「大抵の曲はマスターしましたし、楽譜は変わるわけではありませんから。」

それも僕の決まり文句だった。


いつもはそれで終わるはずだった。

残りの時間は、奈々瀬の時間だった。

しかし今日だけは、何かが違っていた。


「あなたには感情がないの?」

母親が僕に聞いてきた。

「ないわけがないでしょう。」

「確かに楽譜が変わるわけないわ。だけどね、どんな人間でも完璧ではないから、弾く時の感情に左右されるの。感受性が強い芸術家なら尚更のこと。それでいいの。それがその人にしか表現できない、世界にたった一つの音になるのだから。」

母親がそんな話をするのは、生まれて初めてだった。

「僕にはオリジナリティーがないっていうんですか?」

母親は目を瞑った。

「残念だけど、その通りね。」

普通の人なら、その言葉で傷ついたり、夢を断念したりするんだろうが、僕には全くきかなかった。