たまゆらなる僕らの想いを



来た時と同様、きちんとした道らしきものはなく獣道ではあるものの、急な傾斜もなく、私はナギに教えてもらったお地蔵様を目印に歩く。

ヒロに続いて、ナギにもこんなに早く会えたのは幸運だった。

それに、ふたりとも昔とあまり変わってなくて良かった。

もちろん、あの頃の幼さはないけれど、纏う空気というかオーラというか。

言動も含め、ああ、ナギだな、ヒロだなと思えるのが嬉しい。

ただ、わからないのはあの夢だ。

今日見た景色といい、ナギに会えたことといい、もしやこれが予知夢……というものなのだろうかと思い至る。

無性にナギに会いたい、会わなければと思っていたのは、私がナギを好きだから、その想いがそうさせていたのかもしれない。

そう、考えて。

だけど、どうしてなのか、私の心に違和感が残っている。

さっき、ナギといた時はなかったのに。

ナギと別れ、歩き離れるほどに蘇ってきたのは、夢を見た直後の焦燥感。




ざわざわと心が落ち着きをなくし、なぜか頭に浮かぶのは夢の中で私に向かって手を伸ばし、私の名前を呼んでいたナギの姿。

いっそ、次にナギにあったら夢を見たことを告げてみようかと思った時。


「あ!」


私はある重大なことに気づいた。

会えたことを喜ぶばかりですっかり頭から抜けていた。

ナギに連絡先を聞くのを。

今から戻って聞いて来ようと、振り返った私はさらに動揺する。

ナギから借りたマフラーが、いつの間にかなくなっていたのだ。

首から外れた感覚は全くなかったけど、ないということは落としてしまったのだろう。

もうこれは戻れと言われている気がして、私は急ぎ踵を返し、マフラーを探しながら桜の木の野原へと戻った。

──けれど。

どんなに目を凝らして探してもマフラーは見つからず。

戻る途中、すれ違っていないはずなのに、ナギの姿はどこにもなく。

私は首を傾げながら、仕方なく展望台の場所まで引き返したのだった。











やっぱり、ヒロに会ってナギの連絡先を聞くしかなさそうだ。

バスに乗り込んだ私は、民宿を出る前に決めた通り、展望台から天神商店街方面へと移動する。

とりあえず、商店街の近くにあるバス停よりひとつ後のバス停で降りて、住んでいた家の近くを先に歩いてみるつもりだ。

それから、お昼前くらいにヒロのお店を訪ねてみて、可能ならナギの連絡先を聞きたいけど、今日はクリスマスイブだ。

もし忙しそうなら近くの神社を巡って自力で探そう。

というか、よく考えたらナギとヒロは高校三年生で、冬休みは受験の追い込みで忙しいはずだ。

ヒロはお店の手伝いをしつつ勉強もしてるんだろうし、あまり邪魔をしないように気をつけなくちゃ。

ヒロに会ったら。

ナギに会えたら。

そんなことを考えながら目的地に着いた私は、バスを見送ると辺りを見渡した。

私の住んでいた家は、ここから歩いて十分ほど歩いたところにあったらしい。

過去形なのは、すでに取り壊されて、今は空き地になっているからだ。





島に帰る話を母にした時、昔住んでいた家があった付近を見てこようかなと口にした私に母は言った。

『何もないところを見に行ってもつまらないでしょ』と。

確かに、父と共に住んでいた家は残っていないけれど、この町にはたくさんの思い出が残っている。

だってほら、この角を曲がると、生前、父がよく利用していたタバコ屋さんがあるのをなんとなく覚えてる。

田畑の合間に建つ家々は瓦屋根をかぶり、どこか懐かしさを纏う佇まいで。

水田脇の細い道を軽トラックが走るのを目の端で捉えながら、私はやはり既視感を覚えていた。

引っ越してからそれなりに時間を経ているのに、ここは変わらない。

ゆっくりと時間が流れているのではと思うほどに、見覚えのある景色に再会できた。

都会では、季節が移りゆくごとに様変わりする。

去年まであった店が別の店になっていたり、ビルを飾る巨大な看板は、少し見ない間にタレントや商品を変えていて。

それは学校の中でも同じだ。

新商品のお菓子に、流行りのコスメ。

めまぐるしく変わる新しい話題。

昨日まで絶賛されていた何かは、あっという間に別のものに取って代わられ、次第に忘れ去られていく。

その忙しない空気が苦手で、私はずっと都会に馴染めずにいる。





不幸せではないけれど……島でずっと暮らせたら。

そんな考えが過った頃、私は父と住んでいた家があったと思われる空き地に到着した。

そこは、母の言った通りで本当に何もない。

土から雑草が生えているだけで、当時の面影は一切なかった。

それでも、記憶は蘇る。

平屋造りの日本家屋。

玄関の前がガレージスペースで、父の愛車と母が使っていた原付バイクが停まっていたな、とか。

奥には狭いけど庭があって、夏は縁側でスイカを食べたな、とか。

些細なことだけど、それらの懐かしい思い出は、私の心を温めつつもほんのり切なくさせて。

家族で過ごした日々を思い出しながら、しばらく辺りを散歩したのだった。









「着いた……!」


【天神商店街】と書かれた看板を見上げ、私は思わず声を上げる。

実は、タイミング悪くバスに乗りそびれてしまい、次のバスを待つより歩いた方が早そうだったので頑張って歩いたのだけど……。

マップを見ながら最短ルートを辿ってみれば、この通りに出る寸前、心臓破りの坂を登ることになってしまい、その結果。


「の、飲み物……自販機……ベンチ……」


足はクタクタ、喉はカラカラになってしまったのだ。

疲労で重くなった足をどうにか前へと動かして、飲み物と休憩場所を求めて歩いていたら。


「……凛?」


怪訝そうな低い声が聞こえて、俯きかけていた顔を上げる。

視線の先いたのは、これから会いに行こうとしていたヒロだった。

彼は瓶ビールの入ったお酒のケースを足元に下ろすと、「腹でも痛いのか?」と首を傾げる。

よく見れば、ヒロはお店の前掛けをして、彼の背後に設置されている棚にはクリスマスディナーに合いそうなワインやシャンパンといったお酒がズラリと並んでいた。

そして、ヒロの横には【酒】という文字と【あだち】という彼の苗字が書かれたスタンド看板。

どうやらここがヒロのご両親が経営している酒屋さんらしい。

疲れ過ぎて全く気づかなかった。

ヒロが声をかけてくれなければ危うく通り過ぎてしまっていただろう。





「お腹は、大丈夫。ちょっとそこの坂に体力を奪われて……」


説明しながら坂のある方角を指差すと、ヒロは心当たりがあるようで「ああ」と納得してから眉をひそめた。


「みなか屋からならもっと楽なルートがあるだろ」

「その、実は、前に住んでた家の方を見に行ってたんだけど、バス逃しちゃって。歩いた方が早いかなと思ったから地図見ながら進んだら……」

「坂を上るハメになったのか」


苦笑いして頷くと、ヒロは労うように私の頭をポンポンと撫でた。


「お前、原付とかバイクの免許はあるのか?」

「ううん」


首を横に振って答えると、ヒロが「そうか」と声を零す。


「都会は移動手段に困らないから必要ないだろうが、ここじゃ自転車くらいないと不便だ。俺ので良ければ貸すから滞在中使え」

「い、いいよ。ヒロだって使うでしょ?」


確かに不便ではあるけれど、上手くバスの徒歩を駆使すれば移動はできる。

ヒロの厚意は嬉しいけれど、それでヒロが困るのは望まない。

だから思い切り遠慮したのだけど、ヒロは問題ないと口にした。


「俺は高校に入ってからずっとバイクだから自転車はしばらく使ってない。だから気にせず使っていい」


言われて、そういえばと思い出す。

ヒロが昨日、お店のバイクに跨っていたのを。





確かに免許を持っているなら自転車に乗るよりもバイクの方が格段に便利でいい。

坂道だって楽ちんだし。

使ってないというなら、貸してもらえると嬉しい。

ナギの家に行くのも、バスを使わない場所ならすごく助かるし。


「それじゃあ、しばらく貸してもらうね。ありがとう」


手を前で重ねてペコリとお辞儀をすると、ヒロはそんなに畏まらなくていいと微笑んだ。


「ところで、凛はこれから買い物でもするのか?」

「え?」

「お土産を見に来たなら、こっちじゃなくて港の方がいい」


勧められて、私は小さく頭を振る。


「あ、ううん。そうじゃなくて、実はヒロに聞きたいことがあって」


ここへ来た理由が自分だということに驚いたのか、彼は少しだけ目を丸くした。


「俺に?」

「と、突然訪ねてごめんね。でも、忙しそうだし、また時間を改めるよ」


仕事中にこうして話しているのも邪魔なっているのだと気づき、何時に終わるかだけ聞いてまた訪ねようと考える。

それまでは、ヒロの自転車で近場の神社を巡って自力で探してみようと頭の中でシュミレーションしていたら。


「いや、実はこいつを冷蔵庫にしまったら昼休憩だって言われてる。昼飯食いながらでいいなら聞けるが、それでもいいか?」


ヒロの申し出に私は笑みを浮かべてコクコクと頷いた。


「もちろん! ありがとう」

「わかった。少し待っててくれ。自転車も持ってくる」


そう言い残すと、ヒロは店の中に入って……また、戻ってきて。


「ほら」


私の手に、小さめのペットボトルを投げ渡した。





「やるから、水分補給しとけ」

「えっ、でも」

「飲んで、その疲れた顔マシにしろ」


言われて、私はそんなにひどい顔になっているのかと、思わず頬に触れる。

すると、ヒロはフ、と鼻で笑って再度店の中へと消えた。


「あ、ありがとう」


きっとヒロに声は届いただろうけど返事はなく、私は彼の気遣いに感謝してペットボトルに視線を落とす。

なんの濁りもない透き通ったミネラルウォーター。

キャップを捻り開けて、さっそく喉を潤すと、乾ききった地面が雨に打たれるかのごとく、私の体が満たされていった。

ふと、奥のレジの方にいる女性とヒロが会話している声が聞こえる。


「いいよ、ゆっくりしてきなー」

「いや、一時間で戻るようにはする」

「今日は忙しくないし、そのまま病院行っても大丈夫よ」


……病院?

ヒロ、どこか悪くしてるんだろうか。


「……それは、午後の配達のあとにする」


やっぱり私、ヒロの予定を邪魔しているのではと申し訳ない気持ちになる。

もし昼休憩を使って病院に行く予定だったのならお昼を食べてる間に私の用件は済ませないと。

ともかく今は、ヒロを見つけられて、ナギに会いに行けそうな事に安堵して。

ペットボトルをカバンの中にしまった直後、似たようなマフラーを先に購入してから会いに行った方がいいのではと考えた。

この辺りに雑貨や衣料品を扱うお店はあるだろうか。