また先ほどのダイニングバーへ行き、店の前で牡丹と友伸は分かれた。階段を下りて涼聖は異様な雰囲気を感じとった。
「変な臭いがします」
ケミカルな臭い、人の臭い、醜悪な雰囲気がする。
「そうやろな。地下で薬の密売がされてる。さすが獣型妖怪やな」
斗樹央は涼聖の頭を「エライエライ」と撫でてから黒いマスクを取り出した。「華は黒いのがいいんやて」華も黒のマスクをする。どう見ても三人の方が悪役だった。
ドアの前に立つと「よっしゃ。ほどほどで行こか」斗樹央はドアを開けた。ドアの中は落ち着いた雰囲気のバーだった。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
店員が三人の前に来て、笑顔で言う。
「ここの違法ドラッグってめっちゃ臭いな。外まで臭ってるでー」
店員はすぐに立ち去ろうとしたが、斗樹央が腹を蹴り上げ、店員は宙に浮いて壁側に吹っ飛んだ。涼聖は悲鳴が出そうになり口を押えた。
背中から五十センチほどの木刀を出した斗樹央に「めっちゃアナログな戦闘ですやん!?」と涼聖は訴えた。
「アホか。人に呪は使ったらアカン。ほら、これ持てぇ」
木刀を握らされた涼聖は驚きながらも構えてみる。
「武器はいるやろ?」と斗樹央は不思議そうにしている。木刀は涼聖の武器らしい。どうやって使ったらいいのかわからない。涼聖の体が震えた。
次々に店の奥から人が出てきた。十人、いや二十人はいるかもしれない。かなり殺気立っている男もいる。
「……慎みて五陽霊神に願い奉る。行け、涼聖」
涼聖に斗樹央は言った。何かするのか斗樹央の人差し指を見ていた涼聖は、頭に何かが入り込んだ気がした。
涎を垂らした男に対峙した涼聖は、飛び上がって男の頭の上から木刀を振り下ろした。祝詞を詠む声がする。斗樹央の声だ。狼だけだ。狼だけ容赦なく叩き潰せと命が下る。現実の音と頭に響く斗樹央の声が重なる。涎を垂らした戦闘モードな男はすべて狼のようだった。
「華は涼聖をフォローしてやれ。キッチンから水は運べるやろう。人は俺がやる」
斗樹央はゴーグルを目に装着した。涼聖が倒した狼らしき男に手をかざして呪文を唱えると、男は赤いロープで拘束されていく。そして、水が掛けられた。
「何で水ですかっ?」
華は水を操り、涼聖にもかけてくる。店内は水浸しだった。
「華の操る水は聖水や。妖に操られている人を清める。あとは、記憶の抹消。黙って祝詞聞いとけ」
人だと思われる男には斗樹央が殴りかかった。蹴られて吹っ飛ぶヤツもいる。水が飛び散り、人の呻き声が鳴り響く。何人もの男がロープで縛られていった。
「何事だ?」
店の奥から高級そうなスーツ姿の男が出てきた。斗樹央くらいの身長があるようだった。涼聖は一度体勢を整えた。斗樹央はニヤリと笑い「陰陽師やけど、いらっしゃいませって言わんのかい」と偉そうに言う。悪者はどっちだろう。
「陰陽師? まさか」
スーツの男は驚きながら両手を広げた。その両掌から狼が何匹も生まれ出てくる。狼は次々に店員の男に変化し、三人に襲いかかろうとしている。
「白虎」
斗樹央がそう言うと、何かが吠えた。どこから来たのか、人の何倍もある大きさの白い虎が現れてまた吠える。襲いかかる狼や男を前足で蹴散らし消えていく。涼聖もまた前線に立ち、狼を木刀で倒していった。
「斗樹央、胸に何か持っています」
カウンターのテーブルに座っていた華がスーツの男を指差した。
斗樹央は呪符をポケットから取り出し、呪文を唱えた。
「拘束」
呪符は真っすぐにスーツの男の顔に飛んでいく。額に張り付くとスーツの男は白目を向いて固まった。狼や狼だと思われた男たちが消えていく。――最初からそれをしてくれていればよかったのにと、涼聖は思った。
「華、警察に電話。涼聖、よくやった。ちょっと手ぇ貸せ」
斗樹央が白虎を撫でるとそれは消えた。斗樹央はスーツの男に近づく。ジャケットを脱がせると涼聖に手渡した。
「ポケットん中の物を全部出せぇ」
涼聖はジャケットのポケットに手を入れて、名刺入れ、ハンカチを取り出した。パンツのポケットからは財布が。
「あー、なるほどな」
シャツのポケットから呪符を取り出した斗樹央はすぐにスマホで写真を撮った。そして斗樹央が何か呪文を言うと呪符は燃えて消えた。
「何の呪符ですか?」
「陰陽師に操られてたんやな。まあ、ええわ。狼はもらっとこう」
「は?」
「優秀やろ。何匹も手ぇから狼が出てくるんやで。人に変えへんほうが襲撃率上がるのにな」
「でも、狼って……」
「牡丹、友伸、来いや。狼くんもらったで」
斗樹央はスマホに向かってそう言った。それから白目のスーツの男に向けて人差し指を立てて呪文を言う。するとスーツの男は大きな犬に変化した。斗樹央は絶滅した日本狼だと言う。
「おー、モフモフ。華ぁ、狼はモフモフやったわー」
華は頬を膨らまし、斗樹央は狼の毛を撫でて、とても嬉しそうに喜んでいた。
「涼聖、獣化できるんやったら泊まってもええで」
家に帰った斗樹央は涼聖にそう言った。涼聖はペットボトルの水を飲み、首を横に振った。
「妖力がもうありません……どうやったら獣化できるんかもわかりません」
「ベッドが一つやからな。男と寝るんは俺が嫌なんや」
斗樹央は床に寝かせた狼を撫でながら「拘束はしとこか」と狼を赤いロープで縛った。
「やっぱり、登録してない呪符やった。斗樹央と同じ未登録の陰陽師かな」
友伸はパソコンを見ながらそう言う。さっそく札を調べたようだった。
「登録してるヤツは全国に二十人や。その誰かが未登録の呪符を持っててもおかしくないやろう。登録してるヤツのほうが胡散臭いわ」
「滅多なこと言っちゃダメよ。結局、この国の政治家が占いを必要としているから陰陽師が成り立っているのよ」と牡丹は言う。
「クリーンな政治家もいますよ。西村議員とか、赤川議員とか。もっと公にしておけばいいんです」
憎たらしいのか、元に戻った華は狼の口を無理やり開けて牙を引っ張っている。抜けろと念じているのかもしれない。動物虐待のような気もするが、妖同士だから皆は何も言わないのかもしれない。涼聖が倒れたらもっと酷いことをされるかもしれない。涼聖は気を失わないように気を付けようと思った。
斗樹央が風呂に入ると、友伸と華は帰っていった。華は疲れたのか目をこすりながら友伸におんぶされていた。
「涼ちゃんも帰りなさい」
と牡丹になかば脅されるように言われて涼聖も部屋を出た。何だか知らないが、涼聖は邪魔者のようだった。
涼聖は黒のスウェット姿のまま帰り道を歩いた。
腕には油性マジックで描かれた呪文。気合を入れると出てしまいそうな白い狐耳と尻尾。
狐からたまに人に成るようになった。それから人にしか成らなくなった。ばあちゃんにしょっちゅう言われたことは「もう人やねんから」。でも、人ではなかった。元々が神様の眷属である白狐。
スマホで自分のサイトを見た。笑わず撮られた自分の横顔。姿は人だ。でも自分が普通でないことは薄々わかっていたことだった。
本当は妖だった。なぜか、斗樹央に従ってしまう。それでも、妖がいてもいい場所があった。
「粋な大阪の陰陽師って」
笑いがこみ上げて、涼聖は声に出して笑った。
月曜の朝。
涼聖は出勤前に『TIME』へ行った。朝食に五百円は高いかもしれないが、ゆで卵が食べたかった。
ベルが鳴るドアを開けると、
「いらっしゃい」「いらっしゃいませ」
二人の男に挨拶された。涼聖は驚きながら先に来ていた美紗の隣に座る。泉佐野が座っていた椅子だった。
「おはようございます。えっと……」
「おはよう。涼聖くんは知ってるんか? カッコいいよねぇ。狼牙くん」
美紗はうっとりと背の高い男を見ている。男はにこやかに「おはよう。よろしくね」と言う。
「イケメンやからウチで働かせることにしてん。棟方狼牙《むなかたろうが》くん。あの店辞めさせたからな」
斗樹央は食器を洗っている男を顎で指した。昨日のスーツの男だ。店主の斗樹央自身は煙草を吸っている。
「……モーニングは玉子でココアください」
フッと狼牙が笑った。涼聖が狼牙を見ると「ごめん。かわいいなって思って」と言われる。
「いいヤツやろ」
斗樹央は自慢げに言う。
どうやら狼牙も涼聖と同じで大阪の陰陽師に雇われたようだった。――いや、ちょう待って。狼はアカンねんけど。でも涼聖は言わなかった。
「仕事終わったらウチ来い」
「五時くらいです」
「んじゃ閉店作業手伝え」
モーニングセットを食べて斗樹央に五百円を支払った。
「いってらっしゃい」と言われて、なぜか笑顔で「行ってきます」と涼聖は言った。
「変な臭いがします」
ケミカルな臭い、人の臭い、醜悪な雰囲気がする。
「そうやろな。地下で薬の密売がされてる。さすが獣型妖怪やな」
斗樹央は涼聖の頭を「エライエライ」と撫でてから黒いマスクを取り出した。「華は黒いのがいいんやて」華も黒のマスクをする。どう見ても三人の方が悪役だった。
ドアの前に立つと「よっしゃ。ほどほどで行こか」斗樹央はドアを開けた。ドアの中は落ち着いた雰囲気のバーだった。
「いらっしゃいませ。何名様ですか?」
店員が三人の前に来て、笑顔で言う。
「ここの違法ドラッグってめっちゃ臭いな。外まで臭ってるでー」
店員はすぐに立ち去ろうとしたが、斗樹央が腹を蹴り上げ、店員は宙に浮いて壁側に吹っ飛んだ。涼聖は悲鳴が出そうになり口を押えた。
背中から五十センチほどの木刀を出した斗樹央に「めっちゃアナログな戦闘ですやん!?」と涼聖は訴えた。
「アホか。人に呪は使ったらアカン。ほら、これ持てぇ」
木刀を握らされた涼聖は驚きながらも構えてみる。
「武器はいるやろ?」と斗樹央は不思議そうにしている。木刀は涼聖の武器らしい。どうやって使ったらいいのかわからない。涼聖の体が震えた。
次々に店の奥から人が出てきた。十人、いや二十人はいるかもしれない。かなり殺気立っている男もいる。
「……慎みて五陽霊神に願い奉る。行け、涼聖」
涼聖に斗樹央は言った。何かするのか斗樹央の人差し指を見ていた涼聖は、頭に何かが入り込んだ気がした。
涎を垂らした男に対峙した涼聖は、飛び上がって男の頭の上から木刀を振り下ろした。祝詞を詠む声がする。斗樹央の声だ。狼だけだ。狼だけ容赦なく叩き潰せと命が下る。現実の音と頭に響く斗樹央の声が重なる。涎を垂らした戦闘モードな男はすべて狼のようだった。
「華は涼聖をフォローしてやれ。キッチンから水は運べるやろう。人は俺がやる」
斗樹央はゴーグルを目に装着した。涼聖が倒した狼らしき男に手をかざして呪文を唱えると、男は赤いロープで拘束されていく。そして、水が掛けられた。
「何で水ですかっ?」
華は水を操り、涼聖にもかけてくる。店内は水浸しだった。
「華の操る水は聖水や。妖に操られている人を清める。あとは、記憶の抹消。黙って祝詞聞いとけ」
人だと思われる男には斗樹央が殴りかかった。蹴られて吹っ飛ぶヤツもいる。水が飛び散り、人の呻き声が鳴り響く。何人もの男がロープで縛られていった。
「何事だ?」
店の奥から高級そうなスーツ姿の男が出てきた。斗樹央くらいの身長があるようだった。涼聖は一度体勢を整えた。斗樹央はニヤリと笑い「陰陽師やけど、いらっしゃいませって言わんのかい」と偉そうに言う。悪者はどっちだろう。
「陰陽師? まさか」
スーツの男は驚きながら両手を広げた。その両掌から狼が何匹も生まれ出てくる。狼は次々に店員の男に変化し、三人に襲いかかろうとしている。
「白虎」
斗樹央がそう言うと、何かが吠えた。どこから来たのか、人の何倍もある大きさの白い虎が現れてまた吠える。襲いかかる狼や男を前足で蹴散らし消えていく。涼聖もまた前線に立ち、狼を木刀で倒していった。
「斗樹央、胸に何か持っています」
カウンターのテーブルに座っていた華がスーツの男を指差した。
斗樹央は呪符をポケットから取り出し、呪文を唱えた。
「拘束」
呪符は真っすぐにスーツの男の顔に飛んでいく。額に張り付くとスーツの男は白目を向いて固まった。狼や狼だと思われた男たちが消えていく。――最初からそれをしてくれていればよかったのにと、涼聖は思った。
「華、警察に電話。涼聖、よくやった。ちょっと手ぇ貸せ」
斗樹央が白虎を撫でるとそれは消えた。斗樹央はスーツの男に近づく。ジャケットを脱がせると涼聖に手渡した。
「ポケットん中の物を全部出せぇ」
涼聖はジャケットのポケットに手を入れて、名刺入れ、ハンカチを取り出した。パンツのポケットからは財布が。
「あー、なるほどな」
シャツのポケットから呪符を取り出した斗樹央はすぐにスマホで写真を撮った。そして斗樹央が何か呪文を言うと呪符は燃えて消えた。
「何の呪符ですか?」
「陰陽師に操られてたんやな。まあ、ええわ。狼はもらっとこう」
「は?」
「優秀やろ。何匹も手ぇから狼が出てくるんやで。人に変えへんほうが襲撃率上がるのにな」
「でも、狼って……」
「牡丹、友伸、来いや。狼くんもらったで」
斗樹央はスマホに向かってそう言った。それから白目のスーツの男に向けて人差し指を立てて呪文を言う。するとスーツの男は大きな犬に変化した。斗樹央は絶滅した日本狼だと言う。
「おー、モフモフ。華ぁ、狼はモフモフやったわー」
華は頬を膨らまし、斗樹央は狼の毛を撫でて、とても嬉しそうに喜んでいた。
「涼聖、獣化できるんやったら泊まってもええで」
家に帰った斗樹央は涼聖にそう言った。涼聖はペットボトルの水を飲み、首を横に振った。
「妖力がもうありません……どうやったら獣化できるんかもわかりません」
「ベッドが一つやからな。男と寝るんは俺が嫌なんや」
斗樹央は床に寝かせた狼を撫でながら「拘束はしとこか」と狼を赤いロープで縛った。
「やっぱり、登録してない呪符やった。斗樹央と同じ未登録の陰陽師かな」
友伸はパソコンを見ながらそう言う。さっそく札を調べたようだった。
「登録してるヤツは全国に二十人や。その誰かが未登録の呪符を持っててもおかしくないやろう。登録してるヤツのほうが胡散臭いわ」
「滅多なこと言っちゃダメよ。結局、この国の政治家が占いを必要としているから陰陽師が成り立っているのよ」と牡丹は言う。
「クリーンな政治家もいますよ。西村議員とか、赤川議員とか。もっと公にしておけばいいんです」
憎たらしいのか、元に戻った華は狼の口を無理やり開けて牙を引っ張っている。抜けろと念じているのかもしれない。動物虐待のような気もするが、妖同士だから皆は何も言わないのかもしれない。涼聖が倒れたらもっと酷いことをされるかもしれない。涼聖は気を失わないように気を付けようと思った。
斗樹央が風呂に入ると、友伸と華は帰っていった。華は疲れたのか目をこすりながら友伸におんぶされていた。
「涼ちゃんも帰りなさい」
と牡丹になかば脅されるように言われて涼聖も部屋を出た。何だか知らないが、涼聖は邪魔者のようだった。
涼聖は黒のスウェット姿のまま帰り道を歩いた。
腕には油性マジックで描かれた呪文。気合を入れると出てしまいそうな白い狐耳と尻尾。
狐からたまに人に成るようになった。それから人にしか成らなくなった。ばあちゃんにしょっちゅう言われたことは「もう人やねんから」。でも、人ではなかった。元々が神様の眷属である白狐。
スマホで自分のサイトを見た。笑わず撮られた自分の横顔。姿は人だ。でも自分が普通でないことは薄々わかっていたことだった。
本当は妖だった。なぜか、斗樹央に従ってしまう。それでも、妖がいてもいい場所があった。
「粋な大阪の陰陽師って」
笑いがこみ上げて、涼聖は声に出して笑った。
月曜の朝。
涼聖は出勤前に『TIME』へ行った。朝食に五百円は高いかもしれないが、ゆで卵が食べたかった。
ベルが鳴るドアを開けると、
「いらっしゃい」「いらっしゃいませ」
二人の男に挨拶された。涼聖は驚きながら先に来ていた美紗の隣に座る。泉佐野が座っていた椅子だった。
「おはようございます。えっと……」
「おはよう。涼聖くんは知ってるんか? カッコいいよねぇ。狼牙くん」
美紗はうっとりと背の高い男を見ている。男はにこやかに「おはよう。よろしくね」と言う。
「イケメンやからウチで働かせることにしてん。棟方狼牙《むなかたろうが》くん。あの店辞めさせたからな」
斗樹央は食器を洗っている男を顎で指した。昨日のスーツの男だ。店主の斗樹央自身は煙草を吸っている。
「……モーニングは玉子でココアください」
フッと狼牙が笑った。涼聖が狼牙を見ると「ごめん。かわいいなって思って」と言われる。
「いいヤツやろ」
斗樹央は自慢げに言う。
どうやら狼牙も涼聖と同じで大阪の陰陽師に雇われたようだった。――いや、ちょう待って。狼はアカンねんけど。でも涼聖は言わなかった。
「仕事終わったらウチ来い」
「五時くらいです」
「んじゃ閉店作業手伝え」
モーニングセットを食べて斗樹央に五百円を支払った。
「いってらっしゃい」と言われて、なぜか笑顔で「行ってきます」と涼聖は言った。