いつの間にか、真人さんが私の向かいの椅子に座っている。
「お茶くらいゆっくり飲んでもいいじゃないですか」
私の抗議を軽く鼻で笑っている。見てくれは悪くないだけ、たちが悪い。
真人さんから目を逸らして手元のパンフレットを見る。純和風の落ち着いた部屋の写真、きれいに手入れされた四季折々の中庭の写真など、琴線に触れるものばかり。
さりげなく宿泊費用を確認する。お財布の現金は十万円くらいだけど、貯金もあるし、カードもあるし、これなら大丈夫。
いままで有給も取らずにがんばってきたんだ。
このくらい自分のために使ったって大丈夫――。
家族連れはお茶を済ませて行ってしまった。部屋に行ったのかしら。
代わりに他のお客さんが何人か玄関ロビーにくつろぎに来ていた。
みんなリラックスしている感じで、どこか懐かしい雰囲気。
小さい頃に家族旅行で泊まった旅館をイメージしてみて、と言われたら、すぐにイメージしそうな感じとでも言えばいいだろうか。
うん、決めた。ここで宿泊させてもらおう。
私はお茶と一緒に出されたおまんじゅうに手を伸ばした。
お茶はともかく、泊まるかどうか分からない状態でおまんじゅうまでいただいてしまうのは躊躇していたのだ。
でも、泊まると決めた以上、ありがたくいただこう。おまんじゅうも久しぶりだな。
ビニール包装がないので乾いているのではないかと思ったけど、そんなことはなかった。
白くて丸い表面はしっとり冷たくて、柔らかかった。
ひと口食べて思わず声が出た。
「――おいしい」
薄いおまんじゅうの皮は手に持ったときの予想通りの、優しい食感だった。薯蕷(じょうよ)饅頭(まんじゅう)、というのだったろうか。シンプルだけど、その分、作り手の腕が表れるとか。
おまんじゅうの皮には山芋も使うそうだけど、きっと素材に拘ったすごく高級な品なのではないか。
餡はこしあん。大好きだ。
それが、ねっとりとしていながら舌の上でほろりと崩れる。
甘味と小豆の旨味が口いっぱいに広がった。
飲み込んだ後にはすっきりと甘味が引いていき、しつこくない。
思わず残りのおまんじゅうをまじまじと見つめてしまった。
このおまんじゅう、売ってるんだろうか。
京都と言えば生八つ橋だと思っていたけど、これ、すごくいいかも。
お土産物売り場を探して首を動かしたら、またしても真人さんが笑い声を上げた。
「ははは。どうだ。うまいだろ」
言い方は例によって癇に障るが、おまんじゅうに罪はない。
「うん。おいしい。こんなの初めて食べた。どこで売ってるの?」
なぜか真人さんが会心の笑みを浮かべていた。
「そんなにうまかったか」
「お土産に買ってもいいかなって」
真人さんが、男の人にしては繊細なその指で自分の顔を指した。
「それな、俺の手作り」
「……え?」
「だから、そのまんじゅう、俺が作ったんだよ」
「ええええー!?」
思わず大きな声が出てしまった。周りの人がこっちを見ている。うう。恥ずかしい……。
でも、おまんじゅうなんて本当に作れるのかな……。
「和菓子屋さんだって手作りでまんじゅう作ってるだろ。神様見習いの俺が作れても何の不思議もない。しかし、人間の作る菓子とか料理とかは面白いな。いろいろ文句を言いたいところがある人間社会だが、これは褒めてやってもいい」
真人が相変わらずの物言いである。
「ほんとにあなたが作ったの……」
「何でそこで嫌そうな顔をするんだ。うまかったろ?」
「おいしかったんだけど。おいしかったから問題というか……何か複雑」
イケメンの真人さんが料理をする姿はとてもカッコイイのだろうけど、これまでの印象というものがある。
「そんなに言うならまんじゅう食べるな」
「あ、いえっ。いただきます」
取り上げられそうになった食べかけのおまんじゅうを、慌てて確保した。
少しずつ食べる。気持ちが複雑なのもあるが、普通においしいから一気に食べるのがもったいない。
真人さんがにこにことしている。
「そんなにそのまんじゅうが気に入ったのか」
「………………」
何となく悔しいから黙って食べている。おいしいものに罪はない。
「ははは。そうかそうか。人間の分際で神様見習いのこの俺に隠しごとなんて千年早いぞ。普通は人間の側から神様に神饌と言って食事を捧げるのが信仰の姿だが、俺は心が広いからな。また作ってやってもいいぞ」
「えっ、ほんと?」
思わず最後のひと口をごくんと飲んでしまった。
「ああ、でもおまえのためじゃないぞ。残念ながらな。俺がこの旅館にいさせてもらう代わりに、こういうまんじゅうやらまかないやらを作ってるんだ。ま、宿泊費の代わりだな」
やっぱりときどき変なことを言う人だ。そしてわざわざ「おまえのためじゃない」なんて言わなくていい。
「はあ……」
さっき、「居候みたいなもの」とはいっていたけど、まかない料理だけで長期宿泊? 女将さんも、あの人の良さそうな番頭の佐多さんも、騙されてるんじゃないか。
そんなことを考えたときだった。
「お茶くらいゆっくり飲んでもいいじゃないですか」
私の抗議を軽く鼻で笑っている。見てくれは悪くないだけ、たちが悪い。
真人さんから目を逸らして手元のパンフレットを見る。純和風の落ち着いた部屋の写真、きれいに手入れされた四季折々の中庭の写真など、琴線に触れるものばかり。
さりげなく宿泊費用を確認する。お財布の現金は十万円くらいだけど、貯金もあるし、カードもあるし、これなら大丈夫。
いままで有給も取らずにがんばってきたんだ。
このくらい自分のために使ったって大丈夫――。
家族連れはお茶を済ませて行ってしまった。部屋に行ったのかしら。
代わりに他のお客さんが何人か玄関ロビーにくつろぎに来ていた。
みんなリラックスしている感じで、どこか懐かしい雰囲気。
小さい頃に家族旅行で泊まった旅館をイメージしてみて、と言われたら、すぐにイメージしそうな感じとでも言えばいいだろうか。
うん、決めた。ここで宿泊させてもらおう。
私はお茶と一緒に出されたおまんじゅうに手を伸ばした。
お茶はともかく、泊まるかどうか分からない状態でおまんじゅうまでいただいてしまうのは躊躇していたのだ。
でも、泊まると決めた以上、ありがたくいただこう。おまんじゅうも久しぶりだな。
ビニール包装がないので乾いているのではないかと思ったけど、そんなことはなかった。
白くて丸い表面はしっとり冷たくて、柔らかかった。
ひと口食べて思わず声が出た。
「――おいしい」
薄いおまんじゅうの皮は手に持ったときの予想通りの、優しい食感だった。薯蕷(じょうよ)饅頭(まんじゅう)、というのだったろうか。シンプルだけど、その分、作り手の腕が表れるとか。
おまんじゅうの皮には山芋も使うそうだけど、きっと素材に拘ったすごく高級な品なのではないか。
餡はこしあん。大好きだ。
それが、ねっとりとしていながら舌の上でほろりと崩れる。
甘味と小豆の旨味が口いっぱいに広がった。
飲み込んだ後にはすっきりと甘味が引いていき、しつこくない。
思わず残りのおまんじゅうをまじまじと見つめてしまった。
このおまんじゅう、売ってるんだろうか。
京都と言えば生八つ橋だと思っていたけど、これ、すごくいいかも。
お土産物売り場を探して首を動かしたら、またしても真人さんが笑い声を上げた。
「ははは。どうだ。うまいだろ」
言い方は例によって癇に障るが、おまんじゅうに罪はない。
「うん。おいしい。こんなの初めて食べた。どこで売ってるの?」
なぜか真人さんが会心の笑みを浮かべていた。
「そんなにうまかったか」
「お土産に買ってもいいかなって」
真人さんが、男の人にしては繊細なその指で自分の顔を指した。
「それな、俺の手作り」
「……え?」
「だから、そのまんじゅう、俺が作ったんだよ」
「ええええー!?」
思わず大きな声が出てしまった。周りの人がこっちを見ている。うう。恥ずかしい……。
でも、おまんじゅうなんて本当に作れるのかな……。
「和菓子屋さんだって手作りでまんじゅう作ってるだろ。神様見習いの俺が作れても何の不思議もない。しかし、人間の作る菓子とか料理とかは面白いな。いろいろ文句を言いたいところがある人間社会だが、これは褒めてやってもいい」
真人が相変わらずの物言いである。
「ほんとにあなたが作ったの……」
「何でそこで嫌そうな顔をするんだ。うまかったろ?」
「おいしかったんだけど。おいしかったから問題というか……何か複雑」
イケメンの真人さんが料理をする姿はとてもカッコイイのだろうけど、これまでの印象というものがある。
「そんなに言うならまんじゅう食べるな」
「あ、いえっ。いただきます」
取り上げられそうになった食べかけのおまんじゅうを、慌てて確保した。
少しずつ食べる。気持ちが複雑なのもあるが、普通においしいから一気に食べるのがもったいない。
真人さんがにこにことしている。
「そんなにそのまんじゅうが気に入ったのか」
「………………」
何となく悔しいから黙って食べている。おいしいものに罪はない。
「ははは。そうかそうか。人間の分際で神様見習いのこの俺に隠しごとなんて千年早いぞ。普通は人間の側から神様に神饌と言って食事を捧げるのが信仰の姿だが、俺は心が広いからな。また作ってやってもいいぞ」
「えっ、ほんと?」
思わず最後のひと口をごくんと飲んでしまった。
「ああ、でもおまえのためじゃないぞ。残念ながらな。俺がこの旅館にいさせてもらう代わりに、こういうまんじゅうやらまかないやらを作ってるんだ。ま、宿泊費の代わりだな」
やっぱりときどき変なことを言う人だ。そしてわざわざ「おまえのためじゃない」なんて言わなくていい。
「はあ……」
さっき、「居候みたいなもの」とはいっていたけど、まかない料理だけで長期宿泊? 女将さんも、あの人の良さそうな番頭の佐多さんも、騙されてるんじゃないか。
そんなことを考えたときだった。