そこに求める人あらば

「彼はどうですか?」


担当作家の自宅兼作業場にて、週刊ホイストの次期編集長と名高い、県猶助(アガタ ナオスケ)は問う。



「ええ、いいですよ。毎日小さな目標を自ら設定して、努力を重ねていますから。」



看板漫画家である予師稿娶麓(ヨシワラ シュロク)は、柔らかな笑みで答えた。


彼とは数ヶ月前にアシスタントについた、丑辰堪壇(ウシトキ カンタ)のことである。



「どんな困難も耐え抜き、実現したいという気持ちが溢れてもいるしね。」


「迷わずに生けるなら心砕けてもいい。新進気鋭と言われるまで、ですか?」



「ああ。夢を見たいが為に、夢の無い現実を選び身を置いているのだからね。」



夢を売る仕事ととは夢の無い仕事の積み重ねである、娶麓の長年の実体験だ。



「そういえば、彼女も熱心ですね。営業の方とも話せるのは嬉しい限りですがね。」



堪壇と談笑する彼女、夢鼓雉歳(ムツヅミ チトセ)は猶助と同じ出版社疋友(ソユウ)に属する営業。


堪壇とは営業先で知り合ったが独自のルートも持ち、作家のところにも顔を出す風変わりな営業として作家内では有名だ。



「先生方の寛大な心に感謝しています。」

「いやいや色々な話が聞けるの楽しみにしているから大丈夫。それと彼女、モテるでしょ。僕もあと十年若かったら……」



十年どころじゃないでしょ、と遠目の奥様を感じつつ苦笑いで答える。


しかし実のところ、彼女の仕事ならと言う業界に隠れファンもいて、入社以来社内外問わずアプローチや告白する人は絶えない。



猶助もその一人で、真摯な態度に惹かれいつの間にか…という典型的パターンを自覚するのに時間は掛からなかった。



「(断り続けるのに彼氏の噂すらないんだよな…)」



仕事が恋人という感じでもないのだが、頑なな態度は猶助に疑問を浮かばせ尻込みさせる。


仕事優先でバツが付いた己が言えたことではないのだが。



「あれ?夢鼓さんお出掛けですかね?」


「うん、外回りだけど。どうかした?」



入社半年、新人編集の欣箸韓梛(キンバシ カンナ)が営業部を訪ねると、雉歳の同期入社である緕悍耀禎(カスカ テルヨシ)がスケジュール板を見て答えた。



「ちょっと聞きたいことがあって…。でも、急ぎの用事ではないので大丈夫です。」


「何?気になる。差し支えなかったら教えて?」



同期であり隠れファン故の興味だ。

「夢鼓創(ムツヅミ ハジメ)っていう作家さん、いるんでしょうか?」


「うーん…、聞いたこと無いなぁ。その人がどうかしたの?」



「夢鼓さんが鞄を落とした時に、その人の本があって。面白そうな題名だったから読もうと検索したんですけど無くて。編集長達にも聞いたんですけど、皆知らないって。」



「で、本人に直接聞こうと思ったのか。」


「部長、聞いていたんですか…」



営業部部長、蟆鈷碼力(マゴメ リキ)は聞くつもりが無くても狭い部署内だからと抗議をスルーする。



「俺も聞いたことが無いな。本名だとしたら夢鼓と同じだし、家族か親戚だろう。前は印刷所に勤めていたと言っていたから、自費で作ったんじゃないか?」



「成る程!」


「おい、欣箸!営業部なんかで油売っているなら、こっち手伝え!キンキンカンカン言う暇ねぇぞ!」



「あ、はい!」



資料を抱えながら編集長の鸛吊数伸(カンヅル カズノブ)は叫ぶ。



「営業部なんか、はないだろ。」


「おう、蟆鈷!マゴマゴ煩いぞ!緕悍も微かな光を爆発させて照らしてくれよ!」



自分は鸛を吊り数を伸ばすということを盾にして、名前をもじるのが好きらしい。

「微かな光では駄目な気がするんですけど…」


「ほっとけ。あいつのは話半分が正解だ。」



才気はあるのだが口が悪いのが珠に瑕だと、竹馬の友びいきで思った。



「あれ?今、うちの編集長の声がした気がするんですけど、いました?」


「県、当たりだ。欣箸連れて戻ったぞ。」



姿見えずともな編集長で助かることもあるが、迷惑がほとんどであるから猶助は申し訳ない表情になる。



「丑辰さんどうです?近々見に行くって夢鼓さん言っていましたけど。」


「ああ、さっきまで予師稿先生とこに一緒にいたよ。先生も問題無いし、夢鼓さんも安心していたかな。」



次のアポがあると出てすぐ別れたが、新人としては出来た評価だった。



「本人がいないところでの噂話は良くありませんよ。たとえ良い事でも受け取り方はそれぞれですから、直接の方が嬉しいものです。」


「社長!」



疋友の社長にして週刊ホイストの名付け親、鐸蚯浚(サナキ キュウジ)。


山好きなのか週刊ダウンウォッシュと名付けようとして全力で止められた少し世間ずれした性格だが、廃刊にはギリギリまで待ったをかける社員と読者に寄り添う心意気を持った人物だ。

「良い時は焦らない、悪い時は諦めない。すずなりの沙羅双樹はすぐは咲かないからね。」



「はい。肝に銘じておきます。」


「頭の隅っこで構わないよ。」



そう蚯浚は笑いながら、視察と称した社内散歩に戻っていった。



翌日、週刊ホイスト編集部と営業部は普段の和やかな雰囲気から一転、締め切り前でもないのに慌ただしかった。



「これ、マズイよな。」


「マズイどころでは無いですよ。」


「何がマズイんです?」



深刻な数伸と猶助とは反対に韓梛は不思議そうだ。


3人が覗き込む週刊誌……ホイストではなく、所謂三流スクープ誌。



見出しは……、



「『俎殷(ソアン)の社長、ライバル社の営業女性とのアブナイ関係!?ご自宅デートを激写!!』なんだこれは!!?鸛吊、夢鼓知らないか?」


「知らねぇよ!どっちも!」



飛び込んで来た力に、営業部の混乱が伝わって来る。



「濁していますが、見る人が見れば夢鼓さんだと丸わかりですからね。」


「え?これ夢鼓さん?!確かにマズイ…」



俎殷は週刊ハイビームという、社名も雑誌内容も果ては設立期も似た、業界で首位争いを繰り広げるライバル同士。

その社長、罷殃認修(ヒオウ ミトノブ)の自宅へ雉歳が入って行く姿がその雑誌には載っていた。


雉歳の顔にはぼかしが入っているものの、記事を読めば分かってしまう。



「どうか、しました…?」



何処からかの戻りだろう、耀禎が編集部を通りかかった。



「どうもこうも……!!それより、夢鼓何処にいるか知らないか?携帯が繋がらないんだ。」



困惑した様子に説明したかったが、力は雉歳の所在を尋ねた。



「資料室ですよ。電波、途切れる場所がありますから…。僕も今そこから戻って」


「緕悍さん、一冊忘れていましたよ。」



抱えた書類を見せようとした時、雉歳も通りかかった。



「「夢鼓(さん)!!」」


「な、何でしょうか…?」



4人から一斉に名を呼ばれ、少し退きながらも答える。



「これはどういうことだ?」



力から紙面を見せられ、雉歳は目を見開く。



「夢鼓さん!」


「大丈夫ですか?!」



「お二人ともどうして…」



「辞めようなんて考えては駄目ですよ!」


「これは絶対、何かの陰謀ですから!」



滅多に編集部へ来ない娶麓と堪壇の登場に、猶助も驚く。

「おやおや、随分人が集まってしまいましたね。」


「申し訳ありませんね、騒がしくさせてしまって。」



「社長!」


「罷殃認修…!」



ライバル社に何故いるのか、一同驚愕と疑問が浮かぶ。



「雉歳、今鐸社長と話してこうなったら作戦変更、強行突破だ。」


「よろしいんですか、社長?」



「ええ、もちろん。ただ、僕の一存というのもどうかと思いまして、説明をお願いしたくて。」


「それは構いませんが…」



「では、もう少し打ち合わせしたいので、会議室を使わしてもらいますよ。」



お互い穏やかな雰囲気で、蚯浚と認修は会議室へ消えた。



「ご説明します。」



疑問符が浮かびまくっている一同に向き直り、自ら招いたことと諦めがついた雉歳は説明へと動く。



「記事にあるような関係ではありませんし、陰謀でもありません。自宅に行ったことは事実ですが。」



認修とは幼なじみ、祖父同士仲が良く子供を結婚させようと画策していたのだが、息子だった為に孫という話になり。



「高校生までは婚約者でした。」



だが、雉歳にそんな気は無く大学生で終わりを告げる。


雉歳が結婚したからだ。

「結、婚…?!」


「はい…、亡くなりましたが。」



認修の大学の同期で、十数年前たまたま古書店で知り合って結婚した。


しかし、小説家志望で渾身の出来を賞に応募した翌日、青壮年突然死症候群で帰らぬ人となってしまう。


救急隊曰く理由は過労だった。



「しばらくは印刷所にいたのですが、職人が高齢ということもあって閉めたんです。」



楽しくはしゃげる友達も、


言い合い出来る関係の元婚約者も、


どんな時も頼れる義両親も、


心配してくれる知り合いもいるのに、


何で私は孤独を感じるの?

何で私は一人なの?

何で私は一人ぼっちなの?

ねぇ、どうして?



意味記憶もエピソード記憶も手続き記憶もあるのに、それともあるからなのか?



本を見つめながら嘆息をもらす雉歳を見ていられず、里帰りした認修は自社に誘ったのだが。



イケメンともてはやされ女が数多く寄ってきて困っている、

パーティー等にはマスコミが大勢押し寄せて大変だ、

などと華々しく話したせいか、


表舞台は合わないと断られた。


二人の仲を認めざるを得なかった認修が、ビックになると努力した結果ではあるのだが。

「就職先を疋友にしたのは、ホイストの前に廃刊になった雑誌を主人が好きで。私も勧められて好きになって。私の中では、勤めるならここ以外選択肢は無かったものですから。」



コアな漫画過ぎて採算が取れないと、前社長が鶴の一声で廃刊にしてしまった。


そんな苦い経験があるからこそ、鶴の一声システムを変えたかった蚯浚は次期社長候補に名乗りをあげたのだ。



「近頃はネットに押されて紙媒体が売れなくなってきています。ですから業界全体を盛り上げる奇策は無いかと、認修から相談されまして。」



低迷の一途を辿るにはまだ早いと考えたものの、作家や下請け企業、マスコミにも協力という名の根回ししてからと思っていた。


しかし、話題は違うがスクープされたのでは仕方がない。



「週刊ホイストと週刊ハイビームの漫画を交換掲載したらいいのではないか、という最終的にそんな話になりまして。」



スクラムを組み一丸となれば起爆剤となり、ただライバル視するだけから切磋琢磨出来る仲になるのではないかと。


廃刊理由が売上ならば尚更。



「社長はともかく、関係部署にはまだなにも。今、初めて言ったので……あの、許可とかも全く…」

「面白いじゃないですか!」


「怒らないんですか?」



目を輝かせている堪壇に、無理難題をと言われる覚悟だったのだが。



「怒りませんよ。寧ろ楽しみだ。」



「細かいことはまだだろ。忙しくなるぞ。」


「空回りだけはよしてくれ。」



笑顔の娶麓にやる気の数伸、それを心配する力。



「欣箸さん震えているけど大丈夫?」


「武者震いです!」



耀禎と韓梛もやる気だ。



「日頃の行いが良いからだろうな。」


「そんなことは…。でも、ありがとうございます。」



控えめに微笑む雉歳は、猶助には何だか寂しそうにみえた。



「夢鼓さんのご主人の本読んだの?」


「はい!貸して頂きました!」



青空に舞う桜、夜空に咲く花火、澄み渡る空に煌めく星、寒空に降り積もる雪。


どこまでも続く空は大きなキャンバスとなり、様々な色を描き続ける。



「漆黒の空に咲き誇り暗黒の海に散りゆくのは、虹色に輝く大きな大きな花、夏色の風物詩であった。…素敵な推理小説でした!」


「推理小説?」



舞妓と芸妓の簪は四つの季節の写し鏡



題名と韓梛の感想からはどんな本かすら想像つかない。

「(だけど、僕も貸してもらおう。)」



賞には落選してしまって記念にと雉歳が創の両親に頼んで一冊だけ製本してもらったという、この面白そうな推理小説を。



「欣箸が絶賛していたぞ、旦那の本。」


「そうですか。それは良かったです。」



猶助は休憩スペースに雉歳を見つけた。



「指輪……」


「え、ああ…。説明がややこしいと思っていたんで外していたんですけど、もうその必要も無くなったのでつけることにしたんです。」



ちらりと見た左手の薬指には、きっと入り込めない。



「指輪は給料3ヶ月分が普通だなんて張り切って、私には勿体無いと言ったんですけど。」



大きい大きい誰もが羨む様なきらびやかな箱より、


小さい小さい誰もが見落としそうな色の無い箱に、



雉歳の幸福はあった。



「想う気持ちだけは、消えてくれないんですよね。いつまでたっても。」



声が、感触が、温もりが、肉体が、


全て跡形もなく無くなっても。



「すみません、こんな話…」


「いや、別に。気にするな。」



涙ぐんでいるのを必死で隠して平静を装っているように感じて、猶助は精一杯の無関心を偽った。

数ヶ月後、ホイストとハイビームの漫画交換掲載は、各マスコミによってセンセーショナルな見出しと共に人々の話題を浚っていた。



「一部だけしか順番が回って来ないなんて言わせないぞ!それは並んでいないからなんだ。並ばせるのが俺達の仕事だ!」



知名度が上がるにつれ、漫画家志望が急増したことで増した数伸のやる気も空回りすること無く上々だ。



「凄い人気だな。幼なじみ殿は。」



ニ社の関係者と漫画家、そして発案者であるお偉いさん方を招いたパーティーが開かれていた。



元来パーティー事が苦手な猶助は、人の少ない場所にいた雉歳のもとへ移動した。


雉歳へ言っていたように、認修の周りには人が、特に女性が集まっている。



「あれでも認修は真面目な性格をしているんですよ。」



キラキラとした空間へ、目を向けながら苦笑いを浮かべる。



自分には合わない世界だが、行くのも維持するのも簡単なじゃないことは分かっている。


だから尚更、半端な気持ちで認修の側に居たくは無かった。



いくら好きと言われても、認修に幼なじみ以外の感情は無いから。



「……夢鼓さん、ちょっといいか?」


「はい。」

会場から少し奥まったところにある小さな裏庭へ、猶助が止まったので雉歳も止まる。


楽しげな音が遠い。



「夢鼓さん、俺は貴女が好きだ。」



暗がりでも分かるのは、猶助の真剣な表情だけ。



「県さん、私は……」


「分かっている。貴女が旦那を愛していることは。」



告白やアプローチを断り続ける理由はハッキリした。



「身体が消失したとしても形に残らないものだからこそ、そこに存在する想いは消滅しないから。」




時計の針が左へ回らないように、創の過ごした時間が想いが増えることはあっても、減ることは雉歳にとってあり得ないから。



「そこまで分かっていて、どうして…」


「言わずに諦めようかとも思ったんだけど、知れば知るほど誤魔化しきれなくなった。」



数伸に付けられた、アガケというあだ名みたいに。



「応えなくていいから、貴女を好きでいていいか?」



時に無情、刻は有情。


叶わなくても、敵わなくても、正々堂々としていたかった。



「何だか優しさに付け込んでいる気がするんですけど。」



答えに応えられないとハッキリ言える、雉歳の方が優しいと猶助は思うのだった。

「ん、欣箸は?」


「緕悍くんとサイン会の準備ですよ、丑辰先生の。」



張り切っていた二人に発破を掛けるまでも無いだろうと、猶助は数伸へトーンを落として言った。



「今や予師稿先生と並ぶ人気だからな。」



堪壇の出身地を題材にした漫画で、地元住民が盛り上げようと頑張ったこともあってネットを介して人気に火が付き、今では聖地巡礼のスポットとして旅行誌にも取り上げられるほどになった。



初めてのサイン会、ファンがかなり集まるだろうと期待が高まる。



「随分と畏まってどうした?」


「社長と罷殃社長と会食だ。」



あれ以来仲が良くなった蚯浚と認修に誘われたらしい。


営業とはつくづく面倒だと、力の格好を見て思う。



「部長、そろそろ。」


「おう。行ってくるわ。」



力を呼んだ雉歳の格好も畏まっていて、一緒に行くようだ。



「いってらっしゃい。」



いってきます。と会釈した雉歳の顔は、一年前よりは表情が柔らかくなっている気がした。



左手の薬指に光る指輪を、猶助はもう見ないふりはしない。



愛する想いも好きな漫画も、そこに求める人あらば。


不変なものとなる。