100日間、あふれるほどの「好き」を教えてくれたきみへ




「海月は、なんであの夜に雨の中をフラフラしてたの?もしかして病院帰りだった?」

「……あの日に宣告されたの。あなたの余命は三か月だと思ってくださいって」


ドクンと、俺の心臓が悲しい音をたてる。



「死ぬことに対して別に怖さはなかったし、病気だって分かっても、まあ、長生きしたいわけじゃなかったしって、その程度。でも、頭で考えてることと心で思うことは別々で……」

海月の声がだんだんと小さくなった。そして……。



「今でも後悔してる。あんな形で佐原を巻き込んでホテルに行ったこと」

月明かりに照らされた海月がまっすぐに俺のことを見ていた。



「あの時は、もうなんだっていいやと開き直ってる自分と、なんで私ばっかりって腹が立ってる自分とふたつの感情があった。そんな時に佐原から声をかけられて、その優しさに私は寄りかかったんだと思う」


あの時の俺たちはお互いのことなんてなにも知らなかった。

色々なことを飛び越えてしてしまったことはあるけれど、あの夜がなかったら、俺たちは今一緒にはいないだろう。



「じゃあ、良かった。声をかけて」

「え……?」


「だって海月を見失わずに済んだ」





寄りかかってきてくれた海月を少しでも受け止めることができていたのなら。

一瞬でも心の救いになっていたのなら、俺は何度あの日に戻っても海月に傘を傾けるし、夜を一緒に過ごすことを選ぶ。



「巻き込んだ、なんて言うけど、巻き込まれてよかったんだよ。俺は海月と関わることができて、好きになって良かったって思ってるし、海月のことだけは、後悔しない」


絶対に、なにひとつこれからも後悔することは一度だってないと言い切れる。

だから、海月もそうであってほしいと思う。



「……佐原」

海月が泣きそうな顔をしたので、その顔に触れようと手を伸ばした。


でも次の瞬間、廊下から懐中電灯の光りが見えて俺は慌てて海月の身体ごと机の下に隠れた。



「な、なに?」 

「しっ」


光りは教室の中へと入ってきて、確認するように左右に揺れる。おそらく学校の警備員だと思う。

夜に見回りしてる人がいることは噂で聞いたことがあったけど、まさか本当にいるとは思ってなかった。


足音とともに懐中電灯が俺たちの側まで来たけれどなんとかバレずに済んで警備員は教室を出ていった。
 


「っあぶねー」 


俺はふう、と胸を撫で下ろす。「見つからなくてよかったな」と、海月に話しかけたけど、何故かうつ向いたままなにも言わない。
 


「ど、どうした?どこか痛い?」 


狭い机の下に無理やり押し込んでしまったし、俺はなんとか海月だけでも隠そうと、覆い被さるようにして身体を丸めた体勢だった。


「痛くない。びっくりしただけ……」

目が合ってその距離の近さに今さら動揺する。



「ご、ごめんっ」と、慌てて机から出ようとしたらガンッ!と思いきり頭をぶつけて俺は悶えるようにして前頭部を手で押さえた。
 



「大丈夫?」

海月は細くて小さいから、俺と違ってすんなりと外に出てきた。


「平気、平気」

ってか、動揺して頭ぶつけるとかマジでカッコ悪すぎる……。


「ちょっと見せて」

海月は背伸びをして、俺がぶつけた箇所を触った。髪の毛をかき分けるようにして海月の柔らかい指が侵入してくる。


「あ、少しぼこっとしてる」


たんこぶを発見した海月は心配そうに撫でてくれたけれど、俺の心臓が持たないので、「本当に大丈夫だから」と、自分から離れた。


警備員が来た時よりも、もっと鼓動が速くなってる俺の様子に、海月はたぶん気づいていた。

……男なのに情けないって、思われてなきゃいいけど。
 


「やっぱり写真、一枚だけならいいよ」

「え?」

海月がおもむろにそんなことを言った。



「でも私だけが撮られるんじゃなくて、佐原とふたりで。それで同じものをあとで私にも送って」



残ることが嫌だと言った海月。でも少なからず今は……残ってもいいと思ってくれた。

写真は俺のスマホで撮った。

 
満月を背景にして、本当に一枚だけ。撮り慣れていない海月が俺の隣で微笑んでくれていて。


それがどうしようもなく、愛しかった。










きみと撮った写真を、私はいつも寝る前に眺める。


写真の中はまるで切り取られた世界のように刻を止めて――『俺は海月と関わることができて、好きになって良かったって思ってるし、海月のことだけは、後悔しない』


そう言われた熱はまだ冷めない。



ねえ、佐原。


私きみといると、1日1日がすごく惜しいよ。



カレンダーはいつの間にか12月になっていた。二学期の大きな行事でもあったマラソン大会はもちろんあれこれと理由をつけて不参加して、期末テストも先週無事に終わった。

学校ではすでに大晦日や初詣と年末の話題になっていて、一年の早さというより、時間の早さに追い付けない時がある。



「混んでたけど、けっこう旨かったな」


週末の今日。私は佐原と街を歩いていた。

こうして学校が休みの日に会うことも増えて、佐原は美味しいパスタ屋さんや可愛いカフェを見つけては私を連れていってくれる。




「海月、今日は夕方からバイトだっけ?」

「うん。佐原は?」

「俺は休み。やっぱりシフト合わせないとなかなかお互いに休みの日ってないよな」


実は佐原も先月の末からバイトを始めていた。

そんなこと一言も言ってなかったし素振りも感じなかったけど、私が知らない間に面接を受けて今は物流センターの荷物の仕分けをしている。


沢木くんという友達の紹介らしいけれど、けっこうな重労働なんだとか。働いてる人は全員男の人らしいし、この前も飲料水が入った段ボールを永遠に上げ下げして、腰を痛めたと笑ってた。


佐原は遊び歩いていた時とは違い、顔つきも精悍になり、少年という雰囲気が消えてずいぶんと落ち着いた表情を見せることが多くなった気がする。



「なんで急にバイトを始めたの?」


相変わらず学校では友達に囲まれているけど、それでも前よりは明らかに数は減った。

きっと付き合いが悪くなってしまった佐原から離れていった人がいるからだと思う。


「んー。いつまでもフラフラしてられないと思ったのと、あと欲しいものがあるから」

「なに?」

「内緒」


無邪気な笑顔を浮かべた佐原は、私の手を握った。


会うことが多くなって、遊びにいくことが増えた今ではこうして外で手を繋ぐことは珍しくない。

『あのふたりは付き合いはじめた』なんて、学校で噂されてるけれど、佐原はとくに否定しない。私も佐原と手を繋いで歩くことに違和感はないし、佐原の隣にいると心が安心する。





そんなことを考えながらクリスマスカラーに染まる街を歩いた。カップルは身体を寄せ合い、小さな子はジングルベルの曲に合わせて跳び跳ねている。


クリスマス、大晦日、お正月。

これから待っている数々のイベントごとに私は参加することができるだろうか。


佐原は気が早いからクリスマスは大きなケーキを買いにいこうとか、年越しは神社でカウントダウンをして、次の日には初詣に行き甘酒を片手におみくじを引こうと計画してる。


佐原は私と一緒に過ごせることを疑わない。


私も前よりしっかりと病気に向き合っているし、どうすることもできないというよりは、どうにかしたいという気持ちに変わった。でも……。



「う……っ」

急に胸焼けが襲ってきて、私は口元を押さえる。


「大丈夫?気持ち悪い?」

そんな私に佐原は慌てることなく、人が少ない路地のほうへと連れていってくれた。そして「いいよ」と言いながら、カバンからエチケット袋を取り出す。


先ほど佐原と一緒に食べたランチが喉まで上がってきていた。

佐原に優しく背中を擦られたあと、私は我慢することもできずに袋に吐いてしまった。




嫌な味が残らないようにと、佐原はペットボトルの水をすぐに用意してくれて、汚いはずの袋でさえ入り口をテープで止めてくれて、それをコンビニのビニール袋に入れてくれた。



「慣れすぎててちょっとやだ」


佐原は私以上に私のことを理解してくれている。

きっと病気についても色々と調べているだろうし、どんな症状が出てもいいように準備もしてくれている。……それが、嬉しいというより、情けない。


吐いている姿を見られてしまう恥ずかしさと、こんなことに慣れさせてしまってる後ろめたさと、もう我慢することもできないほど症状がひどくなってることが、全部悲しくてツラい。



「いいじゃん。俺は海月がひとりで具合悪くなるより、俺の前でなってほしいよ」

不安定な私の心を見透かしてるように、佐原はそっと頭を撫でてくれた。


「それ、持つから」

私は佐原に持たせたままのビニール袋を受けとる。


吐いたことで体調は楽になった。でも、さっきまで満たされていたオムライスが外に出てしまったので、空気が身体の中に入るたびにひんやりとする。



「……お腹空っぽになっちゃった」


せっかくデミグラスソースとトマトソースのオムライスを佐原と半分ずつ食べたのに。




「また食べにいけばいいよ。ポイントカード作ったし、スタンプ貯まるとオリジナルのマグカップが貰えるって書いてあった。二個貰えるようにまた行こう」

離していた手を再び佐原が握ってくれた。


そんな佐原を私はじっと見つめる。手は繋いでくれるのに、私がこうして視線を送ると佐原は必ず照れる。


「な、なに?」

寒さのせいだけではない、耳の赤さ。そういうところが少し可愛い。


「佐原は前に戻ったね」

「ん?」

「出逢った頃の佐原に戻った気がする」



私の病気を知ったあと、佐原は元気がなかった。


いつも私の気持ちなんて関係なく踏み込んできたのに、怯えてるような目をしてた時期があった。

でも今は出逢った頃のまま。私がなにを言っても、なにをしてもめげないって感じで、強くて引かない瞳をすることが多くなった。



「それっていい意味?」

「分かんない」

私は誤魔化すように笑った。



もしかしたら佐原は、強いふりをしてるだけなのかもしれない。


大丈夫なふり、動揺してないふり。

それでも佐原は、私の前で弱いことは言わない。そのぶん、私が弱くなれるようにしてくれている。



ごめんね、なんて言えば佐原は怒るだろうけど、私はやっぱり佐原に大きなものを背負わせてしまったと思ってる。


私と出逢わなければ、なにかが違っていたら、佐原は佐原のまま友達と遊んで、なにも考えずに毎日を過ごせていたのにって。



でも私……きみがいないともうダメかもしれない。


そう思うほど、佐原のせいで弱くなってしまったよ。





それから夕方になり、私は佐原と別れてバイトに向かった。暖簾をくぐり中に入ると、店内はびっくりするほど賑わっていた。


「あ、海月ちゃん。お皿かなり溜まってるからすぐに準備して洗ってくれる?」

清子さんは忙しそうにお蕎麦を運んでいて、厨房では将之さんも次から次へと入る注文に追われていた。


「は、はい。すぐに洗います!」

私はローカールームに行き、腰巻きのエプロンをきゅっと結ぶ。急いで自分の持ち場に向かうと、たしかに洗い物がたっぷりと積み上げられていた。



「今日、地域の子供会だったらしいですよ」

と、その時、私よりも早くバイトに入っていた三鶴くんが後ろを通りかかった。

たしか子供会ってこの近くにある公民館でやってるって聞いたことがあるし、店内の客のほとんどがお母さんと子どもだったのはその理由だろう。


「珍しいですよね。店からきゃーとかわーとか奇声が聞こえてくるのは」

「いつもサラリーマンが多いからね」


子どもは声質が高くて苦手意識があったけど、今は微笑ましく感じることができている。

きっとそれは佐原のおかげ。佐原が心にいるから私は気持ちを乱さないで落ち着いていられるんだと思う。