たまゆらなる僕らの想いを



ゆらりと陽炎のように現れた彼は、柔らかくて綺麗な髪を淡い月光で染め、私の目の前立つと色素の薄い瞳を伏せる。


「……例え、死なないとしても保証なんか、ないんだ」


今体に戻れても、今状態が安定したとしても、目が覚めるかなんてわからない。


「今じゃなくても、近いうちに死ぬ可能性だってゼロじゃない」


それは、明日かもしれないし、一週間後かもしれない。

ナギの悲しげな声に、私は小さく首を横に振った。

人は、いつかその生を終える。

父も、祖母も、寿命というには早い年齢で他界した。

父が亡くなった時には、死ぬことが人の終着点だと、祖母が話していたのを思い出す。

その終着点が黄泉の国で、そこでは魂は消えることはなく、また生まれ変わる時を待つのかもしれない。

生まれ変われたら、また会えるかもしれない。

そう、聞かされたけれど。


「それなら……このまま、凛に見守られて逝くのも悪くないと思うんだ」


私は、来世までなんて、待っていられない。



「それは、私がっ、許さないから!」


熱いものが込み上げて、喉がつかえる。

声を荒げる私を、ナギが珍しいものを見るように僅かに目を丸くした。

涙が頬をポロポロと溢れ落ちるけれど、私はかまわずに続ける。


「大切な家族をみんな失って、悲しくて、辛いかもしれない。苦しんでるナギに、こんなことお願いするのは酷なのかもしれない」


私の傲慢さに、笑っても、呆れられたとしても。

それでもかまわないから。


「でも! 私も、ヒロも、いるよ」


こっそり学童を抜け出して、道路脇に降り積もる桜の花びらを雪のように降らせてはしゃいだ春。

セミの鳴き声を聞きながら、先生がおやつに用意してくれた棒のアイスを頬張った夏。

読書の季節だからと三人で難しい本を読むチャレンジをして、見事に川の字になって眠ってしまった秋。

大きな雪だるまを必死になって作ったら、三人して手に霜焼けまで作ってしまった冬。

二度とあの頃の私たちには戻れないけれど、生きていれば新しい思い出をこれからたくさん作っていける。

喧嘩したって、また仲直りして。

居場所だって、きっと。

ナギならたくさん作っていける。



だから。


「ナギ……生きて。一緒に、生きてください」

「凛……」


月の光を纏ったナギが一歩、私へと歩み寄る。


「本当に、お前は俺の欲しい言葉をくれるよな」


茶色い瞳を細めて、じわり、涙を滲ませて。


「俺……お前の隣で、生きたいな」


じいさんとばあさんになっても、ずっと。

願いを声に出し、ナギの綺麗な指が、私の冷えた指へと伸ばされる。

触れられず、すり抜けてしまうのをわかってはいたけれど、私も手を差し出して彼の温もりを求めた。

何の感触も得られない。

──はずだったのに。

指と指が触れて、温度を感じて。

私たちは、互いに目を見開いた。

ナギの指が、確かめるように私の指に絡まると。

ナギはまた一歩踏み出して、私の背に腕を回すと力いっぱい抱きしめた。

奇跡を逃すまいと縋るように。



冷え切った体がナギの温もりで暖められていく。


「会いにきてくれて、ありがとう、凛」


冬桜が静かに散りゆく中、耳元で囁くナギの切ない声に唇が震え、肩越しに見上げた月がひどく滲む。

彼の肩に額を押し付けて、そっと抱きしめ返せば、ナギの唇から吐息が零れて。


「今度は、俺から会いに行くから」


目覚めたら、必ず。

誓った刹那、強い風が吹き抜けて、大きく桜の木々を揺らした。

舞い上がり、雪と共に踊る桜の花びら。

私たちはその幻想的な光景を寄り添って眺める。


「ああ……綺麗だな」


ナギの心地よい声が紡がれて。


「うん……とても」


私が頷くと、ナギは幸せそうな優しい笑みを浮かべ私を見つめ……。

冬桜の香りと、僅かなぬくもりだけを残し。



雪に溶けるように、消えてしまった──。










ひとり、静かに涙を零しながら暗い林を抜けて。

女将さんの待つ車に乗り込むと、お願いするよりも早く「病院へ行こう」と言ってくれ、車を走らせた。

急ぎ向かったナギの眠る病室。

疲れ切った顔で振り返ったヒロから聞いた言葉は。

「峠は越えたって」だった。

その途端、涙腺は決壊。

私は子供みたいに泣きじゃくって。

ヒロも、大きく息を吐き出すと、弱々しい声で「マジで……焦った」と壁に背を預けながら冷たい床にしゃがみ込んだ。

そんな私たちの頭を、女将さんは優しく撫でてくれて。


「さあ、帰ろうか」


安心する声で促された私たちは、まだ少し後ろ髪を引かれる思いで病院を出たのだった。




──そうして、翌日。

しんしんと降り続いていた雪は昼前にはすっかり止んで。

青く澄み渡る空の下、雪が積もり白く染まる景色の中、私は腰を折る。


「お世話になりました」


みなか屋の前には、御央家のみんな。

たつ君を抱き上げた旦那さんが優しい眼差しで頷いて、その隣に立つ八雲君は唇をへの字に曲げていた。


「八雲君、また来るね」


八雲君は、私が少し早めに帰ることが不満なのだと、さっきこっそり女将さんが教えてくれた。


「またって、いつ?」


尋ねられて、私は一瞬返答に迷う。

ここを早く離れるのは、不必要にナギを呼んでしまわない為で。

だから、ナギが目覚めれば春休みでも夏休みでも来ることは可能なのだけど……。


「えっと……受験もあるから難しいかもしれないけど、お母さんに相談して大丈夫なら来年の冬休みには」


二泊三日くらいでまたここに泊まりにくれたらいいな。

そう告げると、八雲君は渋々といった様子で頷いてくれた。



「すっかり凛ちゃんに懐いたねぇ」


女将さんが明るい笑い声を響かせ、八雲君の頭をポンポンと叩く。

照れてそっぽを向いてしまった八雲君に苦笑すると、女将さんが「凛ちゃん」と優しい声で呼んだ。


「ここは、あなたのもうひとつの家だよ。いつでも、帰っておいでね」


温かい言葉と柔らかい笑顔が、私の心にゆっくり染み渡る。


「……はいっ!」


私の目から堪えきれずぽろり涙が頬を伝って、慌てて手の甲でぬぐった。

八雲君が心配そうにこちらを見たから、私はまた零れた涙を指で受け止めて笑ってみせる。

すると。


「凛お姉さん、うちに泊まってくれて、助けてくれて、いっぱいありがとう」


そう言って、女将さんに似た顔で微笑むから。


「こちらこそっ……いっぱいありがとう」


私は泣きながら笑うという器用なことをして、女将さんたちに笑われて。

別れを惜しみ涙を流しながらバスに乗り込むと、港を目指したのだった。



フェリー到着まであと十分。

お土産も用意して、あとは乗船を待つだけとなっていた私は、待合室の椅子に座っていた。

暖房のきいた室内には私の他に数えられる程度の人しかおらず、静かな空間で私は鞄からスマホを取り出す。

今朝、ヒロからの連絡では、ナギの容態は安定しているとのことだった。

……本当は、ナギに一目会ってから帰りたかったけれど、きっと大丈夫だと信じてやめた。

会いに行くと言ってくれたナギを信じる。

そう、決めた。

母にもう少ししたらフェリーに乗ることを連絡し、スマホを鞄に戻した時だ。


「凛」


名前を呼ばれて顔だけで振り返ると、そこにはマフラーを解きながら歩いてくるヒロがいた。


「えっ、配達は?」


今日は手伝いがあるから、この時間は見送りに行けないと昨夜聞いていたのに。


「姉貴に頼んで代わってもらった」


説明しながら私の隣に腰を下ろすヒロ。


「で、その姉貴からの伝言で、何かあれば気軽に連絡くれってさ」


メアド知ってるんだろと問われて、私は頷いた。



実はさっき、バスの中でもお姉さんからのメールを受け取った。


『今度来る時は新居に遊びに来てね。主人と待ってるわ』


それと。


『あと、うちの弟もいい男だから、お嫁に来るなら大歓迎です』


そんな冗談が添えられていて、私は苦笑しながら返信をした。

ぜひ遊びに伺わせてください。

その時はナギとヒロも一緒に。

現実になるようにと願いを込めて。

ヒロのことはさりげなくスルーして。

私は隣で「ここ、あったけぇ」と呟くヒロを見る。

彼がいい男なのは知ってるけれど。

それでも私は、ナギに惹かれてしまう。

昔も、今も、変わらずに。


「……なんだよ」


私の視線に気づいたヒロが、怪訝そうに眉を寄せる。


「ううん。来てくれてありがとう」


伝えると「ああ」と答えたヒロの声に、フェリーの入港を知らせるアナウンスが重なった。


「ナギのことは、何かあれば連絡する」

「うん……」

「お前も、何かあれば遠慮なく連絡しろよ」


ヒロの優しさに「ありがとう」とお礼を口にして。


「ねぇ、ヒロ」

「なんだ?」

「次にナギと喧嘩する時は私も混ぜてね」


少しおかしいかもしれないお願いをした。