今日のスーパーは客足が少なく、それほど忙しくはない。そのためレジの稼働台数を減らすことになり、僕と荒井さんが裏の仕事に回ることになった。

 裏の仕事というのは、青果の部署でレタスやにんじんを袋詰めするというもので、これまでに何度かやったことがあったため、手際よく仕事をこなしていた。

 袋の中へにんじんを詰めている時、荒井さんは唐突に質問を投げかけてきた。

「何か悩み事?」
「えっ?」
「そんな顔してる」

 僕はそんなにも辛気臭い顔をしていたのかと、少し恥ずかしくなった。

「話してみてよ。少しぐらい相談に乗れるかもよ」

 正直、あまり周りの人にこういう話を吹聴するのはよくない。だから僕は、内容をぼかしつつ荒井さんに説明した。

「友達の話なんですけど、ずっと何年も片思いしてた相手にフラれて傷心してたのに、すぐに別の女の子を好きになるって、どうなのかなと思いまして」
「その友達は、まだ片思いしてた相手のことが忘れられないの?」
「忘れられないというか、忘れる努力をしてるっていうか……」

 告白を断られてから、僕はしばらく悩み続けた。きっと僕がどれだけ水無月のことを思っていても、牧野が僕のことを好きでいてくれる限り、僕のことを好きにはなってはくれない。逆に牧野に恋人が出来たとしても、水無月がこちらに振り向いてくれるかはわからないのだ。

 それならば、すっぱりこの気持ちにけじめをつけたほうがいいんじゃないかと、そんなことを考え始めていた。

「その友達はさ、深く考えすぎなんじゃない?」
「どういう意味ですか?」
「どれだけ長い間片思いしてたのかは知らないけど、そんなこと言ってたら、いつまで経っても新しい恋愛なんてできないし」
「たしかに、そうですけど……」

 僕が言い淀むと、荒井さんは至って真面目な顔でさらに続けた。

「それに、本当にその人のことが好きなら、この先どんなタイミングで出会っても、好きになってたはずだと思う。それがたまたま、片思いしてた相手にフラれたタイミングだっただけじゃない?」

 その言葉を聞いて、僕は悩む。多岐川さんとの出会いが、たとえば高校生の頃だったとしたら。しかしそんなことを思い浮かべても、わかるはずがない。

「荒井さんは、人を好きになるタイミングって、どんな時だと思いますか?」

 僕の抽象的な質問を、彼女は深く考えることをせずに答えた。

「そんなの、休みの日も一緒にいたいって思ったやつに決まってるって」
「それは、どうしてですか?」
「たとえば結婚したとしたら、休みの日も一緒にいることになるでしょ? そんな時、一緒にいて楽しくない相手だったら、やってけるわけないじゃん」

 その通りだと、僕は彼女の言葉に納得していた。休みの日も一緒にいたい女の子。果たして僕は多岐川さんと、休みの日も一緒にいたいのだろうか。

 そんなことをふと考えて、彼女の演奏が終わった時のことを思い出した。あんなにも長い間演奏をしてくれたのに、終わってしまった時は名残惜しいと思ってしまった。休みの日が、ずっと続けばいいのに。僕は、多岐川さんと休みの日も一緒にいたいと思っているのだろうか。

「それで、単刀直入に聞くけど、その好きになった女の子って梓さんのこと?」
「はい?!」

 僕らしくもなく、思わず大声が出てしまった。どうして今そんなことを質問してくるのか、意味がわからなかった。

「回りくどい話は嫌いなの。今までの話、全部滝本さんの話だよね?」
「まあ、そうですけど……」
「じゃあ、梓さんのこと好きになったの?」
「普通に友達として好きです……」

 そんな当たり障りのない答えを返すと、荒井さんは呆れたようにため息を吐いた。

「異性として好きかってこと。そこのところ、どうなの?」
「……そんなこと、突然聞かれても困ります」
「じゃあ聞き方変える。梓さんの気持ち、滝本さんは理解してる?」

 多岐川さんの気持ちと言われても、一体何のことを指しているのかがわからない。けれどおそらく、この前荒井さんと多岐川さんが話していた時のことを言っているのだろうことはわかった。

 多岐川さんは、僕のことを意識してくれている。そんな答えを返すこともできたけれど、間違えていたら自惚れどころの騒ぎじゃないため、僕は口をつぐむことしかできなかった。

 そんな煮え切らない僕に対して、再び荒井さんは大きなため息を吐いた。

「梓さん、ぶっちゃけると、あなたのこと好きだよ」
「えっ」

 思わず口をついて出たのは、そんな間抜けな声だった。意識してくれているのかも、とまでしか考えていなかったため、僕の顔は焼けたように熱くなってしまう。

「マジですか……」
「大真面目だよ。すごく、あなたとのこと相談されるから。この前だって、突然私の部屋に来たかと思えば、落ち込んでる滝本さんを励ますにはどうしたらいいか相談されたし」

 焼き鳥屋に行った時のことを話しているのだろう。やはりあの時、多岐川さんは事前に荒井さんに相談していたようだ。

「あと最近は、なんだかお互いに気まずくなって、滝本さんに話しかけづらくなったって。何二人で高校生みたいな恋愛してんの。梓さん、今何歳だと思ってんのよ」
「いや、待ってください。そもそも多岐川さんが僕のことを好きって……そんなのありえないですよ。僕みたいなやつ、あんな綺麗な方が本気で好きになるわけないじゃないですか」
「滝本さんって、梓さんが女子校通ってたの知ってるよね? あの人、めっちゃ男性経験乏しいの。少し優しくされただけで、女の子を好きになっちゃうちょろい男みたいな。梓さんは、それの女性版」
「いやいや、でも岡村さんのことは苦手だって言ってましたよ。なんで僕だけ、そんな都合よく……」
「滝本さん、男っぽくないから」

 人生で二回もそんな評価を下されて、僕は本気で落ち込んだ。そんな僕の気持ちを露ほども理解していないのか、荒井さんは続ける。

「梓さんから言われたよ。見ず知らずの私が困ってるところを助けてくれたって。すごく、優しい人なんだよって。あなたが初恋だから、燃え上がるのも早いのよ」
「初恋って……」

 荒井さんの言葉が、にわかには信じられなかった。しかし多岐川さん自身、男性に免疫がないと言っていたのに、僕には以前まで仲良くしてくれていた。本当に荒井さんの言う通り、多岐川さんは僕のことを好きなのだろうか。

「まあ私が言いたいのは、梓さんのことが好きなら、滝本さんの方から告白してあげてってこと。あの人、好きってことを自覚したらまともに話せなくなるほどウブだから。もし梓さんのことが迷惑なら、かわいそうだからさっさと距離を置いてあげて」
「迷惑なんて、そんなことあるわけないです」

 その言葉だけは、ハッキリと口にすることができた。多岐川さんのことが迷惑だったことなんて、今まで一度もない。アパートで休みの日を一緒に過ごした時、僕は本当に楽しいと思ったのだから。

 荒井さんは話しながらも手は動かしていたため、自分の作業分は終わってしまったようだ。カゴの中には袋詰めされたにんじんがギッシリ詰まっていて、それを冷蔵庫の中へ運び入れている。

 それが終わると、彼女は「それじゃあレジに戻るから。いろいろ頑張ってね」と言い残して去って行った。

 ずっとぎこちない僕たちを見ていて、それを見かねてしまいお節介を焼いたのだろう。僕と多岐川さんは本当に高校生みたいなやりとりをしていて、なんだか恥ずかしかった。

 僕はもう、自分の気持ちの方向性を決めなきゃいけない。水無月への思いをどうするのか。多岐川さんへ、どんな気持ちを抱いているのか。

 岡村さんが多岐川さんに告白すると言った時、酷く心がざわついた。これが恋なのかはわからないけれど、少なくとも彼女が他の誰かと付き合うことになるのが、僕は嫌なのだと思う。

 だけど何もできないまま時間だけは過ぎていき、やがてスーパーの閉店時間がやってくる。売り上げを書き終わり、更衣室へ着替えに向かう最中、多岐川さんは岡村さんに呼び止められていた。そのまま、やや僕らから離れ、何かを二人で話している。僕はそれを物陰からジッと見つめて、多岐川さんが首を横に振ったのを見て、何故か心の底から安心していた。