この病院には、まことしやかに囁かれている噂があった。私が入院するずっと前からそれはあって、主に小さな患者が酷く怯え大きなストレスとなり、病院関係者が必死になって火消しを急いだ。
鎮火したようなそれは、けれど、患者たちによって残されていき、秘密だよと語り継がれていった。


この病院には死神がいる。


この病院には死神がいる。最上階の特別室にいるその彼は、まだ本当に幼いとき、そこに放り込まれ、いつ何があってもおかしくないと隔離され、病院の外に出ることは殆どなかった。
母親は彼を産んだときに命を落とし、彼に優しくしてくれた祖父母も相次いで亡くなった。父親は、彼を愛するよりも、最愛の妻や両親たちを亡くした悲しみのほうを大切にし、あるとき息子を死神だと言い放った。後悔は、したそうだ。
幼いながらも立場をなんとなく理解していた彼は、それを境に完全に心を閉ざし、自らを死神と名乗るようになる。だって本当に自分の周りでは人が死んでいくから。大好きだった母親も、週末に時々泊まりに行くことを許された先の祖父母も、院内で仲良くなったあの子も、朝におはようと挨拶を交わしたあの人も……他にももっと。
もちろん彼に関わった人間全てが死んでなどいない。けれど、もうそれだけで充分だった。彼が、死神だと皆に噂され、弱々しい身体の自分が死なずに周囲がそうなっていく。こんな酷い矛盾は、自分がきっと死神だからだと。
こんなに人を殺しておいても、報いで自分は消えてくれないのは何故だ?
どうせ死ねないのならば、死神だと名乗り役割を果たそう。存在を確立し生きていかなければ、たちまち狂っていきそうだった……。
囁いた。死の恐怖に怯える人の耳元で、死を。そんな人間を見分ける能力には長けていた。同類を探すのは彼にとって容易なことだった。そんな行動は、彼の父親の権力と財力と後悔によって、見てみぬふりをされてきた部分も大きい。


噂どころではない。これは、那由多の半生だ。


私も、彼に見つけられたひとりだった。大きく分類されれば同じ病だった私は、とても見つけやすかったことだろう。
那由多に死を囁かれた。
私は那由多に最初は怯えていたけれど、すぐにその存在を私の生きる糧に取り込んでいった。那由多は今までとは勝手の違う私に好奇心を刺激され、興味をもった。


那由多は、私が彼の噂を耳にしていたことを知っていたのだろうか。もうそんなことはどうでもよったのか。お互いにそれを口にすることはなかった。
那由多は、私と一緒にいてくれた。文字通り命を削って。那由多はどうして、私とそんなふうに過ごしてくれたのか、核心の理由をもう訊くことは出来ない。


那由多と過ごす時間は何故かとても楽しくて、心が段々と馴染んでいく感覚が気持ちよかった。私よりも綺麗な肌や顔の造形に見蕩れた。口の悪さや態度は実は気にならず、反論すると少しむきになるところが可愛かった。


きっと、私は那由多を好きだった。


でも、私は腹が黒くて嘘つきだから……。
那由多を酷く扱いながら、そんな想いを口するなんて出来るはずがなかった。