だけどそれを突きつけるのはあまりにも酷なことで、だから朝陽はその手段から目を逸らした。

 乃々は一度、大きく手を打ち鳴らす。

「はい! それでは乃々、しばらくお外へ行きますねっ」
「えっ、どうして?」
「いやですねー朝陽さん。決まってるじゃないですか! 観光ですよ観光!」

 そう言って、嬉しそうに微笑む。自分たちを気遣ってくれたのだと、朝陽はすぐに理解した。乃々も理解してくれたと察したのか、その笑顔のまま手を振って部屋を出て行く。

 しかし最後にチラと、あとで報告をよろしくお願いしますねと言うように朝陽へ目配せしていった。

「あの……」

 どういう風に切り出せばいいか朝陽は迷う。彼女とは今までも話していたが、真実を知って話しをするのは緊張が伴う。

 紫乃は、交通事故に遭って死んだのだ。

 だけどいつまでもそうしているわけにもいかないため、一度息を吐く。

 話すべきことが、たくさんあった。

「とりあえず、布団の中から出てきなよ。姉ちゃんが来たら追い払うから、普通にしてても大丈夫だよ」
「うん……」

 ノソノソと、紫乃は布団の中から這い出てくる。そして礼儀正しく、その場で正座をした。

「もしかしてだけど、家にいるときは基本的に綾坂さんが表に出てたのかな」
「うん……紫乃、人見知りだから……」

 人見知り。

 十年前も紫乃は人見知りで、朝陽が部屋にやってきても布団の中に引きこもる女の子だった。それでも今は二人で外へ出かけられているから、彼女は以前に比べて成長した。その事実が朝陽は嬉しかった。

 もしかすると、彼女が自分のことを『私』と呼んでいる時が『綾坂彩』で、『紫乃』と名前で呼んでいる時が『東雲紫乃』だったのかもしれない。

 彼女は朝陽以外の人間がそばにいる時は、自分のことを私と呼んでいた。つまりは、そういうことだったのだろう。

 何か話さなければと思い考えを巡らせるが、話したいことがたくさんありすぎるため、朝陽はどれから手を付ければいいのか分からなくなる。

「今まで普通に話しができてたのにね。なんだか、どうやって会話をしてたのかわからなくなっちゃった」
「……ごめん」
「紫乃は悪くないって。僕が、気付いてあげられればよかったんだから……」
「それでも、紫乃は隠してたから……」

 お互いに自分のことを責めてしまう。このままでは話が平行線を辿ると考えた朝陽は、彼女が傷つかないようにと話を変えた。

「僕は別に怒ってないんだけど、どうして紫乃はずっと正体を隠してたのかな。本当のことを話してくれれば、もっと早くに相談に乗ってあげられたのに」
「だって、朝陽くんに迷惑がかかると思ったから……本当は、満足したら……花火が終わったら、紫乃の方から居なくなるつもりだったの……」
「何も言わずに、居なくなるつもりだったの?」
「うん……だって、死んでるのに朝陽くんとお話ししてるなんて、絶対におかしいもん。それに、彩ちゃんにも迷惑がかかってるし……」

 それはどうなのだろう。

 少なくとも綾坂彩という人物は、紫乃の手助けを底抜けな善意でおこなったのだと朝陽は考えていた。紫乃はあまり自分を表に出さないため、自分から会いに行きたいとは言えなかったのだと思う。

 だから、自分を救ってくれた東雲紫乃という女の子の役に、彩は立ちたかった。

――彼女は、私の命の恩人だから。

 これまで綾坂彩としての彼女と話したことはない朝陽だが、彼女の考え方は容易に想像出来た。きっと紫乃と同じく、とても優しい女の子なのだろう。

「綾坂さんのことは本人に聞いてみなきゃわからないけど、僕は迷惑というより、今の話を聞いてちょっと怒ってるかな」
「……ごめんなさい」

 俯いて瞳を潤ませる姿を見て、少し意地悪をしてしまったと反省した。

「紫乃が勝手にいなくなったら、それこそ困っちゃうから」
「……え?」
「子どもの頃、紫乃が突然いなくなって、本当に悲しかったんだよ。いなくなるなら、引越しをするならちゃんと言ってほしかった。紫乃も、突然友達がそばからいなくなったら、とっても心配するでしょ?」
「紫乃は……」

 何かを言いかけて、紫乃は言い淀む。きっと大切な友達のことを思い浮かべたのだろう。彼女は俯いたまま、涙を流した。朝陽は泣かせるつもりなんて、傷つけるつもりなんてなかったのに。

 いや、朝陽にとって紫乃は大切な人であるからこそ、文句の一つでも言いたかったのかもしれない。何も言わずに街を去り、再び何も告げずにそばを去ろうとしていたのだから。

 もっと、自分に自信を持ってほしかった。自分が居なくなることで、悲しむ人がいるのだということを知ってほしかった。

 抑えきれない感情が心から溢れて、口元が思わず揺れてしまう。それを抑え込むのも、そろそろ限界だった。

 朝陽はゆっくりとその場から立ち上がる。怒らせてしまったのだと思ったのだろう。紫乃は泣きそうな顔をしながら、朝陽のことを見上げた。

「大丈夫だよ。ちょっと、頭を冷やしてくるだけだから」

 もっと話をしたいのに。話したいことが、話をするべきことがたくさんあるのに。時間はおそらくそれほど残されてはいないのだから。

 廊下へ出ると、部屋の中の話し声が聞こえないほどの位置に乃々が立っていた。朝陽の表情を見て、しょうがないですねぇといったように、控えめに微笑む。

「今のうちに、泣いておいたほうがいいですよ。泣いてしまったら、心がスッキリするんです」
「……僕よりも、君の方が泣くべきなんじゃないかな。大切な姉が、戻ってこないかもしれないんだから」
「お姉ちゃんは、いなくなったりはしませんよ」
「どうしてそんなことが言い切れるの……?」
「拡張型心筋症は、重度の場合だと五年生存率はそれほど高くないんです。でもお姉ちゃんは、ドナーが見つかるその時まで、必死に生き続けました」

 乃々は朝陽の問いに、やはりあっけらかんと答えた。それが当然だと言わんばかりに。

「お姉ちゃんは、人一倍自己犠牲精神が強くて、優しくて、だけど誰よりも生きたいと、強く願う人でしたから……だから、乃々に何も言わずにいなくなるはずがないんです」

 紫乃の前では敢えて濁した言葉。乃々も、おそらく朝陽と同じことを考えていたのだろう。それは片方を生かし、片方を殺してしまうという犠牲の上に成り立つ方法。

 そんな犠牲の上に成り立つ物語は、本当の解決じゃない。

 だから、みんなが救われる道を見つけ出さなきゃいけない。

 やっと再開できたのに、彼女はもう死んでいるなんて、あまりにも残酷すぎる。部屋の中で過ごすしかなかった紫乃がようやく外へ出られるようになったのに。

 誰よりも世界を美しく見ることができる女の子であるのに、世界はどこまでも彼女に対して酷い仕打ちを続けた。やるせない思いが朝陽の心の中に積もって行く。

 少しでもその苦しみを肩代わりできれば、紫乃が傷つかなくて済むのに。

 知らず知らずのうちに、涙が溢れていた。それはとどまることなく、朝陽の頬を濡らしていく。

 そして、気付いてしまった。

 気付かなかければよかったのにと、今更ながらに後悔する。

 自分は東雲紫乃か、それとも綾坂彩のどちらが好きなのか。きっとそれを理解してしまえば、片方に強く生きてほしいと願ってしまう。

 誰も、愛する人がいなくなってほしくないのだから。もちろん二人とも救われる道があれば、それを願わない理由はない。でも、片方しか救えないのであれば……

「朝陽さん」

 唐突に名前を呼ばれる。乃々はいつの間にか、朝陽の顔を覗き込んでいた。

「少し、乃々とデートをしましょうか」
「いや、今は……」
「気分転換に、デートをしましょう」

 強引に腕を掴まれる。

 部屋の中にいる紫乃のことが気になったが、朝陽は断り切ることが出来なかった。