「ただいま」


 新聞配達のバイトに出るため、夜が明ける前3時頃に帰宅した。この時間だから母さんも寝ているのだろう。家の鍵をテーブルに置き、そこに彼女の未開封の錠剤が並んでいることに気がつく。

「母さん薬飲み忘れたの?」

 夜の分は最近ちゃんと飲んでるからって油断した。ダッフルコートの前を開け、マフラーを取りながら隣の部屋・その襖に手をかける。



「母、」




 どすり。



 襖を開けた瞬間届く衝撃に、一瞬意識が飛んだ。

 やや置いてから瞬いて俯くと、包丁を握った母に刺されていることに気がついた。ぼさついた髪から覗く何かに怯えた双眸は、喫驚するおれなど御構い無しで、更にはらわたを抉るように切っ先を捻じ曲げる。

 あ、意識持ってかれる。


 クラついた瞬間壁に背を預けて、それでも決死の覚悟で包丁を横から握り締めた。ドラマや映画なんかじゃ痛そうにやってるそれも、いざ腹を刺されてみればなんてことはない。
 やっとの思いで包丁を引き抜くと、そのまま屈んで母さんをやさしく、笑顔で覗き込む。
 

 怯えた瞳が光を見出したように、小さくおれの名を呼んだ。


「颯、太…?」

「うん」

「颯太、」

「うん、ここにいるよ」

「あ、あ、あ、っ、あいつが、あいつがそこにいたのよ、それで恐ろしくなって、私、薬も取れなくって、ずっと、ずっとここで、」

「大丈夫だよ」

「うっ、うぅっ、うぅ」

「もういないから大丈夫」