待ち合わせ場所は、紫乃の眠っている霊園の前だった。朝陽は予定していた時間よりも早く着いてしまったため、近くのベンチに腰掛けて彩を待つ。

 以前来た時は緑の葉が生い茂っていたが、今はそれが鮮やかなピンク色に変わっている。桜が、綺麗だった。

 風が吹くと桜の花びらが宙を舞い、ひらひらと虚空を揺らめきながら地面に落下する。この景色を一番に見せてあげたかった人は、もうこの世にはいない。

 紫乃はどこかで、この景色を見ているのだろうか。大切なものは目には見えないというのだから、もしかすると魂だけの存在になって、今もどこかで旅をしているのかもしれない。

 もしくは今もすぐそばで、朝陽たちのことを見守っているのかもしれない。

 瞬間、大きな風が世界に吹きすさぶ。

 それは桜の木を大きく揺らし、サラサラと桜の花びらを世界にまき散らした。そのピンク色の花びらの一つに、朝陽は視線を奪われる。

 何故か花びらの飛んでいった方向に目が引きつけられていき、ようやく彼女のことを見つけた。

 約一年振りの再会だ。

 朝陽は立ち上がり、彼女の元へと駆けて行く。

「彩、久しぶり!」
「朝陽くん……」

 吹いた風は、彩の長髪をなびかせる。初めて見たときからずっと、朝陽は彼女のことを美しいと思っていた。

 彩は恥ずかしげに目線を泳がせながら、朝陽のことを見ている。

「どうしたの?」
「あ、いや……」
「もしかして、体調悪い?」
「ううん、そうじゃないの……」

 彼女は一度大きく息を吸って吐き出してから、再び朝陽のことを見た。

「久しぶり、朝陽くん」

 そう言って、彼女は微笑む。

 朝陽は若干照れくさくなり、頬を人差し指でかいた。

「うん。それじゃあ、行こうか」
「あ、待って」

 彩は唐突に、こちらへ一歩近付いた。その行動に朝陽は驚き、どくんと心臓が大きく鼓動する。

 そんな事はお構い無しに、彼女は朝陽の手を握った。

「繋いでて欲しいの……ダメかな?」
「あ、うん。大丈夫だよ」

 朝陽は柔和な笑みを浮かべて、彩の手を握り返す。

 そして二人肩を並べながら霊園の中を歩いて、紫乃の眠っているお墓の前に辿り着く。

 東雲家之墓。

 その墓石には、深くそう刻まれていた。

 彩は持っていた菊の花をお墓に供えて、マッチで線香に火を付ける。その煙は空高く舞い上がって行き、ゆらゆらと揺らめきながら消えて行く。

 朝陽と彩は、持ってきた数珠を取り出して、静かに合掌した。

 彩は瞳を閉じながら、紫乃に語りかけるように呟き始める。

「こんなにも、ここに来るのが遅くなってしまってごめんなさい。私はずっと、ここに来るのが怖かった。あなたは私のことを、恨んでいると思ったから……」

 それは違うと朝陽は口を挟みそうになったが、彩は再び口を開いたため、最後まで黙っていることにした。

「でも、たぶんあなたは恨んではいないんだと思う。あなたは、そういう人だから。私の中にあなたが入っていたから、それは誰よりも理解出来てる。それでも迷いを捨てきれなかったのは、私の心が弱かったから。あなたが私のことを恨んでいるとしたら、それは私の贖罪になる……せめてそれぐらいの罰は受けなきゃいけないって、私は思っていたの。だけど……」

 そこで彩は目を開き、隣にいる朝陽のことをチラリと見た。

「それじゃあダメなんだって、私はようやく気付くことができた。罰を受けることで立ち止まるんじゃなくて、私は私の選択を受け入れて前に進まなきゃいけないの。一度、私は人生を投げ出そうとした。それでも朝陽くんは、私のことを拾い上げてくれた。こんなにもダメな私だけど、彼は私のことを受け入れてくれたの。本当は、あなたは私のことを恨んでるのかもしれない。だけど、私はここにいる。ここで生きてる。だからこの命は、せめて朝陽くんのそばで使い切ることにした。誰でもない、私の選択で……それは本当に恨まれることなのかもしれないけど、私は私が生きていくことで、あなたに許される努力をするから……」

 彩の瞳からは、涙が流れていた。それはとどまることなく、頬を濡らしていく。

 それでも彼女は、言葉を続けた。

「私は、朝陽くんのことが好き……だけど、どうして彼のことが好きなのか、私には分からなかった。朝陽くんとはいろいろなことがあったけど、どれだけあの頃を振り返ってみても、彼のことを好きになった決定的な瞬間が見つからなかったから……だからこの気持ちがなんなのか、私はすごく戸惑った。だけど胸に手を当てて考えてみたら、すぐに分かった。大切なものは、心の目で見なきゃいけなかったんだって。これは、あなたが私にくれた贈り物。あなたは朝陽くんのことが好きだったから、私も彼のことが好きになった。私はきっと、朝陽くんに出会う前から、朝陽くんのことが好きになってたの……」

 そう言い終わると、彩は朝陽に抱きつく。そして朝陽の胸に顔をうずめながら「遅くなっちゃって、ごめんなさい……」と呟いた。

 朝陽はただ優しく、彩の頭を撫でてあげた。

「彩……」

 そして、朝陽もその想いに答える。

「一緒に生きていこう。いつまでも……」

 再び、大きな風が二人を包み込む。二人のことを祝福するように、桜の花びらが空を舞う。

 ここで誓い合ったことさえ忘れなければ、きっと二人はいつまでも寄り添いながら生きていくことが出来るだろう。朝陽はそう思って、彩のことを強く抱きしめた。

「あらあら」

 突然聞こえたその声に朝陽も彩も驚いて、慌ててお互いの身体から離れた。

 声のした方を見ると、一人のおばあちゃんが朝陽たちのことを優しい目で見つめている。

「若いっていいわねぇ。私も、ずっと昔は旦那と愛をささやきあったものよ」
「あ、あの、すいません。恥ずかしいところを見せてしまって……」
「あらあらいいのよーむしろ、邪魔しちゃってごめんなさいね」

 そう言いながら、おばあちゃんはニコニコと微笑む。しかし二人の方へ近付いてくると、眉をひそめて朝陽と彩の顔を覗き込んできた。

「あら、あなたたち、どこかで……」

 朝陽はすぐに、おばあちゃんが誰であるのかを思い出した。しかし、その時眠りについていた彩は、おばあちゃんを見て首を傾げている。

「以前、お墓参りに来たんです。その時に一度、お会いしました」
「あぁ、あの時の子たちね。あらまぁ、また会えるなんて奇遇ねぇ」

 そう言って、またおばあちゃんはニコニコと微笑む。

 そして紫乃が眠っているお墓の方に近付いて、今度は首を傾げた。

「あれ、お花が供えてあるわね……これもしかして、あなたたちが?」
「あ、えっと。僕たちがやりました。僕たち、東雲紫乃さんのお友達で……」

 その朝陽の言葉を聞いたおばあちゃんは、信じられないといった風に目を丸めた。

「あなたたち、紫乃ちゃんのお友達なの?!」
「え? そうですけど……」
「もしかして、君の名前はあさひくん?」
「おばあちゃん、朝陽くんのことを知っているんですか?」

 するとおばあちゃんは目に涙を溜めながら、朝陽の肩に手を置いた。その行為と表情に驚き、朝陽は言葉が詰まって固まってしまう。

「あなたが……あなたが、あさひくんなのね……」
「はい……あの、おばあさんは、もしかして紫乃のことを知っているんですか……?」
「ええ、知っているわ……紫乃ちゃんは、私の孫ですから……私は、東雲野々香の母です……」

 東雲野々香。

 それは紫乃が話していた、母親の名前だった。

 おばあさんは目に溜めた涙をハンカチで拭いながら、今度は彩の方を見る。

「そちらの方も、紫乃ちゃんのお友達……?」
「あ、えっと……」

 彩は返答に迷っているようだった。それもそのはず、彼女はレシピエントであり、ドナーである紫乃の個人情報を知らないことになっている。それは、以前朝陽が乃々から教わったことだ。