ソフトクリームを食べ終わった後、ようやく僕らはひまわり畑へ向かった。近付いてみると、そのひまわりの大きさに圧倒される。僕の首元の高さまでひまわりの茎が伸びていて、梓の背丈と同じぐらい成長しているものもあった。

 このひまわりを彼女が描くのかと思うと、今から期待が膨らんでしまう。

「すごい、綺麗ですね!」
「こんなに間近でひまわりを見たのは初めてだよ」

 花の香りが辺り一面に広がっていて、それに誘われた蜂がひまわりの周辺を飛び回っている。写真を撮ることに必死になっている梓が刺されたりしないように、注意しなければいけない。

 梓はしばらくひまわりから近付いたり遠ざかったりして、何枚も写真を撮っていた。しかしどうやら納得いかないらしく、カメラを持ちながら首をかしげている。

「もっとひまわりがたくさん映るように撮れないかな……」

 そんなことを、梓はぽつりと呟く。僕はすぐにあたりを見渡して、すぐに見つけた。どうやらこのひまわり畑は迷路になっているらしく、真ん中に木材で出来た展望台が設置されている。あそこに行ければ、望み通りの写真が撮れそうだ。僕は、その迷路の入り口を指差した。

「あそこに入って、展望台まで行こうよ。そうしたら、多分見られると思う」

 その提案をすると、梓はすぐに乗り気になって「今すぐ行きましょう!」と言い、僕の手を繋いで歩き出した。

 すぐに展望台へ行ける近道のルートもあったが、せっかくだから楽しもうということになり、通常のルートを歩く。たまにクイズのようなものがあり、左右には大きな黄色いひまわりがいくつも生えていて、隣には楽しそうに歩く梓の姿。とても長い迷路で三十分ほど迷い続けたけれど、飽きるということはなかった。

 展望台へたどり着き、その上から二人でひまわり畑を見下ろす。黄色いひまわりの花が咲き乱れていて、梓は瞳を輝かせていた。

「いい写真撮れそう?」
「はい!」

 彼女はしばらく写真を撮ることに夢中になっていて、僕はそんな姿をスマホのカメラにまた収める。

 ある程度写真が撮り終わった梓は、撮った写真を満足げに見返していた。梓の夢を応援する手伝いができて、僕は本当に嬉しい。

 けれど写真を確認している梓の顔が、少し赤くなっていることに気付いた。額からも汗が噴き出している。

「体調、大丈夫?」
「えっ?」
「顔、赤くなってるから。今日すごい暑いし」

 僕はハンカチと、事前に買っておいたスポーツドリンクを梓に渡す。帽子か何かを持ってくるべきだったなと、今になって後悔した。

 スポーツドリンクを半分ほど飲んだ梓は、ハンカチで汗を拭う。彼女の額に手を当てると、手のひらに熱を感じた。

「ちょっと、いつもより体が熱いかもしれません」
「ごめん、今まで気付けなくて」
「悠くんは、大丈夫ですか?」
「僕は、大丈夫」
「それなら、安心しました」

 安心したように梓は笑う。今は僕のことよりも、自分の体調を心配してほしいと思った。僕は彼女の手を引いて、展望台を降りる。それから出口へたどり着くのに、それほど時間はかからなかった。開けた空間が見えて来たかと思えば、いつのまにか僕らは迷路から抜け出ていた。

 梓は握っている僕の手を一緒に大きく上げて、「とうちゃーく!」と喜びの声を上げる。周りに子ども連れの家族やカップルがいて、僕はなんだか恥ずかしかった。

 駐車場へ戻り車に乗り込むと、車内は熱気で満たされていた。すぐにエンジンをかけて、エアコンで温度を下げる。

「今日は、とっても楽しかったですね。悠くんはどうでしたか?」
「僕も、楽しかったよ」

 梓と恋人になってから、こんな風に目的を作って休みの日に出かけたのは初めてのことだった。お互いに気恥ずかしくて何も言わなかったが、こういうのをデートと言うのだろう。

「今日のお夕飯は、私に任せてください。こんなに遠い場所まで車を出してもらったので」
「そんなこと全然気にしなくていいよ。僕の方こそ、すごく楽しかったから」
「そういうわけにはいきません。というわけで、帰りはスーパーに寄ってください」
「作ってくれるの?」
「はい。といっても、たいしたものは作れませんけど」

 梓はそう言うが、以前彼女の部屋にお邪魔した時に食べさせてもらった朝食は、簡単なものだったけれどすごく美味しかった。普段から料理をしていないと、あんなに上手には作れない。

 梓がそこまで言うならと、僕は素直に頷いておいた。帰りにスーパーへ寄って食材を買い、梓の部屋で料理をする。体調の面が心配だったから、無理をお願いして一緒にキッチンへ立ち、二人で料理を作った。

 机の上に並べられたものは、白米とシーザーサラダ、豚肉の生姜焼きにお味噌汁。どの料理もとても美味しくて、すぐにお皿の上のものはなくなってしまった。きっと将来はいいお嫁さんになるのだろうとふと思い、その隣にいるのは僕がいいなと、恥ずかしいことを空想した。

 けれどそんなに上手く交際が続かないことを、僕は知っている。中学高校と、何度か周りにカップルができて、すごくお似合いだなと思っていても、いつのまにか別れてしまっていることがしばしばあった。付き合っていれば、お互いの悪い部分がわかってしまう。それが別れてしまう原因に繋がる。

 いつか僕らにも、そんな時が来るのかもしれない。そういうことを考えると、怖いほどに身がすくんでしまう。自分に自信のない僕は、いつか梓に愛想を尽かされるんじゃないかと不安になる。だからなるべく、そういうことは考えないように努めた。

 夕飯が終わり皿を洗ってから、僕は「それじゃあ、今日はもう帰るね」と言って立ち上がる。すると梓は途端に慌てた表情を見せ、僕の手を掴んできた。

「もう少し、ここにいませんか……?」

 ここで彼女の言葉を聞き入れたら、おそらくこの前と同じく泊まることになるのだろう。それはまだ、ダメだ。

 言い聞かせるように、僕は梓の手を握る。

「このままここにいたら、この前みたいに泊まることになると思うんだ」
「……別に、泊まっていってもいいですよ?」
「一回泊まったら、たぶん明日も明後日もここにいたいって思うようになる。そういうのはまだ、早すぎると思うんだ。それに……」

 続く言葉を、僕は生々しくて口にすることができなかった。恋人ができたことはないし、経験もないけれど、付き合っている人と一晩一緒にいたとしたら、間違いを起こしてしまうかもしれない。それはまだ、付き合い始めて浅い僕らには早すぎる。梓に、後悔だけはさせたくない。

「とりあえず、今日はもう帰るよ。体調のことは心配だから、明日の朝早くに、ここへ戻ってくる。それじゃ、ダメかな?」

 しばらくの逡巡の後、渋々といった風に頷いてくれた。僕はまだ、梓のことを汚したくないと思っているのだろう。彼女はきっと、僕が危惧していることを半分も理解していないほど、純粋な人だから。

「それじゃあ、明日は七時にここに来てください。その時間に私も起きるので」
「うん、わかった」
「それと、これ……」

 梓はポケットから、おずおずと銀色に輝く小さな鍵を取り出す。そして僕の手に握らせた。

「合鍵、もらっていいの?」
「起きれなくて寝てたら、悠くんを外で待たせちゃうので……」

 もし梓が寝ている時に部屋へ入ったら、寝顔を見られることになるけれどいいのだろうか。そんなことをふと考えたけれど、僕は素直に受け取った。

 それから玄関のところまで、梓はついてきてくれる。彼女を安心させるために、僕は微笑んであげた。

「今度、絵を描いてるところ見せてよ。実はずっと見たかったんだ」
「あ、はい。わかりました!」
「それと、僕の方が年下だし、付き合ってるんだからそろそろ敬語はやめてみない?」

 ずっと気になっていたから提案してみると、梓は口元をモゴモゴさせて「わ、わかった……」と小さく呟いた。二つも年上の人を可愛いと思うのは、失礼なことなのだろう。そう思ったけれど、今の梓は正直めちゃくちゃ可愛かった。

「それじゃあ、今日はこれで」
「うん。おやすみ、悠くん」
「おやすみ」

 名残惜しいと感じつつも、梓との休みの日は終わった。翌日になり、朝起きてすぐに彼女の部屋へと向かったが、電話をしても出てはくれない。昨日貰った合鍵を早くも使うことになり、僕は鍵を開けて梓の部屋へ入る。

 熱中症なのか、それとも夏風邪を引いたのか、梓は昨日より顔を赤くして、布団の上で苦しそうにしていた。僕は次の日も、辛そうにしている彼女の看病のために、ずっとそばにいた。