しかし、華怜は全てを合わせるわけではないということを僕は知っている。以前茉莉華が風邪で寝込んでしまった時、それは判明した。

 あの時の茉莉華は起き上がれないほど風邪が深刻だったから、僕が代わりに朝ごはんを作っていた。華怜は調理をしている僕の後ろで「パパのりょーり?! はやくたべたい!!」とはしゃいでいる。

 ちなみにこの時の華怜は、まだ僕のことをパパと呼んでいた。

「ねーパパ、なにつくってるの?」
「目玉焼きとお味噌汁だよ」
「めんたまやき? おめめやくの?」

 純粋な子どもの疑問は、時に破茶滅茶なことがある。目玉焼きを作りながら吹き出すと、華怜はぷくりと頬を膨らませていた。

「パパ! パパ! めんたまやきってなに!」
「卵を焼いて作る料理だよ。華怜も、ママに卵焼き作ってもらったことあるだろ?」
「しかくいやつ?」

 四角いやつというのは、だし巻き卵のことだ。

「そうそう、あれが卵焼き。」
「たまごやき、すっごくおいしかった!」
「目玉焼きは卵焼きと似たような料理だよ。今作ってるから、ジッとしててね」
「うん! ジッとしてるね!」

 言いながら、華怜はジッと僕の足にしがみついてきた。これじゃあ全然料理が出来ないから、仕方なくおんぶをしてあげる。

 華怜は目ん玉焼きという言葉が気に入ったのか、たまごが焼ける音を聞きながら「めんたまっやき! めんたっまやっき!」と歌っていた。

 茉莉華の朝ごはんは別に作って、華怜と二人だけでご飯を食べる。華怜は上手に箸を使えないから、今はプラスチックのフォークとスプーンを使っていた。

「これがめんたまやき?」

 フォークで突きながら、初めてみる目玉焼きに興味を示していた。

「そうだよ。スプーンで遊ぶのはお行儀が悪いからやめようね」
「はーい」

 返事をしてから華怜は目玉焼きの膨れている部分をつつき、中から黄身が溢れ出してきた。

 それに驚いて「なんかでてきたっ!」と言って目を丸くしている。塩胡椒を少しだけ振ってあげた。

「白い部分と一緒に食べると、とっても美味しいよ」
「うん! めんたまやきおいしいよねっ!」

 もちろん華怜はまだ目玉焼きを食べていない。
 だけど僕が美味しいと言ったからそれに合わせて、何のためらいもなく大きな口を開けて目玉焼きを放り込む。

 瞬間、華怜の表情が固まった。

 だけど華怜は偉いから、口の中へ入れた分はゆっくりと噛んで飲み込んだ。
 しかし表情はかなり険しい。苦虫を噛み潰したような顔をしている。

「もしかして、口に合わなかった……?」

 恐る恐る聞いてみると、ふるふると首を振った。必死な様が伝わってきて、あぁ口に合わなかったんだなと何となく察する。

「お、おいしい……」
「あんまり無理しなくてもいいよ」
「パパのすきなたべもの、かれんはぜんぶすきだから……」
「ありがとね」
「でも、これはパパにあげるね」

 好き嫌いをするのは本当は良くないんだけど、かなり嫌そうな顔をしていたから仕方ない。僕は二人ぶんを食べる。

 今度は味噌汁へと手を伸ばした。

 半熟の目玉焼きの件があったから華怜も恐る恐るといった風だったけど、一口含むとみるみる表情が笑顔に変わった。

「おいしいっ!」

 いつもは茉莉華の作った味噌汁を飲んでいたから、実は口に合うのかが少し不安だった。

「美味しい?」
「ママのつくったのよりおいしい!」

 僕は慌てて寝室の方へと耳を澄ました。物音が一つもないから、きっと寝ているんだろう。

 子どもというのは本当に純粋だ。

 もし聞かれていたら、茉莉華が落ち込んだかもしれない。口元に人差し指を当てて華怜へ注意する。

「ママ起きちゃうから、静かにな?」

 すると口元を両手で押さえてふるふると首を縦に振った。

 それから小さめの声で「でも、ほんとにおいしかったよ?」と言う。僕は華怜の頭を撫でてあげた。

「でも、ママの作った味噌汁も美味しいでしょ?」
「うんっ」

 ニコリと微笑む。きっと、出汁や味噌の量が華怜の好みなんだと思う。だから決して、茉莉華の作る味噌汁がまずいというわけではない。

 それから次の日も僕は華怜に朝ごはんを作ってあげて、今度は固めの目玉焼きにしてみた。

 半熟の目玉焼きで苦渋の思いをしたから嫌がるかと思ったけど、華怜は「おとーさんのつくったごはんだから……」と言いながら渋々食べてくれる。

 結果は予想以上に好評で「パパまほうつかったの?!」と驚いていた。そして味噌汁も好評で、前回の不評はすぐに解消することができた。

 しかしそれからというもの、茉莉華の作る料理の全てを「おいしーおいしー!」と食べていた華怜が、味噌汁を飲んでいる時だけ反応を示さなくなった。

 それを茉莉華はやっぱり不安に思ったらしく、食事中に「もしかして、お味噌汁美味しくなかった……?」と訊いた。

 華怜は「ううん、おいしーよ。でも……」と言いながらチラと僕を見る。

 言わない方がいいかと思ったけど、もう黙っておくことはできないなと考えた僕は、茉莉華が風邪を引いた時の出来事をすべて話した。

 落ち込むかと思ったけどそんなことはなく、茉莉華は「なあんだ、そんなことねっ」と笑顔で振る舞った。気丈に振る舞っていただけなのかと思ったけど、違うらしい。

 曰く「公生くんのお味噌汁は私も好きだから、味覚が似たんじゃないかな」ということらしい。むしろ同じ感覚を共有できて嬉しかったようだ。

 それからというもの、僕は毎食の味噌汁担当になっている。僕の味噌汁で茉莉華と華怜の笑顔が見れて、とても嬉しかった。

 そして最近の僕は、またいつか感じていたデジャブを認識し始めている。それは華怜と接している時に頻繁に起きて、胸の奥が苦しいほど締め付けられていた。

 その正体がなんなのか、今の僕にはわからない。