に、幄倍と崇厩は顔を見合わせる。



「私が、莪椡渠瑛の娘、莪椡折姫です。」



「「………!!!」」



話が聞こえていたであろう他の社会部の人間を含めた、この場にいる全員が言葉を失った。



何故なら、己の過去であるにも関わらず、潮はかなり他人事みたく話をしていたからだった。

「名前、変えたのか?」


「はい。苗字もそうですが、折姫なんて名前、結構目立ちますからね。」



氏名は正当な理由がある場合、申請すれば変更は可能だ。


名前が世間に広く知られてしまい、尚且つ特定されやすかった2人は、変更せざるを得なかった。



秀滝も自分の名前が嫌な為に調べたことはあったが、正当な理由には程遠かったので、変更出来た人間がしかも身近にいるとは思わなかった。



「だが、名前を変更したとしても追えるはずなんだがな。事が事だったから、令状も出したはずだ。」


「それは……、まぁ多分、上手いことしてくれたんだと思いますよ。」



「随分歯切れが悪いな。警察以上に裁判所に顔が利くなんて、そっち方面だよな?」



薇晋の言うそっち方面……


つまり、莪椡渠瑛が属していた政財界のことだ。



「誰だ?」

「言えません。」



薇晋に対し、間髪を容れずに潮は答える。



「南能~!ここまで言って黙秘かっ!」


「向こうに迷惑はかけられないです。それにあの時、窓口になってくれた人以外は知らないんですよ。私は子供だったし、嚇止くんはそんな余裕なかったし。」

そう言って、潮は首にかけていた鍵を取り出して、自分の机の引き出しを開ける。



「じゃ、その窓口の人物は?」


「だ・か・ら!言えないって言ってるじゃないですか!」



言いながら、引き出しから取り出した厚さ10センチにもなるファイルを、薇晋の目の前に差し出した。



「なんだ?」


「今までに嚇止くんと私が調べたものです。」



ファイルの中身は、横領疑惑に関係するであろう帳簿の資料だった。



「これは……」


「それは半分です。もう半分は嚇止くんが持ってます。」


「いや、このようなものは、どこからも発見されていないが。」



警察が、国北照もとい綻着嚇止の殺害現場や自宅など探しても、こんな資料は見付かっていない。



「でしょうね。あったら薇晋さんが最初に言ってるでしょ。」


「ああ。」



「今時、紙資料が珍しいですか?データだと仕事上紛れるからって、それだけは紙にしたんですよ。半分にしたのは、どちらかが奪われても、大丈夫なように。」



これでも結構危ない橋、渡ってるんですよー。

軽く笑う潮だが、ファイルの中の資料を見ればかなりの無茶をしてきたのは見てとれる。


マル秘扱いのものばかりだからだ。



「それ、薇晋さんに預けます。」


「え?だが…」



「警察にあった方が何かと便利でしょ。担当の薇晋さんのとこなら尚更。」


「南能…」



後生大事に持っていたであろう資料を、ウインク付であっさり渡す潮。



「嚇止くん、何か掴んだみたいで。あの日の昼間、電話があったんですよ、誰かに会いに行くって。でも、場所は言ってたけど誰と会うかは言わなかったし、私は取材の約束あって行くのが遅くなって…」


「だからあんな時間にいたのか。」



秀滝の疑問がやっと解けた。



「でも、なんで俺だったんだ?花持たせたいなら、囃噺の方が良かったんじゃないか?」


「それは………じ、事件といえば先輩だと思ったからです。それに、囃噺さんなら自分で特ダネ掴みますよ。うだつが上がらない先輩を見ていると、後輩としては心配なんですよー」


「南能は先輩思いだなぁ~。良かったじゃん、秀滝!」



後半はいつもの軽口に戻った潮と、完全に馬鹿にしている囃噺に、怒りで顔が引き攣る秀滝であった。

先輩、危険です

「墜玄さん!お久しぶりです。」



潮はとある人物に会っていた。



「折姫ちゃん……あ、今は潮ちゃんだったね。久しぶり。」



とある人物………、

県議会議員の碣屠實墜玄(ケツトミ ツイハル)46歳だ。



「突然電話があるからビックリしましたよ。関係がバレたらマズイから、会わないようにって言ったの墜玄さんの方なのに。」


「ごめん、ごめん。つい、声が聞きたくなってね。」



碣屠實は爽やかに笑う。


この碣屠實墜玄こそ、16年前に潮と国北を助けた窓口的人物。


16年前、新人であった自分の面倒をよく見てくれていたと莪椡渠瑛に恩を感じていたらしく、色々としてくれたのだ。



しかし、働くようになってからはもう自分がいなくても大丈夫だと言われ連絡はしていなかった。



「嘘、ですよね。からかわないでくださいよ。それくらい分かりますよ。嚇止くんのことですよね?」


「やっぱりバレたか。敵わないなぁ。」


「記者をなめないで下さい。」



大袈裟におどけてみせた碣屠實に、潮は自慢げに笑う。

「新聞見たよ。犯人はまだ逃走中なんだって?」


「そうなんですよ。犯人に繋がるようなもの、何もなかったみたいで。警察も目下捜索中、って感じです。」



碣屠實も嚇止の訃報に驚き、潮に連絡を入れたようだ。



「そっか。早く捕まるといいんだけど。………ねぇ、嚇止くんから何か預かってるものとかないの?」


「預かってるもの…ですか?」


「うん。何でもいいんだ、最近じゃなくても。ほら、警察には分からなくても、僕達なら分かることがあるかもしれないでしょ。」



「そう…ですね……」



潮は迷う。

碣屠實の言うことにも一理あるが、資料のことは嚇止と2人だけでしてきたこと。


不正など持っての他、クリーンな政治を売りにしている碣屠實。

そんな彼の性格上、横領関係の資料があるなど知ってしまったら怒りに任せて告発しかねない。


何よりその資料は、薇晋に預けてある。



「国北先輩としてのことを警察が聞きに来た時に、関係あるかないか分からないものも全て、過去のものとか渡しました。だから、私の手元には無いんですよ。でも、警察なら絶対犯人捕まえてくれますから大丈夫ですよ。」

県議会から国政に進出しようとしている碣屠實に心配かけないように、潮は曖昧に濁した。


まぁ実際関係するものは、あの資料しかないのだが。



「随分警察を信用してるみたいだね。渠瑛さんと稽滸さんの時は、全く役に立たなかったのに。」



過去を思い出したのか、碣屠實の声が少し怒りに変わる。



「……まぁ、あの時は。ただ、話を聞きに来た薇晋っていう刑事さんは信頼出来ますよ。ウチの警察担当とも仲が……良くは無いですけど、嘘も無いですから。」



秀滝と薇晋の仲……というより囃噺のおかげで、関係各所での陽明日新聞社の評価は芳しくない。


まぁ秀滝は、囃噺よりは強引ではない為、持ちつ持たれつな感じだ。



「そっか。じゃ全部警察にあるわけだ。」


「はい。安心でしょ。」


「そうだね。」



碣屠實は、得意気に言う潮の頭を撫でる。



「ちょ、子供扱い止めて下さいよー」


「ごめん、つい可愛くってね。」


「褒めても何にも出ませんよー」



いつまで経っても変わらない碣屠實の態度に、潮はむくれつつも懐かしい感覚に浸るのだった。

「先輩っ…!」



碣屠實と会ってから数日。

取材先にいた潮は、囃噺からの電話に、新聞社へ飛んで帰ってきた。



――秀滝が資料を受け取って警察から帰る途中、襲われて怪我をした。



「南能…!?」


「大丈夫なんですか?!」


「…ああ。大したことない、かすり傷だ。」



秀滝が警察から帰る途中、バイクに乗った何者かに襲われバッグを奪われた。

抵抗して、左手の甲に切り傷と左腕に軽い打ち身を負ったが、生活にも仕事にも支障はない。



「南能…?」



秀滝は大丈夫と言ったつもりだったが、潮の表情は険しいまま。



「先輩に資料を渡して、その直後に襲われるなんてどういうことですか?!」


「す、すまん…。」


「南能、俺が無理矢理…」



薇晋に詰め寄る潮を、秀滝は言葉で制する。


ペンの忘れ物に気付いた薇晋が秀滝を追いかけ、襲われているのに気付いたが間に合わず、資料は奪われてしまった。



「警察にあるんなら安全だと思ったのに……」


「今、全捜査員でバイクの行方を追って、資料を」



「資料なんてどうでもいいんです!!」

証拠となる資料が奪われて、怒っているものだと思っていたのだが、当の潮はどうでもいいと言った。



「資料がどうでもいいって……だってあれは大切な証拠だぞ?」


「警察にあれば嚇止くんみたいにならないと思っただけです!でも、もういいです。コピーなんてないし、もう犯人の用はないでしょう。もうこの件は終わりです。」



潮はそう言って、一方的に話を終わらせた。



「は?南能、あのな…」



「終わりかどうかはお前が決めることではない。」


「オーナー……」



薇晋が言葉の真意を潮に確かめようとした時、この場に滅多に現れない埜尻が入口に立っていた。



「読者は求めている、まだこの事件を。太陽の様な情熱と明日をも見通す話題、それが我が社の方針だ。読者が求める限り終わらせることはない。社の方針に従えないなら、辞めてもらって構わない。」



演説をするように、そして最後は経営者として。


埜尻は、潮に選択を迫る。



「オーナー、辞めるとか辞めないとかそれはいくらなんでも…」



啄梔はデスクとして、そして潮の上司として、恐々ながら埜尻に伺いを立てる。

「社の方針に従えない人間など、陽明日にはいらん。全ては読者の為だ。」



読者の為。


そうは言っても、結局売上重視なのはみな分かっていた。



心機一転、変更した陽明日という名前。


これは、埜尻を捩ってヒップアース、それを体の良いように漢字を当てはめたという噂があるぐらいだ。


埜尻が、新聞社を私物化しようとしている表れなのだろうか。



「…………分かりました。出過ぎたことを言って申し訳ありませんでした。取材の途中だったので、失礼します。」



まるで棒読みの台詞の後、深々と頭を下げ、潮は出ていってしまった。



「全く……。啄梔、部下の管理ぐらいお前がちゃんとしておきなさい。」


「申し訳ありません…」



言うだけ言って、埜尻も社会部を後にした。



「デスク!オーナーはどうにかならないんですか?」


「無理言わないで。っていうか、南能よりあんたの方がよっぽど要注意よ!」



オーナーの言動もどうかとは思うが、普段の囃噺の取材方法も目に余ることが多々あるので、啄梔は自分のことを棚にあげるな、という意味を込めて囃噺に釘を刺した。

「南能。」


「……先輩…」



秀滝は出ていった潮が気になり、取材先に行くと言ったので急いで探したのだが、あっさり見付かった。


何故なら潮は、裏口付近で空を見上げボーッとしていたからだ。



「悪かった、資料のこと。俺の伝も頼ってみようと思って、薇晋警部に貸してくれるように頼んだんだ。片が付いた事件を蒸し返す様なことはしないと上に言われたらしくてな。警察としては派手に動けないからと聞いて。」



潮のことは窓口の人物の名も聞けず仕舞いだったので伏せたが、結局警察としては進展せずだ。



「先輩が悪いんじゃないですよ。警察に渡せば、もうそれで安心だと思ってた私のせいです。まさか私じゃなくて先輩が襲われるなんて。あんな資料のせいで…」



悔しそうな悲しそうな、潮が気になるのは資料ではなく秀滝のこと。



「資料のせいって、あれは綻着嚇止と南能が命懸けで集めたものだろう?」


「それは、そうですけど……。でも、そのせいで、私以外の人が傷付くのはもう嫌なんです。」

自分と嚇止なら、別によかった。


嚇止が殺されて悲しいが、それでも資料を集めていた者として、当事者として、何かしらの邪魔が入ることは覚悟していた。



真実を知る為に。

疑惑を晴らす為に。


今までしてきたけれど。



無関係の人を巻き込むようなことになってしまった。


しかも、一番遠ざけたかった秀滝を。



「嚇止くん、きっと気付いてたんですよ。陽明日で働きたかった理由も、私が楽しんでることも。電話の最後に嚇止くんが言ったんです。」



――お前はもう、苦しまなくていい。俺が終わらせてやる。



「だから嚇止くん、一人で無理して……」


「南能のせいじゃない。」



「…先輩は優しいですね。」


「そんなことはない…」



俺は16年前、逃げたのだから。



「優しいですよ。先輩はいつでも。」



「いつでも…?」


「…何でもないです。」



何かを思い出したのか、潮の表情が柔らかくなる。


しかし、軽く誤魔化された秀滝には、潮の微笑みの意味は分からなかった。

「薇晋さんにはああ言っちゃいましたけど、先輩が調べようとしてくれて嬉しかったですよ。先輩、もうこの件書かないかと思ってたんで。」



潮が過去のことを話した後も、秀滝は嚇止の事件について追加記事は書いていなかった。



「何か進展があれば書く。お前のことや資料のこと、書けば素っ破抜けるがな、今の時点で書く気はない。資料について裏も取れてないし、むやみやたらに煽る記事も書きたくないしな。デスクにもそう言ってある。」


「デスク、止めてくれてたんですね。オーナー、事情知ってたみたいでしたけど。」



「ああ。一応、裏取れてなくて、誤報はマズイだろうと濁してくれたらしい。」



いくら利益目的の埜尻でも、焦って誤報は信用問題に関わる。


秀滝の思いを汲んだ啄梔は、それを上手いこと使ったようだ。



「まっ、先輩らしいですねー。自分の耳と目で確かめたことしか書かないってとこ。私、先輩のそういうとこ好きですよ。」


「……………。」



むやみに好きとか言わないで欲しい。



と秀滝は言いたかったが、記者としてで他意はないのだろうと無理矢理思い込み、その言葉は飲み込んだ。

その代わりに。



「南能、これ持っとけ。」


「何ですか、これ?」



秀滝から手渡されたのは、手のひらサイズの小さな容器。



「催涙スプレーだ。」


「何で今更?ってか、催涙スプレーなんて何で持ってるんですか?」



「刑事事件はそっちと違って結構危ないんだよ。今日もこれに助けられたんだ。」



思っていたのと違う抵抗をされて驚いたのか、ヘルメット越しでも視界を汚した催涙スプレーは効いた。


秀滝はその隙をついて離れることが出来、かすり傷程度で済んだのだ。



「変質者に怯える女子高生みたいですね。」


「悪かったな。」



「拗ねないでくださいよー。ありがたく貰ってあげますよ。先人の知恵は素直に受け取っとかないと、ですよね。」


「馬鹿にしてるだろ。」



「してませんよー。」



潮は否定するが、その顔と態度をみればそれが嘘であることはすぐに分かった。


しかし。



「ありがとうございます。凄く心強いです。」



なんて笑うものだから。


いつも通り……とまではいかないのだろうが、ふざけた言動が出来ているのなら一安心と秀滝は思うのだった。