以前住んでいた場所は海がないところだったし、どこにいても気が休まる時なんてなかったから、こんなに静かだとまるで世界には自分だけしかいないような感覚になる。


でも、現実はそんなに甘くない。


母は今でもあの男と一緒にいて、世界で一番憎いのに戸籍上では私の父親になっている。

まるで離れていても、離さないと言われるみたいにアイツと同じ名字の成瀬(なるせ)を名乗らなきゃいけないことが苦痛で仕方がない。


ああ、まただ。

ズキンズキン身体の傷痕がひどく疼く。


男が現れる前で母だって私に優しかったし、母子家庭で贅沢はできなかったけど、家に帰れば暖かな場所が待っていた。


でも、あの5年間でそれまで少なからず存在していた愛情の記憶も黒く塗り潰して、今はお母さんと呼ぶのも躊躇うほど、母のことも嫌いになってしまった。

なのに、私の保護者として今も見えない糸で繋がってるんだと思うと、イヤなものが口まで込み上げてくる。


ズキズキと身体が痛む代わりに、パッと全ての記憶が消えてくれたらいいのに。

そしたらあの5年間も、母のことも、あの男のことも全部忘れて生きていくし、植え付けられた恐怖心に怯えることはないのに。