亮くんの部屋に住み始めてから、もう一週間が経った。
猫ちゃんにヒントを貰い、改めて亮くんを救うことを決意したのはいいものの、あれから特に進展はない。
女性の怒鳴り声が聞こえてくることもなければ、大きな物音がすることもない。至って普通の毎日だった。
亮くんは暇さえあれば漫画を描き、その光景を私が後ろから眺めるのがお決まりのパターンになりつつある。
この一週間で打ち解けたのか、亮くんは以前よりもずっと多くのことを語ってくれるようになった。
最初は漫画の原稿を見せるのさえ嫌がっていたのに、今では自分から絵を見せるようにすらなった。それどころか、キャラクターの構図や台詞についての意見を私に求めてくることさえある。
こういうとき、漫画を描いた経験があってよかったと思う。
それに、なんだろう。一生懸命に絵を描いている亮くんの姿を見ると、自分でもわからない感覚に陥ってくる。嫉妬でも羨望でもない、けれど憧れにも近いような、何とも言えない感覚。
自分ですら理解できない感情に戸惑いはある。それでも、決して悪い感情ではないことだけは断言できる。
だから私は今日も、彼の背中を見守るつもりだ。
まだ寝ている亮くんの顔を見つめながら、そんなことばかりを考える。
亮くんの朝はとても遅い。彼にとっての朝は普通の人にとっての昼なのだ。
夜更かしして睡眠時間がずれているわけではなく、単純に睡眠時間が長い。
もうすぐお昼だというのに、安らかな寝息をたてている。
亮くん以外に話し相手がいない私としては退屈ではあるけれど、こんなにも可愛い寝顔を見せられてしまえば文句を言う気も失せるというもの。
最近ではこの可愛い顔から吐かれる毒にも随分と慣れてきた。おかげで私も物怖じせず思ったことは堂々と口にできる。
ひとしきり寝顔を楽しんだ後、私は静かにベッドを離れる。
もうすぐ起きてくる頃合いだ。
まだ寝顔を見ていたい気もするけれど、起きた時に目が合うのが気まずい。
実際、この一週間の間にそうなってしまったことがある。
もちろん怒られたし、夕方まで口を効いてくれなくなった。だから起きる前に退散する必要がある。
そういった理由もあって、私が彼の顔を眺められるのは昼前まで。
寝ている男子中学生の寝顔を眺め続けるなんて我ながら変態だと思う。
でも、まつ毛が長くて肌も白くてすべすべ、髪の毛だってさらさらな男の子が寝ていたら誰だって直視すると思う。少なくとも私はやる。
……というのは半分冗談で、本当は単に退屈だから眺めているだけだ。
なので、亮くんが目覚めると寝顔を見れない名残惜しさよりも、話ができるという喜びが勝る。必然的にテンションも上がる。
ベッドから離れ、部屋の中央で体育座りをすると、タイミングよく亮くんが目を覚ました。早めに離れて正解だったかもしれない。
「ん……」
「あ、おはよう!」
「ん」
亮くんの朝は「ん」から始まる。
寝起きが悪いみたいで、起きた直後はいつもぼうっとしている。
普段の凛々しい状態とのギャップが激しくて、男の子相手なのに思わず可愛いと思ってしまう。
「朝ごはん食べてくる」
「いってらっしゃい」
眠たい目を擦りながら部屋を出ていく亮くんを私は笑顔で見送る。
随分と打ち解けたものの相変わらず私を部屋から出すつもりはないらしく、ご飯を食べる時はいつも一人で行ってしまう。
猫ちゃんから貰ったヒントを考えると、私を部屋から出したがらないのはきっと自分の家族を見られたくないからだろう。
それはそうと、今はもう朝ごはんの時間じゃないよ。言わないけど。
亮くんが階段を降りる音をしっかりと聞き届けた後、私は机に近寄る。
机の上には二十枚ほどの漫画原稿用紙が重ねられている。新人賞に向けて製作中の漫画だ。
完成度は既に七割を超えている。あとはスクリーントーンを貼りつけたり、影の部分や黒髪のキャラクターの頭髪部を墨ベタで塗りつぶすだけ。
とはいえ、その作業も決して楽ではない。応募締め切りは既に明後日にまで迫っている、あまり余裕があるとは言えない。
今日も朝ごはんを食べ終えたらすぐに作業に取り掛かるんだろう。
この一週間ずっとその調子だから容易に想像できる。
原稿を眺めながら、ぼんやりとそんなことを考える。
私の予想とは裏腹に、その日はいつもとは違っていた。
朝ごはんを食べ終えた亮くんは、すぐに作業に取り掛かると思いきや、そのままベッドに寝ころんでしまった。
不思議に思い、顔を覗き込む。
「漫画、描かないの?」
「……今日はいい」
「でももうすぐ締め切りでしょ?」
「……わかってる。でも今日はいい」
……明らかに、様子がおかしかった。
口調はいつもと同じ抑揚のない淡々としたものだったけど、どうも何かが違う。
朝食を食べている間に何かがあったのかもしれない。
「何かあった?」
「何にもない。ただ今日は面倒なだけ」
嘘だ。
女の勘だとか、そんな曖昧なものではなく、はっきりと嘘だとわかる。
確かに亮くんは面倒くさがりだ。でも、漫画だけは絶対に疎かにしない。
毎日コツコツと描き続け、将来は絶対に漫画家になるのだと胸を張って言っていた亮くんが、締め切り間際のこの状況でそんなことを言うわけがない。
必ず、何か理由がある。
そうだ、亮くんが抱えている悩みは家族に関すること。本人から直接聞いたわけではないけれど、猫ちゃんがそう言っていたのだから間違いない。
私は亮くんを救いたいし、できることならこの子の夢を叶えてあげたい。
きっと今日作業を放り出せば、もう間に合わない。
だから私は、慎重になってずっと胸の奥にしまいこんでいた言葉を取り出すことにした。
それは私にとって嫌な思い出のある言葉でもあり、同時に今の私の気持ちをそのまま表したものでもある。
恐る恐る、私は口にする。
「悩みがあるのなら、つらいのなら話だけでも聞くよ」
はたから見れば何てことはない普通の言葉。けれど私の心臓ははちきれんばかりに昂っていた。
「だから何でもないってば。寝るから放っておいて」
亮くんの返答には、はっきりと拒絶の色が含まれていた。
嫌われてこそいないだろう。しかし、私の心は穏やかではなかった。
彩月も亮くんも、やはり簡単には差し伸べた手を握ってはくれない。
途端に恐ろしくなる。
このまま踏み込み続ければ、またあの時と同じことを繰り返すのではないかと。そう思えば思うほど、開いた口が重く閉じようとする。
でも、それじゃあダメだ。
「あんなに漫画家になりたいって言っていたのに、面倒だから寝るなんて亮くんらしくないよ。無理に聞くつもりはないけど、それでも、悩んでることとか悲しいことがあるのなら私は役に立ちたいの」
今まで私に話してくれなかったということは、やはり踏み込んでほしくない問題なのかもしれない。しつこく訊けば嫌われるかもしれない。
やっと仲良くなれたのだから、この関係を壊したくはない。けれど、保身のためにこのまま放っておくのも嫌だ。
「心配してくれるのは嬉しい。でも、話したくない。迷惑をかけたくもないし、誰かに話したところで解決する問題でもないから」
……迷惑。それを聞くとただでさえ痛んでいる胸が更に締め付けられる。
どうして彩月も亮くんも、人を頼ろうとしないのだろう。
私はそんなに信用できない相手なのだろうか。
「迷惑なんかじゃないよ。それに、ずっと自分一人で抱え込んでたらいつか壊れちゃうよ」
「……わかってる。でも、話すつもりはないから」
食い下がってはみるものの、変化はなかった。
「……私も無理に聞くつもりはないよ」
結局私は、怖くなってそれ以上聞くことができなかった。
彼の心に踏み込もうとすればするほど、過去の過ちが脳裏をよぎって足が震えてしまう。
度胸のない自分が憎い。けれど、このまま終わるつもりもなかった。
「ねぇ」
「なに」
「気分転換にお出かけしようよ!」
話してくれないのなら、せめて外の空気を吸ってもらおう。
ここに閉じこもっているより、その方がずっといい。
それに、私も行きたいところがある。
「面倒だから嫌だよ。そもそもどこに行くつもりなの」
「ん、私の病室。お見舞いに来てよ」
「はぁ……。事故で寝たきりの人がいる病院なんて気分転換にならないでしょ」
確かにそうだ。
私の本体は今も寝たきりで、大きな傷はないにせよ立派な患者さんだ。
そんなところに悩める少年を連れて行くのはとても気分転換とは言えない。
でも気分転換なんてただの口実だ。亮くんを外に連れ出せるなら何でもよかった。
私は亮くんに見せたいものがある。いや、見せなければいけないものがある。
夢を諦めて放りだし、適当に生きたらどうなるか。それを物語るしわだらけの紙切れを、彼に見せなければならない。
「確かにあんまり気分転換にはならないかもしれないけど、ここで寝ているよりかはずっといいよ! それに、どうしても元の体がどうなっているか気になっちゃうしさ……」
「虫歯とかできてるかもね」
「うげ……そういうこと言うのやめて! 不安になっちゃう!」
どうしよう、全然そんなこと考えてなかった。
そういえば寝ている間は口内の雑菌が一番増えるって聞いたことがあるような……。一週間以上寝たきりってことは相当やばいのでは?
「冗談。いいよ、行こう」
「あれ、意外とあっさりオーケーしてくれるんだ」
「僕を何だと思ってるの」
「面倒くさがり屋さん」
私がそう言うと、亮くんは一瞬だけむっとした。否定しないあたり、一応自覚はしているみたい。
「はぁ。僕だってこのままじゃダメだってことくらいわかってるよ。だから行く。それに……」
「それに?」
「もう知らない仲じゃないんだから、お見舞いくらい行くよ」
……また不意打ちをくらってしまった。
突然真顔でそんなことを言い出すのだから恐ろしい。
思わずどきっとしてしまう。
「あ、でも匂いとか嗅がないでね……。一週間寝たきりだから多分臭い……」
「はいはい。それで、どこの病院?」
「あ、えっとね」
病院の場所を話すと、亮くんはすぐに準備を始めた。
また電車代を払わせてしまうことになるのは申し訳なく思う。
猫ちゃんにヒントを貰い、改めて亮くんを救うことを決意したのはいいものの、あれから特に進展はない。
女性の怒鳴り声が聞こえてくることもなければ、大きな物音がすることもない。至って普通の毎日だった。
亮くんは暇さえあれば漫画を描き、その光景を私が後ろから眺めるのがお決まりのパターンになりつつある。
この一週間で打ち解けたのか、亮くんは以前よりもずっと多くのことを語ってくれるようになった。
最初は漫画の原稿を見せるのさえ嫌がっていたのに、今では自分から絵を見せるようにすらなった。それどころか、キャラクターの構図や台詞についての意見を私に求めてくることさえある。
こういうとき、漫画を描いた経験があってよかったと思う。
それに、なんだろう。一生懸命に絵を描いている亮くんの姿を見ると、自分でもわからない感覚に陥ってくる。嫉妬でも羨望でもない、けれど憧れにも近いような、何とも言えない感覚。
自分ですら理解できない感情に戸惑いはある。それでも、決して悪い感情ではないことだけは断言できる。
だから私は今日も、彼の背中を見守るつもりだ。
まだ寝ている亮くんの顔を見つめながら、そんなことばかりを考える。
亮くんの朝はとても遅い。彼にとっての朝は普通の人にとっての昼なのだ。
夜更かしして睡眠時間がずれているわけではなく、単純に睡眠時間が長い。
もうすぐお昼だというのに、安らかな寝息をたてている。
亮くん以外に話し相手がいない私としては退屈ではあるけれど、こんなにも可愛い寝顔を見せられてしまえば文句を言う気も失せるというもの。
最近ではこの可愛い顔から吐かれる毒にも随分と慣れてきた。おかげで私も物怖じせず思ったことは堂々と口にできる。
ひとしきり寝顔を楽しんだ後、私は静かにベッドを離れる。
もうすぐ起きてくる頃合いだ。
まだ寝顔を見ていたい気もするけれど、起きた時に目が合うのが気まずい。
実際、この一週間の間にそうなってしまったことがある。
もちろん怒られたし、夕方まで口を効いてくれなくなった。だから起きる前に退散する必要がある。
そういった理由もあって、私が彼の顔を眺められるのは昼前まで。
寝ている男子中学生の寝顔を眺め続けるなんて我ながら変態だと思う。
でも、まつ毛が長くて肌も白くてすべすべ、髪の毛だってさらさらな男の子が寝ていたら誰だって直視すると思う。少なくとも私はやる。
……というのは半分冗談で、本当は単に退屈だから眺めているだけだ。
なので、亮くんが目覚めると寝顔を見れない名残惜しさよりも、話ができるという喜びが勝る。必然的にテンションも上がる。
ベッドから離れ、部屋の中央で体育座りをすると、タイミングよく亮くんが目を覚ました。早めに離れて正解だったかもしれない。
「ん……」
「あ、おはよう!」
「ん」
亮くんの朝は「ん」から始まる。
寝起きが悪いみたいで、起きた直後はいつもぼうっとしている。
普段の凛々しい状態とのギャップが激しくて、男の子相手なのに思わず可愛いと思ってしまう。
「朝ごはん食べてくる」
「いってらっしゃい」
眠たい目を擦りながら部屋を出ていく亮くんを私は笑顔で見送る。
随分と打ち解けたものの相変わらず私を部屋から出すつもりはないらしく、ご飯を食べる時はいつも一人で行ってしまう。
猫ちゃんから貰ったヒントを考えると、私を部屋から出したがらないのはきっと自分の家族を見られたくないからだろう。
それはそうと、今はもう朝ごはんの時間じゃないよ。言わないけど。
亮くんが階段を降りる音をしっかりと聞き届けた後、私は机に近寄る。
机の上には二十枚ほどの漫画原稿用紙が重ねられている。新人賞に向けて製作中の漫画だ。
完成度は既に七割を超えている。あとはスクリーントーンを貼りつけたり、影の部分や黒髪のキャラクターの頭髪部を墨ベタで塗りつぶすだけ。
とはいえ、その作業も決して楽ではない。応募締め切りは既に明後日にまで迫っている、あまり余裕があるとは言えない。
今日も朝ごはんを食べ終えたらすぐに作業に取り掛かるんだろう。
この一週間ずっとその調子だから容易に想像できる。
原稿を眺めながら、ぼんやりとそんなことを考える。
私の予想とは裏腹に、その日はいつもとは違っていた。
朝ごはんを食べ終えた亮くんは、すぐに作業に取り掛かると思いきや、そのままベッドに寝ころんでしまった。
不思議に思い、顔を覗き込む。
「漫画、描かないの?」
「……今日はいい」
「でももうすぐ締め切りでしょ?」
「……わかってる。でも今日はいい」
……明らかに、様子がおかしかった。
口調はいつもと同じ抑揚のない淡々としたものだったけど、どうも何かが違う。
朝食を食べている間に何かがあったのかもしれない。
「何かあった?」
「何にもない。ただ今日は面倒なだけ」
嘘だ。
女の勘だとか、そんな曖昧なものではなく、はっきりと嘘だとわかる。
確かに亮くんは面倒くさがりだ。でも、漫画だけは絶対に疎かにしない。
毎日コツコツと描き続け、将来は絶対に漫画家になるのだと胸を張って言っていた亮くんが、締め切り間際のこの状況でそんなことを言うわけがない。
必ず、何か理由がある。
そうだ、亮くんが抱えている悩みは家族に関すること。本人から直接聞いたわけではないけれど、猫ちゃんがそう言っていたのだから間違いない。
私は亮くんを救いたいし、できることならこの子の夢を叶えてあげたい。
きっと今日作業を放り出せば、もう間に合わない。
だから私は、慎重になってずっと胸の奥にしまいこんでいた言葉を取り出すことにした。
それは私にとって嫌な思い出のある言葉でもあり、同時に今の私の気持ちをそのまま表したものでもある。
恐る恐る、私は口にする。
「悩みがあるのなら、つらいのなら話だけでも聞くよ」
はたから見れば何てことはない普通の言葉。けれど私の心臓ははちきれんばかりに昂っていた。
「だから何でもないってば。寝るから放っておいて」
亮くんの返答には、はっきりと拒絶の色が含まれていた。
嫌われてこそいないだろう。しかし、私の心は穏やかではなかった。
彩月も亮くんも、やはり簡単には差し伸べた手を握ってはくれない。
途端に恐ろしくなる。
このまま踏み込み続ければ、またあの時と同じことを繰り返すのではないかと。そう思えば思うほど、開いた口が重く閉じようとする。
でも、それじゃあダメだ。
「あんなに漫画家になりたいって言っていたのに、面倒だから寝るなんて亮くんらしくないよ。無理に聞くつもりはないけど、それでも、悩んでることとか悲しいことがあるのなら私は役に立ちたいの」
今まで私に話してくれなかったということは、やはり踏み込んでほしくない問題なのかもしれない。しつこく訊けば嫌われるかもしれない。
やっと仲良くなれたのだから、この関係を壊したくはない。けれど、保身のためにこのまま放っておくのも嫌だ。
「心配してくれるのは嬉しい。でも、話したくない。迷惑をかけたくもないし、誰かに話したところで解決する問題でもないから」
……迷惑。それを聞くとただでさえ痛んでいる胸が更に締め付けられる。
どうして彩月も亮くんも、人を頼ろうとしないのだろう。
私はそんなに信用できない相手なのだろうか。
「迷惑なんかじゃないよ。それに、ずっと自分一人で抱え込んでたらいつか壊れちゃうよ」
「……わかってる。でも、話すつもりはないから」
食い下がってはみるものの、変化はなかった。
「……私も無理に聞くつもりはないよ」
結局私は、怖くなってそれ以上聞くことができなかった。
彼の心に踏み込もうとすればするほど、過去の過ちが脳裏をよぎって足が震えてしまう。
度胸のない自分が憎い。けれど、このまま終わるつもりもなかった。
「ねぇ」
「なに」
「気分転換にお出かけしようよ!」
話してくれないのなら、せめて外の空気を吸ってもらおう。
ここに閉じこもっているより、その方がずっといい。
それに、私も行きたいところがある。
「面倒だから嫌だよ。そもそもどこに行くつもりなの」
「ん、私の病室。お見舞いに来てよ」
「はぁ……。事故で寝たきりの人がいる病院なんて気分転換にならないでしょ」
確かにそうだ。
私の本体は今も寝たきりで、大きな傷はないにせよ立派な患者さんだ。
そんなところに悩める少年を連れて行くのはとても気分転換とは言えない。
でも気分転換なんてただの口実だ。亮くんを外に連れ出せるなら何でもよかった。
私は亮くんに見せたいものがある。いや、見せなければいけないものがある。
夢を諦めて放りだし、適当に生きたらどうなるか。それを物語るしわだらけの紙切れを、彼に見せなければならない。
「確かにあんまり気分転換にはならないかもしれないけど、ここで寝ているよりかはずっといいよ! それに、どうしても元の体がどうなっているか気になっちゃうしさ……」
「虫歯とかできてるかもね」
「うげ……そういうこと言うのやめて! 不安になっちゃう!」
どうしよう、全然そんなこと考えてなかった。
そういえば寝ている間は口内の雑菌が一番増えるって聞いたことがあるような……。一週間以上寝たきりってことは相当やばいのでは?
「冗談。いいよ、行こう」
「あれ、意外とあっさりオーケーしてくれるんだ」
「僕を何だと思ってるの」
「面倒くさがり屋さん」
私がそう言うと、亮くんは一瞬だけむっとした。否定しないあたり、一応自覚はしているみたい。
「はぁ。僕だってこのままじゃダメだってことくらいわかってるよ。だから行く。それに……」
「それに?」
「もう知らない仲じゃないんだから、お見舞いくらい行くよ」
……また不意打ちをくらってしまった。
突然真顔でそんなことを言い出すのだから恐ろしい。
思わずどきっとしてしまう。
「あ、でも匂いとか嗅がないでね……。一週間寝たきりだから多分臭い……」
「はいはい。それで、どこの病院?」
「あ、えっとね」
病院の場所を話すと、亮くんはすぐに準備を始めた。
また電車代を払わせてしまうことになるのは申し訳なく思う。