恋の宝石ずっと輝かせて

「ユキに何をする」

 怒りで我を忘れ、トイラの髪が逆立っている。

「トイラ、ユキちゃんを助けたかったら黒豹になるんだ。そして皆にその姿を見せろ」

 トイラは『グルルルルル』と唸っていた。

 人の姿のままで近づこうとする。

「おっと、待ったトイラ。その姿で近づいたら、このロープを切る」

「止めろ、ユキが落ちてしまう」

「さあ、どうする。黒豹になるのか、ならないのか」

 トイラは柴山の望みどおりに黒豹になってやった。

 そして柴山に飛び掛かった。

 柴山は持っていたナイフを闇雲に振り回した。

 トイラは唸りながら、何度も飛び掛かり、攻撃態勢を崩さなかった。

「おい、屋上でなんかやってるぞ。黒いものが飛び交ってるのが見える」

 運動場から皆首を伸ばして見ていた。

 ユキも何が起こっているか様子見ようと体をよじらせた。

 トイラが黒豹の姿で戦っている姿がちらりとみえる。

 ユキはトイラに何かを言いたくて、もごもごしている。

 そして足が自然とばたつくと、その拍子に振り子のようにゆれていた。

 それがまたユキの恐怖をそそった。

 下ではユキが動くたび、『うわぁ』や『キャー』という声が漏れていた。

 ユキの縛られていたロープが動く摩擦に耐えられなくなり、徐々に切れかけてくる。

 その下では消防隊が落ちても大丈夫なように、布をぴーんと広げて救助の待機をしていた。

「トイラ、待て、ユキちゃんのロープが切れ掛かっている」

 柴山が気がついて真っ青になった。

 ただのはったりにすぎず、ユキを落とそうとは全く考えていなかった。

「ユキ!」

 そのときロープが切れてしまった。

 ユキが落ちていく。

 トイラは柵を乗り越え、黒豹の姿のままで垂直に壁を走り、ジャンプした。

「おい、あれ黒豹じゃないのか」

 運動場の人だかりは、突然の出来事に息を飲んだ。

 トイラは人の姿になり、ユキを抱き上げ、一回転して、ユキの衝撃が少しでも和らぐように庇いながら、布の上に落ちた。

「ユキ、大丈夫か」

 ユキの口に張ってあったガムテープと縄をトイラははずしてやった。

 ユキは自分が落ちたことよりも、トイラが黒豹の姿を皆に見られたことが衝撃で、目に涙をためて周りを 見回していた。

「トイラ、ごめんなさい」

「何謝ってんだ、ユキが無事でよかった」

 周りは騒然としていた。

 次々にやっぱりあの噂は本当だったと言い出して、キースの周りも人が避けるようにいなくなった。

 仁だけその場に留まり、悲しい顔をして申し訳なさそうにキースを見つめていた。

「キース、ごめん。これもユキのためなんだ。許して欲しい」

「なんのことだ、仁。この騒動を企んだのも仁なのか? やはりジークが関係してるのか」

 仁は何も答えずキースから遠ざかっていった。


 屋上では警察が柴山を現行犯逮捕していた。

「今の見ただろ。あいつは黒豹なんだよ。アハハハハハ」

 狂人のように笑っては正気をすっかり失っていた。

 手錠で手を繋がれ連行されていった。

 トイラが立ち上がると、周りは後ろずさりをするように引いた。

 キースはトイラとユキの側に寄りそい、三人で一緒に突っ立っている。

 警察が近寄って事情聴取の任意をユキに求めてきた。

 だが、トイラの前ではどこか怯えていた。

 トイラは大勢の目の前で、黒豹の姿を見せてしまい、もう誤魔化せなかった。

 周りを見渡し、自分に怯えている人間の目だけがいくつも宙に浮いているように 見えた。

 そしてその状況は、柴山があらかじめ手配していたテレビ局のカメラによって一部始終を撮られ、それはすぐにテレビに放映されることになった。

 ユキは助けを求める目で、周りを見渡すように見つめていた。

(お願い、誰かトイラを助けて)

 ユキは救急隊員に手をとられ、救急車に乗せられそうになった。

「私は大丈夫です」

 そのときだった。

 警察がトイラとキースの手に手錠をかけた。

 ユキはそれを見て、不公正な扱いに痛憤した。

「何をするの! この人たちは何も悪いことしていない」

 ユキは救急隊員の手を振り払ってトイラとキースを守るように立ち向かった。

「すみません。あの、その、念のため、騒がれないようにと思いまして。罪を犯したとかそんなんじゃないんですよ。市民の安全のためにということで。ご理解を頂けたら」

 警察は豹と狼だと思うと、何かに繋がずにはいられないようだった。

「別にそれで納得するのなら、俺は構わないぜ」

 トイラが喋ると、警察官は少し帯びえを見せた。

「ご協力ありがとうございます」

 お礼を言って手錠をはめる。ユキは納得がいかない。

「トイラとキースは何もしない。なぜ連れて行こうとするの。そんなのおかしい。彼らは何も関係ない」

 ユキが暴れると、周りのもが必死に押さえつける。

 それを見て、トイラは腹を立て、ユキを庇おうと立ち向かう。

「やめろ、トイラ」

 キースが押さえ込むが、それは十分周りのものを怖がらせていた。

 ユキは状況が不利になると思い大人しくなった。

「トイラ、ごめん」

 トイラとキースは警察の車に乗せられてしまった。

 この時、ふたりは大人しく、されるがままに従った。

 豹や狼の姿になって変に抵抗したら、それこそ銃で撃たれるだろう。

 ユキは狂ったようにトイラの名前を何度も叫び、トイラはユキの顔を苦しそうに見つめ返していた。

 ユキは無理やり救急車に乗せられてドアを閉められた。

 ユキの叫びが途中でと切れる。

 そしてサイレンが鳴ると同時に救急車は走り去っていった。

 運動場では学校中の生徒たちが、トイラとキースを乗せたパトカーを目で追っていた。

 特に2年A組の生徒たちの表情は固く、悄然としていてどう受け止めていいのかわからない。

 ミカは目に涙をためて、次第に小さくなって消えてくキースを乗せたパトカーをいつまでもいつまでも見ていた。

「キース、私の王子様が」

 気分は悲劇のヒロインのように啜り泣くと、物語の全てが悲劇の幕を閉じて終わったと心引き裂かれていた。

 ハンカチを手に握り締め、目頭をそっと押さえる。

 上品なお姫様を演じるつもりが、我慢できないほどの悲しみが押し寄せ、わんわんと叫んで泣いていた。

 仁は自分が犯してしまったことの重大さを、しっかりと受け止めていたつもりだが、身に火を放たれたような衝撃に落ち込みが激すぎて後味が悪くなる。

 自分が手錠を掛けられて、警察に連れていかれた方が似つかわしかった。

 運動場に集まっていた生徒たちが、先生の指示で教室に戻っていく。

 その人の波にのまれて仁もトボトボと歩き出した。

 時々、不安で意味もなく後ろを振り返る。

 警察や消防車がここには用がないと次々に学校から出て行く。
 全てが片付いたように見えても、仁の心の虚しさまでは拭えなかった。

 ──これでユキが助かるんだ。

 仁は強く正当化しようとこの事件のメリットを重視する。

 後はジークがちゃんと約束を守ってくれることを信じるのみだ。

 しかしどこか不安がよぎる。

 もしかして──、もしかしたら――。

 突然それは心にひびを走らせた。そこからじわじわ漏れ出す疑心。

 ──ジークは本当に信用おける奴なのか。

 もう一人の自分が問いかける。

 なんとか約束を信じようと空を見上げた。

 カラスが一羽、山の麓へ飛んでいくのが仁の視界に入った。


 パトカーの後部座席でトイラとキースは顔を見合わせていた。

 悪いことなど何もしてない。

 ただ自分たちが異種なだけで捕らえられてしまった。

 あまりにも理不尽すぎて、どうしようかあぐねていた。

 トイラはキースに目で訴える。

 ──俺達どうなるんだ。

 キースは手錠をかけられた自分の手を胸元に引き寄せ、わからないと肩をすくめていた。

「僕たちどうなるんですか」

 キースが一応、前に居る警察官に聞いてみた。

「とりあえず、事情聴取ということで、あの、その、とにかく署まで来て下さい」

 どう対処していいのかわからないのか、警察官もこの状況に混乱していた。

 豹と狼に変身する人間を野放しにしていたら、住民の不安を買う。

 身柄を拘束して、町の騒ぎが大きくならないようにするしかなかった。

「事情聴取で、どうして俺たちは、犯人扱いにならないといけないんだ。この手錠をはずしてくれ」
 トイラは手錠がかけられた手を、警察官の座席越しに突き出した。

 助手席に座っていた警察官は怯えてしまう。

 運転していた警察官もびくっとして、一瞬車が道を外れた。

「トイラ、やめろ。ここは従うしかない」

 手錠が繋がれている両手で、キースはトイラを後ろに引いた。

 トイラは落ち着かない気持ちのまま、座席に深く腰掛け窓から景色を眺める。

「ユキは大丈夫だろうか」

 トイラはぽつりと呟いた。

 あの泣き叫んでいたユキの顔が忘れられない。

 このまま引き裂かれて会えなくなるのではと思うと、しゅんと小さく縮こまった。

「ああ大丈夫さ。病院で念のために検査するんだろう。それよりも僕たちがどうなるかだ。正体がばれた今、放ってくれそうにもないな」

「まさか、火あぶりってことにはならないよな」

「ありえるかもな」

 キースは前方の警察官二人の怯えぶりを見ていると、嫌な予感がする。

 トイラは自分の言葉でこそこそと話し出した。

 自分の言葉とは、人間にはわからない黒豹の言葉である。

「逃げるのはいつでもできる。まずはこのまま警察署に行って、様子を見るしかない。そしてユキになんとしてでも会わないと、この騒ぎを聞きつけて、またいつジークが襲ってくるかわからない」

「ユキも病院で検査を受けたあと、事情聴取で警察にやってくるはずだ。そのときチャンスを見計らって、ユキを連れて逃げよう」

「逃げるって、どこに逃げるんだ。家にはもう戻れないぞ」

「一か八かだ。ジークが居るあの森だ。あそこは僕達の森にリンクされて、今繋がっている」

「キース、それは危険だ。太陽の玉を持つジークに近づけば、ユキの胸のアザが大きくなってしまう。もし満月になってしまったら、俺まだユキを助ける方法がわからない」

「しかし、ここにはもう居られない。危険な賭けだが、僕達の森に帰るしか道はない」

 ガラスの破片がばら撒かれた道を素足で踏むようなものだとトイラは思った。

 そんな危険な道しか残されていないことに、車の後部座席で目を瞑り頭をうなだれた。

 ユキの胸の月の玉がそれまでもってくれるか、そしてジークに見つからず自分の森に帰れるか、無謀な賭けだった。

 突然思うようにいかない怒りがこみ上げる。

 心の底からの震えが手先にまで振動した。

「くそっ!」

 このとき、人間の耳には豹の咆哮として届いた。

 前方に居た警察官二人は、悲鳴をあげて震え上がっていた。


 ユキは病院で検査を受けさせられた。

 泣き疲れ声までがらがらになり、ぐったりと骨が砕けきったように体がだらりとしていた。

 誰の目にも重度の病人と映っていたことだろう。

 実際は、トイラが庇ってくれたお陰で、体には何も異常がなく擦り傷程度で済んだ。

 普通なら足の一つや二つ骨折していてもおかしくない状況だった。

 または命を落としていたか――。

 病院の書類の手続きが完了するまで、廊下の長いすに座り、ユキは待たされた。

 警察官二人に付き添われ、この後事情聴取で警察署に行くと聞かされた。

 その時トイラとキースに会えると思うと、幾分落ち着いてくる。

 しかし、警察がとった行動がどうしても許せない。

 煮えたぎる感情がふつふつと胸の中でまたぶり返してきた。

「ねえ、おまわりさん、トイラとキースをどうするつもりなの? 何も悪いことしてないのに、どうして手錠なんかかけちゃったの」

 警察官も前代未聞の出来事に何をどう答えていいのかわからず、苦笑いするだけだった。

 ユキはプイっと駄々をこねる子供のように首をふった。

 力を入れすぎて首の筋が変になったかと思ったが、それは首の痛みじゃないことに気がついた。胸がキリキリと痛み出していた。

 ──嘘、ジークが近くにいる!? まさか

 血の気がすーっと引いていく。

 ドクンドクンと胸の鼓動が激しくなると同時に痛みも増してゆく。

 ユキは辺りを見回した。

 そして見てしまった。黒っぽいワードローブを纏った男が確かにそこに居た。

 ──あっ、どうしよう!どうしよう!

 ハラハラと敵に狙われる恐怖感。

 じわりじわりと追い詰められる。

 絶体絶命──。

 トイラもキースもここには居ない。

 このままジークが近づけば、胸の痣は 完全に満月になってしまう。

 トイラが命の玉を取る前に自分は死んでしまう──。

 ──嫌だ!このまま死んでしまうのは嫌だ!逃げなきゃ。なんとしでも逃げなきゃ。

 ぶるぶると震えるユキに警察官は気がついた。

「どうしたんですか。気分が悪いんですか?」

「あの、ちょっとトイレに行きたいんですけど」

「ああ、トイレですか、それなら遠慮なくどうぞ行って下さい」

 ユキは、震える足でゆっくり立った。

 警察官にはこのとき、突然腹を下したとでも思ったことだろう。

 そんなことなどどうでもいいと、ユキは逃げることで頭がいっぱいだった。

 ──来る、近づいて来る。

 胸の痛みもどんどん強くなる。

 ──落ち着け、落ち着け、落ち着くんだ!

 ジークがの動きが機敏になり、ユキめがけて駆け寄る。

 ユキは無我夢中で走った。

 廊下を歩いている患者や、看護師にぶつかりそうになりながら、必死で出口を探した。

「一体出口はどこなのよ」