「じゃあ、弾くね。」

再び鍵盤に指を置くと、奈々瀬はさっきとは違う曲を奏でた。

「いいって。」

だけど奈々瀬は引き続ける。

「もういいって言ってるだろう!」

僕は鍵盤を叩いた。

騒音にも似た音が、部屋の中に鳴り響く。

奈々瀬はびっくりして、指を上げたまま固まった。


「ごめん。大きな声を出して。」

そして僕は、部屋を出て行こうとした。

「祐輔。」

奈々瀬が椅子から立ち上がる。

「私、何か悪いことした?」

僕は首を横に振った。

今にも泣き出しそうな奈々瀬に、僕は何も言わずに部屋を出た。

奈々瀬は何も悪くない。

問題なのは僕の気持ちだ。

母親が何気なく言った言葉を信じて、素直に僕に尽くそうとする彼女を、僕はとても疎ましく思っていた

さっき彼女が弾き始めた曲だって、僕が一番好きな曲なんだ。


『奈々瀬ちゃんは将来、祐輔のお嫁さんになるのよ。』

母親にそう言われ、嬉しそうに笑った奈々瀬の顔が浮かんだ。