他にも疑問に思うことはある。小学校四年生の時、二分の一成人式というのを教室でやった時のことだ。

 誕生日月の生徒は、月に一回学活の時に親を招いて話をするというものだった。両親から聞いた自分が産まれた時のエピソードと、これからどんなふうに成長していきたいか、自分の夢や両親への感謝などを話すという内容だった。


 私の誕生月である十一月、二分の一成人式の一週間前に、なにを話すか予めまとめておこうと思った私は、お母さんに出産時のエピソードを聞いた。

『夜中に陣痛がきて、急いでお父さんと病院に行ってすぐに愛花が産まれたの。時間もほとんどかからなかったしすんなり産まれてきてくれたのよ。お母さん想いだなって思った』


 なにも知らない子供だった十歳の私は、その言葉に疑問なんて持たなかった。『じゃー私は赤ちゃんの時から親孝行だったんだね』なんて言ったりして。

 けれど今なら分かる。ドラマなどで出産シーンを見たことがあるけど、すんなり産まれるにしても凄く痛いはずだ。テレビで目にする出産した母親のほとんどは泣いていた。見ているこちらまで泣きそうになるくらい、号泣に近い泣き方だった。どんなに痛くて苦しくても、産まれた時の喜びは計り知れないのだと思った。


 でも今思い返してみると、お母さんの言葉からはその感動が全く伝わってこない。どのくらい痛かったとか、分娩室はどうだったとか、助産師さんがどうとか、泣いたとかもなく、説明はしてくれたもののどこか淡々としていた。予め用意されている原稿を読んだみたいな違和感しかない。

 それも私が養子だったのなら納得出来る。私を産んでいないからだ。産んでいないのに、説明できるはずない。感情を込めて話すことだって出来るわけない。