それこそが僕の終活における集大成なのだから。
最後は恨み言も泣き言もなしだと決めていた。
僕はもう十分、自分と向き合い対話をしてきた。
その僕がこれでいいと決めたのだから、きっとこれが正解なのだ。
翌日の午前五時。朝食サービスの開始時間に合わせて僕は、人生最後の食事をした。
「——いただきます」
誰かが作るちゃんとした食事を口にするのは一体いつ振りだろうか。
残りわずかな生を噛み締めて、命を分け与えてくれた動植物たちとこの食事を作ってくれた顔も知らない誰かに向けて、感謝の気持ちを込めて頂く。
僕の体内へと入っていくあたたかな米や卵、味噌汁が本来であれば僕の血となり肉となり、骨となるのだと思うと、何だか生きているとはとても尊いものだったのだと泣きそうになった。
僕はいつだって何かに、誰かに生かされていたのだと知ることができたのだ。
食事の前後の挨拶だってそこにはちゃんと意味が込められている。
生きとし生けるものすべてに感謝を込めることの大切さを、こんな時になってようやく知る自分を恥じた。