「・・・・・・・っ?!!」

ヒツジ男からの突然且つ突拍子の無い提案に、キセキは慌ててしまう、だが彼女とは対照的に、ヒツジ男の顔はとても穏やかだった、しかしその顔の中に眠る狂気に、キセキは気付いていた。
キセキは一歩後ろに下がろうとするが、体が動かなかった、だがそれは恐怖の影響ではなく、何らかの「力」が働いているのだ、恐らくそれは、ヒツジ男の能力の仕業。
その力から何とか逃れようとするキセキだったが、なかなか体が動かず、彼女があたふたしていると、足元で妙な音が響いていた、そして2人の立っている鉄道橋が、少しずつゆっくりと傾き始めている。
そしてヒツジ男は、ニッコリとした表情のまま話し始めた、今まさに鉄道橋が落ちそうな状況とは思えないほど、ヒツジ男の安堵の表情は、明らかに正気ではない。

「君と私はよく似ているよ、君が誤魔化さなくても分かるんだ、君だって私と同じ様に、『人間』共に苦しめられていたんだろう?
だったら、私と共にこの場で朽ちれば、もうそんな悲しくつらい思いをする事も無い、大丈夫さ、私は君の傍から離れないから・・・!!」

「・・・・・あなた、自分の都合を私に押し付けるつもり?!
そんなの、貴方が操っていた男と同じ様な発想じゃない!!!」

「アレは単に自分の欲求を満たしているだけの外道な存在だよ、私は違う、私は君を助けようとしているだけだ、かつて私達一族が、この辺りに住んでいた人々を、悪霊や野獣達から助けた様に、私は君を、野獣という名の『人間』から救いたいんだ。
君だって、これから生きていく間に、いったいどれだけ『人間』に苦しめられるか、想像できる?
きっとあの世に行けば、私達と同じ様な存在が歓迎してくれる、もうこの世界には、私達が安心して生きられる場所なんて存在しないんだよ、それは君だって、十分に分かっている筈だよね、そうだよね?!」

「・・・・・・・・・・。

 ・・・・・・・呆れる。
 つくづく呆れるわ、貴方それ、本気で言ってるの?」

「・・・君はきっと、この場所から飛び降りる事が怖いんだね、だから私の意見を聞き入れようとはしないんだ、でも安心して、私だってちゃんと、人を苦しまずに殺す術だって持ち合わせているんだから。」

ヒツジ男がそう言い終わった瞬間、キセキの胸が急に激痛に襲われ、その場に倒れこんでしまう、もちろんその間も、彼女の体は自分自身の意思で動けないまま、だが肘から上はどうにか動かせた。
動ける両手で胸を触るが、全く効果は出ず、胸の痛みはあっという間に全身に広がる、まるで心臓を直接絞められている様な感覚に、キセキは自分の唇を噛み締める。
痛みに耐えようとする反動で、唇からは血が流れ、まるで赤ん坊の様に蹲ってしまったキセキ、そんな彼女を見て、ヒツジ男は満足そうな顔をしていた、そしてさらにキセキをまくしたてるような言動を繰り返した。

「どうだい?つらいだろう?
でも痛いのはほんの一瞬だ、心臓が破裂してしまえば、君は様々な痛みから解放される、そして遺体となった君を抱いて、私はこの橋から飛び降りる、そうすれば完璧だ。

・・・・・でも、一つわがままを言うなら、君の息の根は、私自らの手で止めたいな、いいかい?」

「っ・・・・・・・うぅぅ・・・・・あぁ・・・・・・。」

「いいんだね?」
キセキはそんな事、許していない、ただ痛みがあまりにも大きすぎて声が出ないだけだった、しかし、今のヒツジ男には、彼女の意思なんて完全無視の状態だった。
ヒツジ男はゆっくりとキセキに近づいてくる、恐らく、彼女が苦しんでいる姿をじっくりと眺めていたい、そんな事を無意識に考えてしまうヒツジ男に、キセキの心には怒りの感情が沸き上がってしまう。
先程谷底に落ちた男より、今目の前で手を伸ばしている得体のしれない存在の方が、よっぽど外道で、よっぽど馬鹿、キセキはそう思った。