私の挑戦、終わっちゃった――。
ぼんやりにじむ景色とさらさらと流れる鴨川の音。その昔、「鴨川の水と双六のサイコロ、延暦寺の山法師だけは思い通りにならない」と嘆息した偉い人がいたと学校で習ったけど、それ以外にも思い通りにならないことはいっぱいある。私、鹿(しか)池(いけ)咲(さ)衣(え)は軽く鼻を啜って、つい先程告げられた不採用のお祈りメールをもう一度読み返す。
「いけると思ったんだけどなあ……」
呟く声がかすれた。まつげに涙が溜まる。また目の前が歪んで、スマートフォンの文字を読めなくした。川面を渡る風が私の長い髪を揺らしていた。
物心ついたときからぼんやりと〝和食の料理人〟に憧れていた。
もともと、東京の実家が小さな定食屋をやっていたので、料理を作る仕事に囲まれて育ったせいもあるかもしれない。
でも、決定的にこの道を目指そうと思ったのは、高校の修学旅行で訪れた京都で食べた京懐石の影響だった。
鮮やかな彩り、上品な出汁の味。京都の寺社と自然の間にある店の美しい佇まいも料理を引き立てるようだった。まるで五感すべてが自然に溶け出して、その自然の恵みをいただいているような豊かな時間。実家の定食屋の、ランチがワンコインで学生、サラリーマンや工事作業のおじさんたちの戦場みたいなところとは大違い。私が求めていたものはこれだと思ったのだ。
短大で管理栄養士の資格を取り、卒業したあとは東京の懐石料理の店で本格的に和食を習った。
昔ながらの厳しい板長に何度も怒鳴られた。堪え切れなくてトイレに駆け込み、声を殺して泣いたのは一回や二回ではない。
私は歯を食いしばってがんばった。
そんな環境で四年。努力に努力を重ねた甲斐あって、その店で一通りの料理ができるようになった私は、自分の「京都」への夢を板長に打ち明けた。
いかにも職人風の髪を短く刈り込んだ板長はため息をついた。そんな彼を見るのは初めてだった。
「あんだけ怒鳴られてもがんばってたから、何か夢があるんだろうと思ってたけど、そうか、『京都』か。いいぞ。行ってこい。そして帰ってくるなよ」
板長はぶっきらぼうながら私の決意を尊重して送り出してくれて、私は京料理の店の採用試験を受けたのだ。 教えられたこと、学んだことのすべてを出した。
だけど――。
『東京の料理人さんは、お醤油ばっかりやと思とったんやけど、ずいぶんやさしい味やなぁ』
『雲をいただいているようで、子供さんに夢のあるお料理ですなぁ』
面接をしてくれた板前と女将のやんわりとした言葉のやりとりを、私はただ微笑んで聞いていただけだった。
試験が終わると、京都に住んでいる昔からの友達に即行で電話して、さっきの講評を訳してもらった。
「咲衣さ、それって言いにくいんだけど……」
要するに、「甘ったるくて、味がぼやけていて、子供の料理だ」という意味だったらしい。
京都弁のオブラートに包まれていて分からなかったとはいえ、にこにこ笑って聞いていた私、まるっきり馬鹿みたいじゃん。
この友達、清水(しみず)早苗(さなえ)――いまは結婚して岩田(いわた)早苗は、幼なじみで短大までずっと一緒だった腐れ縁。かわいらしい子なのにしょっちゅう嘘をついては私を困惑させてくれていたから、その説明も嘘じゃないかと勘ぐった。
しかし、そのすぐあとにお祈りメールが届いて、早苗が嘘をついていたわけではなかったことが判明した。早苗も、こういうときに限ってほんとのこと言うなよ。それと、お祈りメール早すぎ……。
鴨川の川岸には、申し合わせたかのように等間隔で恋人たちが座っている。
そんな甘い空間に、ひとりだけ顔に縦線が入ったような私がいていいのか。
いいのかも何も、他に行くところないんですけど? 散々お世話になったくせにわがまま言って、はなむけの言葉までもらって送り出された東京の店に戻るのはさすがに気が引ける。
「でも、東京に戻るしかないよね――」
東京に戻れば実家がある。都会でもなければ下町でもなくて、もっと西の方ののんびりしたところで、武蔵野なんて呼ばれる辺りだけど。
そこでうちの実家は何十年も小さな定食屋をやっている。
職業に貴賤はない。定食屋だって立派な仕事だ。
東京に帰って朝から晩まで、お客さんに笑顔で定食を作ろう。
そうすればこれまで磨いてきた料理の腕も無駄にならないですむ。
もう二十四歳だけど、看板娘としてご近所の評判になれるかな。
小さい頃から、お父さんに似た色白の肌とぱっちりした目を常連さんに褒められてたから、まだいけるかも。
最近、お父さんの血圧がまた上がってるってお母さんも心配してたから、私が実家に戻れば少しは安心してもらえるかもしれない。
そもそも私一人っ子だし。家に戻って両親を安心させて、そのうちお婿さんを取って――。
……でも、心のどこかで声がする。
「それでいいのか」と。
いいわけないじゃない。
私だって悔しいよ――。
鴨川の川面が、また蜃気楼のように揺らめいた。
ぼんやりにじむ景色とさらさらと流れる鴨川の音。その昔、「鴨川の水と双六のサイコロ、延暦寺の山法師だけは思い通りにならない」と嘆息した偉い人がいたと学校で習ったけど、それ以外にも思い通りにならないことはいっぱいある。私、鹿(しか)池(いけ)咲(さ)衣(え)は軽く鼻を啜って、つい先程告げられた不採用のお祈りメールをもう一度読み返す。
「いけると思ったんだけどなあ……」
呟く声がかすれた。まつげに涙が溜まる。また目の前が歪んで、スマートフォンの文字を読めなくした。川面を渡る風が私の長い髪を揺らしていた。
物心ついたときからぼんやりと〝和食の料理人〟に憧れていた。
もともと、東京の実家が小さな定食屋をやっていたので、料理を作る仕事に囲まれて育ったせいもあるかもしれない。
でも、決定的にこの道を目指そうと思ったのは、高校の修学旅行で訪れた京都で食べた京懐石の影響だった。
鮮やかな彩り、上品な出汁の味。京都の寺社と自然の間にある店の美しい佇まいも料理を引き立てるようだった。まるで五感すべてが自然に溶け出して、その自然の恵みをいただいているような豊かな時間。実家の定食屋の、ランチがワンコインで学生、サラリーマンや工事作業のおじさんたちの戦場みたいなところとは大違い。私が求めていたものはこれだと思ったのだ。
短大で管理栄養士の資格を取り、卒業したあとは東京の懐石料理の店で本格的に和食を習った。
昔ながらの厳しい板長に何度も怒鳴られた。堪え切れなくてトイレに駆け込み、声を殺して泣いたのは一回や二回ではない。
私は歯を食いしばってがんばった。
そんな環境で四年。努力に努力を重ねた甲斐あって、その店で一通りの料理ができるようになった私は、自分の「京都」への夢を板長に打ち明けた。
いかにも職人風の髪を短く刈り込んだ板長はため息をついた。そんな彼を見るのは初めてだった。
「あんだけ怒鳴られてもがんばってたから、何か夢があるんだろうと思ってたけど、そうか、『京都』か。いいぞ。行ってこい。そして帰ってくるなよ」
板長はぶっきらぼうながら私の決意を尊重して送り出してくれて、私は京料理の店の採用試験を受けたのだ。 教えられたこと、学んだことのすべてを出した。
だけど――。
『東京の料理人さんは、お醤油ばっかりやと思とったんやけど、ずいぶんやさしい味やなぁ』
『雲をいただいているようで、子供さんに夢のあるお料理ですなぁ』
面接をしてくれた板前と女将のやんわりとした言葉のやりとりを、私はただ微笑んで聞いていただけだった。
試験が終わると、京都に住んでいる昔からの友達に即行で電話して、さっきの講評を訳してもらった。
「咲衣さ、それって言いにくいんだけど……」
要するに、「甘ったるくて、味がぼやけていて、子供の料理だ」という意味だったらしい。
京都弁のオブラートに包まれていて分からなかったとはいえ、にこにこ笑って聞いていた私、まるっきり馬鹿みたいじゃん。
この友達、清水(しみず)早苗(さなえ)――いまは結婚して岩田(いわた)早苗は、幼なじみで短大までずっと一緒だった腐れ縁。かわいらしい子なのにしょっちゅう嘘をついては私を困惑させてくれていたから、その説明も嘘じゃないかと勘ぐった。
しかし、そのすぐあとにお祈りメールが届いて、早苗が嘘をついていたわけではなかったことが判明した。早苗も、こういうときに限ってほんとのこと言うなよ。それと、お祈りメール早すぎ……。
鴨川の川岸には、申し合わせたかのように等間隔で恋人たちが座っている。
そんな甘い空間に、ひとりだけ顔に縦線が入ったような私がいていいのか。
いいのかも何も、他に行くところないんですけど? 散々お世話になったくせにわがまま言って、はなむけの言葉までもらって送り出された東京の店に戻るのはさすがに気が引ける。
「でも、東京に戻るしかないよね――」
東京に戻れば実家がある。都会でもなければ下町でもなくて、もっと西の方ののんびりしたところで、武蔵野なんて呼ばれる辺りだけど。
そこでうちの実家は何十年も小さな定食屋をやっている。
職業に貴賤はない。定食屋だって立派な仕事だ。
東京に帰って朝から晩まで、お客さんに笑顔で定食を作ろう。
そうすればこれまで磨いてきた料理の腕も無駄にならないですむ。
もう二十四歳だけど、看板娘としてご近所の評判になれるかな。
小さい頃から、お父さんに似た色白の肌とぱっちりした目を常連さんに褒められてたから、まだいけるかも。
最近、お父さんの血圧がまた上がってるってお母さんも心配してたから、私が実家に戻れば少しは安心してもらえるかもしれない。
そもそも私一人っ子だし。家に戻って両親を安心させて、そのうちお婿さんを取って――。
……でも、心のどこかで声がする。
「それでいいのか」と。
いいわけないじゃない。
私だって悔しいよ――。
鴨川の川面が、また蜃気楼のように揺らめいた。