ヴェルト・マギ―ア ソフィアと黒の魔法教団

「あ、れす?」
 
俺の顔を見上げたソフィアの頬に涙が伝った。

「ソフィア。今から俺の後に続いて詠唱をしてくれ」

「えい、しょう?」
 
俺は片方の手で本を開き詠唱を始める。

「星々の神々よ、我は神の仕いなり」

「……星々の神々よ、我は神の仕いなり」
 
俺の言葉に続いてソフィアも詠唱を始める。

「星の力よ、我の声が聞こえたなら応えておくれ」

「星の力よ、我の声が聞こえたなら応えておくれ」
 
詠唱によって俺たちの体が光を放ち始める。

「汝たちの力を集結させ、我に力を与えたまえ」

「汝たちの力を集結させ、我に力を与えたまえ」
 
最後に俺たちは声を揃えて言う。

「幸福の星屑(ハピネスアマデットワール)」
 
ソフィアの体が青い光を纏うとその光りは天へと伸びる。それに引き寄せられるかのように、雫の結晶体もそれぞれの大きさに戻ると天へと上がっていく。

「綺麗……」

「この魔法はいったい……」

「雫は元々星の力を秘めた雫だったのよ。それをトトが幸福の星屑を使い、人々が魔法を使えるように私たちの体内に宿した言われているの」

「そうなのか……」
 
テトの話を聞いたムニンは空を見上げる。
 
天に伸びる青い光りが一つの玉へと変わると流星のごとく散らばり始めた
「これで雫も元の持ち主のところに帰るわね」

「でも行き場のない雫だってある。その雫はどうなる?」

「星に還るわよ。次の子たちが生まれるまでね」
 
そういったテトはムニンと一緒に空を見上げた。

「そんな……馬鹿な……」
 
サルワは口を開けたままその場に膝をついた。

「上手くいったか」
 
俺は腕の中に居るソフィアに目を戻す。ソフィアの髪も白銀から翡翠へと戻っていた事に気づき安心する。

彼女は中に戻ったのか……。

今回の戦いで彼女は魔力を消費しすぎたはずだ。しばらく眠っててくれると良いけど。
 
そう思った時ソフィアの体が急に重くなった。

「おわっ!」
 
俺は急いでソフィアの体を支えた。

「ソフィア……どうした?」
 
結晶体の魔力が抜けたせいで体の力が抜けてしまったのだろうか?

「ソフィア?」
 
ソフィアの名前を呼ぶが返事が帰って来ない。ただ返事の代わりに頭を左右に振っただけだった。

「どこか体が――」

「アレス……静かにして」

「なっ……!」
 
俺はそこでようやく気がついた。ソフィアが泣いていた事に――

ソフィアは泣く声を必死に抑えながら、俺の存在を確認するようにシャツを掴む手に力を込めた。

「……っ」
 
そんなソフィアの体を優しく抱きしめて言う。

「我慢するなよ。俺はちゃんとここに居る」
 
その言葉を聞いて安心したのかソフィアは声を上げて泣き始めた。そんなソフィアの背中を俺は優しくさすってあげた。

「アレス……アレス!」
 
名前を呼ばれる度、俺は何度も頷いた。

ロキとカレンも俺たちの側まで歩いて来る。

「もう朝か……」
 
朝日が昇ってくる事に気がついたムニンが言うと、俺たちは昇ってくる朝日に目を向けた。
 
朝日が忘却の山を照らしていく中。俺たちの戦いは終わった。
あの事件から一週間が経った。
 
黒の魔法教団を率いていたサルワは、アレスたちによって警察署へと連行されて行った。

もちろん団員たちもみんな捕まりヴェルド・マギーアを巡る事件は収束へと向かっていった。
 
幸福の星屑(ハピネスアマデットワール)によって雫はそれぞれの持ち主の中へと戻り、アレスのお母さんの雫も無事に戻ってきた。
 
私はというと、あの日の事件のことをあまりはっきりとは覚えていなかった。

記憶が欠如しているところもあって、しばらく病院に入院することになった。でもアレスは私がしたことを簡単に説明してくれた。
 

サルワによって雫の結晶体の魔力全てを収める事が出来なかった私の雫は、暴走してしまった。私は自分が暴走した時の記憶を持っていない。

「はあ……」
 
深く溜め息を吐き開いていた魔法書を閉じて窓の外を見つめた。
 
倒れた私はカレンの家族が経営しているという街で一番大きな病院に運ばれた。どうやらカレンからの提案らしい。

近場の病院で良かったと思うけどやはり大きな病院って事もあって、それなりの設備が整えられていた。

そして今回もやっぱり個室が用意され一人で使うには広すぎる部屋を見る度、申し訳ない気持ちになった。
 
少し空いた窓から夏の風が吹き込み私の髪をなびかせる。すると病室の扉が開き私はそちらへと目を向けた。

「ソフィアちゃ~ん! お見舞いに来たよ」
 
そこには大きな花束を持った業火の魔道士ロキさんが立っていた。

「ろ、ロキさん……わざわざありがとうございます」

「そんなに畏まらないでよ。歳だって三つしか違わないんだし」
 
それでもこの人は最年少で業火の魔道士という称号を与えられた人だ。敬語になるのは当然だと思う。
「ろ、ロキさんがそう言うならタメ口で接します」

「そうしてくれると助かるよ」
 
部屋にあった花瓶に花を生けたロキさんは私の側に来ると、なぜかいきなり手を掴んで来た。それに気がついた私は少しぎょっとする。

「ソフィアちゃん……やっぱり君は噂通りの子だ」

「は、はあ……?」
 
噂通りの子ってどういうこと?

「やっぱり君は、今まで見てきたどの女の子たちよりも、可憐で美しい」

「か、可憐で美しい?!」
 
ロキさんが何を言いたいのか分からなかった。

私を可憐だとか美しいと思うのは、この人の目が腐っているせいなのだろうか? 

一度目の検査をしに眼科へ行くことを勧めたいところだけど、ロキさんが手を離してくれるようには見えなかった。

「俺……君の為なら命を張っても――」

「氷の玉(グラースボール)!」
 
突然、氷の玉がロキの背中に激突する。

「冷たああ!」
 
ロキさんは慌てて立ち上がり凍り付いた背中を鏡で確認する。その魔法に心辺りがあるのか扉の方を睨みつけた。

「いきなり何するんだカレン!」

「あんたが怪我人に変なことしているからでしょ?」

「お前だって怪我人だろ!」

「私はもう良いの。それに私より怒ってる人がここに居るから」

「へ……」
 
その言葉を聞いたロキさんは、一気に青ざめた表情を浮かべる。

「よ……よお~アレス。もう事後処理終わったのか?」
 
カレンさんの後ろを見るとそこには満面の笑みを浮かべたアレスが立っていた。
「ああ、さっき終わったところだよ」
 
ロキさんの問いにアレスは簡潔に応える。
 
アレスはこの一週間、警察署にこもって報告書や事後処理に追われたらしい。

また何も言わず勝手に教団のアジトに乗り込んだ事に対して深く怒られたと、アレスと使い魔の本契約を交わしたムニンから聞いた。

「ロキ……ちょっと二人で廊下に出て話をしようか?」

「は……はい」
 
肩を落としたロキさんはアレスに連行されるように部屋から出ていった。

「ロキのことは気にしなくていいから」

「は、はい」
 
そう言ったカレンさんは近くにあった椅子に座ると言う。

「改めまして、私は氷結の魔道士カレンと申します」
 
私に名乗ったカレンさんは礼儀正しく頭を下げる。そんなカレンさんの姿を見た私も釣られて頭を下げた。

「あ、黄色の魔法使いのソフィアです」
 
自分も名乗った後、カレンさんの体に目を向ける。

「カレン……さん、その……ごめんなさい」
 
私はもう一度深々と頭を下げた。
 
頭を下げたところで許されるなんて思っていない。

でも謝らずには居られなかった。カレンの体の傷は私が付けたものなのだから。

「どうしてソフィアさんが謝るんですか?」

「だって!」

「謝らないといけないのはこちらの方です」

「えっ」
 
カレンは私の顔を見つめると言う。
「今回の事は……お兄様を止める事が出来なかった私たちに責任があります。そのせいでソフィアさんを危険な目に合わせてしまいました。この度は……本当に申し訳ございませんでした」
 
カレンさんは苦しい表情を浮かべて立ち上がると頭を深々と下げた。そんな姿を見た私は一つ気になっていたことを聞いてみることにした。

「あの……サルワはどうしてあんな事を……?」

「……私のせいです」
 
カレンは腰から下げていた魔剣を取ると鞘から抜いて見せてくれた。

「この魔剣――サファイアは氷の女神の加護を受けた物なんです。この魔剣を手にした時、私は周りに【氷の女神の加護を受けし少女】と呼ばれるようになりました」
 
【氷の女神の加護を受けし少女】という名前は聞いたことがあった。

何百年も主を選ばなかった魔剣サファイアが、ある日一人の少女を主に選んだ。どんな理由でサファイアがカレンさんを選んだのか詳しくは語られていない。

しかし何百年ぶりにサファイアを使いこなす人物が現れた事によって、その時の当初は新聞にも大きく取り挙げられテレビでも放送された。

でもそれがサルワが道を踏み外すきっかけになってしまったのかもしれない。

サファイアを鞘に戻したカレンさんは再び苦しい表情を浮かべると言う。

「お兄様は私のあこがれの存在でした。誰よりも人の未来を考えることが出来た人で、将来は人の為になる研究がしたいと言っていました」
 
私は黙ったままカレンさんの言葉に耳を傾けた。

「でもそんなお兄様を歪めてしまったのがこの私なんです」

「カレンさん……」

「私が【氷の女神の加護を受けし少女】と呼ばれる度、両親はお兄様を否定しました。【お前のやっていることは無意味だ】、【兄ではなく妹の方が才能のある子だ】と言われ続けたお兄様は耐えられなくなり四年前に家を出ました」
カレンさんはサファイアを見下ろすと言う。

「それでも人の為に研究を続けていたお兄様は、禁忌の魔法にまで手を伸ばしてしまって、悪魔と契約を交わしてしまいました」

「でもそれはカレンさんのせいなんかじゃ!」

「いいえ、私のせいです!」
 
カレンさんは力強くそう叫んだ。

「だから私は一生をかけてこの罪を背負い続けます」
 
あこがれだったお兄さんが自分のせいで道を外してしまい、禁忌の魔法にまで手を出させてしまった。その罪をカレンさんは一生かけて背負い続けると言った。

「カレンさんの思いは分かりました」

「ソフィアさん……」

「でも……これだけは言わせて」
 
私はカレンさんの手を掴んで言う。

「私を助けてくれてありがとう」
 
その言葉を聞いたカレンは優しく微笑んでくれた。

「話は終わったか?」
 
いつの間にかアレスが病室の中へと入ってきていた。

「ロキは?」

「あいつは廊下で待機中」
 
その言葉を聞いたカレンさんはクールな雰囲気をまとう。

「それじゃあ私たちはこれで失礼します」
 
カレンさんはアレスの横を通り過ぎると足早に病室から出ていった。

「ロキ行くよ!」

「いででででっ! 耳を引っ張るな!」
 
そんな二人のやり取りが聞こえ私は軽く笑った。

「騒々しくて悪いな」
「ううん。面白い人たちだったよ」
 
アレスは少し苦笑しながら椅子に座った。

「体の方は良いのか?」

「うん、雫の検査とかあるからもう少し入院しないと駄目だって」

「そうか」
 
アレスは小さく呟くと私の髪に触れる。
 
あの時アレスが私の名前を呼んでくれなかったら。私はどうなっていたのだろう? 

力に飲み込まれて私という人格がなくなっていたかもしれない。それに……アレスの前であんな子供みたいに泣きじゃくるなんて。

あんなに思いっきり泣いたのはいつ以来だろう?
 
私は安心したんだと思う。アレスが生きて居てくれ良かったと、アレスを失わずに済んで良かったと。

「ねえ、アレス……」

「なんだ?」
 
アレスの顔をじっと見つめて言う。

「どうして、命を張ってまで私を助けてくれたの?」
 
その質問にアレスは黙り込んだ。
 
もしかして聞いて良いことじゃなかった?

「そんなの決まってる」
 
アレスは私の腕を引くと優しく体を抱きしめてくれた。

「アレス?」

「ソフィアは俺にとって大切な存在だから」
 
その言葉を聞いて心臓が大きくはねた。大切な存在ってどういう意味の?

「そこから先は聞くなよ」
 
私の心でも読んだのか先手を打つようにアレスがそう言う。

「き、気になるじゃん!」

「良いだよ。気にしなくて」
 
そんなこと言われて気にしない子は居ないと思う。
 
そう思いながら溜め息をついた私は、アレスから離れると言う。
「じゃあ、聞かない事にする」

「そうしてくれ」
 
そう言って苦笑したアレスの姿を見て軽く笑う。そんなアレスを見た私は病室の中から青空を見上げた。

★ ★ ★

今回のヴェルト・マギーアを巡る戦いは無事に幕を下ろした。しかし今回の事件はまだ序章に過ぎない。
 
ある者は一族の復興を願い、ある者は愛する者の為に生き続け、ある者は約束をした者を待ち続けている。

「ここを離れている間に強い魔力を感じたんだが……」
 
ここには確か教会が建っていたはずだ。しかし目の前に見える教会は損壊が酷く、とてもじゃないが教会と呼ぶにはもう難しいだろう。

「まあでも……ここに来て正解だったか」
 
俺は微かに残っている魔力を感じ取り拳に力を込める。

「ようやく見つけたぞ魔人族」
 
小さくそう呟き珍しく晴れた霧の中から、青空が顔を出している事に気がついた。

俺は青空を見上げて言う。

「もう少しだから……待っててくれ……オフィーリア」
 
首から下げられている翡翠石を掴み俺は青空に誓うように手を伸ばした。









ヴェルト・マギーア ソフィアと黒の魔法教団 END