バスから降りてしばらく歩くと、目的地の霊園はひっそりと姿をあらわす。そこは木々と緑に囲まれた空間で、静寂とした雰囲気に包まれている。

 ちょうどお盆の時期と重なってはいるが、日が暮れ始めているためお墓参りに足を運んでいる人は少ない。

 朝陽は春樹が教えてくれた場所をメモした紙を取り出して、東雲家が眠っているお墓の場所を確認した。

 そうして入り口付近で立ち止まっていると、お墓が並んでいる区画から一人のおばあさんが歩いてくる。紫乃が会釈をしたため、朝陽もそれに習い小さく頭を下げた。

「おや」

 そう呟き、おばあさんは立ち止まる。その視線は、隣にいる紫乃に注がれていた。

 紫乃は彼女を見て首を傾げている。

「どうしました?」

 朝陽が質問すると、おばあさんは気の良さそうな笑みを浮かべた。

「ごめんなさいね。気のせいだったみたいだわ」

 気のせいだと言った彼女は二人に頭を下げた後、腰をやや曲げたまま霊園の外へと歩いて行った。おそらく誰かと勘違いをしたのだろう。その人はもしかすると、綾坂彩に似ているのかもしれないと、朝陽は思った。

 メモを持って歩き出そうとするも、紫乃は歩いて行ったおばあさんの姿をジッと見つめている。

「もしかして、知ってる人だった?」
「あ、ううん。たぶん、知らないと思う……」
「そっか」

 だとしたら、気のせいなのだろう。

 そう考えた朝陽は、もう頭の中から先ほどのおばあさんのことは消えていた。

 今度こそ二人で歩き出そうとすると、紫乃はそっと朝陽の手を握ってくる。

「ごめん……ちょっと、不安で」
「大丈夫だよ。ゆっくり行こうか」

 自分の両親が眠っているお墓に行くのだから、不安になるのも当然だ。手を繋いだまま、二人は暮石の間の道を通り抜けていく。

 ここには、数え切れないほどの多くの魂が眠っている。霊園とはそういう場所だ。独特の雰囲気が漂っていて、火のついたお線香の匂いが鼻をつく。

 朝陽も何度かお墓参りに行ったことはあるが、ここの雰囲気はいつまでたっても慣れることはなかった。

 こういう空間へやってくると、酷い焦燥感に駆られてしまう。いつか自分も死んでしまうのだと、思い知らされる。

 それは何十年後、もしくはすぐ先の出来事かもしれない。

 そういう考えが頭の中を巡ってしまったため、朝陽は慌ててかぶりを振る。こんなことを考えても、仕方のないことだ。

 しばらく歩くと、目的のお墓が見えてくる。周りに並んでいるものとなんら変わらない、綺麗なお墓。誰かが丁寧に手入れをしているのだろうことは、容易に想像ができた。

 墓石には深々と、東雲家之墓と刻まれている。ここには、交通事故で亡くなった東雲家が、安らかに眠っているのだろう。

「紫乃、とりあえず……」

 とりあえず、手を合わせよう。そう朝陽は紫乃へ言いかけた。

 しかしその言葉は最後まで音にならず、中途半端なところで途切れてしまう。

 手を繋いでいて本当によかったと、朝陽は思った。

 なぜなら彼女が突然、糸が切れたように地面へ倒れこみそうになったから。

「紫乃?!」

 慌てて朝陽は彼女のことを抱きとめる。膝をついてアスファルトの石が食い込んだが、そんなことは気にもならなかった。

「朝陽、くん……」
「どうしたの?!」
「なんだか……突然意識が遠のいたみたい、で……」
「意識が……とりあえず、すぐに病院へ行こう!」

 紫乃は弱々しく、左右に首を振った。

「たぶん、ダメだと思うの……」
「どうして……?」
「これは、びょうきとかじゃないから……」

 彼女は病気ではないと言っているが、その実、病に侵されているかのように、意識が朦朧としているように見えた。

「紫乃ね……ちょっとだけ、考えちゃったの……」
「……何を?」
「紫乃は……ここにいるんだって……このお墓の下に、眠ってるんだって……そうしたら、突然身体が重くなってきて……」

 なんとなく、その理由が朝陽には理解できた。

 ここは魂の眠る場所。本来なら、死んだ人間は最後にこの場所へとやってくる。等しく、何の例外もなく。

 紫乃を構成していたはずのものも、このお墓の下に埋められている。このお墓を見て、彼女はそれを実感させられた。

 もしかすると、彼女の魂は本来あるべき場所へと引き寄せられているのかもしれない。もしくはただ単純に、今日というこの日がタイムリミットだったのか。

「なんだか、まぶたも重くなってきちゃった……」
「紫乃……! 眠っちゃダメだ! まだ何か、あるはずなんだから。二人が……みんなが幸せに暮らせる方法が! それに、まだ花火だって見ていないんだから!」

 せっかく、ようやく生きることを前向きに捉えられるようになったのに、突然こんな仕打ちをするのは酷すぎる。朝陽は初めて、運命というものを心の底から憎んだ。

「花火、見たかったな……」
「見たかったじゃなくて、見るんだよ。そして来年も再来年も、今度は三人で、彩さんも交えて見にいくんだ!」
「あはは……そういう未来も、あったらよかったのに……」
 
 朝陽に身体を預けたままの紫乃は、歩くこともままならないといった様相だった。とりあえず、ここから離れなければいけない。そう本能的に感じて、すぐに彼女を背中に背負う。

「紫乃、待ってて。すぐにここから離れるから」
「……うん。でも、もう少しだけ……お父さんと、お母さんに、挨拶をさせて……」

 今すぐにでも歩き出したかったが、朝陽は紫乃を背負ったままお墓へと近寄る。たった今気付いたが、お墓の前には未だ火のついたお線香が据えられていた。

「お父さん、お母さん……紫乃を生んでくれて、本当にありがとう……紫乃はずっと、ずっと幸せだったよ……」

 そう呟いた紫乃は涙声になっていて、大きく鼻をすすっていた。きっと語りかけたいことは山ほどあったのだろう。話したいことも、数え切れないほどにたくさんあったはずだ。

 家族の再会が、こんなに短いものであっていいはずがない。しかし時間がもう限られていると悟っているのであろう紫乃は、満足したように呟いた。

「ありがとね、朝陽くん……こんなところまで、紫乃を連れてきてくれて……」
「そんなの、当然だよ……僕は紫乃が行きたいところなら、どこへでも連れて行く。それを子どもの頃、ずっと夢見てたんだから」

 もし、これが違う出会いだったら。もし、お互いのことをもっと深く知れていれば、それはきっと容易に叶えられたことなのだろう。

 しかしもう、残された時間は少ない。これが、二人に課せられた現実なのだから。

「じゃあ朝陽くんと、花火の前にお祭りに行きたいな……花火も、あまり人のいない、よく見える場所で見たい……」
「わかったよ。だから、紫乃は眠ったりしないでね」
「うん……」

 朝陽は紫乃を背負ったま、霊園の外へと歩き出した。歩きながら、彼女が眠ってしまわないようにと必死に話しかける。だが話をすることすらも辛いのか、次第に相槌が多くなっていった。

 それでも朝陽は歩き続ける。必死に、解決法を考え続ける。

 乃々から電話がかかってきたのは、バスで住宅地の方へと戻ってきた時だった。

 彼女はとても悲痛な声で、涙声になりそうなのを必死にこらえながら、何も思い浮かばなくて申し訳ありませんと報告した。