斗樹央が付いて来いと言った場所は『TIME』から徒歩五分ほどのところにある北谷マンションの五階だった。キョロキョロと周りを見ながら付いてきた涼聖は、斗樹央が角部屋のドアを開けると、そこの空気に驚いて固まってしまった。
「結界キツイか? 牡丹、狐連れてきたで。森之宮涼聖くん」
「やっぱり狐だったの?」
白と薄い紫のワンピースを着た女が玄関に来た。確かに別嬪で美人だ。肩より少し長い髪を揺らして微笑む女に「入りなさい」と言われて斗樹央のあとに続いて中に入る。少し寒いくらいの部屋は広いリビングルームだった。
「狐ねぇ」と女は涼聖の傍に行き、顔を両手で挟んで「白狐ねー。神様の眷属だわ」と言う。
「なんで……そんなんわかるんですか?」
涼聖は驚いた。涼聖自身も自分のことはほとんど憶えていない。気が付いたら狐から人になったことを知っているだけだ。
「お前は高位な術者に封印された白狐。牡丹は、俺が栃木県に旅行した時、殺生石から漏れてた念を掻き出してこの世に留めてる人型妖狐。同じようやけど少ない妖気でも伝説の妖や。なんぼ神の眷属やって言ったかって牡丹の方が位は上」
牡丹は「ご飯作るね~」とキッチンへ行く。
「昼飯何?」
「ハンバーグ。狐が来るっていうから、お子様メニューよ」
何がなんだかわからないけど本当に九尾の狐なのか、と涼聖は疑うが、斗樹央を見るとニヤニヤ笑っている。
「やっぱりハンバーグやオムライスが好きなんやろ? 狐は脂っこいの好きやからな。封印されてていつ人化したんや?」
「四年前、急に人の型が取れるようになりました。たまに人化? してばあちゃんにいろいろ教わりました」
「泉佐野さんもびっくりしてたやろうな」
斗樹央は四人掛けダイニングテーブルの椅子に座った。座れと言われて涼聖も斗樹央の前に座る。斗樹央は左手の甲を涼聖に見せた。星のマークを囲うようにたくさんの漢字が書かれている。
「朱雀、玄武、白狐、青龍。四神に五芒星。俺は陰陽師や。ホンマな、学生の頃は中二病かって自分でも思ったけど、現代でも陰陽師はいるんや。まぁ、俺はどこにも属してへんし占ったりせえへんけどな」
「陰陽師……なんで卜占術《ぼくせんじゅつ》はしないんですか?」
涼聖の曖昧な古い記憶でも陰陽師は占術で身を立てていたはずだった。
「天気予報はスマホ見たらわかる。占って決まった世の中なんか生きるほうがおもしろない。得意なんは真言術や」
「斗樹央に悪さしようなんて思っちゃダメよ。真言なんて言ってるけど、念が強いから何も言わないでやっちゃう時があるのよ。私を封印しなおした時なんか小学生だったわ。ガキだガキだと思ってたのに、いい男になったから土曜の夜はここで斗樹央を待ってるの」
九尾の狐が「ね?」と斗樹央に言う。斗樹央は苦笑し「牡丹は今日も綺麗やで」と言う。確かに牡丹という九尾の狐の彼女は綺麗な人だが、必ず綺麗だと言わないといけないようだ。土曜の夜ということは、昨日は九尾の狐と約束をしていたんだろう。あ、と涼聖が思い出すと斗樹央は苦笑している。涼聖が『TIME』で憑代を探していたから帰るのが遅くなったのだ。
――伝説の妖狐にそう言わせる斗樹央って……涼聖は唾を飲み込んだ。
「あの、生意気なこと言ってすみませんでした」
「陰陽師と狐は相性いいんや。牡丹、九尾牡丹《つづらおぼたん》さんや。梅田の高級クラブで働いてる。お前の憑代は俺が預かっとこか? 誰かに狙われたらお前が危険やからな」
「日曜日に涼聖くんの憑代を磨いてあげるよ。私の妖気は狐に効くから」
九尾の狐に言われて、涼聖は恐る恐る黄色の袋を手渡した。心の中から湧く感情には逆らえない、が事実だった。
「牡丹に磨いてもらったら涼聖の妖力が増えるかもしれん。ここは結界張ってるから誰も悪さできひんし浄化されてるから憑代はここに置いてたらええ。一人で住んでるんか? 泉佐野さんの家は売り払ったんちゃうかったっけ?」
「すぐ近くの北堤マンションの二階で一人暮らししてます」
「仕事は?」
「えっと、アパレルの販売してます。メンズの『C』っていう天王寺に……」
「知ってる! カッコいい服多いよね。ねぇ、斗樹央にまた買ってあげる」
よその男に貢がせて陰陽師に貢ぐのか。九尾の狐が高級クラブで働くことは理にかなっているかもしれないが。
「あ、あと二人来るから」
斗樹央は首にかかっている牡丹の腕を避けて左手で二本の指を立てた。
「え、二人?」
涼聖が驚いていると、インターホンが鳴った。
「来た来た」と牡丹が壁の受話器を取って微笑む。涼聖は背筋を伸ばして座り直した。もしかしたら、もしかするのかもしれない。
「狐が来てるって?」
男性の声がした。リビングに入って来たのは、眼鏡を掛けたスーツの男だった。
「おー、狐くん。初めまして、こんにちは。猫股の魚鐘友伸《うおがねゆうしん》、弁護士です。斗樹央にいじめられたら言ってな。すぐさま訴えようや」
軽い調子で涼聖の目の前に名刺を出して、友伸は片目をつぶった。――ネコマタ……妖だ。
斗樹央はニヤリと微笑んだ。
「いじめてへんで。なぁ、涼聖?」
涼聖は名刺を受け取り、斗樹央を見つめて何度も頷いた。すでに、涼聖は斗樹央には逆らわないようにしようと思っている。
「友伸も呪術使えるから」
「え、呪術ですか?」
「友伸は猫股になった猫から人化して二十五年や。俺がチビのときから見てきた黒猫でな、めっちゃ可愛いいんや」
「そんな、可愛いって、めっちゃ照れるやんかー」
「猫型が、や。あ? 華は? 一緒に来たんちゃうんか?」
「来たで。あれ? 華ちゃん?」
涼聖も友伸が見ている廊下を見てみると、何やらこちらを覗いている影があった。
「あっ?! え、何で僕……」
廊下にはもう一人の涼聖がいた。同じ服を着ていて同じ顔で涼聖そっくりだ。もう一人の涼聖は恥ずかしそうに走って来て、斗樹央の腕に顔を押し付けてしまった。
「華ぁ、アカンやろ。自己紹介しいや」
斗樹央がそう言うと、華という涼聖に似た人は、涼聖の声で自己紹介した。
「妖怪ともかづきの幸共華《ゆきともはな》です。こんにちは、狐さん。でも、私はあなたが嫌いです。どうせ、モフモフになれるんでしょう? モフモフになって斗樹央が抱っこしても決してあなたのことなんか好きじゃ……」
「牡丹、口紅持ってこい」
斗樹央がそう言うと牡丹は溜め息をついてポーチから口紅を取り出し、斗樹央に手渡した。
「オン、ウン、ソワカ」
斗樹央は呪文を唱えて嫌がる涼聖もどきの額に星マーク、いわゆる五芒星を口紅で描いた。すると、涼聖もどきはみるみるうちに女の子に変化していった。腰までの長い黒髪に白いワンピースを着た華は今にも泣きそうになっていた。
「いたずらは終了や。仲良くせえ」
「いやーっ。獣化できるなんて反則ですー」
華はひたすら斗樹央の腕にしがみついている。反則とはどういうことか。涼聖が首をかしげていると友伸が答えた。
「斗樹央はモフモフに目がない。華ちゃん以外は獣化できるからな」
獣化。――獣の姿になれることか。
「僕は獣化できませんよ。っていうか、どうやって元に戻るんですか?」
涼聖の発言に斗樹央は口を開けて驚いている。牡丹も友伸も驚いていた。変なことを言ったつもりはないが、本当に獣化できない、狐に戻れないから涼聖にはどうにもできなかった。
斗樹央は溜め息をつき「涼聖の憑代取って」と牡丹に言う。牡丹は黄色の袋から水晶を取り出し斗樹央に手渡した。どうやら、牡丹は斗樹央の秘書的なサポート役らしい。
斗樹央は左手の人差し指を立てて何かを呟き「開眼」と言った。すると、涼聖の頭から三角形の白い耳が、尻の上部からは尻尾が生えた。
「加減が難しいな」と斗樹央は唸っているが、涼聖は「えぇぇぇぇーっ」と叫んでいる。
「自分で狐耳の収納できるか?」
「収納って、なんですか? 収めるんですか? っていうか、パンツ破れました!!」
涼聖は尻を押さえて、バタバタと足を動かして動揺している。
「友伸、至急でなんか服買ってきたって」斗樹央のお願いに友伸はすぐに部屋を出ていった。
「んー、念が強すぎなのよ。もっと優しくやりなさいよ」
「優しくって、この封印はかなりキツイんやで。もう封印解くか……アカンな。神さんの狐やもんな。どうなるかわからんしな」
「神に逆らったらダメ。関与してるだけでもヤバいんだから」
「どこの神さんかわからんからな。この効き具合は仲良い神さんやと思うねんけどな。まぁ、『お借りします』って感じやな」
と斗樹央と牡丹はコソコソと話している。その話を聴いた華は涼聖の傍に行った。
「耳、触ります」
華は涼聖の返事を聞かずに涼聖の狐耳の上に両手を乗せた。
「落ち着いて、息を吸って、ゆっくり吐いて。大丈夫です。耳は引っ込みます」
涼聖は言われた通りに呼吸を整えた。ギュッと耳を押さえられてジンジンと痛くなって感覚がわからなくなっていく。
「引っ込みました。尻尾もなくなりましたよ」
「マジか? 華、どうやったん?」と斗樹央は華に聞いた。
「消失して斗樹央に嫌われなさいって念じたらできました」
見た目が可愛らしいのに華はダークな感情を持っているようだった。
「涼聖の自力やな。さすが神さんの眷属。呪術はもうできるやろ。牡丹、折り紙と鋏持ってきて」
斗樹央は折り紙で何枚もの人型を作った。色とりどりで華は「可愛い」と言う。
「涼聖、これを人に変えれるか? 別嬪のねえちゃんがええわ」
どんな注文だろう。
――自分にできるかわからないけど、呪文がいるはず。
涼聖は困惑しながら人型を両手で持ち、過去の記憶にある呪文を唱えてみた。
「祓い給え……」
黄色の折り紙で作られた人型は宙に浮き、黄色の着物に袴を穿いた、黄色い髪の涼聖に変わった。肩にはタスキまでかけられている。驚いたが、とても懐かしく、とても自然な行いのように感じた。
「あー、黄色いですね。しかも、僕です」
涼聖がそう言うと、黄色の涼聖も頭をかいて困っていた。
「祝詞やな。神さんと神社に住んでたんやろう。神からの『助け』が大きいんやな。うん、いける」
何がいけるかわからないが、斗樹央は頷いている。神様と神社に住んでいた? 自分の過去はあまり思い出せなかった。
「私も!」と華はピンク色の人型を持ち、斗樹央の右膝の上に強引に座った。
「何て言えばいいですか?」
「華に呪文はいらん。降りろ」
シュンと華は俯いてしまったけど、斗樹央は「念じるんや。そうやな、華は海鳥がいいんとちゃうか?」
斗樹央は鳥の形に折り紙を切っていく。
「牡丹もやるか?」
牡丹は人型を一枚手に取って、すぐに念じた。
「簡単ね」
牡丹の横には青い髪の斗樹央が。スーツを着た斗樹央は嬉しそうに牡丹を見つめている。華は驚き「いいなぁ」と言う。「いや、キモイやろ」と斗樹央は苦笑した。
「要するに、俺が切った型やから式と成りやすいんや。自分の分身として使うんやけど、他人や他のもんを作れたほうが現代に合ってる。特に、牡丹は妖力の使い方に慣れてるから上手いな。涼聖は自分以外の人や動物に変えられるように頑張ってみ。華は海鳥が作れたら自分の意思で動かせられるように頑張れ」
斗樹央はたくさんの型を切っていく。牡丹は全部で三人の斗樹央を作って侍らせ、飽きたら美男子を大量生産してキッチンで作業をさせている。涼聖は色とりどりの涼聖を作り、華は鳥の型なのにアワビやウニを作っていた。
「うわー、キモイねんけどー」
友伸が帰ってきた頃には異常事態になっていた。美男子と涼聖が溢れ、ウニ、アワビ、亀までいる。
斗樹央が人差し指を立てると、全部が一瞬にして消えた。型の折り紙も消えた。