「そんなそんな! 凛ちゃんはお客さんだから」
「そ、そうですけど、でも女将さんの腰ありきのみなか屋ですから!」
女将さんが元気でなければ大変だというようなことを伝えるつもりが、なんだかおかしな言い方になってしまって、案の定、女将さんはポカンと口を開けてから。
「あっはっはっは! そうね! 確かに私の腰ありきのみなか屋だわ!」
大爆笑すると、洗濯物の中から布団のシーツを引っ張る。
「じゃあ、凛ちゃんはこっちのシーツ類をお願いね」
「は、はい!」
受け入れてもらえたことに心から安堵し、私は女将さんの元に駆け寄るとシーツを受け取った。
「本当にありがとうね」
優しく微笑まれて、私ははにかんだ。
「いえ。あの、何か他にお手伝いできることがあればさせてください」
「他に? でも悪いよ。凛ちゃんはこの島を満喫してきなさいな」
今度はきっぱりと断れてしまう。
差し出がまし過ぎたかな……と、こっそり肩を落としていたら。
「女将さん」
ヒロが男の子の頭に手を置いて。
「八雲の宿題、手伝う時間がないって言ってたけど、それは?」
なにやら提案してくれる。
「ああ! そうだね!」
「宿題、ですか?」
どんな宿題だろう。
ドリルとかかな?
小学生のものなら特に問題ないけれど……。
「実はね、冬休みの宿題で、自由研究がひとつあるのよ」
まさかの自由研究で、私は内心狼狽える。
算数や国語を手伝うなら問題ないけど、自由研究の類いを手伝うのは何気にコミュニケーション能力が問われる気がしたからだ。
「私や旦那は店があるしね。良ければ手伝ってやってくれないかい?」
「わ、私は大丈夫です、けど」
八雲君は初対面の私で大丈夫なのかと、彼を見れば、パッと視線を逸らされた。
その瞳は、居心地が悪そうに泳いでいて。
……もしかしてと思った矢先、ヒロが微笑んで頷いた。
「八雲は、お前と同じで人見知りするんだ」
「そ、そうなんだね」
私たちの会話を聞いていた女将さんが懐かしそうに目を細める。
「そういえば、凛ちゃんに会うといつもお父さんの後ろに隠れてたねえ」
「す、すみませんでした……」
記憶にないけれど、きっと挨拶をしてくれたりしていたのだろう。
それで緊張して隠れていたに違いない。
「いいのいいの。可愛らしかったよ」
女将さんはハンガーに洗濯物をひっかけると、八雲君に「あんたもいいよね?」と確認する。
八雲君は否定も肯定もせず、視線を膝に落としたままだ。
彼の気持ちは良くわかる。
知らない人と何かをするなんて、緊張するし不安ばかりが胸を占めてるはずだ。
なんて答えるべきかわからず黙ってしまう。
でも、そんな時、私はいつも思っていた。
嫌なわけじゃないんだと。
だから、私の緊張や不安なんてお構いなしに、笑顔を向けて手を引いてくれるナギの存在は大きくて。
私は、そんなナギのことを思い出しながら、シーツを物干し竿にかけて。
なるべく笑みを浮かべるように意識して、八雲君の前にしゃがんだ。
「えっと……八雲君、私は花岡 凛といいます。もし嫌じゃなければ、自由研究のお手伝いさせてくれる?」
頷いてくれたらいいなと願いつつ、声をかけてみる。
けれど。
「……オレ、行くとこあるから」
「えっ……」
彼の緊張をほぐすことができなかったようで、八雲君は家の中に逃げてしまった。
「こら八雲!」
女将さんが足を大きく広げて叫ぶをのを、私は「いいんです」と気持ちを落ち着けてもらう。
「きっと緊張してるんだと思うので」
近寄りたいけれど、少し怖い。
そんな気持ちが逃げに走らせる。
それは私にも経験があるからよくわかる。
あとで少し話しておくからと女将さんは言って、洗濯物をまた干し始めた。
私も続きを手伝っていると、みなか屋の店主である旦那さんがやってきて、ヒロに大きな発泡スチロールの箱を手渡した。
お礼を告げて受け取ったヒロは、帰る前に私に声をかけてくれて。
「大丈夫そうか?」
「わからないけど……少し頑張ってみる」
「そうか。お前なら八雲の気持ちもわかってやれるだろうし、うまくいくよ」
「うん。ありがとう。それと、定食のお代もありがとう」
これだけはちゃんと言わなければと、奢ってもらったお礼を口にすると。
「まあ、安いクリスマスプレゼントってことで」
気にするなと微笑んだ後、なにかあれば手伝うと言ってくれて。
ヒロが鳴らすバイクのエンジン音を聞きながら、私はまたシーツを手にし、広げる。
ふわりと清潔な香りがして、私はそれを肺いっぱいに吸い込んだ。
また会えるだろうか。
会えたらいい。
ここにいてくれたら。
その祈りが通じたのか、はたまた揃いの勾玉が引き寄せ導いてくれているのか。
穏やかな昼下がり、展望台から薄暗い林を抜けた先にある冬桜の咲く場所を訪ねてみれば。
「ナギ」
緑の草原に仰向けに寝そべっているナギを見つけた。
彼は閉じていた瞼をゆっくりと持ち上げて、覗き込む私を瞳に映す。
「……凛……おはよう」
本当に寝ていたのか、ナギはぼんやりとしながら大きく欠伸をして上半身を起こした。
「こんなとこで寝たら風邪ひくよ? いつから寝てたの?」
彼の隣に膝をつきつつ尋ねると、まだ意識がハッキリとしなさそうに頭を傾けて。
「……いつだったかな。それはさておきさ、今のは良かった」
「なにが?」
「凛の声で起こされるのが、だよ。毎日お願いしたいな」
俺の目覚ましになってくれとからかわれ、私は喜びに騒ぐ恋心を抑えるように、胸元に手を添えた。
「が、頑張って自分で起きないと」
「目覚ましの音だと無理矢理起こされる感じがするんだよな。だから凛の声で起こされたいんだ」
ナイスアイデアだろと言わんばかりの言葉を返されて。
どんな意味で言っているのかと勘ぐってしまう。
あくまでも友人として、幼馴染として。
目覚ましより人の声がいいからという単純な理由なのかもしれないけど。
私達は異性なのだから、あまり軽く口にされても少し困るのだ。
まして、私はずっとナギに片想いしてきた身。
それは燃えるような恋心ではなく、静かに大切に温めてきたものだけれど、他意はなくとも想い人から優しくされたり、今みたいなことを言われると期待してしまう。
期待するのは、絞り出した勇気と同じで、空振りに終わった時の落胆が大きいから少し苦手だ。
「いっそ、島に引っ越してくればいいのに」
「えっ」
「凛も、都会よりこっちの方が向いてるだろうし。住むとこなら、俺んちを提供するしさ」
「そうすりゃ、凛も俺も幸せだろ?」なんて楽しそうに笑うナギに、鼓動が速度を上げていく。
今しがた期待は苦手だと、軽口は困ると思ったばかりなのに。
そんなのはおかまいなしに、彼の笑顔が、言葉が、私の心をぎゅっと掴んで離さない。
ナギの一挙一動は、昔も今も、私の心を捕らえっぱなしだ。
「もう……からかわないで」
「いやいや、割と本気だけどな」
戸惑う私に、ナギは胡座をかいて後ろ手をつき微笑む。
「いつも思ってたんだ。運動会で活躍した時、修学旅行先で凛が好きそうなものをつけた時、悪ふざけが過ぎて、先生に追いかけ回された時だって思ってた」
茶色い瞳を優しく細めて、脳裏に離れていた時のことを思い浮かべて。
「今凛がいたら、どんな風に笑い合ってたかなって。どんな風に呆れて、どんな風に叱ってくれて、どんな風に、泣いてくれたかなって」
柔らかく吹いたひんやりとした風に乗せるように、言葉を紡ぐ。
「本当にさ、ずっと会いたいと思ってた」
ストレートな想いを。
慈愛に満ちた瞳を向けられて、思わず顔を隠すように俯いてしまう。
こんな時、どうしたらいいのかわからなくて。
それでも、ナギには。
ナギ、だから。
伝えなければと、伝えたいと、勇気を込めるように拳を握る。
「あ、ありがと……あの、私も同じこと思ってたの」
「凛も?」
「うん……」
例えば、奇跡が起こってナギが同じ学校に転入してきて。
気怠さの残る月曜日の登校も、ナギと一緒なら楽しそうだなとか。
新作のお菓子を見つけた時は、ナギにも教えてあげたいなとか。
テスト勉強を一緒にできたら、ひとりでノートと睨めっこするよりはかどるだろうなとか。
嬉しい時、悲しい時。
どんな時でも思っていた。
ずっと、ずっと。
「ナギに、会いたいなって」
自分の想いを伝えるのはとても恥ずかしいけれど、ありったけの勇気を出して伝える。
けれども、発した声は予想よりも遥かに小さくて。
ナギも何も言わないから、もしかしたら聞こえなかったのではと不安になる。
せっかく絞り出した勇気は、相手に届くことなく露と消えてしまうのか。
もう一度言ってとお願いされても多分無理だなと、半ば落胆しながら顔をあげたら。
「──え?」
不思議そうな顔でもしているだろうと予想していたナギは、頬を染めて困ったようにはにかんでいた。
「お前、そういうとこも変わってないよな」
「え? え?」
「大切なこととか、俺が欲しいと思う言葉を、どんなに時間がかかってもちゃんと伝えてくれる」
優しい声色で言うと、息を吐き出しながらナギは再び草の上に寝転んだ。
まさか、ナギが私の言葉で照れるなんて。
予想もしてなかったけれど、見たことのない表情を引き出せたのをひっそりと喜んでいたら、少し厚めの雲に太陽が隠れたせいか、さっきよりも冷たい風が吹き抜けて。
冬桜が柔らかくその身をしならせると、まるで降り始めの雪のように花びらがそっと舞った。
今日の天気予報は一日中晴れ。
ホワイトクリスマスにはならないだろうと、朝のニュース番組で言っていたのを思い出す。
そこで、ふと、ナギはクリスマスを一緒に過ごす約束をしている人はいないのかと気になった。