それからの僕は、どのようにして一人暮らしをしているアパートへ戻ったのか、あまりよく覚えていない。ただ気付いた時には敷いた布団の上に横になっていて、朝焼けの眩しさで目を開けた時には、日付が変わっていた。

 スマホを確認すると、多岐川さんから一通のメールが届いている。内容は、『今日もバイトに来れますか』というもの。まだシフトが決まっていないから、しばらくは研修ということで自由に入ることが出来るのだろう。

 正直起き上がる気力もないほど精神的に疲れ果てていたけれど、早くバイトの研修を抜けなければ、紹介してくれた多岐川さんに申し訳が立たない。こんな個人的な理由でバイトを休むのはダメだと、自分に言い聞かせた。

 僕は「今日も出勤します」という簡潔な文章を書いて、多岐川さんへ送信した。わずか数十秒後に、彼女からメールではなく着信がやってくる。迷ったけれど、僕は応答のボタンを押した。

『あっ、滝本さん。おはようございます』
「うん、おはよ……」
『もしかして、寝起きでしたか……? だとしたら、すみません……』
「ううん、気にしないで」

 スマホを持ったまま起き上がり、眠気覚ましのために冷蔵庫から取り出した麦茶をコップに入れて、飲み干した。おかげで、ずいぶんと目が覚めたような気がする。

「それで、どうしたの? 突然電話なんてしてきて」
『滝本さんが出勤できるとメールをくださったので、お礼を言おうと思いまして。ありがとうございます』

 多岐川さんの律儀さに、僕は苦笑する。

「わざわざ電話じゃなくても、メールでよかったのに」
『私、メールじゃなくて電話の方が好きなんです。その方が、心がこもってると思いませんか?』

 彼女に言われて僕もそう思ったけれど、迷いなく言える多岐川さんは少し変わってるなと思った。

『あの』

 そう言って多岐川さんは、うかがうような声で聞いてくる。

『もしかして、落ち込んだりしてますか?』

 それが図星だったため、僕は何と返事をしたらいいのか迷ってしまう。そんなわずかな間で、彼女は察してしまった。

『やっぱり、電話の方がいいですね』
「……ごめん、そんなにわかりやすかったかな」
『はい、とっても。ということで、今日のバイトの後は予定を入れずに空けておいてください』
「えっ?」
『用事があるので、これで失礼しますね』

 僕が何か返事をする前に、多岐川さんは一方的に通話を切ってしまった。首をかしげつつも、彼女の意図していることは何となく理解できる。おそらく、バイトの後に食事に誘ってくれるのだろう。

 優しいなと思いつつ、気を使わせてしまったことが申し訳なかった。せめてバイト中ぐらいは、気を抜かないようにしなければいけない。

 しかし大学へ向かう身支度を整えている時、ふともう一度スマホを確認して、僕は気付いた。今日は土曜日で、大学は休みだ。

 一気に気が抜けてしまい、フローリングの床に仰向けに転がる。ジッとしていると昨日の出来事がフラッシュバックして、酷く不快な動悸に苛まれた。かといって再び眠ることもできずに、仕方なくまた起き上がる。

 これから、どうしていけばいいのかが分からなかった。恋愛一筋に生きてきたわけじゃ決してないけれど、三年の片思いが玉砕されてしまったことで、心に大きな穴がぽっかりと空いてしまったから。

 眠ることも出来ず、かといって何もしていれば水無月のことを思い出してしまうから、仕方なく本棚から文庫本を取り出す。これで少しでも時間を潰そう。そんな風に無理やり時間を潰していると、いつの間にかアルバイトの時間が迫っていた。

 手早く着替えて、僕はスーパーへ向かうために重い腰を持ち上げた。