「この匂いは、カレーかな?」

 味見しようとスプーンを探していたら、寝間着姿の男の人が台所に入ってきてびっくりした。

「あっ……、お客さんだったんだね。こんな恰好ですみません」

 この優しい話し方、物静かな佇まい、にじみ出るダンディさ。間違いなく菓子先輩のお父さん。

「あ、あ、こんにちは……。昨夜は急に泊めていただいて……その……」

 急なことだったので、お玉を持ったままあたふたしてしまった。ああ、その前に自己紹介をしなければ。

「ええと、菓子先輩の料理部の後輩の、小鳥遊こむぎです」

「ああ、料理部の……。それで……」

 お父さんはふっとやわらかい微笑みを浮かべた。それがなんだか、よく知っている相手に向けるような優しい眼差しだったので、少しだけドキッとしてしまった。

「菓子からこむぎちゃんの話はよく聞いていました。ゆっくりしていってくださいね。……お客さんに作らせておいて言う台詞じゃないかもしれないけど」

「いえあの、こちらこそ台所をお借りしちゃってすみません……」

 人様のおうちでエプロンをつけながら、寝間着姿のお父さんに挨拶している状況って、冷静に考えるとめちゃくちゃ恥ずかしい。しかもこれが初対面である。

「じゃあ、顔を洗って着替えてくるよ。そのカレーは僕も食べていいのかな?」

「は、はい、もちろん。お昼ごはん用のキーマカレーなので……」

「それは楽しみだ」

 お父さんは台所の扉を閉めながら、ひとりごとみたいにつぶやいた。

「うちの台所からカレーの匂いがするのは、久しぶりだな……」