早速翌日から練習が始まった。

 リレーの順番は、スタートとアンカーは速い人が良い、そういう理由ですんなり鞠と藤倉君に決定した。私はちょうど真ん中あたり。茶道部の先輩から受け、バスケ部の先輩へと繋ぐ。バトンは小道具を持つためになし。手でタッチするだけという何ともゆるいもの。
 因みに私は、エプロンを付け、手には毛糸を持って走る。
 陸上部はユニフォームのみなので、一番速さが期待できそう。茶道部は着物にお茶碗、バスケ部はドリブルをしながらだ。

 放課後残って何度か練習をしているけど、どう見ても私が足を引っ張っていて、心苦しさがハンパなかった。
 着物を着た茶道部の先輩より遅いって……。
 その度に藤倉君と鞠が、遊びのようなリレーだからと元気付けてくれた。

 でも、練習には必ず琴平さんが顔を出していて、私は何だか気が気じゃなかった。鞠も口に出したことはないけど、彼女の藤倉君への恋心には恐らく気が付いている。だからときどき私を心配そうに見つめてきて、でも私は強がって笑顔を返してしまう。
 大丈夫、そう鞠に言いながら、同時に自分にも言い聞かせていたのかもしれない。
 バスケ部の先輩は二人をいつもからかっていて、付き合っちゃえよ! そんな風に言っているのを何度か耳にした。そのとき琴平さんはいつもほんのり頬を染めて、そしてその後必ず私を見る。勝ち誇ったような瞳ではない。迷うように揺れるそれは、でも内に静かなる闘志を秘めている気がして、私は息を呑む。

 負けたくない、負けたら戻った意味がないもの。
 だから自分を奮い立たせる。私には、頑張る以外に道はないんだ、と。

 その後も何度か実行委員の集まりがあって、藤倉君と並んで時間を過ごしたけれども、あの初日の会議のときみたいな雰囲気になることはもうなくて、私はがっかりしていた。
 何でだろう、上手くいかないな。ため息を零す日々。
 大勢の人の前では無理だけど、タイミングが合えば、雰囲気に乗じて今度こそ告白しようと思っていたのに。
 私はチャンスを窺いながら、必要な小道具を作ったり、クラスで練習したり。
 でも切なる願いが天に届くことはなく、あっという間に体育祭は――当日を迎えてしまった。


 西紅の体育祭は人数も多いため、近くの陸上競技場を貸し切って行なわれる。
 鳥の声に誘われて見上げれば、雲一つない空。まさに体育祭日和、だと思う。私個人としては、もう少し曇ってくれるとありがたかった……。後で日焼け止めをしっかり塗らなくちゃ。

 実行委員である私と藤倉君は、まだ薄暗い朝早くから会場へ入っていて、私はあくびを噛み殺すのに必死だ。それを見て藤倉君は、笑いを噛み殺すのに必死になっている。

「大丈夫?」
「大丈夫大丈夫」

 緊張しすぎて眠れなかったなんて、恥ずかしくて言えない。小学生じゃあるまいし……そう思われるに決まってる。
 眠い目を擦りながら、テントの設営や給水所の設置、各種目で使用する小道具などの準備に追われる。

 でもこれが、二人でやる実行委員最後の日。そう思うと、無性に寂しくなったりした。大変だったけど、それも今日でおしまい。
 だから今日こそは、何としても彼に想いを告げたい。今日が終われば、またかかわりの薄い日常へ戻るだけなのだ。

 ライン引きに使う石灰を一緒に運びながら、私はこっそり彼を盗み見る。
 陽も大分昇って来て、額には汗が光っていた。それを肩口で拭いながら、暑くなりそうだね、視線に気付いて微笑んだ。
 いつの間に、私はこうして自然に笑みを向けられる存在になったのだろう。いや、彼にしてみたら中学校の延長、ただそれだけなのかもしれない。でも戻る前の私からしてみたら、百八十度世界は変わった。
 石灰を持ち直す。見れば、七三、そのくらいの割合で彼は自然と私が軽くなるような体勢を取ってくれていた。

 風が吹き抜ける。朝特有の爽やかなそれは、スプリンクラーを浴び、朝日を反射してキラキラと輝く芝生をそっと撫でていく。私の髪をいたずらに捕まえて、そして同じように彼の髪もサラサラと揺らした。

「ちょっと待って」

 彼が自分の髪を掻き上げ、次いでその手が――視界を塞いだ私の髪をそっと耳に掛けた。

 ――ドクン。

 恐らくは何気ない仕種。
 でも彼を形作る全てのものが、何故か急に私を包み込むように感じて。
 彼の香りを運んできた、この風のせい? 
 瞬間、体の温度が急激に上昇する。

 自分に何が起こったのか理解できなくて、頭が真っ白になった。
 今までどうやって普通に接してきたのか、それが突然分からなくなったのだ。
 見る間に汗が吹き出し、目を合わせられなくなった。手が滑って、石灰を落としそうになる。

「おっと、大丈夫?」

 女の子には重いよね、彼の手が触れて、私はビクリとしてしまった。
 顔を上げられない。不自然な動きに、彼の戸惑う視線を感じた。

 どうしよう、どうして――?

 そして私は、生まれて初めて、唐突に理解した。
 恋に落ちるとは、きっとこういう感覚なのだ、と。

 何の前触れもない、まさに急転直下。私は彼を、どうしようもないくらい意識してしまった。