大学で心理統計学の前期期末試験を受けた後、僕は食堂でカツカレーを食べていた。頭の中は多岐川さんのことで埋め尽くされていて、正直テスト中も集中できていたかと言われれば、できていない。テスト前の復習も、いつものように上手くはできなかった。

 こんな気持ちになったのは、高校生の頃以来だった。水無月に対する思いが肥大していた時、今みたいに勉強が手に付かなくて、ずっと悶々としていたのを覚えている。

 牧野に告白をされて断ってから、僕はすぐに水無月に告白した。告白を断ったのに、好きな相手に気持ちを伝えないのは失礼だと思ったから。結果的に水無月にフラれてしまい、それから今みたいなギスギスした関係が続いた。僕は、まるっきり成長していない。

 どうすれば、以前のような関係に戻れるのか分からない。僕だけじゃなく、多岐川さんもこちらのことを意識的に避けてしまっているから。だとするならば、あの時荒井さんが言っていた、気になるという言葉や、僕に好意を持っているという言葉は、その通りの意味を示しているのだろうか。

 正直、多岐川さんみたいな人に、好意を持たれて嬉しくないわけがない。僕の方だって、多岐川さんに好意を持っているんだから。けれど今は、水無月にフラれてしまった後だ。ずっと水無月のことが好きだったのに、フラれてしまってすぐに多岐川さんのことを好きになるなんて、そんなことは許されるのだろうか。

 大学で全てのテストが終わった後、僕は曇り空の下、車を走らせアルバイト先へ向かう。荒井さんから聞いた話によると、多岐川さんは七月末に提出するための作品を制作しているため、この時期はあまりバイトに出られないらしい。けれど、今日は偶然にもシフトがかぶっている。このままずっと、今までのようなぎこちない関係でいたくはないから、せめてすれ違った時の挨拶だけは、自然な笑顔を浮かべられるようにしようと思った。

 そう考えて、関係者用の裏口から入り更衣室へ向かったけれど、その間に多岐川さんとはすれ違わなかった。一気に気が抜けて、更衣室の中へ入ると、そこではすでにバイト用の服に着替えた岡村さんがいる。

 どこか強張ったような緊張した表情を浮かべていて、そんな彼に僕は「おはようございます」と挨拶する。岡村さんは遅れて気がついたのか、「あ、あぁ。おはよ」と返した。

 僕が「どうしたんですか?」と訊ねると、岡村さんは一度固く拳を握りしめる。彼の瞳は覚悟の色で染まっていた。

「今日、バイトが終わったら多岐川ちゃんに告白しようと思う」

 その宣言を聞いた瞬間、僕の胸が張り裂けてしまいそうなほどの苦しさを覚える。岡村さんが、多岐川さんに告白をする。彼はずっと多岐川さんに好意を寄せていたから、いつかそう決断するとわかっていたはずなのに。どうしてこんなにも動揺してしまっているのかわからなかった。

 先輩の気持ちを知っている後輩として、僕は「そうですか、応援してます」と、本心かどうかも分からない応援の言葉をかける。岡村さんの張り詰めていた表情は、少しだけ緩んだ気がした。

 その後岡村さんが更衣室を出た後、遅れて僕も仕事場に向かう。更衣室を出た瞬間、隣の女子更衣室のドアが偶然にも開いた。僕はびっくりしてそちらを見る。

 そこにいたのは、驚いた表情をうかべた多岐川さんだった。

 挨拶ぐらいは笑顔でしようと考えていたのに、先ほどの会話が尾を引いて、上手く笑うことができなかった。

「お、おはよ、多岐川さん」
「あ、はい。お、おはようございます、滝本くん」

 挨拶だけされると、多岐川さんにサッと視線を外される。最近はいつもこんな感じだったから、もう慣れてしまったのが悲しい。

 しかしいつもなら視線を外された後、逃げるように僕のそばから離れていくけれど、今日は違った。どうしてか仕事場へ行かず、その場に立ち止まっている。何か、話したいことがあるのだろうか。

 そんなことを考え僕も立ち止まっていると、多岐川さんは意を決したように、僕のことをまっすぐと見つめてきた。

「今日の帰り、渡したいものがあるので、先に帰ったりしないでください」
「えっ?」
「絶対、帰らないでください!」
「う、うん」

 頷くと、今度こそ多岐川さんは逃げるように僕の前から去って行った。先に帰らないでくださいと言われたが、閉店作業をしてスーパーから出るまでが仕事のようなものだから、先に帰ることなんて出来ない。もしかすると緊張していて、彼女は混乱していたのかもしれない。慌てていた多岐川さんの姿を思い出して、僕はなんだか微笑ましくなり、くすりと笑みがこぼれた。