不登校の私にできることといえば、勉強くらいだった。


教科書を見ながら、お母さんに頼んで買ってきてもらった各教科の問題集を解いていく。


一日中それをやっているせいか、学校に通っていた頃より学力は上がっている気がする。


でも、将来の検討も付いていない私にはそんなの大した意味を持たないのもわかっている。


時計の針が無機質な音を鳴らすのと一緒に黙々とシャープペンシルを動かしていると、11時頃に突然下から焦ったような足音が聞こえた。


どんどんと荒々しいその音に、私は泥棒か何かかと疑って体を硬くした。


でも心のどこかで、もしも殺人鬼だったら私を殺してくれないかななんて考える。


あまり痛くない方法がいい。


でも殺人鬼を思い浮かべれば、そう上手くいくはずないかと勝手に想像を膨らませていた。


しかし、その妄想は全く違っていて、部屋に顔をのぞかせたのはお母さんだった。


化粧品会社で働いているお母さんは会社着であるスーツ姿のままだ。


「お母さん…。」


驚いて思わず呟きをこぼすと、お母さんはイライラしたように大きくため息を一つついた。


私のことを見るだけで嫌な気持ちになるんだろう。


しかし、お母さんは物を乞うような表情で私を見下ろして言った。


「ねえ、今からおばあちゃんのとこに行って書類を取ってきてくれない?
昨日忘れてきちゃったみたいなのよ」


えっと掠れた声を漏らす。


昨日お母さんは隣の県のおばあちゃんちに行っていた。


それは別に特別なことではなくて、毎週のことだ。


3年前におじいちゃんが亡くなってから、体の弱いおばあちゃんを心配して、会社の早く終わる水曜日に必ずおばあちゃんちに様子を見に行っている。


私もおじいちゃんとおばあちゃんは大好きで、昔はいつもお母さんについて会いに行っていたが、この状況になってからまだ一度も会ってない。


「書類って?」


お母さんの機嫌を損ねないように恐る恐る聞き返すと


「明日必ずいるのよ。
家は全部探したし、まだ確認はとってないけどおばあちゃんちしかありえないの。
出した覚えもあるし。
でももう私は仕事に戻らなきゃいけないし。
お願い、行ってくれない?」


本当に困っている様子だった。


行ってあげたい。


もしかしたら、これで少しは前より話しやすくなるかもしれないし。


だけど、そっと視線を窓の外にやった。


だいぶ長い間、外には出ていない。


人の視線が怖くて、ずっと家に閉じこもってた。


この時間帯に知り合いに会うことはないだろうけど、でも見ず知らずの人とすれ違うだけでも想像すると冷や汗が出てくる。


返事ができずに困っていると、お母さんは押し切る形で私の手を握って言った。


「お願い、なんでも買ってあげるから」


その言葉に惹かれたわけじゃないけど、お母さんの助けになりたいって純粋に思った。


これだけ迷惑をかけているんだ。
こんな時に役に立たなくてどうするんだ。


おばあちゃんちには電車に乗って少し歩けば必ず着く。


駅まではお母さんが車で送ってくれるはず。


何も心配するようなことはない。


ちょっと行ってすぐ帰ってくればいいんだから。