身から離して、ロッカーに入れておくのも不安だし、ポケットに入れて落としたりしたら、それこそ一大事だ。

家に帰るまで、とりあえず瞳の届くところにつけておくのが最善策だと結論付けた。

全く、実はジルコニアでした~!とか、リアルドッキリならいいのに。


「黒川さん」


タイピング中、名前を呼ばれて振り返ると、先輩社員の加藤早苗(かとう さなえ)さんが立っていた。

背中の中くらいまである髪をそのまま自然に流している。

入社当時の私の教育係で、物覚えの悪い私は、何度同じ質問をしては露骨に不快な顔をされたことか。

それでも、根気強く覚えるまで教えてくれたのもこの人だ。

仕事の手際はいいし、意外と面倒見がいいのかもしれない。

その早苗さんが、何やら紙を持って立っている。

経費申請書と言う文字が見えて、私は嫌な予感に息を飲んだ。


「ちょっと営業課まで行って来てもらえる?うちの営業、領収書の申請の記入漏れが多くて決済出来ないのよ。毎月の事なんだから、いい加減ちゃんとしてほしいわよね」


早苗さんは、仕事がスムーズに進まない事に少し苛立った様子。

今回のように、単に記入漏れならそれを書いてもらうだけで済むからいいんだけど。

時々、領収書の内容によっては、経費がおりないものがあって、それをダメ元で申請してくる人には、理由を添えて説明しに行かなきゃいけない。

素直に納得してくれる人ならいいけど、中にはごねる人もいるから、私みたいにはっきり言えない人間だと強気でこられると非常に困ってしまう。

先輩方もそういう社員にいちいち説明するのが面倒なので、こうしたものは私達後輩がお使いに出されるのだ。

まぁ、こうやって申請不可なものを直接見て説明して、仕事を覚えろって事なんだろう。

4月に新卒が入社してきたら、私はこのポジションを卒業し、新入社員に引き継がれる(はず)。

私が勤める加波(かなみ)製薬株式会社では、これが伝統らしい。

人と接することが苦手な私にとって、言われた仕事をコツコツ流れ作業のようにこなすこの経理の仕事は天職と言ってもいい。