話は少し遡る。ケンジは珍しく、自分から恋をした。入学式の後、クラスで可愛い子を見つけたと言ったんだ。
 ヘルメットみたいな子でさ、すげぇ可愛いんだよな。見た目もそうだけど、声も喋り方も、その雰囲気が俺にピタッとはまるんだ。あんな子とずっと一緒にいられたら、幸せなんだろうな。
 ケンジの目つきがいつもにはなくぼやけて輝いていた。
 最初は単純な一目惚れだって思っていたが、そうじゃなかったと後になって知ったよ。
 俺たち五人は、入学式の日は別々に学校へ向かったんだ。特に理由があったわけじゃないと思う。誰もお互いを誘わなかったってだけだ。流石に五人でぞろぞろ行くのは恥ずかしかったんじゃないかって、俺は思っているよ。まぁ、他の学校の連中は、揃ってやって来る奴が多かったんだけどな。
 それともう一つ、理由があった。ヨシオの家は過保護だからな。高校の入学式だっていうのに、親が来るんだよ。俺なら恥ずかしいが、ヨシオは嬉しそうだった。ヨシオの家族を見ていると、俺の家とは大違いだと感じることが多い。羨ましというよりも、見ていて心が温まるんだ。その場ではね。後になって急速に感じる寂しさの理由にはまだ、気がつかなくていいと思っている。
 彼女はここで、空を見上げていたんだ。メガネを外して、両手を広げながら大きく深呼吸をしていた。
 二人で帰っていたある日、校門を出てすぐの場所でケンジがそう言った。
 俺たちの高校は、駅からは近いが、少しばかり山を登った場所にあり、人通りも車も少ない静かな道路沿いに校門が設置されている。
 俺はさ、入学式の日、誰よりも早くここに来たんだ。まだ教師も全員は来ていなかったんじゃないかな? 高校生っていうのはさ、学生といっても、もう義務教育じゃないんだ。いつだって自分の意思で辞めていいんだよ。仕事している奴だっているんだ。俺はさ、なんだか嬉しくってね。今日から大人なんじゃないかって思ったんだよ。まぁ、現実は親の金で学校に通っているんだから、まだまだ子供なんだけどな。とにかく興奮しててさ、早くに来ちまったんだよ。
 俺は入学式の日にケンジがそんな気持ちでいたなんて全く気がつかなかったよ。俺とはやっぱり、違うんだよな。高校生が大人だなんて、俺は考えもしなかった。高校に通っているのだって、働くのが面倒だからだよ。勉強がしたいからなんかじゃない。バイトは所詮バイトだからな。俺は単純に、自由でいたいだけだった。自ら勝ち得た自由なんかじゃなく、親元で甘えながらの自由ではあるんだけどな。それこそが、最高に楽な自由でもある。
 ここの坂道を登っているとさ、校門の前に立っている女子の姿が見えたんだ。それが彼女だったんだよ。俺には気づいていなかったと思うよ。深呼吸が終わると、メガネをかけ直し、お辞儀をしたんだ。そして一歩を踏み出したんだ。なんとも可愛かった。
 ケンジはそう言った後に、俺って今、恋をしているんだよな。なんて言いながら空を見上げていたよ。
 深呼吸でもするのか? まったく・・・・ 好きなら早いとこ告白しちまえよ。そんなに可愛いんなら、他に奴に取られちまうぞ。
 そうだよなぁ・・・・
 ケンジは上の空でそう答え、道路に向かって一礼し、その一歩を踏み出した。つまりは学校から出たってことだよ。まったく不思議だよな。建物やグランドに向かっての礼は意味が分かるが、背を向けての礼になんの意味があるんだかな。
 ケンジはその行動も態度も分かり易い奴なんだ。