夏フェスの会場は多くの人でごった返していて、お互いそばにいなければ、すぐにはぐれてしまいそうだった。僕は自然と多岐川さんの手を握って、日差しの降り注ぐ太陽の下を歩く。チラと彼女の方を見ると、顔を赤くしていたが嫌がっているようなそぶりは見せていなかった。

 チケットを受付に提示して、ラバーバンドと引き換える。これを手首に付けておくと、ライブ会場へ入るための入場券代わりになるようだ。

 夏フェスといえば外でライブをするというイメージが強かったが、ここでは大きな屋内ステージが四つあり、それぞれの会場でライブをするという形式らしい。ラバーバンドを付けた僕らは一度人の波から離れ、日の当たらない建物の影へと向かった。

多岐川さんはパンフレットを広げて、こちらに寄って見せてくれる。

「何か知ってるバンドとかありますか?」

 そう言われて出演アーティストを上から順に確認したけれど、僕の知っている名前は一つもなかった。普段からあまり音楽を聴かないから、当然と言えば当然である。

「多岐川さんの好きなバンド、教えてよ。それ聴きたい」
「えっ、いいんですか?」
「うん。実はあんまりアーティストとかよくわからないから、多岐川さんに教えてほしいんだよ」

 僕がそう言うと、多岐川さんはあらかじめ目星を付けていたのか、「まずはこのバンドを聴きましょう」と、即決してくれた。時計を見るとそのバンドの演奏が始まる二十分前で、どこかで時間を潰さなきゃなと思う。

 何気なく辺りを見渡すと、ビールの缶や酎ハイを飲んでいる人が多く見受けられた。きっとアルコールを体の中に入れて、みんなテンションを上げているのだろう。

「多岐川さん、何かお酒飲む?」
「えっ」

 一瞬だけ期待したような笑顔を浮かべたが、すぐに酔っぱらったかのように顔を赤くさせる。

「い、いえ。私お酒好きなんですけど、すごい酔っ払ってたくさん飲んじゃうので……それに先日も迷惑かけましたし……」

 先日の出来事を思い出し、僕はふと懐かしさを覚える。たった一ヶ月前の出来事だというのに。

「一杯だけならいいんじゃない? それに、今度は僕がちゃんと止めてあげるから」
「で、でも、迷惑をかけたら申し訳ないので……」
「迷惑だなんて思ってないから、大丈夫だよ」

 僕の気持ちが通じたのか、多岐川さんは控えめに「じゃ、じゃあ一杯だけ……」と折れてくれた。まだよそよそしさのあるけれど、おそらくアルコールを入れれば素直になってくれる。お酒に頼るのはあまりよくないが、僕に対する遠慮を少しでも減らせれば、多岐川さんも楽しめると思ったのだ。

 屋台の立ち並んでいる区画で、アルコール類を販売しているお店に並ぶ。そこで僕らはお酒を購入して、また日陰に戻る。

 お酒に関してまだまだ分からないことが多いため、僕は多岐川さんと同じものを購入した。だから、このお酒がアルコールの強いものなのかは分からない。透明なそれを見つめながら、僕は質問を投げかける。

「これって、アルコール強めなの?」
「いえ、リキュールなので。それほど強くないですよ」
「そうなんだ」

 彼女の言葉を信じてリキュールのお酒を飲んでみると、この前口に入れた日本酒より数段飲みやすかった。少し苦味を感じるけれど、強い炭酸だと思い込めば飲めないこともない。そんな風に僕がちまちまと飲んでいる間に、多岐川さんはゴクゴクとお酒を飲んで減らしていく。結局半分も飲まない間に、彼女のカップの中身は空になった。

「大丈夫?」

 僕がそう訊ねると、彼女はふにゃりと微笑む。

「うん、たぶん、大丈夫」

 前にお酒を飲んだ時と同じ反応で、僕は改めて確信する。多岐川さんは本当にお酒が弱い。最初は一杯と決めていても、止める人がいなければ止まることができない人なのだろう。

 僕は、僕の分のお酒を物欲しそうに見られる前に、カップの残りを飲み干した。

「いい飲みっぷりですね」

 そう言って多岐川さんは笑った。彼女は酔っ払うと、笑顔を浮かべる回数が多くなる。

 一気に飲み干したからだろうか。なんだか頭がぼんやりとして、心なしか心拍数も上昇している気がする。おそらくこれが酔うということで、彼女はその線引きをよく理解していないのだ。

「今日は本当に、この一杯だけだからね」
「う、うん……」

 物足りなさそうな顔をしていたけれど、僕は心を鬼にして見なかったふりをする。飲みすぎでこの前のように気持ち悪くなって、ライブを見れなくなるのは本末転倒すぎる。それに多岐川さんには、我慢と自分の限界を理解してほしい。

「楽しみですね」

 そう言って彼女が微笑んだから、僕も笑顔で頷き返した。