たまゆらなる僕らの想いを



「すっかり凛ちゃんに懐いたねぇ」


女将さんが明るい笑い声を響かせ、八雲君の頭をポンポンと叩く。

照れてそっぽを向いてしまった八雲君に苦笑すると、女将さんが「凛ちゃん」と優しい声で呼んだ。


「ここは、あなたのもうひとつの家だよ。いつでも、帰っておいでね」


温かい言葉と柔らかい笑顔が、私の心にゆっくり染み渡る。


「……はいっ!」


私の目から堪えきれずぽろり涙が頬を伝って、慌てて手の甲でぬぐった。

八雲君が心配そうにこちらを見たから、私はまた零れた涙を指で受け止めて笑ってみせる。

すると。


「凛お姉さん、うちに泊まってくれて、助けてくれて、いっぱいありがとう」


そう言って、女将さんに似た顔で微笑むから。


「こちらこそっ……いっぱいありがとう」


私は泣きながら笑うという器用なことをして、女将さんたちに笑われて。

別れを惜しみ涙を流しながらバスに乗り込むと、港を目指したのだった。



フェリー到着まであと十分。

お土産も用意して、あとは乗船を待つだけとなっていた私は、待合室の椅子に座っていた。

暖房のきいた室内には私の他に数えられる程度の人しかおらず、静かな空間で私は鞄からスマホを取り出す。

今朝、ヒロからの連絡では、ナギの容態は安定しているとのことだった。

……本当は、ナギに一目会ってから帰りたかったけれど、きっと大丈夫だと信じてやめた。

会いに行くと言ってくれたナギを信じる。

そう、決めた。

母にもう少ししたらフェリーに乗ることを連絡し、スマホを鞄に戻した時だ。


「凛」


名前を呼ばれて顔だけで振り返ると、そこにはマフラーを解きながら歩いてくるヒロがいた。


「えっ、配達は?」


今日は手伝いがあるから、この時間は見送りに行けないと昨夜聞いていたのに。


「姉貴に頼んで代わってもらった」


説明しながら私の隣に腰を下ろすヒロ。


「で、その姉貴からの伝言で、何かあれば気軽に連絡くれってさ」


メアド知ってるんだろと問われて、私は頷いた。



実はさっき、バスの中でもお姉さんからのメールを受け取った。


『今度来る時は新居に遊びに来てね。主人と待ってるわ』


それと。


『あと、うちの弟もいい男だから、お嫁に来るなら大歓迎です』


そんな冗談が添えられていて、私は苦笑しながら返信をした。

ぜひ遊びに伺わせてください。

その時はナギとヒロも一緒に。

現実になるようにと願いを込めて。

ヒロのことはさりげなくスルーして。

私は隣で「ここ、あったけぇ」と呟くヒロを見る。

彼がいい男なのは知ってるけれど。

それでも私は、ナギに惹かれてしまう。

昔も、今も、変わらずに。


「……なんだよ」


私の視線に気づいたヒロが、怪訝そうに眉を寄せる。


「ううん。来てくれてありがとう」


伝えると「ああ」と答えたヒロの声に、フェリーの入港を知らせるアナウンスが重なった。


「ナギのことは、何かあれば連絡する」

「うん……」

「お前も、何かあれば遠慮なく連絡しろよ」


ヒロの優しさに「ありがとう」とお礼を口にして。


「ねぇ、ヒロ」

「なんだ?」

「次にナギと喧嘩する時は私も混ぜてね」


少しおかしいかもしれないお願いをした。



ヒロは私がいきなりそんなことを言ったことに驚いているようで、瞬きを繰り返している。


「それで、何があっても今度は三等分しよう。痛みも三等分」


二人では重すぎて持てない荷物も、三人でなら持てるかもしれない。

二人で解決できないことも、三人でならいい方法が見つかるかもしれないでしょ?

そう告げると、ヒロは眦を下げて。


「三等分か……いいアイデアだな」


それなら遠慮なく巻き込んでやると、息を漏らして笑った。

そして、乗船する為に立ち上がった私に合わせてヒロも腰を上げる。


「またな、凛」

「うん。また会おうね」


挨拶を返すと、ヒロの大きな手が私の頭をくしゃりと撫でて。

ありがとうの気持ちを胸に私たちは笑みを交わし、手を振りあった。




私が生まれ育った、予渼ノ島。

自然溢れるこの島には、私の大切な思い出が詰まっていて、優しい人達が暮らしている。

大切な幼馴染のヒロと、同じく幼馴染で初恋の人でもあるナギ。

ナギに呼ばれなければ、きっと私は変われなかっただろう。

自分らしくいられる温かな居場所があると、気づくことはできなかった。

失ったと思っていた居場所にまた戻れる。

その喜びもまた、得られることはなかっただろう。

これからもきっと、人との距離感に悩むことはあると思う。

誰かの言葉や態度に傷つくことも、どんなに気をつけていても相手を傷つけることもあるかもしれない。

その時は、話し合い、理解し合う努力をすればいいのだと、大切な人たちから私は教わった。

ぶつかって。


「凛!」


許し合って。


「お母さん!」


再び、手を取り合う。


「おかえり、凛」


ねえ、ナギ。


「……っ、ただいま、お母さん」


私、やっと、帰ってこれたよ。

次はあなたの番。

私はあなたの目覚めを待ちわびているから。

どうか早く、帰ってきてね──。













信号が赤から青に変わると、横断歩道を一斉に人が渡り始める。

海中で群れをなし優雅に泳ぐ魚のように、駅に向かって。

あるいは、それぞれの目的地を目指して。

私もその中に紛れ、白い息を吐きながら家路を急ぐ。


「苺のショートケーキはいかがですかー?」


今夜はクリスマスイブ。

街は今年も煌びやかに飾られ賑わっていて、行き交う人達の表情もどこか明るい。

見上げた夜空に瞬いているはずの星々は、煌々とした街明かりが姿を隠してしまってよく見えない。

イルミネーションも綺麗だけど、やっぱり星空が見たいなと、私はまた白い吐息を冬の空気に溶かした。

予渼ノ島から帰ってきて、もうすぐ一年。

受験シーズン真っ只中の私は、バイトの出勤日数を減らして代わりに図書館に通っている。

高校を卒業したら島に引っ越してみなか屋で働きたい。

強くあったその気持ちは変わることなく胸にあるけれど、みなか屋でお世話になるなら役立つ資格を持つべきだとの母の勧めで、私は調理師を目指すことにした。

専門学校に一年通い、調理師の資格を得てからみなか屋で働く。

夏に一度、女将さんが結婚式に出席するとかで東京まで出てきたことがあり、その時に母を交えて会い、その話もしてある。



『八雲も楽しみに待ってるよ』


もちろん私もねと言ってくれた女将さんが、相変わらず陽だまりのように温かい笑みを浮かべてくれたのを思い出してほっこりしていると、鞄の中でスマホが震えた。

肩にかけた大きめのトートバッグに手を突っ込んでスマホを確認すると、友人たちとのグループチャットの通知だ。

明日のクリスマスパーティーについての会話が進んでいて、私も時折それに参加しながら、駅に向かって歩いた。

予渼ノ島から帰って、春を迎え、三年生になって。

今では友達がたくさん……とまではいかないけれど、以前よりも付き合いは増え、それなりに気の合う友人たちと毎日を過ごすことができている。

もちろん、人見知りがなくなったわけじゃない。

でも、それでもいいのだと思えるようになり、今は自分なりの距離感を保ちつつ、不必要に怖がることをしないように心がけている。

そのおかげか、気づけばいつのまにか学校の中にも自分の居場所ができて、朋美がいなくてもひとりでいる時間はなくなった。

今の私を見たら、ナギは喜んでくれるだろうか。



電車に揺られ、手すりに掴まりながら車窓の向こう眺めて、そういえばと昨夜ヒロからもらったメールを思い出した。


『クリスマスプレゼント送るから、明日楽しみにしてろよ』


まさか贈り物をしてもらえるとは思わず、何も用意してない私は焦って私からも何か送るよと欲しいものを聞いたんだけど……。

結局、いらないと断られてしまった。

そうは言われてもお返しはしたい。

とりあえず今頃家に送られているだろうプレゼントを見て返す品物を考えよう。

何かお返しのヒントになるように会話はあっただろうかと、彼とのチャットルームを遡っていると、先月の会話が目に止まった。

ナギの意識はまだ戻らず眠ったままだという内容のものを。

でも、危ない状態になることはあれ以来一度もないらしく。


『あいつ、神社のこととか面倒で起きたくないんじゃないのか』


冗談交じりにヒロが言っていたのを見て、私はそっと口元を綻ばせた。

目覚める保証も、死なない保証もない。

御霊還りの社で、ナギはそう話した。

でも、生きたいとも言っていた。

だから、彼は今、生きてくれている。

それはとても嬉しいことだけど……。


「ナギに、会いたいな」


静かな住宅地に零した声が溶けて消える。



モコモコのマフラーの下から覗く勾玉を首から外し、両手に包んで祈るように俯向きながら足を進めていたら。

ドンと、正面から人にぶつかってしまった。

しかも、衝撃で勾玉が手から滑り落ち、道路に転がってしまう。


「おっと」

「ご、ごめんなさい!」


慌てて謝罪し頭を下げると、目の前の男性は腰を曲げて勾玉を拾ってくれる。

そして、頭を下げたままの私に差し出すと。


「こっちこそ、待たせてごめん」


耳に馴染む心地よい美声が頭上から降って。

覚えのある、聞きたくてたまらなかったその声に。

ようやく聞けたその声に。

嘘だ、まさかと、心臓が馬鹿みたいに速度を上げる。

だって、ヒロからなんの連絡も……と、そこまで考えて。


『クリスマスプレゼント送るから、明日楽しみにしてろよ』


思い当たった彼からのメッセージ。

勾玉を受け取る際に触れた手は温かくて。

信じられない気持ちでゆっくりと頭を上げれば。


「メリークリスマス」


白い息を吐きながら色素の薄い瞳を柔らかく細めて微笑むその人の姿に、視界が一気に滲んで涙が溢れ落ちる。

彼の胸元には、私とお揃いの勾玉があって。


「……ただいま」

「お、おかえり、なさいっ」


ぐちゃぐちゃな泣き顔で抱き付けば、嬉しそうに笑って抱き締め返してくれた。

とくん、とくんと体越しにナギの生きている鼓動を感じ。


「ただいま、凛」


もう一度、囁くように声にしたナギから、ふわり。

優しい冬桜の香りがした。



- FIN –