紫乃が最後に住んでいた家は元々住んでいた場所の隣町だが、実は結構な距離がある。そのため電車を降りてからは、バスを利用して移動しなければいけない。
とはいってもまだ時間はあるため、朝陽は寄り道をしようと紫乃に提案した。
駅前を離れて、住宅地の方角へとまっすぐに進んでいく。ずいぶんと前にこの土地を離れたにも関わらず、その足取りに迷いはない。おそらく身体が町のことを覚えているのだろうと、朝陽は思った。
「紫乃は、ここら辺の道は覚えてる?」
「えっと、ううん……」
「そっか。まあ僕よりも前に引っ越したから、ほとんど忘れてても仕方ないよね。それに、あまり外出出来なかったんだから」
「うん……」
どうしてか、電車を降りてからの紫乃の表情は暗く、足取りもゆったりとしたものになっていた。それに朝陽はすぐ気が付き、一度歩みを止める。
「もしかして、気分が悪い?」
「ううん、そうじゃなくて……」
しばらく迷うそぶりを見せた紫乃は、朝陽に理由を説明した。
「紫乃、何年もここに住んでたのに、何も分からないの……それが、なんだか悲しくて……」
「紫乃……」
「ごめんね。紫乃が弱かったから、この町のことを知らないだけなのに……」
俯き今にも泣き出してしまいそうな彼女の手を、朝陽は優しく握ってあげる。
「紫乃は弱くなんてないよ。現に今ここで、過去と向き合おうとしてるんだから。それに、紫乃がこの町をよく知らないのは、それだけ自分の家が大事だったからなんだ。そういう考え方も、出来るんじゃないかな?」
「……うん」
弱々しくだが、紫乃は頷いた。握った手は彼女がぎゅっと握りしめてきたため、朝陽はそのままにする。自分の手が彼女の不安を和らげてくれているのであれば、それはとても嬉しいことだった。
またしばらく、二人は故郷を歩く。
街並みはもう昔と変わっているが、それでも変わらないものはいくつも存在する。それを頼りに歩いていけば、やがていつもの見慣れた場所に出てくる。
五年間朝陽が歩き続けた、小学校の通学路だ。ここまで来れば、紫乃の家まであと少し。
最後の曲がり角を曲がると、懐かしい紫乃の家が見えてきた。今は別の誰かが住んでいる、東雲一家が住んでいた家。
そこへ近付いていくと、紫乃は空いていた方の手で自分の胸のあたりに手を添えた。
「思い出してきた?」
「……わからない。でもなんだか、胸のあたりが温かくなってきた……」
「きっと、紫乃の心はずっと覚えてるんだよ」
忘れられるはずがない。
そこは、紫乃の両親がずっと守り続けてきた家なのだから。持ち主が変わっても、それは消えることはない。
二人はその家の前に立ち止まる。すんと、紫乃は小さく鼻をすすった。それから震える声で、彼女は呟く。
「紫乃の家は、こんな……こんな形を、してたんだね……」
それから彼女は、道の真ん中でしゃがみこみ涙を流した。道行く人は二人を怪訝そうな顔で見つめ、すぐそばを通りすぎていく。しかしそれに恥ずかしさはなく、朝陽はただ、もう一度二人でここに来れたのだという事実が何よりも嬉しいと思った。
紫乃を包む繭はもう存在しない。彼女は自分の足で、外の世界へ飛び出すことが出来たのだ。
「お姉ちゃん、泣いてるの……?」
いつの間にか見慣れない男の子が、しゃがみこんだ紫乃のそばで不安げな表情を浮かべていた。朝陽は黙って、二人のことを見つめる。
「もしかして、悲しいことがあった……?」
「ううん……」
紫乃はハッキリと、力強く首を左右に振る。それから瞳から溢れている涙をぬぐって、男の子の頭に手のひらを乗せた。
もう彼女の顔には、笑顔しか浮かんでいない。
「嬉しいことが、あったんだよ。とってもとっても、嬉しいことが」
「そう?もう、大丈夫?」
「うん」
その返答を聞いて、男の子も安心したようにパッと笑顔を浮かべる。彼は、家の中から出てきたお母さんに連れられて、向こうへと歩いて行った。
とはいってもまだ時間はあるため、朝陽は寄り道をしようと紫乃に提案した。
駅前を離れて、住宅地の方角へとまっすぐに進んでいく。ずいぶんと前にこの土地を離れたにも関わらず、その足取りに迷いはない。おそらく身体が町のことを覚えているのだろうと、朝陽は思った。
「紫乃は、ここら辺の道は覚えてる?」
「えっと、ううん……」
「そっか。まあ僕よりも前に引っ越したから、ほとんど忘れてても仕方ないよね。それに、あまり外出出来なかったんだから」
「うん……」
どうしてか、電車を降りてからの紫乃の表情は暗く、足取りもゆったりとしたものになっていた。それに朝陽はすぐ気が付き、一度歩みを止める。
「もしかして、気分が悪い?」
「ううん、そうじゃなくて……」
しばらく迷うそぶりを見せた紫乃は、朝陽に理由を説明した。
「紫乃、何年もここに住んでたのに、何も分からないの……それが、なんだか悲しくて……」
「紫乃……」
「ごめんね。紫乃が弱かったから、この町のことを知らないだけなのに……」
俯き今にも泣き出してしまいそうな彼女の手を、朝陽は優しく握ってあげる。
「紫乃は弱くなんてないよ。現に今ここで、過去と向き合おうとしてるんだから。それに、紫乃がこの町をよく知らないのは、それだけ自分の家が大事だったからなんだ。そういう考え方も、出来るんじゃないかな?」
「……うん」
弱々しくだが、紫乃は頷いた。握った手は彼女がぎゅっと握りしめてきたため、朝陽はそのままにする。自分の手が彼女の不安を和らげてくれているのであれば、それはとても嬉しいことだった。
またしばらく、二人は故郷を歩く。
街並みはもう昔と変わっているが、それでも変わらないものはいくつも存在する。それを頼りに歩いていけば、やがていつもの見慣れた場所に出てくる。
五年間朝陽が歩き続けた、小学校の通学路だ。ここまで来れば、紫乃の家まであと少し。
最後の曲がり角を曲がると、懐かしい紫乃の家が見えてきた。今は別の誰かが住んでいる、東雲一家が住んでいた家。
そこへ近付いていくと、紫乃は空いていた方の手で自分の胸のあたりに手を添えた。
「思い出してきた?」
「……わからない。でもなんだか、胸のあたりが温かくなってきた……」
「きっと、紫乃の心はずっと覚えてるんだよ」
忘れられるはずがない。
そこは、紫乃の両親がずっと守り続けてきた家なのだから。持ち主が変わっても、それは消えることはない。
二人はその家の前に立ち止まる。すんと、紫乃は小さく鼻をすすった。それから震える声で、彼女は呟く。
「紫乃の家は、こんな……こんな形を、してたんだね……」
それから彼女は、道の真ん中でしゃがみこみ涙を流した。道行く人は二人を怪訝そうな顔で見つめ、すぐそばを通りすぎていく。しかしそれに恥ずかしさはなく、朝陽はただ、もう一度二人でここに来れたのだという事実が何よりも嬉しいと思った。
紫乃を包む繭はもう存在しない。彼女は自分の足で、外の世界へ飛び出すことが出来たのだ。
「お姉ちゃん、泣いてるの……?」
いつの間にか見慣れない男の子が、しゃがみこんだ紫乃のそばで不安げな表情を浮かべていた。朝陽は黙って、二人のことを見つめる。
「もしかして、悲しいことがあった……?」
「ううん……」
紫乃はハッキリと、力強く首を左右に振る。それから瞳から溢れている涙をぬぐって、男の子の頭に手のひらを乗せた。
もう彼女の顔には、笑顔しか浮かんでいない。
「嬉しいことが、あったんだよ。とってもとっても、嬉しいことが」
「そう?もう、大丈夫?」
「うん」
その返答を聞いて、男の子も安心したようにパッと笑顔を浮かべる。彼は、家の中から出てきたお母さんに連れられて、向こうへと歩いて行った。