たまゆらなる僕らの想いを



夕食は年越しそばがメインになるけど大丈夫かと女将さんに聞かれたのは、日暮れ前にみなか屋に戻った時だ。

一度は気持ちが前を向いたはずなのに、突きつけられた新たな事実に、私の胃はまた拒否反応を起こしていた。

昼前、ヒロの家から帰る時、すでに不調は顔に出ていたようで。


『凛、大丈夫か?』


自転車の鍵を握りしめた私の顔を、見送ろうとしてくれたヒロが心配そうに覗き込んでいたのを思い出す。

大丈夫かと言われたら、全然大丈夫ではないけれど。

一番大変で大丈夫じゃないのはナギで。

だから、弱音なんて吐いたらいけない気がした私は頷いて見せた。

でも、うっかり眉を寄せて微笑んでしまったものだから、それを見たヒロまで眉間にシワを作って。


『無理、すんなよ』


くしゃりと頭を撫でられた。

優しくされて、涙が出そうになる。

それを誤魔化すように、笑みを作って「ヒロも」とナギのお見舞いに行き続けているという彼に伝えた時。


『俺はどちらかというと、無理をするナギを止める役だ。今までも……あの時も』

『あの時って?』

『ナギが、事故にあった時だ』


ヒロが、少し苦しそうな顔で吐き出した言葉。




何があったのかと聞こうとしたら、お店の中から配達に行ってくれと頼むヒロのお父さんの声が聞こえてきて、それはできなくなった。

とにかく、ナギが現れたり何かあったらすぐ連絡しろと、ヒロの連絡先だけ教えてもらい、お店に入っていくヒロを見送ってから、自転車に跨った。

それから……私は、昼食を食べる気にはなれず、自動販売機で温かいゆずの飲み物を買って、ゆっくりと喉に流し込んで。

ナギに会うことはナギの命を危険に追い込むと知った今、御霊還りの社に行くことも出来ず。

かといって、みなか屋に帰る気分にもなれなかった私は、結局、展望台のベンチに腰掛けて、心模様とは正反対のうららかな空を眺め続けていた。




食欲は湧かないけど、お蕎麦なら食べれるかもしれない。

食べれないのにたくさん出してもらうのは悪いから、私は女将さんに「少なめでお願いできますか?」と尋ねた。

ヒロに心配されたくらいだ。

もちろん女将さんにも何かあったのかと心配されたけど、色々あり過ぎて苦笑を返すことしかできなくて。


「さっき、お風呂の掃除してお湯も張り替えたばかりだから、サッパリしておいで」


それでも、深く追求せずに笑顔で私の気を楽にしようとしてくれる女将さんの優しさが嬉しくて、胸が詰まる。

私は感謝の気持ちを込めて頷いて、一度部屋に戻ってから着替えを持って浴室へと向かった。

清々しいひのきの香りに包まれて。

芯まで冷えた体を温めて。

けれど、いつまで経っても心は吹雪の中を彷徨っているみたいに、寒くて、前が見えなくて、どこへ向かったらいいのかわからない。

動こうと、そう決めたのは自分だ。

それなのに、結果が重すぎて立ち止まってしまった。




意識不明のナギの姿を思い出すと、胸が苦しい。

ナギと会ってはいけないのはわかっている。

でも、最後に見た彼の辛そうな顔が頭から離れない。

ナギはあの時、変だと思っていたと零した。

もしかしたら、自分の置かれている状況に気づいているのかもしれない。

もしくは、気づきかけている、とか。

……会わないまま、確かめないままで、ナギのことを放っておいても大丈夫なのかな……?


「……どうするのが一番いいの」


情けない声がお風呂場にそっと響いて、湯気に溶けて消えていく。

吐き出した息が震え、私は唇を噛み締めた。

ナギの為に、何ができるのか。

何をするべきか。

ぐるぐるぐるぐる、悩んで、悩んで、悩んで。

除夜の鐘が鳴り始めても、私は答えを導き出すことができないまま、東の空が白む頃に、疲れ果て、瞼を閉じた──。













「明けましておめでとうございます」


一月一日、元旦。

朝食時、新年の挨拶をした私を見て女将さんは心配そうに眉を下げた。


「明けましておめでとう。凛ちゃん、体調は悪くない?」

「はい。寝不足気味だけど、大丈夫です」


年明けから鬱々とした姿を見せてはいけないと、私は笑みを作ってみせる。

でも、女将さんは笑みを返してくれない。

座卓にお雑煮と少量ずつ盛られたおせちを並べて、急須にポットのお湯を入れると「食べたら少し寝たらどう?」と気遣ってくれた。


「そう、ですね」


お腹いっぱい食べれるかは微妙だけど、少しでもお腹に入れば眠気が襲ってくるかもしれない。

寝不足だとぼんやりしてしまい、考えることさえままならないから、そうするのが良さそうだ。


「それと八雲がね、初詣に凛ちゃんと行きたいって言うんだけど、どう?」

「初詣……ですか?」

「そう。午後から行くつもりなんだけど、凛ちゃんが良ければ一緒に行かない?」


午後からなら、もし少し眠ったとしても行けそうかも。

何より、八雲君が誘ってくれたのが嬉しい。

だけど、ナギが大変な時にいいのかな、と思ってしまう。



初詣に行くなら、ナギのお見舞いに行った方がいいのではと気後れしていれば、女将さんは熱々のお茶が入った湯飲みを座卓に置いた。


「気分転換にもなるかもしれないし、困りごとがあるなら、神様に頼んでみるのもいいかもしれないよ」


神様に、か……。

……玉響物語のアメノヨモツトジノカミなら、ナギを助けてくれるだろうか。

私は巫女でもないし、特別な力を持っているわけではないけれど、少しでも可能性があるのなら。

凹んでいたって状況が変わるわけではないし、初詣のあと、試しに御霊還りの社でお願いをしてみよう。


「じゃあ、ご一緒させてください」

「良かった! ありがとう」


嬉しそうな笑顔を浮かべ立ち上がる女将さんは、部屋を出て行こうとして入り口の前でこちらを振り返った。


「凛ちゃん、着物もさ、着てみない?」

「え? 着物、ですか?」

「私が若い頃に着てたやつが残っててね。ほら、うちは息子二人だろ? このままお蔵入りになるのも悲しいし、良かったら使ってよ」


身長も同じくらいだし、昔はこれでも細かったからサイズは丁度いいはずと笑った女将さんはさらに言葉を続ける。




「凛ちゃんは着物、着たことある?」

「た、多分七五三の時くらいに」


祖母は着物をいくつか持っていたみたいだったけど、それを借りて着た経験もないし、着物も家事で燃えてしまったので残っていない。

それと、七五三に関しては着たような記憶がある、くらいで微妙なところだ。

記念に撮った写真も、残念ながら家事で焼失してしまっているし。


「そうなのね。じゃあ、私が着付けてあげるよ!」

「で、でも」


着物って高級なイメージがあるし、万が一汚してしまったら悪いので断ろうとしたけれど。


「綺麗な格好してお願いされたら、きっと神様も協力してくれるさ」


女将さんのその一言に、困った時だけ神様に頼るなんて図々し気もするけど、藁にもすがりたい思いでいる私は。


「よろしくお願いします」


ナギが目を覚ますことができるようお願いに行く為、お言葉に甘えさせてもらうことにした。




女将さんの作ったお料理は、彼女の人柄のように今日も朝から私を元気付けてくれて。

だけど、今ばかりは食べないでいた方が良かったかなと後悔している。

その訳は。


「うっ、きつい……」

「これが緩いといけないから、少し我慢しててね」


帯枕という和装小物を着けなければならないからだ。

女将さんの説明によれば、帯枕は帯の形を補助する役割があるらしい。

ただ、まずはみぞおちの辺りで結ぶもののようで。


「ううっ……」

「結べれば少し位置を下げれるから、我慢だよ!」

「は、 はいぃ〜」


情けない声を出した私に、女将さんはクスクスと肩を揺らし、結び終わると下に下げた。

すると、少し圧迫感がなくなって、私は安堵の息を吐き出す。


「着物を着るのって、こんなに大変なんですね」


てっきりきついのは帯だけなのかと思っていた私に、女将さんは「オシャレは我慢が必要なことが多いかもね」と笑った。

そうして、赤地に桜の花や水玉が散りばめられた振袖に、濃く鮮やかな翡翠色の帯を巻きつけていく女将さん。



「お太鼓結びにしようかね」と、私の背後で帯を結び始めると、ふと、その声色を和らげて。

「まあ、オシャレは我慢もありだけどさ。何かあって困って、悩んで、辛いなら、それは我慢ばかりしちゃあよくないよ。泣きたい時は、素直に泣くのが一番」


……それはきっと、私を心配してくれての言葉。


「辛い時でも笑顔でいればいいことがある、気持ちが前を向くなんてよく聞くけど、私はあれ、嘘だと思うんだ」


そうなの、かな。

おばあちゃんが死んで、家が火事にあって、いいことなくて暗い顔をしていたら『あの子、なんか不幸うつしてきそうじゃない?』って言われた。

お母さんも、私が何かあって肩を落としていると『いつまでも辛気臭い顔しない。そんな顔してると、不幸が寄って来るよ』と言っていた。

だから、辛くても笑っていれば人を不快にさせないのだと思ったし、いつも笑顔でいる友人たちはキラキラして見えるから、私も出来る限りそうあるべきだと心がけていた。

どんな時でも笑顔でいれば幸せになれる。

だけど、そうしなくても良かったの?