「すっごい! きんぴかだよ! きんぴか!」

 華怜の指をさした先にはソフトクリームを販売している甘味処がある。そのソフトクリームには、この土地の有名な工芸品である金箔が乗せられていた。

「すごい、きんぴかだね」

 内気な公介くんもその金色に目を輝かせている。

「きんぴかっ! きんぴかっ!」

 そう言いながら、華怜は僕の足へとしがみついてきた。もう華怜の目には金色のソフトクリームしか浮かんでいない。

「おとーさんおとーさん、カレンあれがたべたい!」
「さっきお昼ご飯食べたばかりだろ?」
「でもおなかすいたの!」

 本当は何でもかんでも買い与えるのはよくないんだろうけど、華怜の笑顔に逆らうことはできなかった。ちょっと寄っていっていい? と茉莉華に視線で伝えると、わかったよという風に微笑んでくれる。

 華怜と公介くんのソフトクリームを買ったあと、近くの緑地の広場へ行って腰を下ろした。華怜は隣、でキラキラしているソフトクリームを見て目を輝かせている。

「きらきら! きらきら!」

 そんな華怜を見て、公介くんも笑顔になっている。

 華怜はすぐにソフトクリームへとかぶりつき、幸せな表情を浮かべた。だけどすぐに釈然としないと行ったような表情に変わる。

 僕はまた、デジャブのようなものを感じていた。以前もこんなことがあったような……そうだ、僕は前にもここへ来て、ソフトクリームを食べたのだ。

 だけど、どうしてこんな場所に一人でやってきたんだろう……

 そう考えていると、華怜はいつの間にか僕の顔を覗き込んでいた。

「どーしたの? おとーさん?」
「あ、ううん。なんでもない」
「そー?」

 心配してくれた華怜の鼻先に金箔が付いていて、僕はくすりと笑った。どうしてそんな場所に付いちゃうんだろう。

「華怜、鼻に金箔が付いてるぞ」
「えっ? きんぱく?」

 華怜は自分でゴシゴシと鼻先をこすり、だけどそれは金粉になって広がるだけだった。

 仕方ないなと思いつつ、僕はそれを取ってあげることにした。

「華怜、ちょっとジッとしててね」
「うん」

 ハンカチを取り出して、鼻先を拭いてあげる。しかしくすぐったそうに身をよじるから、動かないように頭を固定させた。

 ゴシゴシと、金箔を取ってあげる。

「おとーさん、どーしたの?」
「えっ?」
「おめめ、ないてる……」

 そう言われて、僕は遅れて気がついた。いつの間にか両目から涙が溢れていて、それが止まらない。どうして泣いているのか本当にわからなかった。

 別に悲しくもないのに。

「公生くん、何かあったの?」

 茉莉華も僕を心配して肩に手を置いてくれた。公介くんも不安げな表情で僕を見て、奈雪さんも心配してくれている。

「ご、ごめん。ほんとになにもないから。ほんと、なんで泣いてるんだろ……」

 わけのわからない涙は、全然止まってくれない。溢れて溢れてひたすら僕の頬を濡らしていった。

「おとーさん、いーこいーこ。だいじょーぶだよ」

 華怜は僕の持っていたハンカチを手にとって、溢れてくる涙を拭ってくれる。

 それがまた僕の心を大きく揺れさせた。

 涙は止まらなかった。

 それよりも、どうしてか罪悪感のようなものが湧いて来て、なおさら僕のことを混乱させる。

 何かを思い出せないことが、とんでもなく辛かった。もう喉の奥の方まで思い出しかかっているはずなのに、全然その正体を掴めない。

 僕はたしかに、ここへ来たことがある。それも、とっても大切な人と。

 それは茉莉華じゃなくて、違う誰かだ。違う、茉莉華のことを大切に思っていないというわけじゃない。僕にとって茉莉華はとっても大切な人で、たぶんその思い出せない誰かも同じくらい大切な人だったんだ。

 僕は、乱れる。

 いつの間にか華怜が頭を撫でていることに気づいて、僕はようやく冷静になることができた。優しい目で、僕のことを見る。

「おとーさん、だいじょーぶだよ。かれんはげんきだから、おとーさんもげんきだして」

 言いながら、金箔の乗ったソフトクリームを僕に差し出してくれた。僕はそれを少し食べて、一つの確信を得た。

 前にも、誰かとここへ来たことがある。それは夢なんかじゃなくて、現実に起きたことだ。誰かにソフトクリームを食べさせてもらって、僕も食べさせてあげた。それでお互いに笑いあって、さっきと同じことをしてあげた。

 もう涙は止まっている。

 僕は華怜の頭を撫でてあげた。

「ごめん、華怜。心配させたね」

 すると華怜は柔らかく微笑んで「どーいたしましてっ!」と誇らしげに言った。

 それから華怜はソフトクリームを見て「このきんぴか、あじがぜんぜんないよ?」と質問してきた。

 僕は答える。

「それは金箔っていって、味が全く無いんだよ」
「へー、へんなの!」
「ほんとに、変だよね」

 僕と華怜が笑うと、側にいた茉莉華や奈雪さん、公介くんもつられたように笑う。いつの間にか普段の僕らに戻っていて、安心した。

 一度自分の中で整理が付くと、少しだけ心の中が楽になった気がする。ずっとどこかにつっかえていたものが取れて、あるべき場所に収まってくれたんだ。

 あとはそれを思い出せればいいんだけど、上手くいくかはわからない。だけどいつかは思い出せる自信があった。

 もう、少しずつ思い出しかけているんだ。思い出すのは時間の問題だと思う。

 それからの僕らは、城下町と庭園へ行き、お花見を楽しんだ。池に泳いでいる鯉を見ながら華怜が「あのおさかなさんも、からだにきんぱくつけてるの?」と質問してきた時は思わず笑ってしまい、そのあと目を離していたら華怜が池に落ちたから僕は慌てた。

 すぐに気付いて僕も池に飛び込み助けられたからよかったけど、全身はずぶ濡れで華怜は泣き出すしでさらに大慌てだった。

 だけど家に帰ったあと、華怜とお風呂に入っていたら「たのしかったっ!」と抱きついてくれたから、やっぱりお花見に行って良かったなと思えた。

 この時の僕は、こんな風にみんなと笑い会える時間が、ずっとこれから先も続いていくんだとばかり思っていた。

 だけど次の年の春、まだ桜が咲く前の蕾の時期。唐突すぎるほどに、僕にその現実が突きつけられた。

 奈雪さんと公介くんが、とある事情でこの町を去ることになった。

 その事情というのが、いわゆる夫婦仲の悪化というもので、婚約を解消しないものの別居という形に落ち着いてしまったらしい。

 今までそんなそぶりを一度だって見せてこなかったから、僕はしばらく開いた口が塞がらないほど動揺した。茉莉華にいたっては、自分のことのように涙を流し、僕へと抱きついてきた。

 華怜は事情を上手く呑み込めていないようで「コウちゃん、とおくいっちゃうの?」と、不安そうな表情をしていた。

 唯一救いだったのは、奈雪さんがそれほど思いつめていなかったということだ。

 何度か時間が空いた時に電話で連絡を取ったけど、本人は「一度距離を置いて、また一緒に暮らせたらと思っているよ」と言っていた。

 それに茉莉華は安心したらしく、ほっと胸を撫で下ろす。

 そしてある時の夜、いつも通りベッドで川の字になっていたら、華怜が唐突に不安げな表情を浮かべて質問してきた。

「おとーさんとおかーさんは、どこにもいかないよね……?」

 僕は華怜の頭を優しく撫でてあげる。茉莉華は少しだけ目に涙を溜めていたけど、優しく華怜のことを抱きしめてあげた。

「どこにも行かないよ。お父さんとお母さんと華怜は、ずっと一緒だから」
「お母さんも、ずっと華怜のそばにいる。華怜が嫌だって言っても、絶対そばにいてあげるんだから」

 子どもながらに、なんとなく事情を察せていたんだろう。

 奈雪さんはいつも通り普段と変わっていなかったけど、公介くんはいつも以上に無口になっていた。

 華怜は人の心を敏感に察知する観察力のようなものがあるから、隠してしまってもお見通しなんだと思う。

 華怜は安心した笑顔を浮かべて、「ありがと。おとーさんも、おかーさんも、ずっとだいすきだよ」と言った。その言葉に僕は少しウルッときて、茉莉華なんかは嬉しさで華怜を抱きしめたまま泣いてしまう。だから僕は、茉莉華と華怜を抱きしめてあげた。

 やがて華怜が小さな寝息を立て始めた頃、茉莉華が言った。

「奈雪さんと公介くんが引越しする前に、タイムカプセルを埋めようか」
「タイムカプセル?」
「将来の自分に向けて手紙を書くの。二人が大人になった時、また同じ場所へ集まれるように」

 それはいい提案だと思った。約束があれば、何かの事情で連絡が取り合えなくなっても、いずれ同じ場所で再開できる。

 帰ってこれる場所がちゃんとあるというのは、それだけで二人の心の支えになるだろう。僕は頷いた。

「じゃあ二人が引越しをする前日に、タイムカプセルを埋めよう」
「どこに埋める?」

 埋める場所を考えて、あそこしかないなと思った。いつも休みの日にみんなで遊んでいる、マンションの前の公園だ。
それを伝えると、茉莉華は笑顔になった。

「じゃあ、桜の木の下に埋めましょう。そこなら絶対に間違えないから」
「そうだね、桜の木の下に埋めよう」

 その約束をした次の日に、華怜と奈雪さんと公介くんにタイムカプセルのことを伝えた。奈雪さんは快諾してくれて、あとはタイムカプセルに入れる手紙を考えるだけだった。

 でも僕は、埋める二日前になっても手紙の内容を決められていない。こういうのはしっかり書かなきゃダメだと思い、変に思考が空回りするのだ。

 それと仕事が忙しくて、すぐに寝てしまうという理由もある。

 茉莉華はもう書き終わったらしくて、

「ちょっとだけでいいから教えてよ」と訊いてみたら「やーだよっ」と笑顔で言われてしまった。

 どうしよう、どうしよう、と思いながらも時間は過ぎていく。

 いつの間にか、タイムカプセルを埋める日が明日まで迫っていた。