それからはゆっくりと、だけど着実に絵の制作を進めていった。下書きだけだったキャンバスの上に、あの日見た風景が現れてくる。今はまだ不鮮明だけれど、きっと完成した時には一面黄金色の景色に変わっているはずだ。

 夏休みの間、何日かアルバイトのシフトが入っていたが、それは荒井さんや岡村さんに変わってもらった。今はどんな時でも、彼女のそばにいなければいけない。その気持ちが伝わったのか、二人とも何も聞かずに全ての日程の都合をつけてくれた。僕は二人に、「ありがとうございます」と、感謝の言葉を伝えた。



 ある日のこと。日が沈み始め、そろそろやめようかと声をかけようとした時、ちょうど一段落したのか、梓は筆を置いた。そして疲れがたまっていたのか、隣にいた僕にしなだれかかってくる。慌てて彼女を抱きとめると、気持ちよさそうな顔で寝息を立て始めた。

「頑張ってるね」

 僕は気持ちよさそうに眠る梓の頭を、優しく撫でてあげる。スランプで、しかも時間がない中、試行錯誤をしながら描いているから、おそらく教授に褒められるような絵を仕上げることはできない。

 けれど、この絵を描きあげればきっと、梓の今後に必ずプラスになる。今は辛いだろうけれど、頑張れば達成感もひとしおのはずだ。

 寝ている時ぐらい心が休まる場所の方がいいだろうと思い、僕は梓を背負ってアパートへと帰る。その途中、寝息を立てる彼女に、語りかけるように呟いた。

「僕にも、梓みたいにやりたいことがあったんだよ」

 本当は進路だって、自分で決めたかった。けれどそれを口にすることはできなくて、だから今僕はここにいる。

「夢を追いかける君を見て、かっこいいと思ったんだ。僕には、できなかったことだから。だから僕は、梓のことを好きになったんだと思う」

 自分の好きな絵を描くために美大へ入り、夢を見つけるために頑張っている。僕はそんな君のことが、好きになった。

 最近、ずっと梓のそばにいて、ようやくわかった。僕は僕ができなかったことを、君に重ねているのだと。何もできないまま過ごしてきた辛さを知っているから、僕は君に頑張って欲しいと思っているんだ。それは独りよがりなことで、もしかすると本当にもう絵を描きたくないと思っているのかもしれないけれど、今描いているものだけは頑張って描きあげて欲しい。

 だって、君がひまわりの絵を描きたいと思ったのには、きっと深い理由があるから。僕にはなんとなく、その理由がわかる。

 絵を描き続けたいと思ったきっかけ。子どもの頃、梓はひまわりの絵を描いて、賞を取ったことを両親が喜んでくれたと話していた。あの頃の自分を思い出したいから、今梓はひまわり畑の絵を描いているのもしれない。それは、忘れることのできない眩しい思い出だから。

 だから絵を描きあげた時、教授にダメ出しをされたとしても、僕だけは梓の絵を褒めてあげなきゃいけないと思った。過程や結果も含めて全部。また、梓が絵を描きたいと思ってもらえるように。

「頑張って。あと、少しだから」
 
 その言葉は、夜の闇の中へと消えていった。