だから、中学進学を機に、これまでの性格を改めた。
つまり、自分から人を好きになることをやめたのだ。
お母さんの言うように「特別」を作らないことにした。

もう、傷つきたくなかった。

だって自分がそう思っても、必ずしも相手は自分のことを「特別」とは思ってくれない。
あるいは私自身に問題があるかもしれない。
いずれの理由にせよ、「思ってくれるかもしれない」「受け入れてくれるかもしれない」という一切の期待を捨て、みんなと平等に接することに決めたのだ。


小学生よりも顕著に派閥を作ろうとする中学校では、難しいことではあったが、根が社交的な性格から、人とは難なく接することができて、大きなグループの一員になった。
基本的にはそのグループの中の子と行動を共にしたけれど、そうでない子たちとも関わりを持つようにした。いつでも優勢の方について、自分の意見は必要最低以上は持たない。
浮き輪みたいに、ふわふわと漂い、いつでも抜けて、他のグループにはいれるような準備はしていた。



——「杏那はいい子だね」


杏那はみんなと分け隔てなくて、いい子だね。


いつからか「いい子」が私を形容する言葉になった。
周りに対して無頓着になっただけだったが、大抵のことはこれで済まされるようになった。平等な視野を持っている、中立な立場であると見せかけて、優柔不断でも「杏那はいい子だから」で済まされた。


居心地は良かった。適当に話し合えて、戯れあえて。
初めのうちはまだどこか期待して、涙する日もあったけれど、だんだんと「いい子」が免罪符になるにつれて、慣れてきた。

けれど、年を経るごとに結束が濃く、固くなっていく関係に、心の隅では恐怖さえ感じていた。
結局、私は人間関係を築く点において、みんなほど器用な人間ではなかった。

だから気づかなかったのだ、その好意に。