「初めは単なるおふざけみたいなものだった。だけど気付いたら部活内でいじられ役からイジメのターゲットにすり替えられていたんだ」
それはどこにでもあるイジメの始まり方だった。そして彼は不運にもそのイジメの主犯とクラスメイトだったことで次第にクラスでも浮く存在となっていたらしい。
まるで誰もが彼と言う存在を弾き出す様に、ある者はイジメの主犯に同調し、ある者は我関せずと言わんばかりに見て見ぬ振りをし、またある者はこれまであまり話した覚えもないのに陰口を叩き始めたと言う。
彼は元々自分はいじられ役だったと言った。
そもそも“愛あるいじり”と、“心ないいじり”は似ている様で全くの別物であることをどれだけの人たちが理解できているのだろうか。
いじられキャラと呼ばれる彼らにだって、許せるいじりとそうでないいじりがある事を僕たちは知っておかなくてはならない。
確かにいじりとは、簡単に周囲の笑いを誘えるかもしれない。
だけど、そのさじ加減を一歩間違えればそれは最早イジメ同然だ。
実際この“いじられ役”や、“いじられキャラ”と呼ばれる多くの人たちが、いじめ同然の言葉を投げかけられたり、軽々しく暴力を振るわれたりするのを僕は今までたくさん見てきた。
おそらく多くの人たちが、その存在の扱い方を誤って認識してしまっているからだろう。
誰かを落とし、貶し、悲しませてまで取る笑いなんて僕は認めたくなどない。